11.禍乱の兆し
アスクウェルと別れて帰宅してから、もう一度別の森へ赴き手に入れやすい素材を手に入れて。帰宅したのはすっかり日が暮れてからだった。
三日ぶりの通常営業は順調である。客足は一時の繁忙期ほどではないが、以前に比べたら増えているというくらいだ。アメミットのたてがみは陳列こそしていないものの目玉商品として逐一おすすめはしている。本来ならダマスクにしかいないということもあって少し値段は高めだ。そのおかげか、一日で完売なんてことにはならなさそうで安心である。
わたしの中ではもう過ぎたことだったのだが、不死鳥が現れたというのはまだまだ旬な話題だった。どの客も不死鳥の話題ばかりだ。張本人であるわたしはその興奮に若干ついていけないが、出来るだけノリは合わせておく。共感というのは世界関係なく世渡りに必要なのだ。
「よぉ、アサヒ! 儲かってるか?」
「ありがないことに品薄で困ってるくらいですよ、ドルガー様。お久しぶりですね」
「ゼーレの奴のお使いがなくなったからな! ま、そのせいで非番の日は寝てばかりになっちまったが」
ドルガーは来店したのにもかかわらず売上に貢献する気はないようで、カウンターに肘をついて世間話をする姿勢になっていた。はっきり言って邪魔だ。客が来たらすぐさま立ち去ってもらおう。
「お使いはもうないのに、なんで今日来たんです?」
「そりゃあお前、例の不死鳥について盛り上がるためだろうが」
「確かに久々に姿が見えて大喜びしたくなるのは分かりますけどね、今日ずっとその話題なのでもうほとんど話し尽くしちゃったんですよ」
「実は俺も話し尽くした後なんだがな! 昨日は特にそれ以外の話題なんてなかったし、おかげでゼーレの機嫌はいいしでなかなか良い一日だった」
「……ゼーレ様の機嫌、良かったんですか?」
これはチャンスだ。少し興味を持ったように尋ねると、ドルガーは嬉々として語りだした。
「ものすごく良かったぜ! いつもならあの仏頂面で陛下を叱ってるってのに、昨日は叱るどころか褒めてたからな。昔っからそうだ。あいつは不死鳥にこれでもかってくらい心酔してやがる」
ドルガーによると、ゼーレの不死鳥に対する心酔っぷりは親しい人間の間では周知の事実らしい。その親しい人間という枠組みに入るのが、ドルガーと国王陛下くらいなものらしいのだが。
国王になることが決められていた王族の跡取り息子と上級貴族であり年の近いドルガーとゼーレは、幼い頃から彼が王になるのを支えるためにずっと一緒にいるのだとか。いわゆる幼馴染というやつだ。……家柄良しの理由はこれだったのか。
「少し意外ですね。ゼーレ様は不死鳥相手でもあまり態度変わらないと思ってました」
「親しくなけりゃそうも見えるだろうな。……お、まさかアサヒ、お前ゼーレに興味持ったか?」
「常連様ですからね。それ以上でもそれ以下でもないです」
嘘だ。ドルガーがニヤニヤと楽しんでいる理由とは別だが、ゼーレに興味は抱いている。もし仮にドルガーが考えているような意味だとして、アサヒとしてのわたしはただの平民でゼーレは王族と親しい上流貴族だ。身分違いにもほどがある。
一切の動揺を見せずきっぱり告げると、ドルガーは肩をすくめた。興が削がれたようだ。
「つまんねぇの」
「つまらなくて結構です。というか、ドルガー様こそご自分の心配なさったらどうです? 騎士団長が独身なんて部下に示しがつかないでしょう?」
「余計なお世話だ」
「偶然ですね、わたしも同じ気持ちだったんですよ。……あ、そうだ」
わたしはカウンターの下から花祭りで配っていた不死鳥の灰もどきを取り出した。それをドルガーに二つ押し付ける。一つはドルガーの分、もう一つはゼーレの分だ。
「この間の花祭りで配ってた、不死鳥の灰を模したものです。灰に地妖精の鱗粉を混ぜたら、こんな色になったんですよ。ゼーレ様の分と合わせて持っていってください」
「お、いいのか? 地妖精の鱗粉入りとは、なかなか贅沢なお守りだな」
「地妖精は縁結びにゆかりのある妖精なんで、ついでに素敵な奥さんが見つかるよう祈ってはどうですか?」
「……あー、くそ、悪かったよ。ったく、しっかり言い返す材料持ってるあたり商売人らしいな」
「褒め言葉だと受け取っておきますね」
ふふ、と勝ち誇ったように笑ってみせるとドルガーは呆れつつも丁寧に小瓶を手にしてくれた。
「そういえば……花祭りの時なんですけど、ちょっと変な人がいたんですよね」
「変な人?」
