伝達式5
スチュワートは、渋々と立ち上がったルゥ様を見届けると何事もなかったかのように式を進めた。
「さて、それでは式次第を進めさせて頂きます」
大広間の照明が落とされ、壇上だけが魔晶石のランタンに照らされた。権蔵様の演出か公爵様の入れ知恵か。立食の気安い雰囲気は一転して厳粛なものへと変わる。
スチュワートが壇上に進み出た。
「本日はお忙しい中、お集まり頂きましてありがとうございます。これより、マサラ子爵叙任の伝達式を執り行います」
静まった大広間にスチュワートの声だけが響いた。家令として完璧な所作だった。竜安寺家を滅ぼそうとする男とは思えぬ忠実な仕事ぶりに、私は複雑な思いを抱かざるを得ない。
「マサラ子爵位を賜りますは、竜安寺貴子。入場を願います」
大広間の奥、一段高い位置に設えられた扉が開いた。
お嬢様が現れた。
豪奢なドレスに身を包んだ八歳の少女は、その幼さにもかかわらず背筋を真っ直ぐに伸ばし堂々と歩みを進めた。金色の髪は精緻に巻かれ、ランタンの光を受けて揺れている。
……先ほど馬車の中で震えていた手はもう震えていなかった。
ベアトリクスが事前に仕上げたのだろう。目元にわずかに施された化粧がお嬢様の顔立ちを際立たせている。八歳とは思えぬ気品があった。いや、気品というよりも意地か。あの気持ちの強さは天性の風格となっている。しかし、この場のほとんどの者は気がついていないだろう。
スチュワート、公爵様にファロス……礼儀には無頓着なルゥ様も何かを感じたのか興味深く見ている。
意外なことにピエール様も何かを感じた様子で先ほどまでとは打って変わった真剣な眼差しをお嬢様に送っていた。
いや、意外でもないだろう。彼も九伯家だ。最高位貴族の一人なのだ。
お嬢様は壇上の中央に立ち、一礼した。作法は私が仕込んだ。一礼にこれだけ費やしたのは贅沢だったかもしれないが、基本こそが全てだ。……むしろ基本以外を教える暇がなかっただけとも言う。
「続きまして、王の使者のご入場です」
スチュワートが告げると、大広間の正面大扉がゆっくりと開いた。
息を呑む音が聞こえた。私のものではない。会場全体のものだ。
メアリー様がいらした。
未来での記憶と重なる面影があった。お嬢様と年はそう変わらぬはず。しかし、既に大貴族然とした雰囲気を纏っていた。
立場がそうさせるのか、見る側がそのように受け止めるのか。未来のあの時にあったメアリー様よりも大貴族の雰囲気を漂わせ、それは公爵様よりも強いものであった。
ハッキリと申し上げれば未熟である。
チラリと公爵様を見れば普段と違い不満感が隠せずに出ていた。
理由はわからないが、公爵家は大貴族然とした雰囲気を意図的に隠している。公爵様だけではなく、成長したメアリー様もそうだ。
故に大貴族たる雰囲気を隠せない今のメアリー様は未熟だ。それだけは明らかだった。
会場の貴族達の視線が一斉にメアリー様に集まった。お嬢様への注目は一瞬にして奪われた形だ。ひそひそと囁き合う声が広がる。
「あれが公爵家の……」「初めて拝見するが……」「なんという……」
羨望の眼差しと溜め息が漏れる中、ピエール様も溜め息を漏らした。
「美しい……」
少年時代の彼は感情を素直に表すものだと驚いたが、ロベルト様の表情はそれが常のものではないことを如実に表していた。
メアリー様は壇上に上がるとお嬢様の前に立った。背丈は大きくは変わらない。しかし存在感の差は歴然としていた。
メアリー様は一度深く息を吸い、凛とした声で告げた。
「王の御名代としてお伝え致します」
声は幼いながらも、よく通った。大広間を満たすのに十分な声量だった。
「竜安寺貴子に、マサラ子爵位を叙任致します。マサラ鉱山及びその周辺の地を治め、王国の繁栄に寄与されますよう」
簡潔だった。儀礼を重んじるスチュワートには不満が残るだろうが、やはり公爵家があえて簡素にしたとしか思えない。
お嬢様が一歩進み出て、王の使者であるメアリー様から叙任状を受け取った。八歳の手には大きな巻物だった。
