いざ出陣
ベアトリクスの一件で気持ちを取り戻すことができた私は、あのまま数年間富蔵様の元に身を寄せた。富蔵様にとっても『バトラー』が食客として滞在しているという事実は|商売・防犯・権威付け・信用等々《あらゆる面》で有利なのだ。
そうすることが過去の事例でもっとも一般的なパターンであり、経過において大過のない選択肢だった。
そのはずが……過去にはなかった波乱があった。
それは転移石に関することだった。
お嬢様に仕える前に、地球から放り出された私自身、少年『馬野骨造』を招くための準備はしておきたかった。その為には、その時に時空の連結点となる『牧場』に羅針盤となるナノマシンを特定の何カ所か散布する必要があった。
それには大きな障害はなかった。富蔵様の牧場であり、折を見て訪れ、散歩ついでにこっそりと血を数滴垂らせば良いだけだからだ。如何に広大な牧場で他人に気取られぬようにという条件を付しても数年もあればできない話ではない。
問題は、召喚の為の力となる転移石も埋めなければならないことだった。この転移石の入手に手間取ったのだ。
多くのパターンにおいては、私がマサラ鉱山に行ったときには転移石は既に採掘されていた。しかし、今回は採掘がなされていなかったのだ。もっとも、それ自体は決して珍しくはない。普通はその時点では見つかっていなくても、遠からず見つかる流れだった。
ところが今回は、あれから数年経っても手に入らなかった。その原因は『船』であった。
私の心を救った『船』だが、こと転移石に関して言えば、心をざわめかせる存在になった。『船』による商売が順調で富蔵様がそちらに注力しすぎたのだ。それが為に鉱山の採掘が大幅に遅れてしまったようだ。
本筋としては、私の物と言って問題がないはずのハガン候の元にある転移石を使えば良い話だった。そのため当初はその方向で動いた。もっとも、私は取り決めでハガン候の領内に立ち入れないことから、富蔵様に仲立ちを願った。ところが、ハガン候曰く「バトラーが取りに来なければ渡さぬ」と引き渡しを拒否したそうだ。
ハガン候は何も意識せずに、単に私と会いたかっただけだろう。しかし、考えてみれば拒否された方が良かった話だった。なにしろ、私が行けるのはハガン候領の境界付近までだ。ハガン候の館からそこに至るまでには旧北方辺境伯領がある。
旧北方辺境伯領は反ハガン候の空気が強く、その手先と見なされている竜安寺商会は平民であることと相まってもはや敵に近い扱いだった。そんな場所に中規模の貴族なら家宝にする転移石を持ち込むのは危険極まりない行為だ。
しかもハガン候の転移石はただの転移石ではない。今や大貴族であるハガン候が所持していたという由来だけで価値が増す。しかもバトラー・スチュワート・ハガン候が参加した武闘会の賞品であったのだから、なおのことだ。
ハガン候から私宛ての転移石を竜安寺商会が運ぶというのも不味い。ハガン候に一泡吹かせたい連中は沢山いる。しかも富蔵様の戦力のうち、旧北方騎士団の者達は地元での仕事は「竜安寺商会で働いていると後ろ指を指されそう」という理由で嫌がる。それどころか、転移石輸送の噂を聞けば、むしろ盗む側に回りかねなかった。
仮に全戦力を動員できたとしても話にならなかった。旧北方騎士団の八騎士がいるからだ。再編成を拒否して野に下った騎士が数人いるのだ。解雇される騎士がいる中で自分が残ることを由としない者、蛮族が貴族に叙されるのを認められない者、北方辺境伯の騎士であることに拘った者、目的を見失ってしまった者、理由はそれぞれだが、いずれも和平に納得しておらず、反ハガン候の者達だ。彼らのうちの一人でも「ハガン候のお宝を奪おう」と決めたら富蔵様の全戦力が壊滅するのに3分とかからないだろう。彼らにしてみれば、ハガン候に一矢報いられるだけでなく、士官の土産にしてよし、売ってよしの宝まで手に入るのだ。これほど危険な輸送もないだろう。
もっとも、幾星霜の経験が蓄積されている時空コンピュータによれば、そもそもマサラ鉱山からの転移石が手に入らなかった事は一度や二度ではなかった。転移石の代わりとなるような魔鉱石は貴重ではあるが一つや二つではない。必要ならそちらを調達する方法もある。
恩赦が出てから数年間、王都近郊の富蔵様の館に滞在したのも保険である。いざという時には当てには出来ないものの、貴族達と親交を結ぶのは無駄ではない。田舎貴族にとっては家宝に相当する大きく良質な魔鉱石も、大貴族にとっては贈り物として利用される程度の物だ。
しかし、当然のことながら誰でも譲ってくれるというわけではない。たとえば九伯家は当主が王都に在住し、多くの転移石相当の魔鉱石を有している。順当に考えれば、もっとも容易に譲ってくれる相手だ。だが、私には譲ってくれない。私がハガン候や竜安寺商会に近いことと、先の戦争でゴーレムをガラクタに変えてしまったことを考えれば仕方ないことだった。
