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0501逃亡

夏季休暇も終わり、寮に生徒たちが戻ったことで、学園もまた活気を取り戻した。勉学に励む者もいれば、パーティーへの憧れに胸を踊らせる者や、武道に打ち込む者、それぞれが各々の学生生活を送っている。

そんな中、リリーはアルフレッドから声をかけられないように逃げ続けていた。


走って追い詰められることは無いものの、アルフレッドはキョロキョロとあちこちに視線を動かして、明らかに誰かを探している。廊下の角からそんな様子を伺っていると、姿は見られていないはずなのに、差し迫った顔で寄ってきた。

リリーは狼狽え、走り出す。


公爵令嬢らしく無いとは思いながらも、後ろも振り向かずに教育棟を抜け、そのまま階段を駆け上る。

しかし、不意に右腕を捕まれ、前へ進む動きを抑えられる。


「あっ!!」


足を踏み外しそうになり、慌てて体勢を立て直すと、薄茶色の瞳がこちらを睨みつけていた。リリーを掴んだのはローズだった。


「もうその手には引っ掛からないわよ!」


一瞬何事かと泡を食ったリリーだが、後ろからアルフレッドが追って来ていないかの方が、彼女にとって気が気でなかった。


「離して、何の話をしているの!?」

「ふん、今日はすれ違いざまに右腕で、なのね。また私を突き落とすつもりだったでしょう!」


苛立った声色に、リリーは逆に冷静さを取り戻す。ローズはスカートの影から、青アザを覗かせていた。

嫌がらせがエスカレートしている事に不味さを感じ、歯噛みするが、ローズはお構いなしに非難の声を上げる。


「あなたに脅されて、嫌がらせをさせられてた子が、私に謝って来たのよ!」

「じゃあ名前を教えて、誰なの?」

「そんなことしたら、公爵家の力で彼女に酷いことをするでしょう。そうやって権力を振りかざすのは人間として最低よ!」


全くもっての正論に、リリーも全面的に同意するのだが、そもそもそんなことはしていない。

公爵家の人間に脅されたんです、証拠は有りません。

そんな馬鹿な言い分を信じて、攻撃されれば腹も立つ。


「やめて、私に触らないで」

「いいから話を聞きなさい!」


ローズとしばし腕の引き合いになったところで、リリーはハッと気がついた。たわいもない言いがかりごとき、いつも通り流せば良いのだ。

だのに、何故かどうしてだって、ローズの言葉だけは癇に障ってしまう。


ゲームの通りに感情までが動き出している事にリリーは焦りを感じるも、彼女に対する嫌悪の気持ちが拭えない。嫌っては駄目だと考えるほど、握られた腕から伝わる体温に対して、体が強い拒絶感を訴える。