「竜安寺貴子、謹んで拝命致します」
お嬢様はメアリー様に向き直り、今度は深々と頭を下げた。これは私が教えたものではない。お嬢様自身の判断だった。使者への謝意であると同時に、格上の相手に対する礼を弁えた振る舞いだった。
「成り上がり者が」
ボソッとした陰口がそこかしこで聞こえる。出席者が必ずしも爵位を持っているとは限らない。家中の高位の者もいれば男爵として抜かれる者、子爵として並ばれる者もいる。
そんな中に強い感嘆の気持ちが含まれた呟きがあった。
「あぁ、君こそが……」
声の主はピエール様だった。彼は壇上を見つめたまま、自分が声を漏らしたことにも気づいていない様子だった。
彼の視線はメアリー様ではなく、お嬢様に注がれていた。
そう、彼はメアリー様が登壇後もお嬢様のみを見続けていたのだ。その視線はもはや熱病にうなされているかのようだ。
有り体に言えば一目惚れ、それも強い一目惚れだったのだ。
彼の気持ちは知っていたがここまで強いものとは思っていなかった。ともすれば、没落後のプロポーズ、あれさえも一種の妥協の産物とさえ思っていた。
しかし、彼は本気だったのだ。それも強い想いで。
ロベルト様が主の異変に気づいた様子で心配そうに覗き込んでいたが、ピエール様は応じなかった。
叙任状の授受をもって式は恙なく終了した。
その余韻に浸る間もなく鼓を打ったような音が会場を包んだ。
「ポポポポ」
そう、公爵様だった。公爵様がファロスの手を借りて壇上に登ると手招きをした。
それに応じるように権蔵様も登壇する。
これは予定にはなかったのかスチュワートが何かを言おうとするもファロスが視線で制した。
権蔵様は落ち着いた物腰で一礼した後、公爵様に促されるまま、朗々と語り始めた。
「本日はお忙しい中、娘のためにお越し頂き感謝の言葉もございません。竜安寺家は新参ながら、王国への忠誠と貢献をもってお応えして参る所存でございます」
手短な挨拶だった。成り上がりの卑屈さも、成金の虚勢もない。権蔵様は権蔵様なりに領主としての年季を積んでいる。その自信が言葉に表れていた。
スチュワートが一瞬だけ険しい顔をしたが、すぐに能面に戻った。
権蔵様はさらに続けた。
「此度はもう一つ皆様にお知らせがございます。公爵様の仲介により……」
権蔵様は一息置いて、深呼吸した。
「なんと、王弟ジョン様の御子息! あの英邁誉れ高いリチャード様と我が娘、マサラ子爵竜安寺貴子との婚約が決まったのです!」
会場がどよめいた。私も驚いた。いつかの時点で婚約するのは当然だったが今だとは思わなかったからだ。
それも驚きの理由だった。時空コンピュータは知りたくないことは教えてくれない。だからこれは『知りたくなかった』のだ。この気持ちはなんなのだ?
ドォン!
気持ちの整理は破壊音で邪魔された。
鬼の形相をしたピエール様が一撃で壁に大穴を空けたのだ。
ピエール様はそのまま無言で立ち去った。ロベルト様は周囲に謝罪し権蔵様への賠償を約束すると足早についていった。
会場に残った口さがない貴族達はあれこれと、
『やはり成り上がりが許せなかった』だの『九伯家は王の忠臣、やはり王弟との確執は本物だ』などと無責任なことを囁いていた。
ピエール様の本心に気づいた者は何人いるものか。
そしてこれは権蔵様が打ったお嬢様を守る一手としては強いが……強すぎる。そしてスチュワートにどれほどの意味があるのか……それは私は知っている。
そして、薄々気がついていたが確信に変わったことがある。公爵、いや、公爵家は貴族を嫌っている。
その貴族には王、王族さえも含まれる。この叙任式は徹底的に王の格式を踏みつけたものだった。
徹底した簡素化と見世物化。そして何よりも世間では卑しい出自、少なくとも平民上がりの権蔵様、ともすればそれ以下の卑しい女性と何処の誰ともわからない男の間の子。そんな噂の絶えないお嬢様と王族との婚姻をまとめたのだから。




