去る者
ゴーダが再起不能になった一件から組手は行われなくなった。
一方のカイトはというと、元々完璧であった礼儀作法は執事の穴の卒業生である教官達でさえ脱帽する水準に達し、今まで目立って低成績だった魔法の実技もファロスに勝るとも劣らない成績を見せ始めた。これが彼の本来の能力だったのだろう。教官たちはファロス同様にカイトの実力を見抜いており、退所させなかったというわけである。そういう意味ではカイトの本当の実力を見抜けず、それだけでなく教官たちが劣等生を執事の穴に残し続けた意図を理解できなかったゴーダはそもそも一流足りえない人物だった。
しかし、ゴーダの脱落とカイトの豹変は教官たちにとっても予定外だったのだろう。これ以上カイトによって脱落者が発生すると来期以降の教官が不足し、今後の執事の穴での育成に悪影響が出ると思ったに違いない。それを防ぐために組手を止めたと考えられる。
もちろんカイトの暴力を危惧したのは教官達だけではなかった。
執事の穴に来て十年が経とうとしていた。ここでは一期が十年なので私たちはそろそろ卒業であり、もしこの期からバトラーが出なければ二期が開かれる。そんな時期にフローラとマルスが挨拶にやってきた。
「アタシたちは帰るわ」
少女から女性へと成りかけていたフローラはあっけらかんと言った。
「僕らとしては退所が好ましくて去年から申請していたのですが認められなかったので……」
フローラの身長を追い抜きながらもいまだにどこか気弱な雰囲気を漂わせるマルスは遠慮がちであった。
マルスの言う『退所』とは執事の穴が認めた一種の縁切りである。執事の穴を出る場合には三つのケースがある。一つ目は卒業、いわゆる“出身者”であり、広義にはバトラーもこれに含まれる。二つ目は“正式な”退所。これは執事の穴“から”縁を切られるものであり、一種の退学処分である。三つ目は逃亡。“実質的な”退所であり、執事の穴“へ”通わなくなることである。二つ目と三つ目の違いは執事の穴へ所属しているかどうかである。多くの場合は逃亡後に正式な退所処分が下されるために大きな違いはない。しかし、フローラやマルスの様なほぼ卒業状態で、かつ、今期の様に卒業者が少ない場合は意味合いが異なってくる。
執事の穴に所属しているということは後進の育成に協力する等の卒業者と同様の義務が課されるのだ。通常は卒業者が教官を務めればよいのだが、足りない場合などには卒業者相当の実力者が駆り出されることになる。一方で退所者と違い、実力については執事の穴のお墨付きということである。九伯家の紐付きであるフローラやマルスに実力の保証は不要であり、義務を果たさなければならない分退所の方が好ましいというのは理解できる。
「今頃になってなんでまた?」
夢の中の私はそう口にした。
「そりゃカイトに壊されたら困るもん」
フローラの言葉をマルスが継ぐ。
「僕らの勝負所はここじゃないのでリスクはあまり犯したくないんです」
「君らがカイトに何かされるとは思えないけど?」
いつの間にかいたファロスが疑問を提示した。
「う~ん……どうだろね? カイトの目的の第一がバトラーの襲名だとしたらウマ以外は全員自分よりも平常点では先行してるわよ」
フローラの言い分によれば先行者は全員カイトによる破壊対象である。
「なんにしても、卒業試験、バトラー襲名の最終判断の試験での組手で大ケガをしたり命を落としたら馬鹿らしいので僕らは止めておきます。それほどバトラーに拘っているわけではないですし、そもそもバトラーに届く能力でもないのですから」
マルス達の判断に意味があったのかはわからない。たしかに当時のカイトの第一目標はバトラー襲名であった。そういう意味では有力候補であるゴーダを潰す意味はあったのだろう。しかし、 後に知った事情も勘案すると、カイトにとってのベストは自分がバトラーとなることであった。しかし、それが叶わなければ誰かにバトラーになってもらうか、自身を『退所』させて欲しかったのだろう。そして最悪は執事の穴に所属したままバトラーも決まらず最低でもさらに十年間、今度は教官として拘束されることであった。
そういう意味ではファロスがバトラーになれば教官にならずに済むので、ゴーダの排除はファロスへの援護という側面が強かったのだろう。これを重視すればバトラー襲名の目はなく、ファロスの障害にもなっていない二人を脱落させる意味はない。バトラーが決まらない場合に拘束から逃れる方法は『退所』させられるか“執事の穴の盟約を反故にする”かである。前者についてはカイトも「退所させられるものならしてみろ」とむしろ教官を挑発するレベルであり、ゴーダへの過剰な暴力も問題児として『退所』させて欲しいとのアピールでもあったのだろう。こちらを重く見れば、このアピールをさらにエスカレートさせればフローラやマルスに対してもゴーダと同様の行為をとった可能性があった。もしそうならマルス達の判断は正しかった。後者に関して言えば、カイトにはあり得ない選択肢だった。もしそれを選択すれば、良くて誰にも相手をされない。最悪の場合は執事の穴出身者と後援者が総出で襲撃をかけてくることになる。そんな人間を雇う者も同罪とみなされることから雇用先もない。世捨て人として社会を捨てて、かつ、襲撃から逃げ回る人生でも構わないなら、後者も選択肢に入っただろう。
なんにしても教官不足が目に見えている中でマルスとフローラの『退所』は認められるはずはなく、彼らは自主的に執事の穴を後にしたのだった。
それからほどなくしてバトラー襲名の可否を巡る今期生にとって最後の試験の開催が発表された。