動きが弱まったリリーを見て、ローズは彼女が観念したのだと勘違いしたようだ。腕を握る力を少しだけ緩めた。


「いいこと、私がアルフレッドに言わないであげてるうちに止めなさい!」


リリーが血の気の引いた顔を上げると、ローズは訳知り顔で堂々とこちらを見ていた。


「あなたがそんな子だって知ったら、彼が悲しむもの」

「ッ!!」


その瞬間、リリーは火の粉がカッとはぜたような感覚を覚え、身をよじり腕を振り払った。

バランスを崩したローズが、後ろ向きに階段から落ちていく。緩やかに弧をかいて落下する彼女を、リリーは反動で突き出た左腕で掴もうとするも、それは無理な話だった。


踊場に吸い寄せられるように沈むローズの顔が恐怖で歪む。リリーは見つめる事を拒み、反射的に瞼をキツく閉じた。

グッと強く力を込めて身を強張らせはしたが、ぶつかる音が聞こえないことに気がついて、ゆっくりと瞼を上げる。

階段の下では、リリーを追ってきたアルフレッドが、ローズをしっかり抱き止めていた。


「リリー、君は一体何を!?」


アルフレッドは真っ青な顔でリリーとローズを交互に見ながら問いかけた。まともに答えられるはずもなく、リリーは崩れるようにヘナヘナとその場に座り込む。

すると、代わりとばかりに、アルフレッドの腕に収まっていたローズが声を上げる。


「ありがとう、アルフレッド。なんでもないわ」


ローズは起き上がり事も投げに砂を払うと、力の抜け切ったリリーを蔑んだ目で見つめ、止めとばかりにフンッと鼻を鳴らした。


「私は大丈夫、気にしないで。それより生徒会に遅れるわよ」


去り際にアルフレッドの首筋を軽く指先で撫でて遊ぶと、彼女は階段を下りて見えなくなった。友人同士というよりも、恋人にするような自然な仕草。

首元を押さえたアルフレッドは何も言わなかったが、ゆっくりとリリーに向けられた彼の目が、彼女には酷く据わっているように感じられた。


どう見てもリリーが加害者で、ローズに彼女は助けられた形といえる。

ローズを傷つけようとした事に苛立ったアルフレッドは、彼女に着いていくのだろうと感じ、リリーは顔を伏せた。もし詳細をローズから聞き出したら、どう思ってしまうのかを考えて、唇を自然と噛みしめる。


しかし、気が付くと目の前には、心配そうな表情で、彼女の顔を覗き込むアルフレッドがしゃがんでいた。


「大丈夫ですか……?」

「……」


言葉よりも、その表情に安堵する。

アルフレッドに抱き起こされるも、膝が笑って上手く立ち上がれなかった。


「僕には、リリーがあの子を突き落としたように見えたのですが」

「ごめんなさい、人違いで揉めていたら、間違って……」


リリーは居た堪れなくなり、アルフレッドの腕に顔を埋める。彼の体温は、気持ちを落ち着かせるのに良く効いた。


「どうして仲良く出来ないんですか、リリーの今後に関わることですよ」


ため息を付くアルフレッドにいさめられるも、ローズと仲良くなれる自信はなかった。

しばし沈黙が続いた後、リリーの頭が腕から離れると、アルフレッドは申し訳なさそうに口を開く。


「僕から言い出した事なのに、約束を破る結果になってすみませんでした。誤解だけでも解こうと、エヴァグレーズ公爵領での自由時間を使って、君の屋敷まで行ったのですが、居ないと言われてしまい……」

「誤解も何も、謝らないで。無かった事にしたのは私の方だから」


アルフレッドの目の下には、薄っすらと陰りが出来ていた。どうやら、疲れが溜まっているらしい。正しく、ローズが言う通りつまらない約束のせいで、自由時間まで潰させるよりは、あんな形でなく、リリーの方から申し出て、穏便に断っておくべきだった事が悔やまれた。


エゼルバルドの動きが怪しい以上、ローズを守る為にもアルフレッドが側にいてくれた方が良い。なのに、どうして訳の分からない理由で、アルフレッドに迷惑までをかけるようになってしまったのか。

何とかリリーの事でだけは、彼の気を煩わせないように、配慮してきたつもりだったのだが、正反対の結果である。

先ほどの騒動も含め、感情よりも結果を優先する彼女は、誰が悪いのかを痛切に感じて肩を落とす。


アルフレッドは居心地が悪そうに黙っていたが、目を逸らしながら話をしようとして思いとどまり、逆にしっかりとリリーと目を見つめた。


「再来月、生徒会主催のパーティーがあります。そこで着るドレスを、僕に贈らせてください」

「……ドレス?」

「主催側の為、エスコートは出来ません。だからせめてドレスだけでも……」


贈られなかったドレスは、誰のものになるのだろうか。

そんな疑問が頭を過ぎるも、彼女は断ざるを得なかった。


「……ごめんなさい、もう用意をしてくれている人がいるの」

「そう、ですか……。なら、別の機会で、ぼ、僕にも、チャンスを下さい……」


リリーの顔色が芳しく無い事で、アルフレッドの消え入りそうな声は萎んでいった。一つだけまだ何かを問いかけようと彼は躊躇っていたが、唇で「誰が」と形作っただけで声には出さず、項垂れて言葉を飲み込んだ。


アルフレッドに、ローズのドレスがどうなるのかを言わなければならない。

頭では分かっていても、リリーの唇は動いてくれなかった。


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