マルス
組手は不定期に開催された。教官が組み合わせを決めて発表していた。当時は七人の候補が残っていたことから一人は組み合わせから外れる。その日はリュートが見学であった。私とフローラは既に組手を終わらせていたから残りは二組、ファロス対マルス、ゴーダ対カイトの組み合わせであった。
マルスとフローラはともに『九伯家』を出身母体とする関係であった。多くの貴族にとっては一族の者が執事の穴へと入門するだけでも稀な話である。そこに入門後三年経っても二名も残っているのは『九伯家』の面目躍如といったところであった。なにせ当時の『九伯家』は『王』をも凌ぐ権勢と巷では噂され、『王』『公爵』とともに王国の三大勢力の一つであった。二人は執事の穴に来る前からの知り合いで、その仲は盟友ともいえるほどに盤石だった。
執事の穴への入所当初は七歳のフローラと、フローラの二つ上で九歳だったマルスは他の候補者達から子供のような扱いを受けていた。しかし、すぐに頭角を現しほとんどの候補者達を置き去りにする成長を見せつけた。それでも普段の彼らは年下のフローラが大人しいマルスをリードしており、その様は仲の良い姉と弟といった感じであった。
一方のファロスの家柄ははっきりとしない。候補者たちの中でも随一の実力であり、魔法力も優れていることから、名門貴族の出身であると推測されていた。それこそ王家に連なるとか、『公爵』関係者だの侯爵家のどれかだとか、ファームル伯ザルグ家級の古の家柄だとか、様々な噂はあった。しかしどれも噂の域は出なかった。なにせ本人が言わないのである。もっともこれは奇異なことではなく、普通のことであった。バトラーとは出身の家柄とは関係なく存在するからだ。実際、先代のバトラーもマサラ子爵とは関係のない出自の者だった。むしろ執事の穴での人間関係等でマイナスに働くことが多く、出身を明らかにしているマルスとフローラの方が例外的なのだ。もっとも、この二人の場合は『九伯家』が最大勢力であることや『九伯家』が血の繋がりを重視しておりバトラーにでもならない限りは基本的には九伯家に勤めることがほぼ決定していることも影響していたのであろう。
「行けマルス! ブッ殺せ!」
さて、そのマルスとファロスの組手であったが、組手を終えた勝気な少女が過激な声援を飛ばしていた。
「いや、そんなこと言っても無理だよ……」
そんな少女にリュートが呆れ交じりの声をかけている。おそらく対戦中のマルスも同じことを考えていることだろう。マルスは残った七人の中の中位層。優秀ではあるがバトラーには成れないと見込まれていた一人である。しかし、それ以上にファロスとの相性が非常に悪かった。このマルス、魔晶石の粉を利用した一種の『召喚術』に近い魔法を得意にしていた。リチャード達が剣を出現させた術に近いものだ。案外これがあれの原型なのかもしれない。魔晶石の粉を利用して無数に出現させたナイフを四方八方から襲い掛からせる。それがマルスの得意技であった。これは身体能力に劣り回避不可能な私はもちろんのこと、意外なことにゴーダが苦手としており、マルスのゴーダに対する勝率は五割程度だった。マルスは最高の戦績を誇るゴーダに対して唯一の勝ち越し者であったのだ。逆にファロスに対しては全く歯が立たなかった。
ゴーダは魔法力の少なさを分配の妙により補っている。これは裏を返せば脆弱箇所が増えるということでもある。マルスの全方向からの攻撃は時としてその脆弱箇所を突くのである。その結果、マルスはゴーダに対して勝つことが多かった。一方でファロスは優勢な魔力で全身をくまなく覆う。これによってマルスの攻撃をほぼ無効化できた。しかも攻勢に転じればマルスを一撃で戦闘不能に陥らすことも可能である。ただ、後に知ったのだが、マルスのこの術はフローラへの支援特化であった。フローラが正面戦闘を担当し、マルスが援護を担うという二人一組の戦闘方法を想定していたのである。これは単独で戦闘に臨むのを基本とする執事の穴においては極めて異質なコンビネーションを意識した構成だった。たしかに、フローラと戦いながらマルスからも攻撃を受ければファロスであっても無傷というわけにはいかないだろう。将来も『九伯家』にともに仕える予定の二人ならではの考えであった。
そして今日もマルスはファロスに一蹴されてしまった。「自分にはこれしかないから」とマルスはいつも言っていたが、手の内を明かしたくないのと、ファロスのような格上相手への練習のつもりだったのかもしれない。なにせバトラーにはなれないが、卒業はできるという成績だったのだから、無駄に切り札をみせずに練習するのが正解なのだ。
「ふざけんな! マルス、死ね! 死んで修行をしなおせ!」
そんなマルスに隣の少女が口汚い罵声を飛ばす。それをリュートが「まぁ、まぁ」と宥めていた。
この頃の執事の穴の面々は、マルスの役割とはこの癇癪もちの少女のストレス発散と、ゴーダを“バトラー候補の対抗馬”から“ファロスの対抗馬”に変えたことの二点だと誰もが思っていた。マルスによってゴーダは複数人の手練れに襲われた場合、敗北する可能性が高いことが明らかにされた。これはバトラーに弱点などあってはならないという大前提からすると致命的な失格要因であった。これはこの期でバトラーとなり得るものはファロスしかいなくなったのとほぼ同意義である。
もっともファロスにおいてもゴーダには組手で負け越しており、『比肩する者、比類する者なし』とするバトラーと成るには条件を満たしていなかった。そのような意味でゴーダは“ファロスの対抗馬”であり、ファロスにとってゴーダはバトラーとなるために越えなければならない壁であった。




