富蔵様の屋敷にて
翌日、お嬢様は富蔵様の屋敷へ行くと決めた。当然ながら私も同行する。幸いなことにメイド達は皆優秀で、既に造りが変わった館にも対応できていた。なによりも花代がいるので問題はないだろう。いや、一人問題児がいた。
「あれ!? お嬢様たちは富蔵じいさんの所に行くの? それじゃあアタシも行く! いやー、ちょうどパパが来てるらしくてね。会いたいなーって思ってたんです。どうやって花代さんの目を潜り抜けて行こうか思案してたんですよ。これ、渡りに船って言うんですか? 船には乗ったことがないんですけど」
ベアトリクスだ。脳天気に笑いながら「いつか乗せて欲しいんですよねー」なんて言っている。あの凜々しさと包容力、悲しい過去を持った彼女はいない。嬉しいような悲しいような……。少なくとも幸せそうで良かった。いや、職務上は宜しくない。注意しようと思った矢先に和やかな声が優しく語った。
「あなたには仕事がありますよ。昨日の分と併せてたっぷりと」
花代が微笑んでいた。おそらくベアトリクスは花代をもってしても未知の存在だろう。今後も含めて手を焼くことは間違いない。
その花代の視線から逃げるようにベアトリクスは私の陰に隠れて囁く。
「ちょっとマジで助けて。あのおばさん超怖いんですけど。魔法力は全然感じないのに……なんかパない」
さすがは世が世なら貴族の令嬢だったというべきか。中々に勘所が良い。先ほどは『花代さんの目を潜り抜けて~』などと不可能なことを言っていたが、なにかを感じているのかもしれない。いや、それでも実力では察知できないはずだ。むしろ『勘』が良いといった彼女の特性というべきなのだろう。あるいは花代が意図的に圧力を加えたか、または花代が無意識にそうしてしまうほどのストレスを与えたのかもしれない。なんにしても只者ではないと妙な所に感心した。
「駄目でしょう?」
響きは優しい花代の言葉に反応して背後の人物は怯えた様子で震えた。ベアトリクスが暗殺者ギルドに引き取られずに、こうなったパターンは今までないので正解はわからない。ただ、これはあまり良い状態だと思えなかった。
「わかりました。今回は一緒に行ける様にお嬢様に頼んでみましょう。御者をお願いできますか?」
花代は呆れた様子で溜め息をつくが、対照的にベアトリクスは幼稚な言動とは違い成長した胸を叩いてみせた。
「任せてください! 御者だろうが馬術だろうが警護だろうがなんだってやりますよ!」
そして小さく呟いた。
「……料理以外なら」
ベアトリクスの同行はお嬢様により許可された。お嬢様は「本来ならば彼女はマサラ子爵の令嬢として育っていたはずです。それが元マサラ子爵に会いたいと願っているのです。是非とも叶えましょう。むしろ私が連れて行きたかったくらいです」とまで言われた。
その上で「その様な人を御者にするわけにはいきません。誰か別の者を用意しなさい」との指示までされてしまった。しかし、これに関しては押しとどめた。理由はいくつかある。
表だった理由は松尾たちが未到着で人員が不足していることだった。もっともそれはただの名分に過ぎない。
それよりも花代だ。問題児のベアトリクスを任されたにも関わらず、私に引っ張り出され、只でさえ面白くない。その上に別のメイドまで引き抜かれては立つ瀬がなくなる。
しかし、もっとも大きな問題はベアトリクスを特別扱いし続けることができないことだった。初めから仕事をしなくても良いなどという地位を与えるべきではない。しかもベアトリクス自身も『特別』な立ち位置が故に自由奔放に振る舞っているきらいがある。増長させるわけにはいかない。
