0205サラマンダー
エストレスタ男爵家の家督騒動から約2ヶ月。
結局、リリーはサマーバカンスが始まるまで、王都にとどまることになってしまった。貴族院の議会も一旦の小休止、9月の下期の開催までは休暇となる。父親のネイサンは休暇中も領地に戻って仕事をするそうなので、夏バテ気味のリリーもそれに便乗し帰ることにした。
明日には発つとのことで、リリーは挨拶まわりをすることにしたのだが……。現在、彼女はフォスター伯爵邸の広い庭の片隅で、困り果てていた。
白いパラソルの下、優雅に寛ぐのはシャーロット。澄まし顔でそっぽを向く少女は、拗ねた様子で尖らせた唇を開く。
「リリー様は、また私を置き去りにするのですか?」
おそらく、騒動のどさくさで放置されたことを未だに根に持っている、といったところだろう。リリーは王都の暑さで若干ふらつきながらも、どうどう、とシャーロットを宥める。
「領地に帰るのは仕方ないよ」
「私の機嫌は直っておりませんっ!」
「まあまあ」
リリーだって、なんだかんだ自分を好いてくれているシャーロットと離れるのは惜しい。シャーロットがエヴァグレーズ領の屋敷に住んでくれれば良いのに、と言ったら実行しかねないのでそれは止めておく。
むくれたままのシャーロットに弱ったリリーは、腕を組み唸る。
「うーん、アルフレッドの様子も気になるしなあ」
「!!」
アルフレッドの名前を聞いた途端、シャーロットはキーッと叫び声をあげ、彼女の手の中で波打った紅茶が、カップから盛大に溢れる。リリーはより一層彼女の機嫌が落ち込んだのを察し、耳を押さえた。
「私よりもアルフレッド様の方が大切ですかーーっ!!!!!!!」
「前回会ってから手紙の一通もないのだから気になっても仕方ないよッッ!」
シャーロットは遂に、わあわあ泣き出した。「リリー様のばか」「いけず」「ふらちもの」という文句も、罵り言葉の語彙が少ないシャーロットにしてはよく努力した方だろう。結局リリーはシャーロットを納得させるのに、半日も費やしてしまった。
昼食をとった後、リリーは少し離れたエストレスタ男爵邸へ向かった。屋敷の門をくぐると見えてきたのは、庭の定位置で相も変わらず素振りをするノエルの姿だ。
「お久しぶりです、ノエルさん」
「久しぶりだな、リリー嬢」
お互いに挨拶を交わしながら、ノエルは汗を拭う。すると、芝生の上を撫でる風が通り過ぎ、彼女のスカートの裾をはためかせた。
「一生分のズボンは履いたからな、これからはどんな時もスカートだ」
風に踊るスカートを押さえながら、ノエルは照れ臭そうに頭を掻いた。
「でも、また鍛練ですか?」
「いいや、ダイエットだ。ケーキを食べ過ぎて太ってしまった……」
今まで我慢してきた反動なのだろう。正確に言うと、太ったというより、全身の女性らしい部分に脂肪が乗っただけ、といったところだが。
リリーがそんな事を考えていると、急にノエルの表情が真面目なものに変わる。
「それはそうと、先日は私の信者が迷惑をかけたな」
ノエルを後継にしようと、打ち首覚悟でエヴァグレーズ家に嘆願してきた無謀者たちが、リリーの頭をかすめる。
彼らを納得させる為、ノエルとラルフの手合わせを見せ、実力は互角であると解らせようとしたのだが……。彼女の身体、主に尻などがつっかえて鎧を身に着ける事が出来ず、急遽方法を変更した。
18歳以上しか受けられない騎士団の入団試験を、15歳のラルフに受けさせたのだ。
一対一の模擬対人戦を彼は一発で合格した。言葉通り、一発の攻撃で。
入団するのはハイラント学園を卒業してからだそうだが、そんなラルフに文句を言える者もなく、こうしてノエル派の人間はとうとう諦め、派閥もラルフ派と統合された。
「文句はエヴァグレーズ家に、と言ったのは私なので問題ないですよ」
「そういえば、そうだったな……」
ははは、と苦笑するノエルはあの日の事を思い出しているのだろう。
そんな彼女に、リリーは本来の目的を話す。
「明日領地に戻るので、挨拶に来ました」
「そうか……さみしくなるな」
「らしくないですね」
彼女の言葉にノエルは、「そうでもないさ」と、はにかんで笑う。
「そうだ、私は冬から仕立屋に弟子入りすることにしたぞ」
「自分好みのドレスが作れますね」
「ああ、リリー嬢のドレスも作れるように腕を磨くよ」
元来、爵位を継げるのは一子のみ。女児は他の貴族と婚約することが多い。しかし、彼女は貴族との結婚はゴメンだ、とのことで今から手に職を付ける気らしい。ノエルには、素敵な結婚をしてほしいものだ、なんて将来に思いを馳せ頰を緩ませるリリーに、ノエルは不思議そうに首を傾げるだけだった。
用事を済ませたリリーがその場を去ろうとすると、不意にノエルに呼び止められる。
「ラルフにも顔をだしてやってくれ」
「大丈夫、そのつもりですよ!」
そう言い残し、リリーはノエルと別れ、正面玄関へと向かった。
ラルフは現在、ハイラント学園入学に向け、絶賛言葉遣いの矯正中である。在学中は第一王子エゼルバルドの護衛役という側面もあるので、下手を出来ない。当然必要になってくる知識もあるわけで、昼夜を問わずの猛勉強中だ。
