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俺TUEEEのに無力です  作者:
バトラーの見る夢/後編
56/82

それから

 夢から醒めた私の体は軽く、絶好調であった。どのような夢であろうと関係ない。いや、眠りすら関係がなく、私の体は常にそうなる様にできているからだ。どんなに辛いと思っても何度後悔しようとも怠さを理由に休ませてはくれない。


 あれから三年間、様々な風聞が私の耳に入ってきた。たとえ私が関りを断つべく無関心を装っても、バトラーという身には大なり小なり噂が入ってきてしまうのだ。そこには偽りの話が多い。いっそ騙された方が楽かもしれないのだが時空コンピュータに蓄積された情報がそれを許してはくれない。



  権蔵様は論功行賞で爵位を賜った。その際には貴族の血が流れておらず----実際には四分の一とはいえ九伯家直系の血が流れているが、その事実は厳に隠されている----、魔法力も貴族に採りたてるほどではないことが問題となった。

 そこに助け舟を出したのがヘウル候ヨーステン翁であった。翁は虹色軟膏によって怪我が全快していた。それは権蔵様経由で手に入ったもので、非常な恩義を感じていた。その恩に報いる機会を得たと一族の女性との縁談を持ちかけたのだ。多くの貴族は内心はどうであろうと、表向きには魔法力が減じたことに恨み言を述べるか、貴族が平民に対して感謝を表すことをよしとせずに無視をしていた。その様な中で翁は感謝の意を隠さずにそれを行動にまで移した唯一の有力貴族であった。貴族の間では翁の変人ぶりを表す新たなエピソードとされている。

 翁は偏屈だから……では済まないのが一門の者たちだ。貴族は子供をあまり作らない。その傾向は名門貴族ほど顕著だ。それは作れなかった頃の名残かもしれない。今では克服されたが過去には魔血病のようなもので何人も産むこと耐えられない人もいたのだろう。それで子供を多く作らない文化になったのかもしれない。理由はどうであれ、子供がいない貴族は珍しくなく、三人もいれば驚かれるといった具合である。ごく稀にフィリップ様のように名門貴族であり魔法力にも恵まれているにも関わらず、外にまで子供を作るほどに盛んな人がいる。その子供たちが養子に入ったり、分家を作ったり、当主として受け入れられたりして家門が維持され、貴族人口も均衡を保っている。偏屈扱いをされている翁であるが、そこに関しては多分に漏れず実子がいない。そうなると権蔵様へは親族の女性を嫁がせることになるのだが、それは当の親族にとっては堪ったものではない。大事な一人娘、あるいは一門においても貴重な子供を平民の、しかも魔法力にも恵まれていない男に嫁がせろと命じられるのだ。この魔法力と身分に縛られた社会では死刑以上に屈辱的な命令だ。もっとも問題はそれだけではない。平民の血が入ることによって一族の魔法力が弱まることが懸念される。

 

 少子化傾向のある一族では当主に子供がいないことは珍しくない。そこから世継争いに発展することがある。魔法力に恵まれた者が順当に当主となれば、そこまで大きな問題は生まれない。しかし、そう順当にいくとは限らない。当主候補の筆頭が若齢であることが筆頭だろう。他にも主要な当主候補の急死や性格などによる不適格、魔法力ではなく出身の家の勢いを重視した、当主との血統的な距離、当主が個人的に誰かを寵愛し遺言がある、有力候補者同士の牽制により当たり障りのない第三の候補者が選ばれる、他家の介入があった等々のさまざまな要因により魔法力に乏しい者が当主となることがままある。そうなると俄然没落の可能性が高まる。実際それが原因で貴族としては滅んでしまった神話にも名前が載っている()名門貴族は多い。

 その理由は一般的には魔法力に乏しい者ほど子供が多いことにある。そして多くの場合、その子供たちも魔法力に乏しい。そうなると古くに別れた分家よりも、魔法力の弱い当主の後継者やその子供たちが新たに作った本家に近い分家ほど魔法力が乏しいという逆転現象が起きてしまう。こうなると当主や本家が一門を率いることは不可能となり良くて分裂やクーデター、酷い場合は世間や他の貴族たちから貴族と見なされなくなる。もっとも、幸いにも子供が魔法力に恵まれていたり、後継者(子供)ができなかったり、魔法力に恵まれている者に当主の座を禅譲したり、数代に渡って魔法力豊かな配偶者を得て元に戻したりなどで難を逃れたケースの方が多い。しかし高いリスクを負うことだけは間違いなかった。低い魔法力の者が一族にいるだけで危険なのだ。おそらくフィリップ様が節子様の存在を許さなかった理由の一つであり、認めたくはないが当主の行動としては理解できるものでもあった。閑話休題、翁の親族には当然ながらこのようなリスクを孕む婚姻に同意する者など一人もいなかった。

