ファームル伯領再び
ファームル伯領へ到着するのに半年ほどかかった。
急ごうと思えば幾らでも早く着けたのだが、バトラーが平民に過ぎない竜安寺富蔵の依頼で、その孫の確認に行くには急ぎすぎても不自然だった。だから、はやる気持ちを抑えて、のんびりと『船』を使ってみたり、提供した『馬』の確認だてら馬車を使ってみたりと時間をかけてやってきた。
バトラーである私が動いたということは伝わっていたようで、襲撃はそれほどなかった。近くまできて、今回の富蔵様の使者がバトラーと知り引き上げる者もいた。なんにしてもバトラー相手に攻撃を仕掛ける雇われ者などいないのだ。幾度かあった襲撃はバトラーと知らずに攻撃を仕掛けてきたか、竜安寺と関係なく腕試しで挑む者だけだった。後者も流浪時代よりも少なかった。王都滞在中に一部の腕試しを好む酔狂な貴族から「一手御指南を」と頼まれて、本人や子息、家臣団と珍妙なる手合わせをした影響だろう。カガチ様や執事の穴の面々とは比べるべきもない実力だが、貴族社会においては腕の程がよく知られていた方々であった。しかし、それらの貴族でも勝負にならなかった。それを知った者の多くは私に挑むのは無駄と気がついたのだろう。
権蔵様に会う前に領内の様子を探ることにした。権蔵様に会う前に最低限の情報を集めておく必要があった。なにしろ領内の様子が情報とあまりにも違うのだ。
ファームル伯領は執事の穴を出て以来だった。実に15年ぶりだ。以前に訪れたときにも街の様変わりに驚いたものだったが、今回の衝撃はそれ以上だった。なにしろ時空コンピュータ内の前例にはない変化があったからだ。
15年前に訪れた時の変化は領内の中心部である街の区画整備が中心だった。それが今では領内全域に交通網が整備され、街も以前よりも数回り大きくなっていた。その人口やインフラの整備具合は王都を軽く凌いでいた。間違いなくこの世界で最も大きく繁栄している街へと変貌を遂げていたのだ。
この繁栄は記録されている中でも最も大きかった。そして記録ともっとも違うのは領土中に張り巡らされた『水路』の存在だった。新たな輸送手段である『船』を最大限活用するために『道』を作ったのだ。
水は魔法や魔晶石といった魔法力で集められ、その水は人口を支えた。都市化によって産まれる汚水は魔法で浄化され、水路へと注がれる。やがて水は本来の目的である『船』の運行に供される形となっていた。魔法力を利用した『水路』は生活・産業・衛生を同時に満たせるインフラとなっていた。『水路』がある故に王都以上の人口を抱えることができたのだ。
街の人々の方言から察するに「ナウル伯領」の人間が多かった。先の戦争でボルグ様が連れてきた兵隊・軍属が流れてきたのだろう。また、ナウル伯領は徹底的な徴発によって産業が壊滅した上にスチュワートの復古的統治で仕事がないと聞く。仕事がなく帰ることができないという人だけではなく、徴兵を免れたが故郷を捨てて出てきたという者も多そうだった。
以前には聞かなかった移民の方言としては旧北方辺境伯の民もいるようだ。こちらはハガン候の領民となり、平民である竜安寺商会の統治に服するのを嫌がって出てきた者たちだろう。それで平民上がりのナウル伯竜安寺権蔵が実質的に支配するファームル伯領に移るの皮肉的だ。成り上がりでも一応は貴族だから良い、ファームル伯は伝統ある貴族だから良いと納得させているのだろうが、本心では保守的で伝統ある領主が良いのだろう。もっとも、そのような領地は移民を受け入れる産業などないし、移民に対する風当たりも非常に厳しい。この世界の人間は馬鹿ではない。彼らが嫌っている風土が彼ら自身を受け入れる風土となっていることに気がついているだろう。それだけに中々に心苦しいのではないだろうか。
これらの情報を集めるのには大して時間は必要なかった。観測などの情報収集やその分析は時空コンピュータのもっとも得意とするところだからだ。ちょっとした高台に登って風を操り、音や振動、光に含まれる情報を集めれば終わる話だ。ナノマシンを風に乗せればより正確で多くの情報を集めることができただろう。しかし、北の大地での失敗から、コントロール不能となる虞がある手段はあまり採りたくなかった。
