0401再会
4月初日。
指定の学制服に、学年色である群青色のリボンを身に付けたリリーは、眉を寄せ険しい表情でハイラント学園の正門に立っていた。
「ここから先が、遂にゲームの世界……」
ハイラント学園は、このアルレガリア王国に住む貴族の子供達が通う、高校のようなものである。
王宮に隣接する森の中に建てられた、広大な敷地をもつ学校。第一王子のエゼルバルドは警備の面から昼間のみの通学となるが、基本的には全寮制で、親元を離れての生活を送る。
学園内では身分の平等をうたうため、制服が指定され、皆それに袖を通すが、しかし、実際の内情は親の力は子の力。ゲームの設定を忠実に再現し、絶対に覆せないパワーバランスとして貴族の階級が幅をきかせているのだ。
リリーの荷物は既に領内に運び込んであるので、持ち物は特にない。
癖になってしまった、左肘を庇うために右腕でそれを抱える仕草は、ゲームにおけるリリー・エヴァグレーズの立ち絵姿と重なった。
彼女はそのまま門に足を踏み入れると、辺りを伺うように歩みを進めた。入学式の会場である中央講堂に向かえば、色々な噂が慌ただしく飛び交っている。
「ねえ聞きました? 今年は庶民の方が初めて入学したそうよ」
「ええ、ローズとかなんとか、場違いなみすぼらしい方でしたこと」
「フフフッ」
どうやら、『ローズ』は既に嫌がらせのターゲットにされているようだ。だが、その事実よりも、過去に自身がプレイヤーネームとして使用していたものと、彼女の名前が同じだった事に、リリーは半眼の目を僅かに見開いた。
何の因果か、同じ名前になってしまうとは。
そんな事を彼女が考えていると、後ろから唐突に呼びかけられる。
「リリー様、こちらです!」
シャーロットがリリーに向かい手を振るので、彼女も腕を振り返す。シャーロットはあまり身長が変わらなかったが、リリーの背が少し伸びたため、体感的には前よりも小さくなってしまった。
「早いね、もう来てたんだ」
「緊張してはやく起きてしまいましたの。ほら、コリンズもちゃんとリリー様に挨拶なさい!」
「え、コリンズ、嘘!?」
シャーロットが振り返って手招きする人物が、とても攻略対象者のコリンズには見えず、リリーは我が目を疑った。スラリと伸びた手足と、トレードマークの黒髪は健在であるものの、長く伸びた前髪でその目は全く見えず、顔立ちもよく分からなくなっている。
まじまじと彼を見つめてから、リリーは肩を落とす。
「痛いの、直らなかったんだね」
「いや、これは女避けだ、あいつらは顔だけで寄ってくるからな。俺に話しかけて良いのは汚れなき少女だけだ」
「児ポォ……」
腕を抱え、リリーがガクガクと身震いを始めるも、コリンズは自慢げに胸を張っていた。
残念な結果となってしまったが、小さなお友達以外に興味をなくした彼は、主人公争奪戦から離脱したと考えていい。
なんとか彼女が気を取り直すと、シャーロットが再び彼を叱りつけているところだった。
「もう、リリー様に迷惑をかけてはいけません!」
「俺の方が誕生日は早いんだから、弟扱いはやめてくれ!」
「仕方ないでしょう、私にとっては義弟になるのですから!」
シャーロットはコリンズの兄、ローデンと婚約中なので、彼のことは最早身内扱いなのだろう。元来一人っ子のシャーロットは、水を得た魚とばかりに世話を焼いていた。二人の関係性は変わってしまったが、腐れ縁みたいなものになりつつあるのかもしれない。
そうこうしている内に入学式は始まり、並べられた椅子に着席していたリリーは、表情を固定して意識を飛ばしていた。理事長挨拶と、教師陣の紹介が行われた事を彼女はよく覚えていない。
最後に、生徒会長挨拶として、第一王子であるエゼルバルドの演説が始まると、ようやくスイッチが入り、座り直す。
エゼルバルドは設定通り、金髪をなびかせる美しい長身の青年へと成長していた。首元に締めたネクタイが示す三年生の学年色、青っぽい緑色は、かっちりと着込んだ制服に映えている。彼が話す内容も、学園生活は将来のため、品行方正に生活しましょう、といった耳当たりの良いものであった。
「より良い学園を作ることが、より良い国をつくります!」
