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第六章 製作開始

 九月。

 小中高は夏休みが終わり新学期が始まる。大学では九月はまだ夏休みのところが多い。大学生は時間があると言われる一因だろう。

 大平大学の最寄駅周辺は大学生をアテにした飲食店が多いため、八月から九月にかけては開店休業状態の店が多くなる。一部はこの時期完全に閉めてしまうところもあった。

 それでも徐々に学生が帰ってき始める。もともとバイトの都合でずっとこの近辺にいた者もいるし、実家にいたものの一人暮らしに戻りたくて少々早めに戻ってくる者、出稼ぎのような夏のバイトを終えた者などなど。

 一志もその出稼ぎバイトを終えた者の一人だった。

 その彼は今、寮に帰る前に紗奈の家の玄関に居た。呼ばれたのだ。帰宅途中のかなり的確なタイミングで。

「先……輩……?」

「よ、久しぶり」

 バイトで真っ黒に焼けた一志を見て驚いたようだ。しかも床屋にも行っていないので髪は伸び放題。髭こそ衛生面から剃るように言われていたので短いが、七月末の二枚目の面影はすっかり無くなっていた。

「あ、あがって、ください」

「お邪魔します」

 紗奈の家は、庭付き一戸建てだった。それもかなり広い部類だろう。玄関も広く、間取りがいいのか外の光が入ってきていて明るかった。しかも、カーテンにUVカットのものを使っているので、家の中では紫外線の心配はないそうだ。

 一志が寮の最寄り駅、大学の最寄り駅でもある、に向かう電車に乗り換える、まさにそのタイミングで電話が掛かってきた。内容は家に来てもらえないか、ということだった。時間は昼をまわり、一志自身、ただ寮に帰って一休みして、適当に夕食を食べるだけだったので、二つ返事で了承した。一度帰らなかったのは、帰ると出るのが億劫になりそうなのと、直接来たほうが早いからだ。

 行ったことがないので、駅から聞いた住所をタクシーに伝えた。お得意様らしくドライバーは紗奈を知っており、問題なく着くことができた。いつもならタクシーを使うような贅沢はしないが、バイト代が入った直後なので懐に余裕があった。

 それに何となく早く行きたかった。

「あれ? 新条だけ?」

「はい。お母さんは、仕事です」

(……これは期待していいのかな……)

 女が親の居ない家に男を呼ぶ。どうしても困った想像をしてしまう。

「こっち、です」

 先を歩く紗奈が、一度立ち止まり、部屋の中に向かって手を合わせた。

 部屋を見ると、仏壇があり写真が飾ってあった。彼女の父親と思われる写真だった。

(……無理だ。誘われてもできない……)

 一志は煩悩をあきらめた。


 紗奈の部屋は暗かった。明かりはついているのだが、遮光カーテンが太陽光を遮っているので、廊下などと比べると暗く感じてしまう。間接光はUVカットカーテンで大丈夫でも、さすがに直接身体に当たる光は遮ったほうがいいのだろう。

 部屋自体はどちらかというと、女性というより女の子の雰囲気だった。

(十七歳なら当然かな)

「飲み物、取ってきます。ちょっと、座って、待ってて、くださいね」

 そう言ってパタパタと廊下に出て行った。

 用意されていた座布団に座り、なんとなく部屋を観察する。

 雰囲気を女の子らしいと思ったが、よくよく見ると語弊があったことがわかる。縫いぐるみや可愛い柄のベッドシーツはいいとして、机の上の三連の液晶ディスプレイ、本棚に高校で使ったことがあるような参考書に混じって数々の情報処理系の専門書、そして半開きのクローゼットの扉、おそらく冷却のため開けてあるのだろう、から見える三台以上のタワー型パソコンの本体。さらにガラス戸の中に飾られている人形、とガンプラとフィギュア。

(本人からはわからなかったけど、やっぱりそっち系なのが滲み出てるよな)

