さらば執事の穴
執事の穴でバトラーの心得の様な簡単な講習を終えると『不可能を可能にするバトラー』との二つ名を貰った。バトラーは識別の意味も兼ねて二つ名を贈られるのだ。ちなみに先代のバトラーは『微笑みのバトラー』である。
講習を終えた後は執事の穴を後にしてファームル伯領へと向かった。権蔵様へバトラー襲名を報告するためである。道中、色々と考えたり妄想したりしていたはずだ。
考え事の一つはカイトのことであったように記憶している。カイトが私に向けてくる尊敬や好意に対して今一つ信用しきれなかった理由は主人の為には周りを何とも思わない執事気質ではなく、スチュワートに似ていたからだと思い至っていた。一方で楽観的に考えてもいた。ファームル伯領時代から執事の穴を経て十年以上苦楽を共にしたことから、友達、いや戦友ともいえる気持ちになっていたからだ。カイトが別れ際に「ファームル伯領に行くのですか? それならば自分の目で見て判断してください。願わくは、あなたが……バトラーが敵とならんことを祈っています」とまで言われたのに、この世界の執事というものを全く理解せず、カイトの覚悟を甘くみていた時期であった。
むしろ戦友感覚のカイトに対して騙したような形でバトラーを襲名したことを申し訳なさすら感じていた。一方で当時はスチュワートと呼ばれることがどれほどのハンデか想像していなかったから、単純に彼が望んでいたバトラーの襲名を妨害してしまった程度の気持ちであった。これらの気持ちを竜安寺一家の安全を図るためには仕方がなかったと正当化していた。バトラーなどという肩書には意味がなく、その肩書に見合うだけの実力がないにも関わらず、自分は『バトラー』であると勘違いしていた時期でもあった。
この時の考え事はカイトのこともそうだが、大部分は竜安寺一家、それも節子様の成長に費やしていた。それこそ名を挙げんとする者たちに襲撃されている最中であっても例外ではない。煮えた鉄の中に放り込まれようと、四肢を八つ裂きにされようと、水中深くに沈められようと、『節子ちゃんはどうなったかなぁ? お嬢様と同じくさぞ美人に育ったことだろう。もう十年も会ってないから忘れられているかな? さすがに指を折に来るような年じゃないよね? お嬢様似の美人に小指をぎゅっとされたら勘違いしちゃうな』などと常に半笑いを浮かべていた。度々襲ってきていた暗殺者ギルドの所属員からはいつしか『不死身のバトラー』などと呼ばれて正式な二つ名である『不可能を可能にするバトラー』とは呼ばれなくなっていたが些細な問題である。
いや、今となっては全て些細な問題だったのである。ただ、この時の私はリュートやカイトのことを忘れてバトラーになった高揚感、万能感で竜安寺一家を守れるとの自信に溢れ、前途は洋々と思っていた。