リリーがエゼルバルドの言葉に耳を傾けていると、彼に対して熱い眼差しを向ける女性が多い事に気が付いた。
ゲームキャラクターにおけるエゼルバルドは、攻略難易度が一番低いため、容姿やスペックが良いわりにキャラ人気は低かった。一方、この場にいる彼女達は、明らかに次期王妃の座を狙って、彼に夢中になっている。
公爵令嬢の婚約者はもういないのだ、彼の心を射止める為、ローズと対立する悪役令嬢の役に、誰が収まってもおかしくない。
その時、エゼルバルドの護衛として傍らで控えているラルフと、リリーの目が合った。彼は以前から身長が高かったので、あまり変化は感じられ無いが、立ち姿は鮮やかなほど様になってきている。
一瞬、こちらに向かって、ニヤッと口元を歪め、わずかに犬歯を覗かせたようにも思えたが、流石に気のせいだろうと、彼女は目を逸らした。
壇上とはいかせん距離が遠すぎるので、よほど目が良くなければ見えないからだ。もっとも、モブキャラと化してしまったリリーを、攻略対象者であるラルフが気に留めるとも思えなかった、という点が大きいのかもしれないが。
「……では、お時間を頂きありがとうございました」
エゼルバルドの演説が終わると、パチパチと拍手が鳴り響く。それに応えるように、降壇しながら彼は軽く微笑んだ。目を奪う姿は、将来有望な良い王子様にしか見えない。以前とは異なる、アルフレッドと似た彼の笑い方は、リリーの目には毒だった。
式が終わり、まばらに席をたち始める人間が出ると、未だぼんやりとしているリリーに、隣に座っていたシャーロットが身を寄せる。
「やはり、アルフレッド様の顔立ちと、エゼルバルド様はそっくりでしたね」
「……え、ああ、うん、兄弟だからかな。特に雰囲気は昔から似てるかも」
こんなことをアルフレッドには聞かせられないけど、とリリーは苦い思いを吞み下す。長年自身に暴力をふるってきたトラウマの相手だ、似ていると言われれば誰だって不快な気持ちになってしまう。
口を閉ざしたリリーに、シャーロットは昔を懐かしんで声を湿らせる。
「アルフレッド様は前と変わられましたか? 私、長いことお会いしていませんの」
頻繁に会っていると思っての発言だろう、リリーは、「どうだろうね」なんて言葉で、彼女にしては上手く誤魔化した。
リリー達が講堂を出ると、人だかりが出来ていた。誰かを囲んで、女子生徒がキャアキャアと高い声を上げている。
面倒なのであまり関わらないように、その輪を避けて通ろうとすると、中心から思わぬ声をかけられる。
「お久しぶりです、エヴァグレーズ公爵令嬢」
人の輪が割れて、ツカツカとリリーに近寄ってきたのは、ラルフだった。
「先ほど、講堂でお見かけしたので、勝手ながら待たせていただきました」
彼の言葉使いは格段に良くなっていた。
最早、ラルフの代名詞である『お前成長しやがって』よりも、『お前キャラ崩壊しちまって』とリリーは叫びたくなる。
「……お元気そうで何よりです、ラルフさん」
「私の名前を覚えていてくださり、光栄至極にございます」
ラルフは片膝をつくと、彼女の右手にキスをした。
キャーッ、と一段と大きく黄色い歓声が上がり、後ろにいたシャーロットも手を口に当て、頬を赤らめる。
けれども、リリーは全く動じずラルフに耳打ちをする。
「ちょっと、早く離してください、何で私の手をつねるんですか、さっきも噛み付きましたよね!?」
「察しが悪いからだろーが。早く楽にして良いって、言えッ!」
二人が小声で言い争っている間にも、ラルフは手に取った右手を、観衆から見えないようにつねり続けている。見れば、口元は声に出さずに「言」「え」と形作っていた。
リリーは大きくため息をつく。
「ヤダー、ラルフサーン、ワタシタチノ、ナカジャナーーイ、ラクニシテヨー」
わざとらしい言葉と発音に、ブフッ、と吹き出したラルフは直ぐに立ち上がり、腹を抱え彼女を指差した。
「公爵家ご令嬢様のご要望じゃ仕方ねーな、不敬だけど素の俺でいてやるよ!」
周りにアピールするように、ラルフは大声を出した。白々しい態度だと思うリリーとは反対に、女性陣からは嫉妬の声が聞こえ始める。
「なにあの子」
「公爵家じゃなかったら……」
「止めなさいよ、勝てないわ」
