フローラ
「うわっ! くっそ! 今日の組手はウマじゃねぇか! サイッッッッアクッ!」
バトラー候補が集まる場所には似つかわしくない言葉が少女の声で地下空間に木霊した。
執事の穴へとやってきて三年の月日が経っていた。この頃になると候補者たちはほとんど姿を消していた。執事の穴は三年残れたらバトラーに成れずとも卒業はできると言われている。これは一定の合理性をもって説明できるのでただの噂ではなく事実なのだろう。執事の穴では、早い段階で努力を忌避する適性がない者が弾かれて、次に考査で能力不足の者が跳ねられる。最後に粗忽者が大怪我をして脱落する。この選別は一年でほぼ終了するのだ。それでも一年経って能力が伸び悩んだ者、不運あるいは実力不足で後遺症が出るほど怪我をする者などの落伍者が月に一人程度は出る。しかし、二年を半分も過ぎた頃からはその月一の落第生も出なくなっていた。とはいえ、残った人数も少なくその時には七人にまで減っていた。
声の主はその七人の一人、紅一点のフローラであった。張り出された組手の一覧表を見て思わず叫んだのだ。
七人残ったからと言って全員の実力が伯仲しているわけではない。衣食住をともにしたのだ。一年もすればその人の能力や人格はそれなりに見えてくる。一般的には執事の穴に三年残れれば卒業できるとされているが、実はこの時には一人だけ落第ギリギリの人物がいた。いつ居なくなってもおかしくないと多くの同僚に思われていたのだ。それが既に落第しているべきだった私ではないことが惜しまれる。
私はこの世界の人間と違って努力が悪徳となる世界では育っていない。いや、この世界の人間が努力を悪徳となる世界で育ったというべきかもしれない。とにかく、その様な環境の要因の差があるにもかかわらず、他のバトラー候補生よりも努力できたかというとそんなことはない。使命感が違うのだ。ただ、私の怠慢部分は時空コンピュータの観測と六千年分の蓄積によって補われていた。他の者から見たら、さぞ天才型の人間であったことだろう。魔法力の影響か、身体能力等々においても全く敵わなかった。これも時空コンピュータやナノマシン、過去の蓄積という欺瞞によって埋め合わせてきた。大怪我をしない日がないくらいであったがこれもナノマシンの治癒で何事もなかったかのように誤魔化し続けた。その結果として私が落第候補とみられることはなかった。考査はしょっちゅう最下位、組手は滅多に勝てないにもかかわらずだ。落第等の最終決定は教官こと、先代バトラーの同僚である執事の穴出身者たちが決めることであった。これは魔法が秘中の秘であること、同僚とはいえ将来的には敵対する可能性があることなどから、全力をみせない優秀な人間を落とさないためであった。私は様々な誤解から“落第はあり得ないと確信し能力を全く見せようとしない底の窺えない存在”と認知されていたのだ。
そしてその日も……地下の一室で平然と臓物をまき散らした。
「うがぁーーーーー‼ 真面目にやれよ! このクソウマ!」
私の腹部を棒で一突きし、普通の人間なら死んでいるようなダメージを与えた勝気な少女が喚いた。
「フローラさん。口を慎みなさい。減点です」
そんな少女に教官が淡々と減点の事実を告げる。
「いやいや、違うっしょ! なんで軽く小突いただけで内臓をブチ撒ける奴が注意されずにアタシが注意されるの!?」
フローラは納得いかないと教官に噛みつく。
「減点もなにも彼は組手で敗北です。彼は敗北を選択した。それだけの話です」
フローラは納得していない様子だった。そしてその頃には私の体の再生も完了していた。彼女からしてみれば、全く相手にされずに自慢の治癒魔法を見せつけられただけなのだろう。もちろん、事実は大きく違う。今の私なら兎に角、当時の私では動きの起点である『起こり』すら認識できなかったのである。従ってなんの手も打てずにあっさりと一撃を貰って内臓を部屋中に散らかした。ただそれだけのことであった。
「いやいや、あんなにピンピンしているのに『負けを選択した』はないでしょ!?」
フローラはなおも口を尖らせていた。
「組手の敗北条件は知っていますよね?」
「知ってるに決まってるでしょ! だからその条件がコイツには当てはまらないって言ってんの!」
