北方戦争18
翌日、私と富蔵様は牧場に寄った。それから九伯家へと向かったのだが、その道中の馬車でのことだった。
「随分と機嫌が悪そうだな」
「そう見えますか? 九伯家の当主との面会ですから緊張をしているのでしょう」
富蔵様にはそう答えたが、実際の心持は陰鬱とでもいうべきものであった。自分の目的の為に身勝手にもある一族を滅ぼした罪悪感が原因であった。
これはある意味では必然の事象だったのかもしれない。
その日、私は竜安寺商会に貴馬種相当の馬を提供するために牧場に寄ったのだ。
そこで私がおこなったこと。それは遺伝子組み換えであった。牧場にいた馬を公爵家の馬をベースに歴代の『私』が改良を続けて生み出した馬種と交換するのだ。お嬢様が使っていた馬はこれだった。すなわち竜安寺家が使用していた貴馬種とは公爵家の貴馬種からの盗用馬種だったことになる。
これにはいくつかの問題点があった。例えば遺伝子が同じであっても謎の力である魔法力も同等になるのか? 答えは少なくとも馬においては近いレベルにできた。馬の魔法力の大部分は餌由来らしい。遺伝子の影響は摂取した魔法力の蓄積容量と一度に出せる魔法力の出力、及び効率に影響を与えるようだった。もっとも、これらはこの世界で忌避されている努力ともいえる調教を施せばある程度は変わる。ただし貴馬種と普通の馬は別の生き物といえるほどの差があるので訓練でどうにかなる差ではないだろう。そしてこの貴馬種に関して言えば、特に調教しなくとも最高レベルの魔法力の容量と出力・効率を持っていた。魔法力の素となる餌に関しても、魔法力豊かな北方の地と独占交易ができる立場となる富蔵様には高品質な物の調達は容易であった。なにも飼い葉を食べさせなくとも魔法力の豊かな雪融け水を飲ませることでも十分なのだ。拒絶反応も蓄積されたデータでは生じたことがなかった。
最大の問題は私の精神的なものである。私がしたことは馬の精巣と卵巣の遺伝子を組み替えて次代以降を貴馬種にすることであった。これはその馬たちが先祖から受け継いできた子供の流れを断ち切ることに他ならなかった。托卵の挙げ句に元の血を断ち、血統を乗っ取らせると言ってもいいだろう。
これは理屈の上では気にすることではないのだろう。地球に居た頃は卵を産むために改良され続けてきたブロイラーに心を痛めたことはなかった。肉質を良くするために血統を厳選されてきた牛肉を素直に美味しいと食べていた。子孫を残そうと必死で血を求めてまとわりつく蚊は躍起になって殺そうとしていた。確かに、この世界に来てからは積極的に生き物を殺した覚えはない。時空コンピュータ等の力を借りないと虫一匹殺せないどころか羽虫にさえ殺される立場なのと、一切飲み食いする必要がない---実際には魔法力を含む物を食べると七転八倒の苦痛に襲われかねない---のも影響はしているのだろう。しかし今の私にとって肝心なのは必要性なのだ。必要性という意味では、生きるために食べるのと、未来のためにある馬の一族を滅ぼすのも大差がないのかもしれない。しかし、問題として、私は馬と話すことができてしまうのだ。
こうなると話は別である。意思疎通ができる相手を殺したり食べたり滅ぼしたりする社会では生きてこなかったのだ。
私は遺伝子組み換えに際して馬にこれからすることとその影響を説明した。馬がどこまで理解できたかはわからない。しかしどんな形であっても同意を得られなければ遺伝子を弄る気はなかった。いや、むしろ拒否してもらいたかった。私は卑怯にもそれを言い訳に罪を負うことから逃げようとしたのである。
しかし馬は快諾した。非常にカラッとした返事であった。その理由は『自分たちの間にできたならたとえ化け物でも自分の仔である』とそれ以外の答えなどないと断言までされた。さらには『遺伝子組み換えで自分たちの仔が大事にされて、安全で豊かに過ごせるならこれ以上望むことはない』と言い切られた。
私はそこまで割り切れなかった。覚悟や目標への純粋さにおいて私は馬にも劣るのである。その忸怩たる精神が暗澹たる気持ちを生み出していたのである。
それが九伯家の本家に着くまでの私の気持ちであった。
その九伯家の未来における富蔵様の館を十倍にした以上の広さの敷地に驚いたものだ。しかし真の驚きは邸宅本体にあったのである。
「バトラー」の肩書によって開かれた門を進むこと三十分、私の陰鬱な気持ちは吹き飛んだ。九伯家の邸宅はそれほどの衝撃を私に与えたのだ。もしピカソの絵を実際の建造物にして、それをゴッホが塗装したとしてもあの邸宅に比べれば非常に平凡で地味だろう。それほどまで奇抜で派手だったのだ。富蔵様からお嬢様へと連綿と続く悪趣味なまでの派手好きのルーツはここにあったのだ。
その地球人の認識能力では正確には把握できない異質な建物の前で私達を出迎えたのはマルスであった。彼はかなりやつれていた。髪には白髪が混じり、こけた頬だけが原因ではない暗い影が表情に落ちていた。
「バトラー……。こうして直接会うのは執事の穴以来ですね。お久しぶりです」
