北の日々
カガチ様のお世話になっていた時期はそれなりに楽しかった。
北に住む人々は以前の私なら間違いなく苦手としていた人々だった。陽気で人懐っこく、活動的で、声が大きく、どんちゃん騒ぎが好きなタイプがほとんどだったのだ。そのような文化だったというべきだろう。何か理由を付けては集まって飲めや歌えの宴会を開き、些細なことでじゃれ合い感覚で殴り合いを始める始末。地球で過ごしていたら交流を持たない人種だろう。
しかし、もし彼らがその様な習性でなかったのなら交流を持てなかった。なにせこの世界に居場所は居場所がないと感じていたからだ。彼らが無遠慮に私のプライベート空間に押し入り問答無用で宴会に連れ出さない限り、私は不必要に出ることはなく引き籠っていただろう。
半ば不本意な形で始まった交流であったが、付き合ってみれば彼らは気の良い人たちであった。強引に勧められる酒や食べ物を断るのは逆に衝突を生むことなども学んだ。そして連日開かれる宴会などで一人の時間は極端に減り、幸子様や節子様のことを愚図愚図と考える時間は極端に削られていった。慣れるにしたがって、彼らと一緒の時間は楽しくなり、その楽しさに罪悪感を憶えながらも、それでも心が癒されていくのを確かに感じていた。
そんな日々でもあまり好きではないイベントもいくつかあった。その代表が『喧嘩』であった。この地方の人たちは殴り合いが大好きなのだ。最大の娯楽は殴り合いで、拳で語り合うのを何よりも好む人たちだった。
勢いあまって人が死ぬことさえあった。彼らはそれでも『喧嘩』をやり続けた。殴り合いに理由は不要で『強そうだから殴った。死んでしまったが殺意はなかった。反省はしていない』。そんな文化だったのだ。もちろん、できるなら死なない様にしているらしいが、『喧嘩』の楽しさが減るくらいなら、死んでも構わないと力いっぱい殴る。それで死んだら、むしろ『本気を出させた奴』と評価するのである。ハッキリ言ってついて行けない考え方だった。
そこで私が考えたのは『虹色軟膏』であった。北方の地でも『七色草』が王国では珍重されているとの噂は広がっていた。それに乗じて、すり潰してペースト状にした『七色草』にナノマシンを混ぜ込んで修復作用を与えたのである。高い粘性と軽度の炎症を起こす性質、適度な魔法力によって最も好ましいナノマシンの触媒であり、噂のおかげで極めて自然に使えた。もっとも普通にすり潰しても効果がないため、不思議がられたりもした。その辺りは「バトラーですから」で押し通した。
この軟膏のおかげで死者はいなくなった。ただ、ナノマシンの副作用によって肉体が一時的に弱まることから非常に忌避されたほか、軟膏があるからと、今まで以上に手加減をしなくなり、大ケガが多発したのも事実である。その後に起こった王国との戦争での結果を考えると『虹色軟膏』の作製は間違えていたのかもしれないと考えてしまう。
『喧嘩』の火の粉は当然ながら私にも飛んできた。なにせ『王国最強のバトラー』であり、『カガチ様に乞われてやってきた客人』である。腕試しが大好きな領民が殴り掛からない理由はないのである。
道を歩けば「こんちには」とにこやかな挨拶を交わした次の瞬間には拳が飛んでおり、肉体が爆ぜるなど日常茶飯事である。子供の頃にやった外国のネットゲームのPKを思い出した瞬間であった。
それでも私が越えなければならない試練であったとも思う。将来的にスチュワートと対立する可能性があった以上は、強いとはいえ、執事の穴出身者とは比較にならない住民たちの拳程度は軽くいなせるようにならなくてはいけなかったのだ。
むしろ、私が適応できなければならない試練はカガチ様との『喧嘩』であった。単純な戦闘においては最強と思われるカガチ様の攻撃に対処できるようになれば、理屈上は誰と戦っても最低限の対処はできるはずだったからだ。
