バトラー対カガチ
「バトラー! バトラー!」
準決勝となり会場は私への声援一色であった。
「一人くらいこっちを応援してくれてもいいじゃねぇか。なぁ、あんたもそう思うだろ?」
一方で目の前の青年はあくび交じりにその様をぼやいていた。
彼こそが私の準決勝の対戦相手、カガチ・デ・ワノフである。
会場の期待は只一点。目の前の無礼ながらも圧倒的な実力で勝ち上がってきた異民族の青年をバトラーが完膚なきまでに叩きのめすことであった。
しかし、それが容易ならざることであると知っているのは、九伯家との戦いの顛末を知るごく一部の観戦者と、会場にてカガチ様の実力の片鱗を感じ取った実力のある観戦者だけであった。多くの観戦者にとっては、所詮は異民族の青年であり、王国最強・最高の称号を持つバトラーとまともに戦える相手ではなかった。
「さて……。あんたは楽しめそうだ。まずは小手調べだ」
カガチ様は軽く伸びをした後に微笑むと一気に動いた。
それは当時の私では対応しきれるものではなかった。できることといえば、衝撃を全部逸らすことくらいだった。これは普段やっているようなエネルギーの打消しではなく、単純に衝撃のエネルギー分をそのまま移動エネルギーに変える、すなわち吹き飛ぶというものだった。
カガチ様からの攻撃に対応した急激な移動は脳に深刻なダメージを与え、私は意識を失った。当時は何が起こったのか全く理解できなかったが、夢の中では確認ができる。それは極めて単純な動きだった。カガチ様は真っ直ぐに私へと向かってきて、そのまま地面を這うように打ち出された拳が急上昇し私の顎に直撃したのである。
そして私が正気を取り戻したのは静止軌道上に打ち上げられた後だった。
当時の私は呼吸もままならない空間で長考へと入った。
幸いにも空気の有無や温度や宇宙線といったものは脳の活動へは一切影響を及ぼさない。一方で静止軌道からも時空コンピュータの力を借りれば地上の様子は詳細にわかった。その上、会場に散布し終わっているナノマシンからの情報もある。
常識的には絶対に安全な場所であった。しかし、宇宙から見た惑星の美しさに見惚れる暇はなかった。
会場で遥かな上空にいる私を肉眼で把握できているほとんどの観客と「降りてこい!」と文句を言っているカガチ様に気が付いて、やはり地球人とは根本的に異なるとの衝撃の方が大きかったのだ。それと同時に気が付いた。何にか? それは私を打ち上げることができるのならば、他の物も打ち上げられるという当然の事実だった。
見ればカガチ様は会場の石畳を砕いており、その一部を掌に乗せていた。そして小石の一つを指で弾く。
小石は音速を遥かに超える速度で私の方へと向かってくる。その初速は秒速17km。地球なら重力圏から脱出するのに必要な第二宇宙速度どころか、太陽系から脱出するのに必要な第三宇宙速度相当である。
宇宙へと旅立たんとする礫は魔法力の影響なのか燃え尽きることもなく、むしろその速度を増していた。
カガチ様は次々と小石を撃ち出す。その上、私が正気を取り戻す前から石を飛ばしていた。当時の私は時空コンピュータからの警告で気が付くが時は既に遅かった。警告から一秒としないうちに接触と相成ったのである。
当然の話として私に避けることなどできるはずもなく、圧倒的なエネルギー量を持つ物体の衝突により汚い花火が静止軌道上に散ったのである。
自動設定にしておいた『時の超克』で戻ること一秒。花火となる直前で私は再び目を覚ました。試合のルールに対応するため、致命的なダメージを受けた時や命を失った場合に自動で『時の超克』を発動させ一秒遡る様にしていたのだ。本来の使い方ではないため、効率が悪く、リスクも高い使い方である。しかし常識外の世界の中でもさらに常識外なカガチ様やスチュワートとの戦いでは気が付かぬうちに即死という可能性が非常に高かった。そのために講じた措置であり、それが奏功した瞬間であった。