情報を集め終わってしばらくすると、頃合い良く馬の蹄と車輪の回る音が聞こえてきた。抜かりなく私の来訪を察知していた権蔵様が遣わせた迎えの馬車である。
私を迎えに来たのは権蔵様の下で働いていると称する男性であった。身なりからするとそれなり以上の立場なのだろう。だが、物腰は明らかに貴族ではなかった。これはファームル伯の頃からの人材ではないということだ。だが、竜安寺商会の頃から勤めている人間でもない。少なくとも私がいた頃にはいなかったし、15年前に訪れた時にもいなかった人間だ。事業の拡大に伴って雇った人間の可能性もあるが、来訪者の確認が出来る仕事をしている以上は、スチュワートが寄越した可能性が高い。彼も出来れば貴族を送り込みたいことだろう。本人は万能の超人でも人材の調達や遣り繰りには苦労しているようだ。
車内で差し障りのない会話をしばらく続けていると、ほどなく今や権蔵様の住処となっているファームル伯の館についた。わざわざスチュワートやザルグ家の分家を刺激しなくても良いものをと苦笑いを抑えて馬車を降りる。そんな私を屋敷に勤める者たちが出迎えた。数は百人ほどだ。
全員新規召し抱えの様子だった。大部分は家令であるスチュワートが用意した人間だろう。全員が全員ということはないだろうが、相当数はスチュワートを主と仰いでいる者たちと見て問題はない。終始監視状態の権蔵様もなかなかに疲れる環境に置かれているものだ。
権蔵様に同情するのも束の間、一同の責任者らしき初老の男性が恭しく頭を下げてきた。
「お待ちしておりました。主が待っております」
「どちらの主ですかな?」
聞く必要のない問いをあえて発してみた。
「なんのことでございますか?」
中々に優秀だ。動揺を見せず、淀みは見受けられなかった。しかし時空コンピュータを瞞せる程ではない。この男は黒だ。もっとも、奥向きの人事はスチュワートが握っているので当然ではある。
動揺を見せなかったのは、バトラーには隠せないという達観によるところもあったのだろう。なんにせよ館は完全にスチュワートの掌握範囲だ。他家の手の者もいるだろうが、それはスチュワートの情報統制下で活動しているに過ぎない。富蔵様が権蔵様と疎遠になるのも納得だ。下手に連絡をとれば、どう情報が漏れるか、どう利用されるか分かったものではない。
人は一新されていても館の様子そのものは、|私が若い頃に世話になった当時《四半世紀前》と変わらなかった。なにしろ「昔のまま」を望むスチュワートが任されているのだ。変えさせるはずもない。|レオン様とアンリ様に招かれた時の《以前の》様に食事時にはずらりと人を並ばせているのだろう。今のように発展してくると管理された人をあれだけ雇うのは相当な負担のはずだ。なにしろ、観測された館内の人数は1500人。これらのほとんどが身の回りの世話として雇われているのだろうから、商売人出身の権蔵様には理解できないことだろう。
「こちらでございます」
男性が案内した先は館の主が執務をするべき一室であった。館を家令のスチュワートが牛耳るように、館の主も権蔵様へと移っているのだ。ファームル伯領の歪さを表しているかのようだった。
「ああ、バトラーさん! よくぞお出でくださいました」
部屋の主が明るい声を上げた。
しばらく会わないうちに権蔵様は随分と貫禄と迫力を増していた。竜安寺、いや、九伯家の血統だろう。あの血ならば、この控えめな装飾の屋敷は我慢できないはずだ。スチュワートに抑えられているようだ。
権蔵様は手を差し伸べて来たが、私はそれに対して一礼をもって答えた。気恥ずかしそうに手を引っ込めた彼は照れ笑いを浮かべていた。不思議なことにこの様な環境に置かれながら、彼の表情に以前みられた険がなくなっていた。そして私を前にして純粋に嬉しそうだった。元々の気質もあるのだろうが、軟禁に近い状況で心が疲れているようだ。
権蔵様の顔に緊張感が出たかと思うと、
「バトラーさんを地下に案内する。同行は花代だけでよい」
と、案内で同行してきた男性へと指示を出す。男性は「かしこまりました」と一礼をして出て行った。