 

 このヨーステン翁の提案に密かに危機を覚えた人々が他にもいた。フィリップ様と九伯家の一部の者、すなわち竜安寺家と九伯家の関係を知る者達である。不妊の魔法は魔法力の弱い者が無駄に一族の裾野を広げて前述のようなお家騒動の勃発を回避するために発展してきた。かなり無理のある魔法らしく、ある程度以上の魔法力の介在で無効化されてしまう。しかし、それが逆に好ましかった。選別効果があり、魔法力に富む者が子孫を作ることの妨害をしないからである。

 ところが九伯家が抱える問題にとって、それは致命的であった。節子様の命を狙ったのは九伯家の血を引く子供を作らせないようにするためだった。しかし、権蔵様が貴族との間に子を成してしまっては元の木阿弥になってしまうのだ。

 平民の女性と貴族の間に子供が出来るケースはそれなりにある。富蔵様はそのケースであるし、富蔵様と幸子様の間に出来た権蔵様も広義ではそれに含まれるだろう。しかし貴族の女性が平民の男性との間に子供を成したのは寡聞にして聞かない。だからこそフィリップ様は権蔵様を殺す必要がなかった。ところが権蔵様が大貴族の一族と結婚するとなると話が変わる。不妊の魔法は容易に打ち破られ子供ができる可能性が俄然高まるのだ。もちろん九伯家の一族と認知するのであれば、名門貴族との間の子であり血統的には問題がない組み合わせなのだが、それはそれで別の問題が生じた。九伯家とヨーステン翁の一族は犬猿の仲なのだ。

 

 両家とも武を売りにする一族であり競合しているのが不仲の理由の一つではあるが、根本的に二家の性質は異なる。九伯家は比較的陰謀を好み、華美に着飾り、本心を晒すことを嫌い、事に臨むときには万全な準備をし、秩序や伝統を重視する傾向が強い。一方のヘウル候は伝統的に絡め手を忌避し、不要な装飾を嫌い、本心で相対することを好み、直情径行・蛮勇・無謀な突撃を頻繁に起こし、貴族というものに拘らない傾向が強い。もっとも、最近ではヨーステン翁の見殺しを計画するなど性質が変化しつつある。とはいえ、長い歴史の積み重ねで相互の不信感はかなりのものであった。そのような家同士が姻戚関係となればお互いに介入する口実が生まれてしまう。双方にとって避けたい事態なのだ。

 とはいえ、この段になると九伯家も権蔵様の暗殺はできなくなっていた。もし権蔵様が殺されればヨーステン翁が必ず徹底的に調べるからだ。初めは自分の身内に犯人がいると思い調べるのだろうが、権蔵様の血統や九伯家の影に辿りつくのにそう時間はかからないだろう。そうなると事の真相に気がつく。事を知れば奇人と評価されているヨーステン翁が黙っているはずがない。さらには普段は面従腹背な一門も相手が九伯家となれば一致団結で動くことが目に見えていた。おまけに今回の和平や論功行賞をまとめた公爵家の顔に泥を塗り敵対関係となる可能性も高い。竜安寺から食料を受け取っていた北方の民もいる。他にも落ち目の九伯家を追い落としたいと便乗してくる勢力も出てくる可能性もある。一方で九伯家はフローラを失い、減封により家臣団も減少しているのだ。慎重な九伯家が採りえる手段ではなかった。

 

 ヨーステン翁の申し出は、今回の絵を描いた公爵家にとっても予想外の出来事であった可能性が高い。九伯家がヨーステン翁と戦闘状態に陥るのは困るし、逆に姻戚関係を機に二家に接近されても困ることだろう。

 こうして公爵家の関与具合は不明ではあるが、少なくとも黙認、あるいは仲介による一つの工作がなされた。それはスチュワートがどこからか『謎の親族女性』を見つけ出し、連れてくるという形で結実した。この女性との婚姻によって権蔵様は晴れて貴族の仲間入りを果たした。もっとも、格の高い『ファームル伯』となることは許されず、ファームル伯領を根拠地としながら名目は『ナウル伯』となったのである。当の『ファームル伯』は未だ健在という建前をとり、権蔵様は名代としてファームル伯領の開発を任された形をとり続けることとなった。これには本来は後継すべきザルグ家の分家たちの意向もあり表立って反対する者はいなかった。

