自己紹介
夢の中で目を覚ます。夢の中で眠り、夢の中で夢を見、夢の中で起きる。なんとも奇妙なものだが、飽きるほど見た夢で飽きるほど体験したことなので今となっては何とも思わなくなってしまった。
執事の穴で私があてがわれた一室は非常に豪華なものであった。ファームル伯の屋敷の客室程広くはないが調度品は洗練されており、どれもが高級品であることは当時の私でも理解ができた。それもそのはずで執事の穴のバトラー候補たちは準貴族扱いなのだ。バトラーは男爵であるが、執事の穴の入門者の血統はそれよりも家格の高い家がほとんどだった。考えてみれば当然の話である。魔法力の差が能力の差に影響している世界で、血統によって魔法力の多寡に差があり、良い血統ほど魔法力が高いのだ。最高水準の人材が貴族の血を引いていないことなど稀であろう。事実、例えばカイトもファームル伯ザルグ家の本家に近い一門であった。従って部屋等の待遇もそれにふさわしくしなければならないのだ。
この日はカイト以外の執事の穴の同門者たちと初顔合わせをする日であった。あの“金を溶かしてしまった日”の翌日である。
「ウマさんそろそろ行きましょう」
初日とあってやや緊張した面持ちのカイトに促されて執事見習いたちが集まるロビーへと向かった。
ロビーでは数十人の若者がそれぞれくつろいでいた。そして私たちに気が付くと一瞬だけこちらを見て、すぐに興味を失ったかのようにそっぽを向いた。
「えっと……」
この対応にはさすがのカイトも戸惑ったのか、どうしたらよいのか迷っていた。
「ようこそ執事の穴へ。僕はリュート」
そこに人の良さそうな一人の青年がにこやかに話しかけてきた。当時の私よりも少しだけ年上に見えたこの青年は後に知るのだが実際に好人物であった。
「は! またリュートの奴が無駄な自己紹介をしてやがるぞ」
そこにヤジが飛んだ。あわせてロビーのそこかしこで失笑が漏れた。このヤジを飛ばした青年がゴーダという名だと知るのはもう少し先の話である。
「えっと、あんまり気を悪くしないでね。あの無駄っていうのは---」
「執事の穴を卒業できるのは100人に1人。執事の穴の門をくぐったうちの九割は一か月以内に脱落し、残った者の八割も三か月以内で退所する。だから挨拶してもすぐにいなくなるから無駄である。……彼はそう言いたいのですね」
自分がヤジを飛ばしたわけでもないのに申し訳なさそうに説明しようとしたリュートをカイトは遮って冷静に答えた。執事の穴への入所者は一か月以内に半数が逃亡し、四割の者が退所を願い出るとされている。要は入所からの一か月で90%が自分の意思で執事の穴から去るということである。そして三か月に一度ある考査で成績不良者が排除され、それに加えて重大な傷を負った者も徐々に消えていくシステムとなっていた。
「そう、そう。そうなんだよ」
言い難いことを言わずに済んだのが嬉しかったのか、リュートは明るい表情を作った。
「そのうえ、君たちは締め切りギリギリにやってきた後発組だから……。後発組が一か月以上残ることって滅多にないんだ。この三か月で百人以上来たんだけど残留できた人がいないくらいにね」
執事の穴はバトラー死後に一定の期間を区切って開所される。今が第一期だがそこでバトラーが生まれなかったら、新たな人材を教官・卒業者が全国から探し、そして一期卒業者を新たな教官に加えて第二期が開かれる。バトラーが生まれない限り、執事の穴の出身者----将来的には出身者になるであろうカイト----を拘束できる理屈がそれだった。そして当のカイトはギリギリまで迷っていたから滑り込みで入所することになった。
「人並みならぬ努力が求められますからね」
カイトはそう言ってリュートに同意した。そう、執事の穴に入ってからすぐに辞める者が多いのには努力が大いに関係している。努力を嫌い、悪徳として忌む世界に生きてきた貴族たちにとって“主の為に努力することは当然である”として努力を推奨・強要する執事の穴は異質な世界なのである。辞める理由の少なからぬ原因は“人並み以上の努力”をしなければならないことであった。人並みの努力でさえ貴族の常識で染まった子弟たちには我慢がならないことなのだ。まして“人並み以上”となればなおさらである。
「努力に耐えられても成績不良で追い出されなきゃいいけどな」
再びゴーダのヤジが飛んだ。さすがに露骨すぎると思われたのか同調の失笑は聞こえなかった。それどころかゴーダをくさす者さえいた。
「……お二方のうちのどちらかが金を水で溶かしたらしいですよ。下手なことを言って恥をかかないよう祈っております。私はファロスといいます。よろしくお願いします」
ファロスは読んでいた本から顔を上げて挨拶をすると、再び顔を下した。
ファロスの一言でロビーがざわめきたった。“金を水で溶かす”ことは歴代バトラーでも不可能だったことであり、それをやってのけた新入所者はそれだけで一目も二目も置かれた。偉大なるバトラーでもできなかったことができたという、バトラーが偉大ゆえに反射的な効果であった。
その注目の新人のもとへバトラー志望者が殺到する。先ほどまでの無視などなかったかのように我先にと自己紹介を初め、どうやって溶かしたかを執拗に聞いてくるのであった。そしてゴーダはバツが悪いのか不貞腐れたような表情でそっぽを向いていた。
愚かなことにこの時の私は満更でもない気持ちになっていたのだ。