声は非常に落ち着いたトーンであった。しかし、恨みと悲しみと悔やみと諦めと怒り、そういった負の感情がない交ぜになった視線を送られた。それはほんの一瞬であり、すぐに全ては寂しそうな微笑みに包み隠された。
「主がお会いになるそうです。ところでそちらの御仁は?」
「竜安寺商会の竜安寺富蔵様です。今日は私の付き人として御同行を願いました」
「竜安寺商会といえば北の地や本日のアポイントの件など裏で色々と動いていたようですが……彼が代表者ですか」
マルスは値踏みする様に富蔵様の全身を凝視した。
「まぁ、いいでしょう。それを込みで面会は了承されたのですから。付いてきてください」
マルスはそう言うと先導して屋敷の中へと案内した。
平衡感覚だけではなく、距離感、時間の感覚、上下さえもわからなくなる異様にして異質な廊下を抜けた先には大広間があった。
大広間の奥は高台となっており、玉座の様な場所に一人の老人が座っていた。威風堂々たる威容はその様な舞台装置がなくとも一目で彼が屋敷の主であると理解するのに十二分なものであった。
存在は迫力に満ち溢れ、圧ともいうべき空気を自然と発していた。以前の私なら間違いなく空気に呑まれ完全に委縮し言動に止まらず思考さえも奪われていたことだろう。その空気はこの時代に来る前に初めて富蔵様と会った時に感じたものに似ていた。もっとも空気の密度はかなり違う。密度的にはカガチ様の方が近いだろう。もっとも、カガチ様の空気とは質が違うものであった。
カガチ様の威圧感はもっと生身の、いわば動物的な恐怖を伴うものだった。自分よりも圧倒的に強く、そして何をしてくるかわからない恐怖とでもいうべきものだ。見ず知らずの大型犬が近づいてくる感じを数百倍にした感じと表現するべきだろうか? 経験はないがライオンの檻に入れられそこの主と対面したら同じ感覚かもしれない。
一方でこのフィリップ様の醸し出す空気は社会的な恐怖を帯びていた。いうなれば暴力団が発するものに近い気がした。もっともフィリップ様のそれと暴力団のそれは濃密さが段違いであろう。その密度には大物ヤクザやマフィアのドンでさえも飲み込まれるに違いなかった。
この世界のマナーに則り、部屋に入って三歩進み、一拍置いて傅いた。富蔵様も同様に動く。淀みなく洗練された動きは普段の言動とは違い礼儀作法をかなりの水準で習得しており、場数もこなしている証左であった。
「バトラーと竜安寺商会の会長だな?」
「左様でございます」
答えたのはマルスである。ここまではこの世界のマナーに則っている。
「もう少し寄れ」
フィリップ様の声は非常にしゃがれていた。そのかすれるような声に応じて私と富蔵様は一歩ずつゆっくりと近づく。
「バトラーはそこまでだ。もう一人はあと五歩近づけ」
フィリップ様の言う通りに私はその場で傅いた。一方の富蔵様は一歩、また一歩と歩を進める。そして五歩進んだ場所で私と同様に傅いた。
「商人は顔を上げろ」
富蔵様は言われるがままに顔を上げた。見なくともわかる。マルスは表情こそ変えていないが内心は驚いたことだろう。なにせ平民である商人を今回の来訪の主客であり貴族でもあるバトラーよりも近づけ、しかも顔を上げさせることなどはマナーとしては常識外だからだ。
「なるほど」
フィリップ様は満足げにそう言うと、マルスに指示を出した。
「儂はこやつらと内密に話す。お前は席を外せ。もちろん誰にも覗かれないように全力を尽くせ。お前も含んでだぞ」
「お言葉ですがそれはできません」
マルスは冷静に反論した。
「一つは身の安全の問題。誰が襲ってくるかわからないのです。私が席を外すわけには参りません。まして目を離すことなどできる理由がありません。もう一つは今回のバトラーの来訪は蛮族討伐の和睦の話と予想されます。それならば事は九伯家全体の話。九伯家に奉じる者として、また九伯家全体の総意として執事を任されている身では不利益が生じる可能性がある以上、この場から去ることはできません」
フィリップ様の退屈そうな小さな息遣いが聞こえた。
「そもそも儂を襲ってどうにかできる人間はこの世に何人いる? 目の前にバトラーがいるのに襲える人間はどこにいる? そのバトラーが襲ってきたらお前でどうにかできるのか? たしかに和睦の話は九伯家全体に影響が出る問題だ。だがな、今回は同時に極めて個人的な問題でもある。間接的には九伯家全体にも影響する問題かもしれぬが、それはあくまでも間接的な影響だ。よもやそこまで口を挟む気ではあるまいな?」
それは質問の形をとってはいたが、実質は有無を言わせぬ確認であった。マルスは納得していないが仕方がないといった心持ちだったのだろう。無言のまま縮地で出ていった。
「見苦しいところをみせたな。あいつはフローラを失ってから我が強くていかん」
フィリップ様は吐き捨てるように文句を言った。そしてすぐに興味を失った様子である。フィリップ様の関心は次のものに移っていたのだ。
「よく来たな、トミー」
フィリップ様の声色は朗らかなものに変わっていた。