他にも公爵家ならば、王都にいる代理人の権限レベルでも譲って貰えるだろう。なにしろ公爵曰く「先祖を同じくする」らしいので、先般の借りもあるので断る理由がないのだ。もっとも、公爵家への貸しは、後々もっと効果的に使えるので、できるだけ使いたくない。
他の貴族たちも「バトラーを雇いたい」との下心を有していることが多いので、転移石程度の物ならば用意してくれるだろう。だが「雇われる気はない」のに「雇われてもよい雰囲気」で物を貰うのはなんとも気が引ける。私はそこまで達観できていないのだ。
だが、数年経っても見つからない。そうなると綺麗事は言っていられなくなった。腹を括り、誰かを騙すつもりで貰おうかと算段を立て始めた。腹さえ括れば、交渉は成功する自信があった。破談覚悟でギリギリの要求をして、いざ破談が目に見えたら、時間を巻き戻せば良いのだ。何件か失敗しても代わりの交渉相手がいる。……しかし良心が咎める。と逡巡していたところに、魔鉱石が届いたのだ。
「これでよし」
そのような不安な日々を過ごしたせいもあり、準備を終えた時に不意に声を漏らしてしまった。
「なにが『よい』のだ?」
わざわざ牧場まで付いてきた富蔵様がそれを聞き逃すはずはなかった。
「実は将来、少年時代の私を牧場に招くための準備が終わったのです。具体的にはナノマシンが含まれた血液を牧場の何点かに散布して、地中に含ませました。これが羅針盤となりここに招いてくれます。また、少年の私に必要な情報を与えてくれます。他にも必要な力となる転移石……便宜的にそう呼んでいるのですが、この前富蔵様から頂いた巨大な魔鉱石も埋めました」
などと正直に答えてみたら、どのようなことになったのだろうか。だが、そう答える理由はない。なによりも千里眼の魔法などで誰に知られるかわかったものではない。しかし、富蔵様に嘘は通じない。いや、それ以前にそもそも私は嘘が苦手だ。この歳になってようやく理解できたことだ。だから、こう答えた。
「『保険』の準備でございます」
嘘ではないが親切でもない返しだ。時間を巻き戻すほどでもない。これで十分なのだ。
「まぁ、いいだろう」
案の定、富蔵様はそれ以上聞くことはなかった。彼は必要以上には聞かない。藪蛇な真似はしない。
なにもかも正直に、微に入り細に入り説明したとしても、おそらくは煙に巻かれたなどとは思わずに「バトラーなら出来るんだろうな」の一言で終わったことだろう。なにしろ私は世間では『不可能を可能とする』らしいからだ。実際には148代、6600年もの時間をかけて一つの目的すら達成できていないのだが。最近も転移石の産出が今までよりも遅かったので焦っていたくらいだ。
だが、次に富蔵様が振ってくるはずの話題まで遅れていたら、焦るどころではない。
「ところでな、バトラーよ」
緊張の一瞬だった。
「息子に……権造、いやナウル伯様というべきなんだろうが……」
富蔵様にしては歯切れ悪く続けた。
「あいつに子供が出来たらしい。儂にとっては孫だ。あいつは今じゃ貴族様だ。儂が行くのは世間に無用な誤解を招きそうで遠慮するべきだろう。あいつも煙たくて嫌だろうしな。だが、孫が気にならんと言えば嘘になる。一つ儂の代わりに見てきてくれんか?」
ついにこの時がやってきたのだ。富蔵様の言葉に嘘はない。そもそも、権蔵様は子供を作れない魔法がかかっている。その点も気になっていることだろう。
だが、なによりも幸子様や節子様を思うあまりに混沌とした道へと進んだ息子が一番気になるはずだ。富蔵様は自身が亡くなった後は息子が遠からず不幸な目に遭って死ぬことも分かっている。なにしろ口先八寸で留めた暗殺者ギルドやスチュワートが動き出すのだ。九伯家等の存在もあり、疎遠を装ってまで守ろうとしている。そんな息子に子供が出来たとの噂まで耳に入ったのだ。口に出さないだけで多くの複雑な想いが絡まっていることは容易に想像出来た。今だって、千里眼の届かない地下室で詳細に言いたいだろうに、不要な警戒を招かない様に、あえて見られやすい牧場で気持ちを隠して言ってきたのだ。
「バトラーにこんな事下らないことを頼むのはなんだとは思うのだが、様子見に行かせた奴が帰ってこなくてな……。儂としても損だから行って欲しくない気持ちもある。そもそも何かを頼むのは筋違いだから断ってくれても構わんぞ」
ファームル伯の分家筋、スチュワート、九伯家の関係者、その手の話が伝わるのを嫌がる勢力は幾らでもいるだけに妨害があるのだろう。……だが、私にとっては渡りに船だ。その妨害のお陰でお嬢様に会えるのだ! 断るはずもない!
「わかりました。しばらく逗留させて頂いた恩もございます。その話、お受けいたしましょう」
私はできるだけ冷静に、心の乱れを誰にも悟られないように一礼をした。