かくしてお嬢様は私とベアトリクスを連れて富蔵様の所へと赴くことになった。
富蔵様の屋敷は以前に滞留した時よりもさらに派手な装飾が施されていた。思えば何かと縁のある場所だ。初めて富蔵様に会った時の屋敷であり、この時代へと飛んだのは裏手の森で、着いたのもここだった。全てを失った場所でもある。いや、むしろ始まりの場所にしなければならない。
屋敷の門番は馬車に気がつくと門を開け放ち敬礼して通した。馬車の形が変わったことをゴリラさんから聞いていたのだろう。そして馬車は玄関前で静かに止まった。
玄関入り口ではそのゴリラさんが既に立っていた。
「ようこそおいでくださいました。会長もお待ちしております」
彼は私がお嬢様を下ろすのに合わせて恭しく頭を下げてそう言った。
「どうぞ、こちらへ」
そんな彼にふと少年時代の思い出が蘇り悪戯心が湧いてしまった。
「ボディーチェックはしなくて良いのですか?」
「ご冗談を。会長の孫、いや、ナウル伯御令嬢とバトラー一行にそんな失礼な真似はしませんよ。それに武器や薬物の携行を調べたところで、バトラーがその気になれば無意味なことですしね」
「そうですか。それでは案内をお願いします」
我ながら無駄な質問をしてしまった。ゴリラさんのみならず、お嬢様やベアトリクスまで不思議な顔をしていた。
案内された先は例の執務室だった。
そこには富蔵様と以前にマサラで会ったベアトリクスの父親が既に待っていた。
「おお、よくぞ来てくれた」
富蔵様は感慨深く頷いた。
「初めまして、お祖父様。竜安寺貴子でございます」
一方のお嬢様はどこか他人行儀にスカートの裾を軽く持ち上げ、カーテーシーで応じた。
「いやいや、会いたかったぞ」
一方の富蔵様は全くの遠慮なしに抱きしめた。いきなりの行動にお嬢様は驚きと困惑の表情をみせ、嫌悪さえも浮かべた。
「なるほど、随分と人見知りのようだ。祖父でも初対面の爺さんに抱きしめられるのは嫌なようだ」
富蔵様は豪快に笑うとお嬢様の整えられた髪を掻き乱すように頭を撫でる。
「しかしな、儂からすると幸子そっくりで一目で孫とわかるくらい親近感があるのだよ」
「お祖母様?」
「おう、おう。会ったことないだろうな。父親とも満足に会えなかったのだろう? 儂は父親代わりにはなれないが、息子のこと、祖父のこと、妻《婆さん》のこと、色々と教えてあげよう。残念ながら母親に関しては知っていることはないが……。その上で儂を祖父として構ってくれたら、それ以上に幸せなことはない」
暗い地下室の中で耳年増に育ったお嬢様にとっては自身に対して直接向けられた感情に接することは多くなかっただけに、明らかに対処に困っていた。その一つとして私に対応を求める様な視線を送ってきた。
「祖父と孫の対面の場にこれ以上留まるのは無粋でございますな。外におりますので御用の際にはお呼び付けください」
お嬢様の戸惑いが観測された。お嬢様はどうも感情を表に出すのが苦手だ。あまりにも気持ちを抑え過ぎるのはよくない。これも訓練だ。心を鬼にして場を辞した。
私に続いて、ベアトリクス親子も部屋を出た。
「ご無沙汰しております。あちらに応接間がございますので、そちらに行きましょう」
「私がいては親子水入らずの邪魔ではないですか?」
「会長の様に初めて会うというわけではありませんからね。おかげさまでマサラの仕事を任されて以来つい最近まで一緒にいましたし」
グンナルさんは応接間のソファーに座るなり溜め息をついた。
「娘がご迷惑をおかけしているようで申し訳ございません」
