昼休み
武闘会は異例の速さで進行した。私やスチュワートやカガチ様の戦いがすぐに終わるからである。しかし、それでも他の者の試合はそれなりに時間が必要であったし、なによりもボルグ様は時間をかけて執拗に嬲るうえに、血肉で会場を汚すためにその度に清掃の時間が必要となる。そのため余計に時間がかかるのである。それでも今回は私の言葉を受けた運営側が降参を容易に認めるようになったために短いのだという。
従来であれば下手をすれば一か月以上の日程を必要とする大会であったのだが、今回は昼休みを挟んで準々決勝があり、一日で終わりそうだった。
それは昼休みのことであった。
大会側が用意した食堂では様々な料理が振る舞われていた。私はスチュワートに言いたいことがあったし、彼もそれを察していたのだろう。食堂の隅で自然と二人で対面して座った。スチュワートは私の方にまで酸の匂いが伝わる緑色のスープを啜っていた。
「……食べないのですか?」
スチュワートの第一声であった。スチュワートの言う通り、私の前に皿はない。幸子様と節子様を失って以来、私はなにも食べなくなっていた。命を糧にする必要がない存在が悪戯にそれを貪るのは不自然であったからだ。命を喰らい、命を育むという輪から外れている私にはその資格はないのである。もっとも、後にその考えは少し改められ、勧められる限度において最低限は口にするようにした。断るというのも問題なのである。
「それよりも聞きたいことがあります」
「先ほど言いかけた竜安寺絡みの話ですか?」
「ええ。おっしゃる通りです」
スチュワートの方でも出場登録の時の話が気になっていたのだろう。こちらが全てを言う必要はなかった。
「竜安寺への報復……復讐といってもいいのでしょうが、それを諦めろという話ですか?」
「粗方、その様な話です」
スチュワートは鼻で笑った。
「あなたは昔から執事離れをした考えをお持ちだ。昔から思っていたが、なぜ執事の穴へ入れたのか不思議で仕方がない」
勘気に触れたのかスチュワートの言葉がやや荒れた。
「我々は主の為に生き、主の為に死ぬ。しかし執事の穴の契約で殉死ができない。主に仕えることすら叶わなかった私は生き続けなければならない。ではなんのために生きるのか? 答えは明白でしょう」
「それが竜安寺への復讐ですか」
スチュワートは首を横に大きく振った。
「復讐だけなら簡単です。なんなら今から竜安寺権蔵の所に行って家人ともども皆殺しにすればよいし、おまけで富蔵や竜安寺家の利権分配に与っているダニどもも駆除してもいいでしょう。私なら一週間もあれば終わるでしょうから」
スチュワートは嘘を言った。彼がその気になれば一週間もかからないのだ。縮地を使えば距離も障害物も無視して接近できる。いや、それを使うまでもなく正面から堂々と行っても無人の野を行くのと大して変わらないだろう。歴代バトラーに匹敵する実力とそこらの貴族とではそれほどの差がある。
「しかし、それでは駄目なのです。それはアンリ様の為ではございません。単なる私の自己満足ですから」
スチュワートはスープを掬い、私の理解を確認するかのように少し間を開けた。
「私はアンリ様の愛した故郷を取り戻したいのです。あの緑豊かな大地を。飢えを知らない領民たちの笑顔を。罪とは無縁の純朴なる文化を」
そして私の感情を探る様にまっすぐに目を合わせてきた。
「その為には竜安寺の排除だけでは足りません。竜安寺を徹底的に否定し、彼らの足跡や影響を完全に排除しなければならないのです」
「その過程で多くの領民が不幸なことになると思いますが?」
私の質問にスチュワートは理解できないと小首を傾げた。
「もしかして移民達を領民に数えていませんか?」
「……」
私の無言を肯定と受け取ったスチュワートは呆れたように溜息をついた。
「彼らはアンリ様の領民ではありません。竜安寺の手先となって領土に巣食うダニどもです。美しい大地を汚す寄生虫と言ってもいいでしょう。彼らは領土に不正と悪徳と不平等を振りまきます。そのせいで領民たちはどれほど辛い目にあっていることか……。あの連中は畑を荒らす害虫となんら変わりがありません。本来のファームルの文化が嫌なら自分の生まれ故郷に帰ればいいのです。故郷に帰れないなら他の場所でもよいでしょう。ただアンリ様の思い出を汚すことは認めません」
そして再び小さな溜息をした。