などと理屈の上ではそうであっても、上手くいかないものである。それもそのはずで、石を易々と宇宙の彼方に投げ飛ばし、音を置き去る拳は大地を砕き、石が溶けるほどの温度でも平然とし、建物が崩壊するほどの衝撃でもビクともしない。そんな生物は地球人の肉体でどうかなるレベルではないのだ。
エネルギー上は肉体が消滅しかねないところ、『望んだ結果へと近づけさせる』魔法力の影響でそうならないのがせめてもの救いであるが、速過ぎる相手の捕捉さえも一苦労であった。もちろん私にはナノマシンがあるが、それをもってしてもカガチ様クラスになると脳の処理や肉体の反応が追い付かないのである。
そこで様々工夫を施した。工夫への方向性は執事の穴での経験があったのですぐに定まった。あそこでの経験で、執事の穴以上の相手と戦うには、ナノマシンの散布は必須条件なのは明らかだった。逆にナノマシンを濃密に散布できれば得られる情報量が格段に増えて、未来予測レベルでの動きが可能----それでもまだ速度不足----となる。他にも攻撃手段にもなるし、再生も捗るし、執事の穴ほどに濃度を高めればほとんど体内と変わらないレベルでエネルギーの操作さえも可能となるのだ。
血みどろの戦いをするか、執事の穴の様に長期間に亘って血肉をまき散らせば目標は達せられるだろう。しかし、スチュワートとの戦いを考慮すれば戦闘前に散布を終えるのが好ましかった。そこで私のとった手段は----。
「そりゃなんだ?」
カガチ様から恒例の『喧嘩』に誘われた私が持っていたのは拳銃であった。『Smith & Wesson Governor』。子供の頃に見た洋画に出てきた銃だ。拳銃なのに散弾を撃つ非常に変わった拳銃だったので印象に残っていた。その思い出を梃に時空コンピュータによって作り出したのだ。威力は低いし、射程も短い。すぐに拡散するために散弾範囲が広くなるが、それらはむしろ私の目的に合致していた。銃の反動や重さはそれらを打ち消せる私には関係がない。
この世界への影響を考えて武器の創作は自重していたが、色々と諦め初めた時期であり、この程度なら構わないだろうと創った武器だった。人に向かって初めて銃を撃った時でも躊躇はなかった。なぜなら実際にこんな感じだったからだ。
「魔法の一種なのか? 意味ねぇなぁ」
10メートル先からカガチ様に向かって放った散弾は一粒残らず彼の左手の上に乗っていた。そしてまとめて手の平で押し潰す。散弾銃では彼らには遅いし威力も低すぎる。まして、拳銃から放たれる小さな.401ゲージ弾である。これはカガチ様だからという話ではなく、この程度ならこの世界の住人の多くの者にとっては可能なことであったし、それが出来ない者であっても、当たったところで砂をかけられたような衝撃に過ぎない。地球人に対してさえ、距離が開けば致命傷を与えられない武器である。まして根本的に地球人とは異なるここ住民対しては言わずもがなだ。それはこれまでの経験で嫌というほど味わってきたし、確信もあった。それこそ最弱生物級の『ぷにゅ』でさえ、軽自動が高速で突っ込んだ程度の衝撃を出せるのだ。そんな世界の住民に対して散弾を拳銃から放つことに躊躇いはなかった。彼らにとっては『おもちゃ』なのだから。むしろ拳銃の反動に私の方が驚いたくらいだった。
散弾を放つ拳銃は相応しい道具だと思った。これならば真似されて強力な武器として生まれ変わることはない。なにせ彼らからしてみると武器ではないのだから。もっとも何かのアイデアのきっかけになるかも知れなかったが、そもそも『新しい何か』を作ることが好ましくないとされている社会である。それにこの世界の住民が本気を出せば0ベースでこれ以上のものを容易に作り出すこともわかっていた。ようするに大して影響のでない道具だと私は判断したのである。
