0406思春期には辛いよ
あの後、エゼルバルドを待つラルフと別れ、リリーとアルフレッドは共に渡り廊下を後にした。
リリーは隣を歩くアルフレッドを見上げる。顔色も戻ったし、先ほどの大型犬よろしく、嬉しそうに駆け寄って来た姿を思うと、今なら以前と同じように二人きりでも話し合える気がした。
「話がしたいんだけど」
「ええ、大丈夫ですよ」
申し出をあっさりと承諾され、身構えていたリリーは気抜けする。少しだけ軽くなった足取りで人気のない場所を探し、こっそりと建物の死角に入り込むと、二人は壁を背に腰を下ろした。
「……」
「…………うぐっ」
リリーが物言いたげにアルフレッドを見上げるので、彼はわずかに頰を上気させ、当惑した表情を見せた。
「ゲ、ゲームの件で、僕に聞きたい事でもありましたか?」
「それもだけど、最近会えなくて淋しかったから……」
信じられないとばかりに、アルフレッドは口を開けたまま絶句した。あまりの不躾な態度に、リリーは口を尖らせる。
「私だって、感情くらいあるもの」
「アハハ、またまた、ご冗談を。どうせ表面的なもので、深い意味なんて無いんでしょうに。僕はもう何も期待しないことにしたんです、騙そうったって、そうはいきませんよ」
アルフレッドは小馬鹿にしているようだった。
「本当だもん。ずっとローズと一緒だから話しかけれないし……」
「はいはい、でもその分実情は掴めました。どうやら兄上は、入学前から彼女に目をつけていたようです」
胸を張って誇り顔になったアルフレッドを見つめ、リリーは怪訝な顔で文句をつける。
「ゲームが始まる前から、攻略対象者が主人公に好意を抱くなんて、ありえないわ」
「同じ王都に住んでいたのだから、何かで見かけたりしていても、おかしくないです……」
「うっ、そう言われると否定できないかも」
ゲームでの常識を語る際、一旦は口調が切り替わったリリーも、アルフレッドから一般常識的に考えてくれといった目を向けられると、怯んで普段通りのものに戻った。
「とにかく、兄上が異常に執着しているのは確かです。今は僕と彼女を引き離そうと躍起になっています」
リリーの頭を過ぎるのは、普段見かけるアルフレッドとローズの仲睦まじそうな姿。今に思えばローズの言う通り、あれはちょっと妬いてしまう。
エゼルバルドにとっても、相当面白く無いのだろう。そんな彼がローズに好意を寄せているとなると問題だ。性根が腐っている上に、暴力癖まで治っていない。
思い人の前では猫を被っていたとしても、二人のルートが成立してしまったら、ローズの身が危なすぎる。
「まあ、僕が兄上を牽制しつつ、ガードしているので、状況に変化はありませんが」
「また危ないを事して……。でもありがとう、アルフレッドがエゼルバルドからローズを守ってくれてたんだ」
「リリーの役に立てたなら何よりです」
素直に感謝したにも関わらず、アルフレッドはどうしてか自嘲気味に笑っていた。けれど、すぐに真面目な表情で口元に手を当てると、今回ばかりはそれも難しいと漏らす。
「生徒会役員のみで、サマーバカンス中に王国内の領地を慰問する計画が有るそうですが、役員でない彼女も特別に兄上から誘われていました」
「……それはゲームにもある展開だね」
ゲームでは、夏休みを余す事なく恋愛イベントで埋めた結果、生徒会役員メンバーと旅行するシーンがある。それがこの慰問旅行なのだろう。
「念のため潜り込んで同行したかったのですが、僕はただの雑用ですからね」
「ローズに危害が加わるようなイベントは無いから大丈夫。エゼルバルドに気持ちが揺らぐかもだけど……」
「いえ、今更兄上に魅了される事も無いでしょうし、杞憂に終わるとは思います」
いくら夏休み中にイベントをこなそうが、ローズの好感度がアルフレッドに傾倒している今、彼女の気持ちが完全に揺らぐ事はない。