不穏な空気が漂う中、耳元で小蝿が飛んでいるかのような表情をし始めたシャーロットに、リリーは目配せをすると、中指でラルフを呼ぶ。
「ちょっとラルフさん、ツラ貸してください」
「おー、別にいいぞ」
言われるまま従うラルフの背中を見つめ、女性陣は仕方なく解散し始めた。
建物の影になっているところまでくると、シャーロットが真っ先に口を開く。
「ラルフ様、格好良くなったと思ったのに、残念です!」
「おう、ありがとな!」
朗らかな表情でラルフが返すと、シャーロットはそうじゃない、とでも言いたげに、眉を八の字に寄せた。
「学園じゃ男爵家なんて、最底辺の、糞の、糞だから、言葉遣いが糞なんだよ」
「汚い言葉を使うのは止めて下さいまし!」
シャーロットが苦言を呈するも、彼は耳を塞いでいた。 よほどストレスがかかっていたらしく、バタバタと身悶え続け、遂には呆れたシャーロットの方が閉口した。二人の様子を見ていたリリーも、腕を組む。
「大体、なんですかあの集団は」
「いや、俺も困っててだな……」
ラルフ曰く、親の言いつけ通り、正しい振る舞いをしていたら、勝手に勘違いして寄ってきたそうだ。おそらく、ゲームにおけるラルフの粗雑さが隠れたため、ノエルファンクラブになる筈だった人達を引き寄せてしまったのだろう。
じっとりとした目でリリーがラルフを見つめると、シャーロットも同じような目で彼を見ていた。
「お顔が勿体無いですわ、黙っていれば素敵な男性ですのに……」
「顔が良いのは私も知ってた。でもどうしてこうなった……」
二人の散々な物言いを、ラルフはのらりくらりと聞き流す。そして、彼は人差し指でリリーを指して胸を張った。
「壇上から前の顔を見付けて、声かけようと思ったんだぜ」
「気が付いていたんですか、目が良いですね……」
「アイツが一緒にメシ食いたがってたからよー」
ラルフがアイツと呼ぶのは、おそらく腹違いの姉、ノエルの事だ。
「まあ、なんだ、今度一緒に行くぞって話だ」
こうして、勝手にリリー達の予定は確定されてしまった。元々、リリーは様子見をする為、ノエルに会いたいと思っていたので、丁度良い話であるのだが。
二人が拒否しない事に気を良くしたのか、ニッカリと笑ってラルフは腰を上げる。
「じゃあ俺、偉そうな王子様に付いて、金魚の糞しなきゃいけねーから行くわっ!」
「もっと言い方があるでしょうッッ!!」
リリーの叫びを聞かないまま、ラルフの姿は消えていった。
すると、思い出したようにシャーロットが「アッ」と声を張り上げた。
「そういえば、コリンズの事を忘れていましたの!」
彼は講堂を出たときから姿が無い。人混みに紛れて逃げたな、とリリーは察してしまった。
「私、あのこの前髪を切ってあげないといけないので、捕まえに行きますね」
「逃げ足早いから、無理じゃないかな?」
「上手く追い詰めれば大丈夫ですわ!」
不穏な物言いに、リリーが口を結ぶと、シャーロットは講堂の方へと去って行った。
一人残されたリリーは、気の抜けたように緊張が緩む。
「日差しが暖かい……」
眠気につられ、彼女は気だるく欠伸をする。
死角になっているこの場所は、日当たりもよく、気持ちの良い風も吹いた。
今日の予定は入学式のみ。クラス分けテストが明日に控えているものの、そもそもこだわりも無ければ、やる気すらないのだ、日差しに逆らう理由は見当たらない。うつらうつらと浅い眠りを催して、瞼が次第に重くなる。
少しだけなら眠ってもいいかな、と口にしようとして、彼女は代わりに瞼を閉じた。
ガサガサッ――――。
草を踏みしめる音で、リリーの意識は少しだけ覚醒する。日の高さに変化は無いので、そこまで長くは時が経っていないようだ。
ガサッ――。
また一歩、誰かが近寄った。
薄く瞼を開けると、揺れる金色の髪が目に入る。空を映したような綺麗な青い瞳、それが細まって、フッと笑ったのを理解したとき、リリーは彼がエゼルバルドだと気がついた。
何をしにここへ。
そう思うと、何故だか体が強張った。
されど、彼からかけられた聞き覚えのある優しい言葉が、彼女の予想を覆す。
「久しぶりですね、探しましたよ、リリー」
「アル、フレッド……?」
目を開けたリリーの前に現れたのは、一年以上ぶりに見る、アルフレッドの姿だった。




