馬車
あれから一週間ほど過ぎたある日のことだった。窓から外を覗いていたお嬢様がふと漏らした。
「あれは何かしら?」
「『船』でございますわ。お嬢様」
間髪入れずに答えたのは花代だった。
「あれが『船』……」
「あれは小型の船で、それでも馬車10台分の輸送力って話ですよ。ファームルにはもっと大型の船も来ていましたわ」
「そう。貴女の姿と同じで見慣れないものですね」
「それはそろそろ慣れて欲しいものです」
ふくよかになった花代はニコニコと実に『らしい』笑顔で応じる。
「あちらと違ってこちらは随分と丸っこいものですな」
私の軽口にお嬢様は軽く微笑むと再び車窓に写る『長方形の箱』を見つめた。
「あの『船』が止まってるいる宿場町で私たちも止まろうかと思っているのですが……よろしいですか?」
「任せましたわ」
お嬢様は同意を得た私は御者に指示を出した。それに応じて他の馬車も宿場町へと向かっていった。
街に着くとお嬢様を休憩所へと案内する役目を花代に任せた。私にはちょっとした仕事があったからだ。
「あの『船』の連中は大丈夫なんですか? こっちの様子を随分と窺ってますけど」
お嬢様の姿が見えなくなると松尾が私に聞いてきた。松尾の言うとおり、船員たちはこちらの様子を酷く気にしていた。
「大丈夫でしょう」
私の答えを聞くと彼は安堵の表情を浮かべた。しかし、やはりどこか安心しきれないようで続けた。
「いや、あいつらも『竜安寺』なんでしょ? どうも俺たちの『お嬢様』はあんまり父親と上手くいってないって評判で……自分らも心配してたんですよ。あの『船』の連中は結構腕が立つみたいだし……。まぁ、そこらはバトラーさんがいるんで問題にはならないんですけどね」
松尾の言うとおり『船』は『竜安寺』のものだ。ただ、竜安寺は竜安寺でも『竜安寺商会』の船だ。彼からすると『ナウル伯竜安寺』も『竜安寺商会』も変わらないのだろう。
しかし、彼の見立ては正しくもあった。船員たちは皆、平民の域を凌駕していた。おそらく旧マサラ子爵の郎党、世が世なら騎士と呼ばれる者達だったのだろう。
小型の船にあれだけの戦力で守らせる意味は滅多にない。それほどに高価な物を運んでいる可能性もあるのだが、おそらく答えは違う。彼らは単に新たなマサラ子爵を見に来ただけだ。彼らはその為に志願し、富蔵様も慰安を兼ねて許可したとみていい。これは竜安寺商会は既にお嬢様の出立を把握してるということでもあった。
微笑むだけの私を前に間が持たなくなったのか、松尾が再び聞いてきた。
「ところで、王都までどれくらい時間がかかるんですか?」
「このまま行けば三ヶ月といったところでしょう」
「そんなにかかるんですか!? 歩いた方が早いじゃないですか!」
「貴族が歩いて王都にまで行くのですか? 伝統的な価値観に反します」
「はぁ……、貴族ってのはメンドウなんですね」
「嫌になりましたか?」
「滅相もない! 俺らはバトラーさんの為なら……」
「命を捧げる相手が違いますよ」
「いや、しかしですね……」
「お嬢様の願いで『お嬢様』と呼んでいるだけで、あの方は私たちの『主』です。お嬢様に仕えずに私に仕えたいのなら去りなさい。一人立ちに十分な金銭は渡します」
「そんなつもりはないんです! お嬢様と同じくバトラーさんにも命を懸けてるってだけなんです」
松尾は非常に慌てた様子だった。悪意がないのはわかる。だが、注意だけはしておかなければならない。
「私に対しては不要です。腐っても私は『バトラー』ですよ? 厳しい言い方ですが、あなたたちが命懸けでやっても代わりにはなりません。命を懸けない程度に手伝って頂ければ結構です。それはお嬢様に対しても同じです。あの方は貴族ですし、私が全てに代えても守り仕えるのです。あなたたちが命を懸ける必要はありません」
それでも彼らは命がけで、いや、命を消耗させてお嬢様を守ろうとすることは知っている。それが秒に満たないわずかな瞬間の為と知りつつも動いてしまうのだ。
「バトラーさん……」
表情に出てしまったのか、言い方が悪かったのか、松尾は暗い表情でそれ以は何も言わなかった。
ほどなくして一両の馬車がやって来た。これこそが私の目的だった。
我々のとは明らかに異なる速度で走る馬車は三頭立てで悪趣味なほどに派手な車両を牽いていた。言うなれば九伯家好みだった。
馬車は私の前で停まると御者台から一人の筋骨隆々とした男が降りた。男の顔には険がある。その彼は私の前で恭しく頭を下げた。
「バトラーですね?」
「ええ」
「お初お目にかかります。私は竜安寺商会のゴリラと申します」
酷い名前だ。しかし『ゴリラ』には見覚えがあった。かって、私が『馬野骨造』であった時に富蔵様の身の回り警備を任されていた男だった。なるほど、当時はただの柄の悪いゴリラと思っていたが、今になって見ると中々の強者だ。重要な役を任されていただけはある。私が寸評を終える頃にゴリラは要件を繰り出しいた。
「旦那様の指示で馬車をお届けに参りました」
お嬢様の動きを把握しながら富蔵様が動かないはずがなかった。私はこの貴馬種と馬車を待っていたのだ。しかし、このゴリラはこれらを任されるほどに信頼が厚かった様だ。なんにしても、これで一週間もあれば王都に着く。
「なるほど、ありがたく頂戴いたします。富蔵様にはこちらから挨拶に伺いましょう」
「屋敷諸々も用意してありますのでよろしければご利用ください」
「世話になります」
「荷物は『船』を使ってください。そちらの馬車よりは早く着くはずです。『竜安寺家』の引っ越し道具と聞けば盗賊どもが寄ってくるでしょうが、こちらも腕利きが揃っているのでご安心ください」
流石は富蔵様というところだろう。旧マサラ子爵の郎党の好奇心を満たしつつ準備万端といった感じだ。断る理由もない。
私は松尾達に荷物の移し替えと船で来ることを指示すると、お嬢様に花代を加えて新たな馬車で一足先に王都へと向かうことにした。