全エゼルバルド関連のイベントを、アルフレッドが横取りしている状態なので、その予想に間違いは無いはずなのだが、リリーは頭を抱えた。
「まさか、ゲームとは反対に、主人公からの好感度について、考える日が来るとは思わなかった……」
「ゲームの中では、神のごとき主観、突出した個かもしれないですけど、僕を起点とするならば、他と等しく皆他人。ただの人間です」
頑としてゲーム目線でしか物を見ようとしないリリーに、アルフレッドは呆れ気味に口を曲げた。
それでも、ウンウンと「逆好感度ゲージが」なんて唸り続けるリリーを横目に、アルフレッドは少し頰を赤らめて口元を隠す。
「……休み中、暇が出来たことですし、エヴァグレーズ公の許可が下りたら、フルード公爵領の屋敷に遊びに来ませんか?」
「うん?」
リリーが向き直ると、彼は顔を背けた状態で膝に頬杖を付き、モゴモゴと口ごもっていた。
「特に、8月の後半が暇で、暇で……」
「誕生日なのに?」
「そういえば、そんな日もあったような、なかったような。僕は記念日の類に興味が無いから知らないです」
リリーの誕生日パーティーに来賓で招かれた時ですら、挙動不審気味になるアルフレッドだ。恐らく、そういったものは例年通り開かないのだろう。
空いているならその日を狙ってやれと、リリーは丸まった背中しか見えないアルフレッドに笑いかけた。
「いいね、久しぶりに一緒にいれるなら嬉しいな」
「……なんと言っても、一年以上音信不通でしたからね」
「それ、やったほうが言う?」
呆れてより一層口元を緩めたリリーに、ようやく顔を向けたアルフレッドは不服そうに膨れた。
「手紙の返事も書けなかった事は謝りますが、僕も色々と忙しかったんです。役に立つようになって帰ってきたのだから良いでしょう」
「役に立つかなんてどうでも良いから、私は危ないことをしないで欲しいかな」
「実質動いているのは僕なのだから、いい加減、評価を改めてもらえると嬉しいですね」
アルフレッドはやれやれといったふうに、肩を竦めた。
だが、評価を改めるも何も、リリーにとったら雪山での前科一犯かつ、再犯の危険有りの要注意人物。
アルフレッドは他人の為なら、平気で身を挺する節がある。
リリーとしての記憶をほじくり返せば、彼女への見せしめとしてエゼルバルドから殴られていた時などは、「一言でも声を漏らせばこの女を殴る」と言われただけで、唇を噛み切る寸前まで耐え続けていた。
幼いリリーにとっても、目の前で繰り広げられる惨劇がトラウマではなかったのかと、何年振りかに尋ねてみたものの、やはり自身の中の彼女から返答は無い。
それはさておき、言っても聞かないのかもしれないが、アルフレッドは放っておいたら何を仕出かすか分からない。
機嫌が良いなら、今のうちに危険から遠ざけておくのが吉だとリリーは判断した。
「ねえ、まだエゼルバルドが怖いんでしょ、だったら、生徒会だけでもやめない?」
その言葉に、アルフレッドが口を引き結び、眉間に厳しいシワを寄せたことで、一変して機嫌が悪くなったのをリリーは感じ取った。
「僕は別に。それにあれ以来大したことはされていません」
「……本当に?」
頑なな態度に不安を覚え、リリーは恐る恐る尋ねた。
けれども、それさえも癪に触ってしまったようで、アルフレッドは彼女を睨みつけると、より一段と声色を下げる。
「そんなに心配しなくても、今更なんとでもないことです!」
有無を言わせずピシャリと会話を切られ、リリーは黙りこむ。
しかし、目に入るのは、以前よりも痩せた体、そして、常日頃から襟元まで乱す事なく着込んでいる制服。
彼女は意を決すると右手を伸ばした。
「ひゃうっ、リリーッ!?」