「そんなことないわよ! ねー?」
ベアトリクスが唐突な父親の謝罪に憤慨し、私に対して問いを発した。
「まだ、こちらに着いて一日です。しかも、彼女に関しては別の者が担当しているので私からはなんとも言えません」
思い通りの言葉が返って来なかったためにベアトリクスは頬を膨らませた。
「お恥ずかしい限りです。娘を少々甘やかせ過ぎたようです。会長のお陰で裕福な生活が出来たのと、元々私の郎党だったマサラの従業員だけでなく、新たな従業員や街の人々が娘を『お姫様』扱いしたので勘違いしてしまったようで……。こちらでも『お姫様』扱いで誰も注意できないと聞いております。今日来たのは娘に注意するためだったのです」
「そりゃアタシだって好きでメイドなんてやってる訳じゃないもん。パパのお義理でやってるだけだし。だいたい何で実家にメイドがいるアタシが外でメイドをやらなきゃいけないのよ。絶対におかしいでしょ。しかもガミガミうるさいおばさんまでやってくるし。そうだ! あのおばさんを首にしてよ! そしたらアタシもちょっとは頑張れると思うし」
グンナルさんは深い溜め息をついた。
「だいたいパパの願いで顔を立てるためとはいえ、なんでアタシがメイドなのよ。あの子、今度マサラ子爵になるらしいけど、それだってアタシの方がよっぽど正当なのにさ」
「いい加減にしろ! 誰のお陰でここまで育ったと思ってるんだ!」
敏感に反応したグンナルさんが怒鳴った。ベアトリクスは驚きの中に怯えが混じった表情を見せたがそれはすぐに怒りのそれに変わった。
「育てろなんて頼んでないし! そもそもパパ達がちゃんとしてたらまだ子爵だったはずでしょ!」
どうしたものか。親子喧嘩と考えれば介入すべき問題ではない。ただ、これはお嬢様の沽券まで巻き込んでしまった以上は看過はできない。とはいえ、もしここで私がグンナルさんに同意すれば彼女を追い詰めることになる。それは好ましくないだろう。ならば答えは一つ。
「それならば辞めていただいても結構です」
私の言葉に親子は驚いた様子をみせた。
考えてみれば、彼女を滅亡の可能性が高い竜安寺家の運命に付き合わす必要は全くないのだ。戦力としても役に立たない。私の知っているベアトリクスと違い特別な訓練を受けていないからだ。無意味にお嬢様の運命に巻き込んで再び不幸な目に遭わせてしまったら、それこそ元の木阿弥だ。むしろ辞めてもらう。それが正解だ。
ところが、この親子は途端に慌て始めた。
「いや、別に本当にそんな風に思ってるわけじゃなくって……。竜安寺家のお陰でむしろ良い生活してきたのも事実なんだし」
「先ほどの娘の暴言は代わりに謝罪いたします。娘には至らぬところがあるとは思いますが、もう少し気を長く持って見守って欲しいです」
焦る気持ちはわかる。貴族の家を首になったとなれば普通ならば様々なペナルティーがある。雇い主からの手打ちの様な直接的な危害はなくても、貴族の庇護下にない存在と見なされる。しかし、幸いにもお嬢様はまだ貴族の令嬢に過ぎず貴族そのものではない。直接の雇い主も竜安寺商会だ。辞める名分も穏当にしておけば問題はない。
「いえ、辞めていただきます。グンナルさんと一緒にマサラに帰ると良いでしょう」
二人はガックリと肩を落とした。少し言い方が厳しかったか? いや、そもそも交渉する気はないのでこれで十分だろう。
「話は聞かせて貰ったわ!」
同時にドアが勢いよく開かれた。その主はお嬢様であった。後ろに立つ富蔵様は嬉しそうに頷いていた。この短い時間に頑ななお嬢様の心を解きほぐしたのだろうか?