わたしは黒いローブの男のことをドルガーに伝えた。こちらを探られたことや魔力についてはアサヒが気付くはずないことなので伏せておく。だが真っ黒なローブを身に纏い、一切顔を出さず、花祭りの場でも明らかに浮いていたという情報だけでもその異質さは理解できるだろう。
「そりゃあ……確かに、変というか、怪しいな」
「でしょう? ちょっと気になったので、報告しておいた方が良いかと思って」
「そうか。この件については城に持ちかって対策しておこう。下町に現れたんだから、自警団にも情報共有しておいたほうがいいだろうな。取り急ぎ見回りの数は増やしておくか」
すぐに対策を考えてくれるドルガーは、すっかり騎士団長らしい凛とした顔つきになっていた。
平和に一日の仕事を終え、似たような明日がやってくる。当たり前のようにそれを疑うことすらしていなかったのだが、事件が起きたのは、その夜のことだった。
ふと目が覚めた。微睡みのままに意識も身体も委ねていたのに、まるでシャボン玉が割れるかのようにパチン、と。どうしたのだろうと考えるより早く魔力を薄く広く広げたのは、きっと本能だった。
近くで、魔力が大きくぶつかりあっている。
ベッドから飛び起きて部屋のランプに火をつけた。自室の窓を開け放ち外を確認する。まだまだ空は暗く、夜明けは遠そうだ。何か起きているというのは、貴族街へと続く門へ目を向ければ一目瞭然だった。ランプを手にした兵が忙しなく行き交い、近辺の店舗件住居の扉をけたたましくノックしていた。ランプをつけたことで、わたしが目覚めたことに気付いたのだろう。門を守る騎士の一人が窓の下へと大慌てで駆け寄ってくる。
「何かあったんですか?」
「貴族街に現れた不審者が現在逃走中なんです! 相手は相当な魔術の手練です、窓を閉めて家から出ないでください!」
「……わかりました」
指示に従いすぐに窓を閉めた。こんな真夜中に外を歩くなんて、王宮勤めの騎士や魔術師以外は総じて不審者だ。下町だと酒場で飲んだくれた人がいるかもしれないが、貴族街ではあり得ない。その上で逃げているのだから、何もないはずがなかった。
だが不審者ならばわたしの出番ではない。人間の問題だ。現れたのが幻想生物なら不死鳥として様子を見に行かなければならないが、人間たちの問題に首を突っ込む気はない。
ちらりと窓の外に目を向けた瞬間、大きな炎が空に上った。
「……あれは……」
一度強烈に向けられたことがあるから分かる。あれは、ゼーレが出したものだ。
炎は空で弾けた。暗闇が照らし出される。その明かりを背景に、黒い影が浮かび上がった。
その影はすぐに姿を消したが、広げていた魔力でその人物を捉えるのには十分な一瞬だった。貴族街を抜けて下町方面へとやって来ているようだった。あの炎は周囲一帯へ危険を知らせると同時に不審者の居場所を明らかにするためだったのだろう。炎の余韻は未だに空中に浮かんでおり、火の粉が散っている。
このまま不審者が捕まるか、逃げ切るか。できれば捕まって欲しいが、師団長であるゼーレが率先して動いているということは相当に厄介な相手に違いない。
下町に逃げられることを当初から懸念していたのか、商店街にも騎士や魔術師が続々と配置されていた。真夜中らしからぬ喧騒はわたしの部屋にまで届いている。
せめて目的が何か、分かればいいのだけど。――不死鳥として姿を現してからすぐにこんな事件が起きているのだ。わたしにも関係あるはず。
不審者の気配を辿ってみると、時折魔術で応戦しながら少しずつ逃げているようだった。魔術師や騎士たちの動きは悪くない。指示系統がしっかり機能しており、逃さないようにするための退路を防ぐように人員が配置されているのが気配で分かる。不審者を捕まえるために追いかける側も、闇雲に立ち向かうのではなく魔術の対処と攻め込む頃合いを的確に判断しているようだ。
それなのに捕まえるのに時間がかかっているのは、それ以上に相手の立ち回りがうまいからだ。今回のような事態を想定した魔力の使い方を熟知していると言ってもいい。
(……でも、だったらもう逃げ切れていてもおかしくないんじゃない?)
ゼーレの魔力を探してみると、彼もまた不審者を追って行動はしつつも、その足は早いとはいえなかった。時折立ち止まっているようだ。魔術師団団長として指示を出しているからなのかもしれない。
ならなおさら……ゼーレと直接対面していないのなら、とっくに逃げ切れるくらいの実力はありそうなものなのに。
時間稼ぎ、という可能性が頭をよぎったのと、外の喧騒が悲鳴に変わったのと。
二階なのにもかかわらず窓の外に逃走している不審者とは別の人間の影が現れたのは、ほぼ同時だった。