のけぞって逃げようとするアルフレッドに馬乗りになると、そのままベストに手をかけ片手で器用にボタンを外す。動きの悪い左腕は、往生際の悪い彼から利き腕を守るのに役立った。
「ちょ、ちょっと、何をっ、アーッ!」
スルリと抜かれたネクタイが宙を舞う。
結局のところ、アルフレッドも彼女に対してどう力を込めたら良いか分からないらしく、抵抗と呼べるほどの動きをしなかった。されるまま身を剥かれ、そうして現れたものに、リリーは息を飲む。
シャツに隠されていたのは、肌に刻まれた古傷と真新しい青アザだった。
見るも痛々しく、首元にかかる大きな火傷の痕はケロイドとなり、所々同じ引き攣りが腹部を過ぎても残っていた。
そして、おそらく日常的に革靴で蹴りつけられているのだろう、覆い被さるように出来た、新しい暴行の痕。
リリーはそっとアルフレッドの肌に触れる。
「酷い……」
「……ッ!」
アルフレッドの赤らんだ顔に、羞恥の色が見え、彼は目を逸らした。皮膚には古傷で凹凸ができており、リリーの指に時折引っかかりを覚えた。順になぞって下ろしていけば、真新しい青色から、治りがけの黄色いものまでが通り過ぎていく。
「また同じ目に合ってるあってるじゃない」
「ッ、人目があるので昔より酷くされません!」
「十分ひどいわよ……」
リリーは肌に刻まれた傷と共に、自分の中の記憶を辿る。アルフレッドが殴る蹴る以上に酷い事をされていた覚えは、確かにあった。なのにどうして、先ほどと同じように、思い出そうとするまで詳細を忘れていたのかが悔やまれた。
「ごめん……」
「そんなこと、どうでも良いから、絶ッ対にそれ以上、後ろに下がらないでください……ッ!」
情けない鼻声で言われ、リリーが背後を確認するため、身を離して振り返ろうとすると、アルフレッドは慌てて逃げ出し、ピッタリと体を密着させるように膝を抱えた。
「こ、こんなの、人に見られたらどうするつもりですか!」
「大丈夫、ちょっと痩せ気味だけど、十分良い体だよ。古傷を笑われたら、逆に見せつけてやれば良いって」
「ぐうぅ、違っ……うぐっ」
フォローを入れたつもりのリリーに対して、完全に防御の構えをとったアルフレッドは、頭から湯気を立てて睨みつける。彼はもう既に半分泣きかけていた。
涙が溢れる前に、抱えた膝に顔を埋めると苦々しく叫び声を上げる。
「生徒会はやめませんっ!!」
「ちょ、ちょっと拗ねないで」
珍しく子供っぽい姿を見せるアルフレッドに、リリーは狼狽える。
彼の体を揺らすも、威嚇するように唸る以外の反応が無い。試しに無防備な頸をくすぐってみると、体勢はそのままに声を殺してガタガタと堪えているようだった。
結局、打つ手を失くしたリリーは仕方なく腕を下ろす。
「……どうしてそんなにこだわるの?」
ポツリと呟かれたリリーの言葉に、ようやくアルフレッドは顔を半分上げる。
「理由なんて、そんなの一つしか無いですよ……」
再び顔を伏せると、アルフレッドはその下でこそこそとシャツを整え始めた。元通りネクタイを締め、襟元を正すと、黙って見ていたリリーに背を向け立ち上がる。
「そろそろ予定がおしているので、他に話がないなら僕は帰ります」
「あ……」
リリーは引き止めようと手を伸ばしかけるも、すぐにそれを引っ込めた。雨の日の一件について伝えたかったが、ベンチに座っていたアルフレッドの後ろ姿を思い出すと、ローズのことを悪くは言えなかった。
アルフレッドは振り返り、チラリと一度だけ目を合わせ、続く言葉が何も無い事を視線から読み取る。
「……夏期休暇の件、エヴァグレーズ公の許可が下りたら、教えてください」
「うん」
足元おぼつかなげに歩くアルフレッドを見送りながら、やはり忙しい彼の気を煩わせるまでも無いと、リリーは無理やり自分を納得させた。