 分家たちは権蔵様が豊かにしたファームル伯領を狙っていた。彼らにしてみれば放っておくだけで開発を進める権蔵様は打ち出の小槌であり、ファームル伯領が豊かになり、そのおかげで自分たちの領土も豊かになる分には不満はなかった。そして開発が終わった頃合いを見計らって追い出す腹積もりなのだ。最も保守的であり、古き時代の貴族文化を継承してきたザルグ家においても本家以外ではその家風は失われていた。


 スチュワートは叙勲を断り竜安寺家の家令となった。家令とは家や特定の個人に仕える執事と異なり家の爵位や権力に属しながらも広範な権限や決裁を持つ一種の後見人に近い特別な地位だ。ザルグ家に近い家柄とカガチ様との戦い、和平へのコミットなどの勲功からかなり格の高い爵位が用意されたはずであるがそれを断り竜安寺家の家令となることを報奨として望んだようだ。外から竜安寺家を潰すよりも内側から潰した方が良いと判断したのだろう。それ以外にも権蔵様が管理するファームル伯領を他家やザルグ家の分家から守るという目的もあったはずだ。

 本来であれば家令は竜安寺家内部の人事であり外部からは介入しにくい。しかし、平民から新たに採りたてる貴族ということもあって介入の余地は幾らでもあった。一応の名目は『ヨーステン翁の親族女性の輿入れに付いてきた』という形をとった。裏で手を回して翁の分家たちを味方にしていたスチュワートには容易に出来たことだった。権蔵様にしても、もし断れば破談になる……とでも言われれば貴族化を望んでいる以上、断るという選択肢はなかったはずだ。あるいは権蔵様としてもスチュワートに強力な外部勢力として対峙されるよりも監視が可能な内側に招いた方が有利と計算したのかもしれない。そうしておけば、外部からの攻撃に対してはスチュワートは味方となるからだ。なんにしても権蔵様が貴族となるための条件として示されたのは、竜安寺家にスチュワートを迎えること、それも|貴族の礼儀作法その他に疎い竜安寺家を指導・助言する立場にすることであった。かくしてスチュワートは目論み通りに竜安寺家の家令となったのであった。

 スチュワートは爵位こそ受け取らなかったが領地を貰った。それはナウル伯領である。魔法力に乏しいナウルの地はスチュワートの功績に見合う土地ではなかった。しかも前ナウル伯であるボルグ様の苛烈な略奪によって土地は荒れ果て働き手も激減した土地なのだからなおさらである。しかし彼は希望してそれを手に入れた。なぜならスチュワートにとっては最もふさわしい実験場(・・・)だったからだ。ナウル伯領は以前に竜安寺家によって少なからず開発された土地であった。その土地を開発以前に戻すにはどうやるのか? その際にどの程度の混乱が生まれるのか? ファームル伯領を元に戻すための贄の地となったのだ。|有力貴族からは見向きもされない《自由にできる》土地であり、かつ、竜安寺家が開発した土地でもある。絶好の条件がそろった土地であった。権蔵様がナウル伯に叙任されたことも追い風となった。ナウル伯領とファームル伯領の実質的な統治権は大きすぎて権蔵様には認められない。しかし、形式的には権蔵様に所属させながら実質はスチュワートが統治するのならば文句は出ない。さらにスチュワートが統治しなければ爵位と切り離された無主の地となりかねなった。そこを竜安寺家の土地を家令であるスチュワートが統治する形にできる。貴族たちにとって極めて理想的な形であった。もっとも、逆算的に考えて権蔵様をナウル伯に推挙したのがスチュワートでここまで彼の計算通りに進んだとみた方が自然だろう。


 カガチ様はハガン候として王国の一貴族として冊封されることになった。しかし、その実態は以前と変わらぬ独立国である。王国によって強制的に鎖国状態にさせられているが、それも以前から似たような状態で変わりがない。

 ハガン候の創設によって、九伯家の主要な爵位の一つであった北方辺境伯が廃止された。これで九伯家が八伯家となるかといえばそうではない。以前から実際に所有する爵位は二桁に達していても九伯家は九伯家だったのだ。もっとも八伯家と呼ばれてもおかしくない程のダメージが九伯家にはあった。それは最精鋭であった北方騎士団の解散や権威の失墜、武を鍛える名目を失った等々の計り知れない痛手である。この北方辺境伯の廃止によって旧北方辺境伯領は一部の大都市を除くほとんどの部分がハガン候に属する土地となった。しかし、カガチ様や北の民は統治に無関心であり新たな土地には一切関わる気がない。カガチ様たちにとっては北方辺境伯の有無など関係なく以前と変わらない領土----もっとも領土という発想があるのかさえ疑問だが----であった。