「そのためにも私はある程度の後ろ盾を得て、竜安寺の血を汚し、竜安寺の業績を否定し、領民たちの脳裏から竜安寺を消し去り、大地も元に戻して彼の地をアンリ様の知っている姿に戻さなければならないのです」
反論はできる。例えば外の文化を受け入れたのは当の領民たちであること。一度外の文化を知ってしまった以上は元には戻れないこと。体感的には貧しくなっても実際には所得は上がっていること。出生率や寿命が延びていること。愚民化政策ともいえるファームル伯の歴代統治により移民に重要な仕事を任せなければならない程に能力に致命的な差が生まれていたこと。
しかしそれらはスチュワートにとっては些細なことなのである。スチュワートの望みは彼が思うアンリ様の欲した統治に戻すことだ。そこには個々人の生活や思いなど関係なく、統治者から見て旧来と変わらなければそれでよいのだ。
非難する気持ちや咎める気持ちもあるが、私にはそれを口にする資格はなかった。そもそも私は部外者である。この世界の出身者ですらないのだ。日本の常識で彼らの文化・思想を否定することはできないだろう。さらに私はこの世界に足を置いていない。飲まず食わずでも問題なく、道具も0から創れる。その様な社会の輪から孤立した、独立した存在が他人の豊かさが云々などということができるだろうか? 死なない存在が命の尊さを語れるだろうか? それ以上にスチュワートと私になんの違いがあるのだろうか? 違いは過去に自分の分身を送れる。ただその一点のみだ。それ故に『私』はお嬢様の死を受け入れられずに延々と『私』を過去に送り続け、その度に『私』を含めた多くの人を不幸にしてきたのではないか? それならばアンリ様の死を受け入れているスチュワートの方が人としてはまともなのではないだろうか?
「用事はそれだけですか?」
沈黙を続ける私にスチュワートが訊ねてきた。止めたいが止められない。そう思っている時に私達に影が差した。
「おう。あんたらはここにいたのか」
カガチ様が脇に立っていたのである。トレーに山盛りの食べ物を乗せた彼は無遠慮に私達の隣に座った。
「しかし面白くない連中ばっかりだな。あんたらが出てなけりゃとっくに帰ってるところだ」
その時スチュワートの視線が一瞬だけトレーの上に移った。そして極々わずかだが、たしかに表情が動いた。執事の穴で長らく一緒にいたから気が付ける微妙な変化であった。現にカガチ様もスチュワートの視線の動きには気が付いたものの意に介する様子はなかった。
「特にあんたの触っただけで衝撃を与える奴。あんなのは初めて見たぜ」
カガチ様はそう言いながらトレーの上から丼を手に取った。
「しかし、あの時間をかけて人を切る奴は目障りだな。アイツがいなけりゃとっくにお前さん方と遊べたってのによ。ぶん殴って終わらせたくなったぜ」
カガチ様が丼を掻き込もうとした時、私は自然と言葉を漏らしていた。
「それには毒が仕込まれていますよ」
スチュワートの態度を不自然に思って食事を分析した結果だった。この世界の人間に対する毒が検出されたのである。
カガチ様は丼をしばらく見つめた後「あの野郎……」と小さく呟いて席を立った。
カガチ様は配膳係に文句を言って交換をして貰っていた。彼にとって命を狙われるとはその程度のことなのである。これはボルグ様の仕業だった。運営にも顔が利く彼ならばそれくらいのことは容易いことだったろう。カガチ様を蛮族として快く思っていない人も多い。協力者もいくらでもいたはずだ。しかし、ボルグ様の目的はカガチ様の毒殺そのものではなく、それを対戦相手である私の犯行として失格させることだったはずだ。
カガチ様が立ち去った後にスチュワートが軽く笑った。
「蛮族にも塩を送るとは相変わらず人が好いというべきですかな」
そして何事もなかったかのようにスープを啜る。
「あの程度の毒で何とかなる相手ではありませんが……少しは有利に戦えたものを」
スチュワートは口を拭った。彼が気にしていない様に、仮にカガチ様が毒を飲んだとしてもバトラーである私の犯行とされることはなかっただろう。ボルグ様が思っている以上に世間のバトラーへの信頼は厚いのである。
「強者の余裕とも違う、あなたのそういうところは好きですよ」
スチュワートは同時に微笑むとすぐに続けた。
「さきほどの私の発言を真に受けて簡単に心許したりする部分もそうです」
彼はそう言うとトレーをもって机を立った。




