ファームル伯領
ファームル伯領は記憶の姿とは大きく変わっていた。
かつて私が寝泊まりしていた町は、東西南北には王都以上に太い道路が貫き、それを幾重にも囲む環状の道路が繋いでいた。その整備された区画を馬車がひっきりなしに走り回り、人の往来は途切れることはなかった。ところどころ道の舗装が完了していないのは街の発展に整備が追い付いていないからだろう。その喧騒は先代バトラーがいた頃のマサラ鉱山を遥かに上回るものであった。
街の人口は当時の十倍は優に超えているだろう。住民の言葉に聞き耳を立てると方々の方言が混じり合う。その混沌とした雰囲気は他所からの流入者が如何に多いかを物語っていた。言葉はどれもあまり上品ではなく、話の内容は無教養であった。いずれも移民たちなのだろう。ただ、王都の方言に近いマサラ子爵からの移民と思われる人たちに限ってはそうではなかった。これはマサラ鉱山が既に斜陽にあり、まっとうな職に就いていた人たちでさえあぶれてしまったことを意味していた。もっとも当時の私はそこまで頭は回らずに、時空コンピュータに蓄積された方言や社会階層ごとの言葉遣いのデータに驚いていた。
権蔵様を訪ねた私は当然の様に竜安寺商会の支店があった場所に向かった。ところがそこは道路になっていた。
「ここに竜安寺商会があったと思うのですが……」
仕方がなく歩いている男に尋ねた。
「あんた竜安寺の関係者かい?」
訛りからするとファームル伯領の出身者だったのだろう。当時の私は男の警戒と敵意の籠った視線に驚いたものだった。
「いえ、そうではありません。十年ぶりに訪ねてみたのですが、街並みの様変わりに戸惑っているのです」
権蔵様や富蔵様に雇われているわけではないので関係者ではない。詭弁ではあるが嘘ではない。敵意の原因諸々を知りたかったのである。
「まぁ、竜安寺の関係者だったらこんな場所で竜安寺商会のことを聞かないよな」
男は納得した様子で頷いた。そしてしみじみと続ける。
「十年前か……。あの頃は良かったよなぁ。レオン様もアンリ様もよくお姿を見せてくれてよ。悪いことをする奴なんか一人もいなかった。みんな貧しかったけどせせこましく働く奴なんかもいなくてよ。お前さんもそう思うだろ?」
「ええ、そうですね。ここほど大らかな人々が集まっている場所はありませんでした」
男の話を聞くために笑顔で同意してみせた。もちろん私自身もそう思っていることだった。
「そうだよなぁ!」
私の同意が嬉しかったのか男は目を細めた。
「どうしてこうなってしまったのでしょうか?」
「そりゃ竜安寺のせいよ! どうやったのかレオン様に取り入って政を誤らせたのよ」
よほど不満が溜まっていたのか、男は怒りと鬱憤を晴らすかの様に声を荒げた。
「あいつが政治に参加してから俺たちの生活が奪われたんだ」
軽い歯ぎしりの音がした。
「そんな政治を初めの頃は俺たちも歓迎しちまったのが悔しくてよ」
早い話が町の変化は権蔵の改革の結果であった。男が言うには、初めの頃は珍しい物が手に入ったり、変わった料理に舌鼓を打ったり、見たこともない遊びに夢中になったり、医者が村に巡回したりで住民たちは大いに喜んだらしい。ところが、そう間をおかずに自分たちの暮らしが貧しくなっていくのを実感したらしい。一部の者以外は珍しい物を手に入れる金はなく、いままで飢えなど知らなかったのに作物は必要な分まで輸出に回され満足に食べられなくなり、外部から訪れる者の生活を見て自分たちが惨めになり、医者も貧乏人をなかなか診てくれなくなったという。さらには経済が拡大しても良い仕事は移民に回されてしまうという。これはおそらくだが、のんびりとした生活を送ってきたファームル伯領の住民とがむしゃらに働く移民たちとでは労働生産性に大きな隔たりがあるからだろう。しかし地元民としては一生懸命に働いているつもりだから、よそ者に良い仕事を奪われ彼らの方が良い生活していると映るわけである。そこに輪をかけて犯罪率の増加である。今ではファームル伯領の従来からの住民の中にも盗賊の真似事をする者が出てきているという。そんな盗賊モドキの住民にさえ容赦なく凶刃を振るうのが現治安維持部隊であり、その音頭をとっているのが権蔵様である。それら全ての責任を権蔵様に押し付け、許せないと憤っているようだった。
この男にとっては、経済規模が大きくなっても実際の生活は貧しくなり不平等感ばかりが募る上に、治安は悪化するし、その元凶である権蔵様は落ちぶれて犯罪者に身を落とした地元民を容赦なく殺しているように感じているのだろう。ただ、男の怒りの根源は別の場所にあった。
「竜安寺が勢いを増すごとにレオン様、アンリ様を徐々にお見かけしなくなってよ。ついには二年前にアンリ様が亡くなるし、それからというものレオン様もすっかり覇気がなくなって、その隙を狙って竜安寺の野郎は平民の癖にすっかり領主気取りってわけだ。しかもそのレオン様も竜安寺の発表じゃ最近旅に出たって話でよ……」
男は急に声を潜めた。
「ここだけの話、竜安寺がレオン様を弑逆したなんて噂もあるくらいだ」
ここで男は我に返ったようだった。
「いや、今の話は忘れてくれ。まかり間違っても俺から聞いたなんて言わんでくれよ。殺されちまう。なんにしても俺はあの僭主野郎が許せないわけよ」
男は言いたいことを言いたいだけ捲し立てると逃げる様に去って行った。