ちなみに敗北条件は①負けを宣言した場合②規定の試合場の外に出た場合③死亡した場合④内臓を露出する等の大怪我によって試合続行が不可能になった場合⑤意識不明によって試合の継続が不可能になった場合⑥その他、執事の穴へ継続して所属することが困難なほどの重大な後遺症が残る怪我を負ったと教官が判断した場合の六条件のどれかを満たすことである。そのうち⑥に関しては教官の恣意性排除するために死に近い大怪我でない限り発動しないという暗黙のルールが存在する。今回の場合は④で明確な条件を満たしたから私の敗北なのである。
「イレギュラーな存在がいるからといきなり条件を変えるわけにはいきません。『金溶かし』の件と合わせてあなた方が教官となった時に、執事の穴を開く前に協議して条件の変更を考えてください」
「いや、今の話をしてんでしょ!」
「フローラさん、減点2です」
なおも食い下がるフローラに教官がさらなる減点を告げた。
「うっさい! ああ、もういい! 減点3でも4でもすればいいでしょ!」
諦めたフローラはそう捨て台詞を吐いて教官に向けて背を向けた。その背中に教官が声をかける。
「わかりました。減点8です」
言われたフローラは教官に聞こえる様に大きな舌打ちを鳴らした。
フローラが減点を気にしないのには理由がある。実は彼女は既にバトラー獲得競争からはドロップアウトしていたのだ。だからといって能力が低いわけではない。僅か七歳で執事の穴に入所し、数多のエリートたちが脱落していく中で三年経っても執事の穴に残っているのだ。将来的には執事の穴出身となることがほぼ確定しており、現時点においても世界的にはトップレベルの人材であるといえた。しかし有力視されているバトラー候補たちが別格なのである。
この時点ではバトラーとなる筆頭はファロスであると誰もが思っていた。人格、武術、礼儀作法、学識等々各種能力のどれをとっても頭一つ抜けていた。いや、正確には武術に関していえば、ファロスよりも優れていると目されていた人物がいた。ゴーダである。魔法力の過多は私にはわからない。だが執事の穴の同僚たちによれば、執事の穴の中では「少なくはないが、決して多くもない」という評価だった。そして人数が絞られた今となってはむしろ魔法力自体は少ない部類に入っていただろう。しかし、ゴーダに対する全員の一致した意見は「戦闘の天才」であった。魔法力の移動が極めて速くいかなる状況にも即時に対応し、時には奇襲にも応用する。戦況を判断する能力も圧倒的に高かった。相手の動きから次の動きを瞬時に予測するほか、『魔法力の分配』からも相手の次の動きを即時に予測するのである。私の場合は魔法力の移動を筋肉や気温等の変化を総合して『魔法力の分配』として認識できているのだが、それによってもゴーダの攻撃と防御への『魔法力の分配』とそこからの次の動きへの速さは圧倒的だった。今の私でも『魔法力の分配』から彼の動きを察知し対応することは困難だろう。「魔法力は多くない」が「非常に効率よく利用する」ため「戦闘に利用する実質的な魔法力は執事の穴の中で一番」とはファロスの評であった。
礼儀作法等は完璧にできて当然であるから、バトラー争いにおいては大きな意味はもたない。そこでは大きな差が出ないのである。そうなるとどちらがより強いかという極めて単純なことで差がつく。したがって、他の点で如何にファロスが優位に立とうとも戦闘においてゴーダが優位である限り、その差は決して大きく開かない。そのような理由から、バトラー候補としては本命ファロス、対抗ゴーダと目されていたのである。それと大穴として私も注目されていた。実力を大きく隠していると思われていたからだ。もっとも、バトラーを選ぶ際には最終的な試験が最重要視されるものの、最終試験までの成績も考慮される。執事の穴時代に醜聞があってはバトラーの権威に傷がついてしまうし、バトラー襲名後の能力の安定性として判断材料にされるのだ。したがって、普段の成績が最低である私はバトラー襲名競争上では最後方であった。
加えて言えば、同門達から大穴扱いだった私の場合は、意図的に低い点を採るくらいバトラーになる気がないと考えられていた。バトラーになる気はないが執事の穴を出ておきたいという者が毎世代何人かおり私もその一人だと思われていたのだ。
バトラーになるとデメリットもあるのだ。




