カイト
「ウマさん。バトラーになることにしました」
カイトにそう言われたのは、執事の穴での生活も8年目の半ばも過ぎた頃だった。
当時の私はリュートに対する自責の念が徐々に薄らいできた時期であった。不幸なことに私を責める人はいなかった。理由は二つ。一つはどのみち手遅れであったこと。もう一つはゴーダを除けば教官を含めてリュートに対する関心が薄かったからである。リュートは面倒見がよく人気のある人物であった。しかし、それは面倒をみられる必要のある下の者からの人気であった。リュートよりも前を行く最終組のほとんどの者にとっては関係のない話だったのだ。
例えばファロスは基本的に他者に興味を抱かない。自分にとって関係がありそうな場合にようやく関心を抱く程度だ。そして他者への干渉もほとんどしないので究極的にはリュートがどうなろうか興味がないのだ。フローラとマルスは自分たちと主家である九伯家にしか興味がない。これもやはりリュートがどうなろうと知ったことではない。カイトはここ数年自分の殻に閉じこもっており、リュートからの世話などお断り状態だった。教官たちはもっと極端で、既に執事として主をもっており、執事の穴の出身者として教官をやっているに過ぎない。当然ながら関心事の九割以上は置いてきた主に割かれていた。ただ、唯一ゴーダだけは違った。
ゴーダはリュートに心を開いており、尊敬しているようでさえあった。執事の穴の中で唯一、純粋に心の底からリュートを心配していたと言ってもいいだろう。彼はリュートが息を引き取るその日まで常に付き添っていた。
ゴーダはリュートがいなくなってからカイトに対して一層厳しく当たった。いままではリュートが止めていたのでゴーダの行動を制止する人物がいなくなったのも関係あるだろう。しかし「リュートの代わりにテメェが死ねばよかったんだよ!」とカイトに暴行を働くことも多かったのでそれだけが原因ではないだろう。思うに、一つはリュートをなくしたやるせない気持ちの八つ当たりであった。あるいは、偽悪家の傾向があるゴーダはリュートの二の舞を避けようと、単純に劣等生であるカイトを辞めさせようとしていたのかもしれない。いずれにしても今からしたら意味のないことだった。
それはカイトの宣言から一週間も経たない日のことだった。
その日は不定期に開催される組手が発表された。組手は、私はファロスとフローラはマルスとカイトはゴーダという組み合わせであった。
ファロスとの組手は正直に言って憂鬱であった。ファロスは私の再生力を見越してか威力を抑えた攻撃をしてくるのである。この威力を抑えた攻撃は痛覚遮断に至らない攻撃であるために痛みや苦しみを味わうものであった。負けを宣言するのは屈辱的であったが普通に戦ってどうにかなる相手でもないので、殴られる前に早々に降参することにしていた。とはいえ、やはり負けを認めるのはなんとも嫌なものであった。
そんな気持ちだっただけにファロスがゴーダに提案したことは夢の再現がなくとも印象に残っている。
「今日の組手はウマさんと交代してもらってはどうですか?」
自分たちの試合の総括を二人でやっていたフローラとマルスは、それを中止してファロスの方を見た。交代した場合、ファロスは勝率の悪いゴーダを相手にしなければならないだけに、なんとも妙な提案だったからだ。
「ウマさんはカイトに負けてやっているようだから、劣等生に勝ち星をくれてやれってか?」
ゴーダはファロスにからかうような笑いを向けた。
「……なんてな。カイトの様子が変だからウマさんで様子を見ようって腹なんだろ。俺が雑魚はどうやっても雑魚ってことを教えてやるから見てろって」
そう補足してファロスの提案を一蹴すると彼は組手へと向かっていった。
「なんでお前が退所処分になっていないのか不思議なんだが……いい加減に自分から辞めたらどうだ?」
ゴーダは組手会場でカイトと向かい合うといつもの様に憎まれ口を叩いた。
「……」
そしてカイトもいつもの様に無言であった。だが、いつもと違うところが一つあった。
「ぐがっ……」
カイトが無言で繰り出した神速の抜き手がゴーダの喉元に突き刺さったのだ。ゴーダに油断はなかった。組手会場に上がればいつ開始しても良いことになっているのだ。普通は挨拶くらいはするものであるが、だからと言って挨拶前に奇襲をかけても問題はない。むしろ隙を見せて奇襲を成立させてしまった方が問題なのである。そして隙を見せるような人間はここまで残っていないのである。
カイトが喉から攻撃したのは降参をさせないためであった。ゴーダは喉を潰されながらもすぐに反撃しようと構えるが、カイトはそれに構わず人間の目では捉えきれない連撃を繰り出した。ゴーダの構えが徐々に崩れ、全身が血塗れになっていく。目にも止まらぬ動きであるが、それがカイトの攻撃を証明していた。
「なんだよあれ……」
フローラが呆然と呟いた。
「カイトの本気というところでしょう」
ファロスが深刻な口調で言った。
「だから『追い出そうとしても無駄』だし、下手に刺激するのは『止めて欲しい』と言っていたのですが……」
「カイトが本気じゃないって知っていたんですか?」
「ここに着た直後にウマさんと同じく汗をかいて散歩をしていた時から気が付いていました」
ファロスは何の感慨もない調子であった。
しばらくするとゴーダの全身は真っ赤に膨れ上がった。
「体術、魔法力、分配力、どれも圧倒的じゃないか」
フローラはそう評した。ゴーダの劣勢は、候補者中最速の魔法力の分配が可能な彼をしても魔法力の移動が間に合わず、かつ、カイトはそれよりも速く分配ができているということだった。
「なんだって急に本気になったんですかね? まさか八年目にしてゴーダの嫌がらせに怒った……なんてね?」
マルスが私かファロスの回答を期待して質問を出した。当時の私には答えがわからず無言である。
「さすがにそれはないでしょう。バトラーの責務を負いたくなかったのに、責務を負ってでもバトラーになりたくなった理由はあるのでしょうが……」
ファロスの答えであった。そのファロスの顔色が変わった。
「それは駄目だ‼」
ファロスが叫ぶ。同時にカイトが爆炎に包まれた。ゴーダが苦し紛れに魔法を放ったのである。その時の私は急激な気圧の変化に鼓膜や目をやられた苦痛で自分のことしか頭になかった。しかしここは時空コンピュータに蓄積された情報である。当時はわからなかったこともありありと確認できる。
カイトは爆炎に怯むことなく、逆にゴーダの目に指を突き刺し、鼻に掌打を加えていた。ただでさえ少ない魔法力を魔法に使い、さらにカイトの攻撃に対して魔法力の分配が間に合わないのである。その打撃はゴーダの戦意を完全に挫くには十二分なものだった。心の折れたゴーダは戦闘態勢を維持できなくなり目と鼻を抑え、二歩、三歩と下がった。
そのゴーダを火球が包み込んだ。カイトの魔法である。火球の中のゴーダが苦しそうにもがくのが見えた。
「お、おい! やりすぎだろ!」
フローラが抗議の声を上げた。それを聞いたカイトの口元が少しだけ歪んだように見えた。
そして抗議に応じる様に火球が大爆発を起こした。地下空間全体が震えるような爆発であった。なんの準備をしていなかった当時の私は一瞬生命を失ったが、その間の様子は大気を漂うナノマシンが記録していたので、夢の中では問題なく再確認ができる。
「そこまで! カイトの勝ちとする!」
教官はカイトの勝ちを宣言すると同時に黒焦げの物体に駆け寄った。
ゴーダは一命を取り留めたらしいが、これを最後に彼を見ることはなくなった。