 富蔵様の商売は非常に順調とみられていた。北の地が産出する物品は相変わらず珍重されており非常な高値で取引されている。しかも竜安寺商会が独占しているため値段は自由自在であり、独占故に偽物の流通も極めて限定的なのだ。その上、交易相手である北の地は今までは貿易を必要としていなかったが、今では竜安寺商会が供給する品物がなければ生活が成り立たないレベルにまでなっていた。例えば食料、例えばアルコール類、例えば着火棒、例えば金属加工品といった具合に自分たちの土地では手に入らない物がいくらでも存在するようになったのだ。

 魔法力に満ち溢れた北の生き物の生命活動そのものは寒冷化による大きな影響は出なかった。彼らにしてみれば生命に影響がある温度ではなかった。ただし、雪に埋もれて食べ物が見つからない。しかし、人を含む北の地の生命はそのような状態でも簡単には餓死しない。食べなくても割と平気なのだ。それでも空腹感はあるようだ。しかもその状態では人に限らず子孫を作る気がなくなるようで、北の地は停滞状態に陥っていた。低温であっても植物は育つ様なので、耕作をすれば良いのだろうが彼らにその習慣がなかった。そのために、慣れない農作業をするよりも安易な輸入に頼るのは自然な道理だった。

 食料と並ぶ必需品がアルコール類であった。以前は宴でしか酒を飲まなかった----もっともその回数は尋常ではなかったが----のだが、今では水の代わりにアルコールを飲むようになっていた。何しろ極寒の彼の地では水は常に凍っており、しかもナノマシンの影響によって火を起こすこともままならず、融かすことは容易ではなかった。極めて火勢が弱く火とは言えない温度や一定温度以上にはならない摩擦熱での解凍では時間がかかり満足に喉を潤す水分を得ることができなかった。そのため凍り難いアルコールが水代わりに飲まれるようになっていた。流石というべきか、それでもというべきか、北の地の菌は低温状態でも多少は活動していた。しかし温度が上がらないので醸造や蒸留による生産は満足できる量からはほど遠かった。元々は猿酒の様な自然発酵した酒を飲んでいた北の民であるが、当然ながらこれらもなかなか(・・・・)入手ができない。代わりに竜安寺商会が無尽蔵にアルコールを運び込んだ。

 さらに魔法を使えないので熱を照射できる着火棒は重宝された。本来の使い方(火を付ける)とは異なるに温めるための着火棒を開発したようだった。他にも鉄製品や陶器・磁器も輸入する必要があった。鉄は力技で加工できても割れた場合に直すことができず----しかも温度制限があるために割れやすい----、それに鉄自体はどの道輸入しなければならなかった。要するにこれらは加工に熱を必要とする品々だ。 

 おまけに竜安寺商会は統治に無関心なハガン候に代わって旧北方辺境伯領を任された。

 中身を知らなければ順風満帆、この世の春とみられることだろう。しかし、その内実は火の車でかなりの無理をしていると思われる。

 一つは九伯家への献金である。確かにハガン候との独占交易は多大な富を生み出しているのだろう。しかし貴馬種----私が遺伝子操作をした公爵家由来の種類だが、富蔵様はハガン候の貴馬種として世間には対処した----はようやく働けるようになったところであり、去年までは普通の馬で交易をおこなっていた。これは貴馬種を使った交易をベースに計算され、ギリギリの献金を求められていたのだから大赤字ということになる。しかも対外的には献金は秘密とされているのだから富蔵様にとっては非常に頭が痛い話である。なにしろ羽振りが良いと思われているだけに富蔵様に無心してくる貴族は後を断たず、それを無碍に断れば逆恨みをされるのだ。