散弾にはナノマシンを大量に含ませて利用する。これは事前に用意する。この点が大きい。様々な物を創造できるがナノマシンの創造は意図的にはできない。そのため、もし事前に用意して散布しなければ大出血でもしてようやく戦闘準備が整うのである。他の道具を使ってナノマシンを散布する方法もある。例えば霧吹きでナノマシン入りの水を撒くのも良いし、爆弾や手りゅう弾で拡散する方法もある。自動小銃や機関銃でばら撒くのもいいだろう。なんなら小さな弾丸を詰めたキャニスター弾を大砲から撃ち出すという手もある。しかし、霧吹きよりも遠くへ、小銃や機関銃より近くへ、爆弾よりも安全に、手りゅう弾よりも速く、大砲よりも手軽に、影響の出ない道具として、いわゆる弾丸よりも効率よく散布できる方法として思いついたのが散弾だったのである。
しかもこの世界の流儀として大荷物は品がないとされている。この世界のある程度以上の人間であれば、大砲どころか戦艦だって担げる。その理屈でいうならば『バトラーが担いで歩いた』としてもそれ自体は不思議には思われないだろう。ただ致命的に『下品』と思われるだけだ。それこそバトラーとしてはあり得ないと思われるレベルだろう。その様な文化的背景を考慮すると普通の散弾銃よりも小さな拳銃こそふさわしかったのである。
加えて散弾の良さは別にもある。カガチ様のように手で掴めば大量のナノマシンを直接相手に付着させることができる。低威力と気にせずに受けても同様である。散弾を迎撃して砕かれれば一層効率よく散布したことになる。慎重な相手なら避けるであろうが、それならそれで、射程の短さを活かして、射線上の地面にナノマシン入りの散弾をばら撒けるのだ。
他にも血液を小瓶に詰めて持ち歩く方法も考えた。そしてそれを血液内のナノマシンを利用し分子運動を起こさせ、焼き払うのだ。そうすれば燃焼と共に辺り一帯にナノマシンを拡散できるという寸法だった。
もっとも、これらの効果を確かめることはできなかった。それを確かめる前に国中に私の血肉はばら撒かれており、すでにナノマシンはあらゆるところに存在している状況になっていたのだ。
実験できたことの一つに『分身』という方法がある。これは『私を複製』することだ。自己の同一性などの問題から避けたかった方法だが、彼我の差を考えると拘っていられなかった。この手段を使ってから自分というものがぼんやりとしてしまった感がある。しかし今にして思えば、自分の構成物質を一から作り、地球の頃から一貫して同じものなど物質レベルで私の中には存在していないのに、なにを気にしていたかという話である。当の昔に私は構成する原子さえ合成された存在で、この宇宙に居場所などなかったのだ。
この『分身』であるが、空気中や散弾に含まれるナノマシンによって『新しい私』を作ることである。数はナノマシンの散布次第で何人でも創れる。全て私であると同時に私ではない。これのメリットはなんであろう? 戦力? 少なくともそれはない。地球人である私が百人、千人集まったところでこの世界の住民とは戦いにならない。万人以上集めても同じである。ゾンビが映画のように素手で戦車に対抗できる可能性の方がまだ高い。
それでは何のために『分身』を創るのかというと、理由は二つある。一つは情報処理能力の向上である。『分身』は時空コンピュータを通じて情報や感覚の共有化が図られる。その結果、単純に視覚や聴覚の感知地点を増やせる。もっとも音速を遥かに超えて動く相手に聴覚が役に立つのか、目で追いきれるのか、追いきれたところで反応が間に合うのかという種としての壁は依然ある。それでも反応に関して言えば執事の穴時代に克服済みであった。脳や神経を経ずに直接に時空コンピュータで処理する方法である。