とはいえ、残された時間は一秒。速度的に避けることは不可能----実際には魔法力の補正で多少の追尾・修正能力があったのでどうあがいても回避できない攻撃であった----。しかも当時の私には未体験の速度でありエネルギーの打消しに成功するとは限らない。そして打消しの失敗の度に一秒の『時の超克』を発動していては時空コンピュータの方が耐え切れない。だからと言って大気などを操ろうにも物質そのものがほとんど存在しない場所である。私が取れる手段は多くはなかった。
再び小石が接触しようとした。その時、辺りに閃光が走った。同時に小石が消滅した。
私が選んだ手段は小石の消滅であった。粒子に変換された元小石は高レベルの放射線となり、私の体を焼き尽くしながら通過していった。だが、この程度ならば自動設定されていた『時の超克』を止めておけば問題は生じない。
次々に届けられる地上からのプレゼントを分解しつつ、私はその返礼をした。熱光線をカガチ様に向かって照射したのである。カガチ様はそれを避けようともせず、全てを全身で受け止めた。ところがというべきか、やはりというべきか、一切動じた様子は見せず、服を含めて焦げ一つなく無傷であった。火力が足りないのである。もし、会場、あるいは王都全てを焼き払うほどの熱線を放てば、あるいは勝てたかもしれない。しかし、そのような選択肢が私にあるはずもなく、やむを得ず会場に向け推力を発生させ地上へと降り立った。
私が降り立つまで五時間以上必要だったが、カガチはそれを辛抱強く待ち、投石行動も控えていた。
「ようやく降りてきたな! やろうぜ!」
「参りました。手の打ちようがありません」
待ち続けた上に張り切っているカガチ様には申し訳なかったが、私にはこれ以外の選択肢はなかった。
「⁉ ふざけんなよ!」
カガチ様がうろたえた。そしてちらりと審判団へと目をやり、裁量権を持つがゆえに判断を下せていないのを確認すると私の方へと猛進してきた。
「あいつらも同じ意見だとよ!」
同時に張り手が私の上半身を吹き飛ばした。
「ちょ、ちょっと待てよ!」
カガチ様が再び狼狽した。今度は会場全体から悲鳴が発生する。審判団も混乱の極みといったところだった。バトラーの上半身が吹き飛ばされるなど誰も想像していなかったのだ。
「もう勝ちを決めてもよろしいのではないですかな?」
否。一人だけ例外がいた。スチュワートである。彼は当然のことのように審判団に対して決定を促した。
「そ、それでは……この勝負の勝者はカガチ・デ・ワノフとする」
予想外の結末にざわめく会場の中、私の上半身が再集合を果たした。その異形の様相にどよめきが起きた。
「それでは私はこれで失礼いたします」
服を創造した私はカガチ様と会場に一礼し、立ち去ろうとした。
「おい! これで終わったと思うなよ! 必ず決着をつけるからな!」
後ろからカガチ様の嬉しそうな声が聞こえた。
この時に私が考えていたことは、この世界では人間が走ることを品がないとし、特に上流階級にその傾向が強い理由についてだった。
カガチ様がやったように弾いた石が第三宇宙速度を出せるのならば、走ってしまうだけで第二宇宙速度に到達してしまうのではないだろうか?
この惑星やここの太陽系から脱出するのに必要な速度は知らないが、それでも少し加減を間違えれば惑星の重力の枷から解放されるのは間違いないだろう。だとすれば、全力で走ると自滅しかねない強者が、走ることを抑制するような文化にしても不思議はないだろう。なにしろ弱者が走って逃げたら、それを追いかけた自分たちが自滅しかねないのである。それならば誰も走らせない。それが自衛の策として有効なのだと想像ができた。もっともこの世界の住民だと宇宙に出ても死ぬか怪しい部分もある。
なんにしても、まだ世界に関心があり、自分という存在に絶望していなかった時期であった。