彼の部屋の前にたどり着いたリリーは、その扉ノックするが反応は無い。ごめんください、と声をかけて再度扉を叩くと、ようやく「帰れーーっ!」との返事が響く。扉を開けると、疲れた表情のラルフが机に突っ伏して、不貞腐れていた。
「おっ、なんだ、お前かよ」
「全然変わらないじゃないですか、もう!」
言葉使い全く直ってないじゃないか。もっとビシバシ詰め込んだ方が良い。リリーは内心そう呆れながら、なげやりに言葉をかける。
「領地に戻るのでお別れの挨拶を言いにきました」
「もうそんな時期か」
ラルフは、くあと欠伸をして頭をかく。立ち上がりカレンダーを見ると、今日の日付を確認していた。彼の目元には少し隈が見える。どうやら、ゲームと同じく、真面目にやらなければならない事はやる性分のようだ。
ゲームでの人物像と、目の前の彼。人間としての、根幹となる部分が一致したことにリリーが満足していると、彼女の頭にふと疑問がよぎる。
「そういえば、ライラさんは一人にして大丈夫ですか?」
ライラは未だ王都郊外に住んでいる。エストレスタ男爵夫妻は本邸に移るように提案したが、薬草畑の世話があるので断ったそうだ。全寮制のハイラント学園に入学したら、ラルフが様子見に通うのも難しいだろう。
それを心配するリリーだったが、彼は事も無げな表情で、体を伸ばしながら答える。
「それなら、まめに様子見るように頼んだから大丈夫だ。アイツ、ほら俺の片割れに」
彼の言う『片割れ』とは、ノエルの事らしい。あれだけいがみ合っていた彼女に頼めるのも、ラルフらしいな、とリリーは思った。
「女同士の方が何かと盛り上がるだろうしな」
「ちゃんとお休みには帰るんですよ」
「おう!」
ニカリと白い歯を見せるラルフに、リリーは先の不安を覚え、頭を押さえる。彼女はそのまま立ち去ろうとして、一番大切なことを言い忘れていた、と慌てて念を押す。
「そういえば、エゼルバルド王子に嫌われているので、会っても私に関する話はしないでくださいね」
「おう、お前の名前覚えてねーくらいだし大丈夫だ!」
ラルフが見せる本日一番の笑顔にも怯まず、リリーは眉一つ動かさずに「そうですか」とだけ返す。彼女が扉に手をかけた時、彼は既に椅子に腰かけて本に目を通し始めていた。
ラルフから目を離し、扉を閉める瞬間、彼は手元の本から目線を逸らさずポツリと漏らす。
「色々とありがとな、リリー」
彼女はわずかに目を見開いたあと、それをすぐ細める。
なんだ、名前を覚えてくれてるじゃないか、と少しだけ彼の記憶力に感心しながらも、リリーはエストレスタ邸を後にした。
翌日、王都から帰路の旅は、暑さでぐったりとしたリリーの体調以外、順調な道のりだった。
エヴァグレーズ公爵領に入ってしばらく進むと、ネイサンがリリーに馬車の外を見るよう促す。
「今年の春作ジャガイモは豊作だったそうだ。次はここ一面も畑になるだろう」
彼は馬車から広がる広大な風景の、端から端を指で差す。この分なら食料事情も問題なさそうだ。リリーは故郷の涼しい風を受け、味わうように目を閉じた。
日が沈み遅い時間にエヴァグレーズ邸に到着すると、寝間着姿の母親が迎えてくれた。もしかしたら、アイリーンは毎日遅くまで二人を待っていたのかもしれない。
目に涙をためて、ヨロヨロと歩み寄る姿には、ネイサンも胸を打たれたらしい。彼は年に似合わず、熱のこもった眼差しを向ける。
「すまない、待たせたね」
「寂しかったのよッッ!!」
「グボォッ!!」
叫び声を上げると同時に、夫の背骨を折る勢いで熱い抱擁を交わしたアイリーンに、リリーはごちそうさまです、と心の中で声をかけた。先に部屋に戻ろうとすると、予期せずアイリーンの腕に抱きよせられ、ネイサンと共に彼女も抱き潰される。
「うぎゅううぅ……」
あまりにもアイリーンが騒ぐので、弟のオリバーと妹のアメリアまで起きだして、再び寝かしつけるのに一騒動となってしまった。
ようやく自室に戻れたのは日付が変わるころ。さあ、寝よう、と思ってベッドに潜り込もうとすると、彼女は卓上に置かれた手紙の存在に気が付いた。
手にとって見てみれば、サラマンダーの封蝋がされている。王家、いやフルード公爵家の紋章のようだ。
「アルフレッドからかな?」
リリーは一人呟いて手紙を開ける。内容は、時節の挨拶から始まり、他愛もない近況。最近銃の腕前が上がったこと、彼の大叔父であるフルード公爵がエヴァグレーズ領を会談のため訪れること、自分もそれについていくこと……。
しかし、彼女は最後の一文に目を止めた。
『……お会いしたら、ゲームの進め方について意見交換がしたいと思います。
――――真心を込めて アルフレッド』
もしかして、攻略対象者について何か情報でも手に入れたのかな、とリリーは顔をしかめた。王都の別邸ではなく、エヴァグレーズ領内の本邸に手紙を届けたのも、万が一を考えてかもしれない。
彼女は寝る前に読むべきではなかったと後悔し、ベッドに潜り込むと、すっかり覚めてしまった目を閉じた。