 旧北方辺境伯領の統治も大きな負担だった。税金を碌に集められないからだ。この世界は元々税金といった意識があまりなく、統治者が気紛れに徴発するの(集めるシステム)だ。ところがこの徴発が貴族ではない富蔵様には困難だった。早い話が平民は貴族を恐れて財産を差し出しているだけだ。それでも貴族の権威があれば多少は集められる。現に権蔵様はファームル伯の名代として行っている----もっとも方々の貴族に権益を配っているためスムーズにできている側面はある----。富蔵様にそれができないのは統治者がカガチ様であることと旧北方辺境伯領の二点からである。ハガン候カガチ様は“蛮族上がり”であり権威が足りない。民のほとんどは王国側の苦戦を知らず『哀れな蛮族を寛大な王が憐れみ冊封してやった』と思っている。それでも貴族は貴族。普通なら問題ないはずだった。しかし任された土地の民は王国でも頭抜けた名門である九伯家の領民だ。彼らは九伯家の格の高さを先祖代々叩き込まれており、一方で北の民は未開な蛮族であり敵とする社会で育ってきた。その蛮族から委任を受けた富蔵様に従うことに強い抵抗感を抱くのも仕方がない話だった。しかも領民は徴発の拒否だけでなく、富蔵様の所では働きたがらない。旧北方辺境伯領は富蔵様にとっては貿易倉庫以上の価値はない土地だった。

 それにも関わらず支出は大きかった。前ナウル伯ボルグ様が北へと続く最低限の道を通したとはいえ、その維持整備は富蔵様の仕事だ。さらに他家の介入を避けるために最低限の治安は維持する必要があるのだが、この費用は全て富蔵様の持ち出しである。そしてもっとも大きな支出は旧来からの国境を見張る人員だ。これは密貿易・密猟の取り締まり目的であり、カガチ様らを封じ込めるために独占交易権に付随して富蔵様に課された義務であった。富蔵様にしてみても独占を維持するためには必要なことであり、また、失業した旧北方騎士団の軍属や下級の兵士たちに従来と同じ職を与えるという意味でも必要なことであった。

 また、ファームル伯領への投資も緩めるわけにはいかないという内部事情もある。なにせザルグ家の分家が権蔵様の支配を黙認しているのは開発の旨みという一点による。投資が途切れ開発が停滞すれば、分家たちが当主の失踪を申し立て、新たな当主を立てるとともに先代の名代である権蔵様追い出し、竜安寺家の権益を全て奪いにかかるのは目に見えていた。もっとも、おそらく分家側は血族ゆえに味方だと思っているだろうが、スチュワートは竜安寺家の全否定を目論んでおり分家側の行動を邪魔するだろう。さらに多くの貴族の権益が絡んでいる他、九伯家への献金もとであることや公爵家が意識しているパワーバランスの問題もあるのでその実現は不可能に近いだろう。所詮、彼らは引き籠り続けた田舎貴族達なのだ。情報収集能力、情勢の分析能力が足りない。しかし、だからこそ客観視できずに無茶をやる。訴えが却下されれば暴発しかねない。その矛先が権蔵様や富蔵様、あるいは竜安寺商会に向かえば壊滅的な打撃を受けることは免れない。したがってどうにか資金を調達し、ファームル伯領に投資をし続けなければならないのである。

 しかし今回(・・)の富蔵様の商売は比較的順調のようだった。時空コンピュータによればギリギリまで財産を処分するケースが多く、酷い時にはほとんどの物を担保に入れても足りず債務超過に陥ったケースまである。そこから貴馬種を利用した貿易と、いずれ訪れる九伯家からの献金の受け入れ拒否によって持ち直すのだ。ところが今回は利益率が悪い物件の処分程度で済んでいる。これはおそらく『船』の影響なのだと思う。『船』の噂は方々で聞くし、この風聞と実績が業績を下支えしているに違いなかった。



 しかし世界は概ね多くのケースと一致して動いていた。富蔵様の商売が順調だからといって何か大きな変化が期待できる理由はない。この世界では金の力が強くない。金がなくて不便を被ることがあっても致命的ではない。一方で金の力では解決できない事柄が多い……どころか、金で解決できることの方が少ない。金は静的には必要だが動的な力は弱いのだ。金の力で傭兵を掻き集めたところでちょっとした貴族一人に全滅させられる。貴族並の実力がいる暗殺者ギルドは金で動くとは限らない。実力のある貴族崩れは金を貰っても平民や成り上がりの新興貴族の下にいきたがらない。そしてたとえかなりの面子を集めることに成功したところで、暗殺者ギルドが総力でも挙げない限りは執事の穴出身者クラス(スチュワート)なら瞬時に壊滅させることができるだろう。例外である暗殺者ギルドは仮に動いても金の力では本気を出さない。金の力を動的に使ったところでその程度なのだ。


 やはり先代の伝言通りに世界には復元力があり一定方向に動くような力が働いているのだろう。言い換えれば、やはり私は無力であり流れは変えられない。むしろ足掻けば足掻くほど犠牲者が現れ、私と彼らを不幸にしていくのだ。

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