「バトラー! 私の許可なく人事を動かさないように!」
「畏れながらメイドの差配は私の職分でして……」
「問答無用です! 次にベアトリクス!」
名指しされたベアトリクスは館での態度はどこへやら恐怖で肩を跳ね上げた。
「私に対する不敬な言動、成り代わらんとする野心、全て聞かせて頂きました」
グンナルさんが慌てて口を挟んだ。
「お嬢様! あれは物の弾みです。勿論、本心などでは……。ベアトリクス! お前も許しを請いなさい」
「下がりなさい。彼女は当家のメイドです。たとえ父親であっても出る幕はありません」
決然とした物言いにグンナルさんは黙り、不安な表情を浮かべることしかできなかった。
「お嬢様、違うんです……あれは、その……」
ベアトリクスはというと、出発前に見せたおどけた怯えとは異なり、本当に恐怖していた。たしかに手打ちにされても文句の言えない言い方であった。
お嬢様は震えるベアトリクスの手をとった。
「貴女の不満はよくわかりました」
「いえ、不満だなんて……」
お嬢様は首を横に振りベアトリクスの言葉を遮った。
「いえ、貴女の考えは当然です。境遇を思えば私の為に働くほど酷なことはないでしょう。無配慮だった祖父に代わり謝ります」
想像すらしていなかった謝罪にベアトリクスは理解できない追いついていない様子だった。それはグンナルさんも同じだった。ただ、富蔵様のみが一瞬驚き、すぐに小さく感嘆の声を漏らしていた。
「バトラーの言葉も気にしないでください。彼も他意はないはずです。おそらくは私の同じような気持ちで放逐を言い渡したはずです。ただ、絶対強者であり、引く手あまたなバトラーには新領主の元から追い出された旧領主の娘という立場が想像できなかったはずです。そこも理解して許してあげて欲しいのです」
解雇理由の名分を整えれば理屈上は通るが……たしかにお嬢様の言うとおりなのかもしれない。少々見通しが甘かったか? 成り上がりの新領主に対して旧臣達の反発も増長しかねなかった。私は思い上がっていたのだろう。たかが少領と軽く見ていた。バトラーがいる家に謀反は起こさないだろうが、館にいるメイド達や富蔵様の主要な従業員には旧マサラ子爵縁の者が多いのだ。
「貴女がいるだけで皆が落ち着くのです。なんでしたら、貴女専用のメイドも付けますので私達を助けると思って家にいてください」
お嬢様の懇願にベアトリスクが慌てた。
「い、いえ! とんでもないデス! 散々の御無礼申し訳ありませんでした!」
そう言うと、お嬢様の手を振り払う訳にもいかず、手を握られたまま、地面に伏した。
「父親ともども手打ちにされても当然のところ、この様な御高配……このベアトリクス感服いたしました。今後は心よりお嬢様……いえ、貴子様に粉骨砕身仕えさせて頂く所存です」
ベアトリクスは心なし感涙を流しているようにもみえた。当然であった。この世界で元とはいえ、平民が働き先の貴族の令嬢に侮辱したのに許され、さらには逆に謝られるなど聞いたことがない状況だからだ。
いや、貴族の常識からすればやりすぎだ。まっとうな貴族がこれを見ればお嬢様のことを貴族扱いする者などいないだろう。
お嬢様は長い岩窟生活で平民の生活を盗み聞きしてきただけに貴族よりもそちらの方に感覚が近いのだ。これは非常に危うい。
「不満、いや不安か?」
富蔵様に囁かれた。
「問題ありません。それも含めて主ですから」
私たちが見つめる先ではお嬢様とベアトリクスがやりとりを続けていた。
「それと『貴子様』などと呼ぶ必要はありません。私はまだなにも成していない、成せない者なのですから。貴女からしたら雇い主であるお祖父様の孫に過ぎません。バトラーと同じように私を呼びなさい」
「わかりました。お嬢様。しかし、私は心からお嬢様に仕えていることを忘れないでください」
貴族にして貴族ではない。それがお嬢様なのだ。私の方がこの世界の貴族に染まっていた。私がお嬢様に合わせて守らなければならない。