動いたという情報が受容器官に届くまでに音速や光速のタイムラグがあり、さらに受容した情報を電気信号で脳に伝え、その情報を脳がやはり電気信号や化学物質で処理し、反応を決め、筋肉などに電気信号を伝える。この間0コンマ何秒。これでは遅すぎる。執事の穴でも認識前に風穴を開けられていたことなど日常的な出来事であった。だから、時空コンピュータの予測等で動きを事前に判断し、相手が動く前に反応する。その処理速度が上がるのだ。それらを含めて、姿なきを見、音なきを聞くといった一種の第六感の拡大効果が『分身』の一つの意味であった。
『分身』にはもう一つ大きな役割があった。スペアである。『分身』は『本体』に比べてナノマシンの含有量が少ないという致命的な問題がある。それでも『私』であることには違いなかった。従ってナノマシンに対する命令権もあれば時空コンピュータへのアクセス権もある。これによって肉体の修復中に伴う空白時間がなくなるのだ。『分身』が存在していれば『本体』が損傷を受けて活動不能に陥っても、再生が終わるのを待つまでもなく『分身』が行動を継続できる。いや、そもそも『分身』という呼び方も不適当なのだろう。『分身』であり『本体』でもある。肉体・形質に違いがあるわけではなく、記憶も時空コンピュータから復元がなされた同一の存在なのだ。その様な意味ではカガチ様との『喧嘩』が終わるたびに一体を残して崩壊させるというのは、自分のことながら残酷なことであった----とはいえ、人間の感覚は『同時に複数の自分』から得られる様にはできておらず、脳もその処理ができるようにはなっていないのだから仕方がない側面が強かった----。
この『分身』を応用して保険も掛けられるようになった。『情報の入れ物』たる肉体『スペア』を事前に創っておき肉体が壊され活動が不可能となった時にそちらを本体とする方法である。これはこれまでやってきたように、各地に肉片をばら撒くよりも確実で早く動ける方法なはずであった。しかし常時『分身』を活動させるのは精神的な負担が大きい。元は同じでも、別々の感覚、別々の思考となった『私』の精神活動を共有するのだから当然だろう。それならば、共有しなければどうなるだろうか? 完全に『私』から独立した『複製体』の作製である。それは自己の同一性の保持から不可能とされた。もちろん同一の遺伝子を持つクローンなら創れるのだろうが、同じ肉体を作り出し、同じ記憶を持ち、時空コンピュータやナノマシンを共有することは不可とされたのだ。たしかに、『私』の命令と『複製体』の命令に齟齬が生じた場合の混乱や思想が異なってきた場合----時間と共に違ってくるのは必然----のリスクを考えれば、その方が賢明だろう。そしてなによりも『私』自身が『私』と異なる『私』が存在することに関して否定的な感情が強かった。それが時空コンピュータに影響を与えたのだと考えている。
それではどこまで同じであれば『私』であり、どこまで違えば『私』ではないのか? 私自身の線引きは精神の共有であった。もしかしたら、時空コンピュータやナノマシン、精神の共有を避ければ創れたのかもしれない。しかし私にはその実験はできなかった。それは『私にそっくりな他人』の創造であり、その死やその『他人に情報を移す』ことに私が耐えられなかったからだ。そこで私がとった方法は『活動を停止した肉体』の創造である。ナノマシンで維持だけされた肉体『スペア』を用意しておくのだ。
その『スペア』を北方の地の方々に埋めた。なにせ『過去の経験』では興奮したカガチ様によって細胞レベルで完全に消滅させられ再生に随分と時間がかかったことがあるようだからだ。
幸いにも『私自身』はカガチ様が原因で『スペア』を使うことはなかった。
北で過ごした日々は決して悪くはなかった。
「王国の連中がまた攻めてきましたよ」
カガチ様の配下から伝えられた一報はその日々が壊れる始まりだった。
「ぬ、もう停戦期間が終わっていたか。バトラーのおかげで退屈しなかったから忘れておったわ」
カガチ様は豪快に笑い飛ばしていたが、それは私の安寧の5年間も吹き飛ばすものであった。