 自分の部屋のことを考えると、滲み出る程度ならかわいいものかもしれない、と思えるが。

「お待たせ、しました」

 紗奈が部屋に戻ってきた。手にはジュースとクッキーが乗ったお盆を持っている。

 勧められるままにジュースをいただく。九月とはえい夏の暑さだったので、氷で冷やされたジュースは普通においしい。クッキーもサクサクしていて甘く、適度に糖分補給できそうだ。

「旨い」

「ほんと、ですか。よかった」

 一志は紗奈の反応に、ふと手作りクッキーではないと思い至った。

「これ、ひょっとして新条が作ったの?」

「はい」

 まじまじとクッキーを見る。まるで商用のように、歪みも焼きむらも無い。飾りについているドライフルーツ等もきちんと並んでいる。手作りというのが信じられなかった。もちろん味も良い。安物のクッキー菓子を買って食べることはあるが、これは一線を駕している。安物は一口目はいいのだが、食べるにしたがって飲み物を強要されるような粘つく甘みがある。しかしこれには無い。一口目は美味しく、食べ続けても美味しいのだ。粉物なので飲み物が欲しくはなるが、無くても租借しているうちに良い加減に溶けていく。

「すごいな。味も見た目も完璧だ。店にだせるって、これ」

 昨日までのバイトで疲れが溜まっていたのもあるだろう。次々に口に入れてしまう。結構な量があったはずだが、ふと気がつくと無くなっていた。

「ご、ごめん。一人で食べてしまって……」

 子供か俺は、と心の中で自分に毒づく。

「いい、です。すごい、嬉しい、です」

 紗奈は笑顔だった。作った物を全て食べたくれたのが嬉しいらしい。

 お互いジュースを飲みながら、ちょっと談笑する。

「あの、バイト、って、ずっと焼きそば、焼いてた、ですか?」

「八割その通り。そこらへんの職人に負けない自信があるよ」

 エアー小手で鉄板の上で焼きそばを焼く真似をしてみる。体に染み付いているので動きが滑らかだ。

「はー……すごい」

 素直に感心されてしまった。

「あと二割は、店の準備や片付け。接客やレジ打ちもやってた」

「なんでも、やるんですね」

「まあ古株だし。雇い主の親戚だから、使いやすいんだろうな。他のバイトがうまく回っらないシフトの穴埋めとかお願いされてたし」

「他のバイト、の方って、やっぱり、大学生、ですか?」

「ほとんどは。あと地元の高校生も居たよ。大学生は住み込みだから男ばっかりだったけど、女子は地元の子だったかな」

「……ふーん」

「親戚の家で寝泊りしてて、和室の二部屋に五、六人が雑魚寝してた」

「ご飯も、その人の、家で?」

「朝と晩は用意してくれてた。昼は賄いで店のものを勝手に食べてた。休みは自腹でなにか食べるんだけど」

「マック、とか行かれた、ですか?」

「無い」

「はい?」

「マックもロッテリアも、そういうチェーン店みたいのは歩いていける範囲に無い。コンビニが一軒だけあったけど」

「え? じゃ、どうして、いたんです?」

「地元のラーメン屋とか食堂とかで。他の海の家で食べたこともあるけど、正直食いあきたな」

 腹の辺りを撫でながら、よく胃がもたれれなかった、と嘆く。

「……ぁの……」

「ん?」

「良ければ、夕食、食べて、いきませんか?」

「え?」

 驚く。食事に誘われるとは思ってなかった。

 気恥ずかしそうにする紗奈を見てると、一志のほうも恥ずかしくなってくる。あつかましいかと思い一瞬断ろうかと思ったが、先ほどの嬉しそうな笑顔が頭をよぎった。断ると悲しまれそうな気がする。一志自身、夕飯のアテは無かったから断る明確な理由も無い。

「そうだな……あつかましいと思うけど、ご馳走になろうかな」


 夕食までに、そもそもの用事を済ませる。今日はシミュレーション結果を見て欲しいと呼ばれたのだ。

 紗奈が席に座りキーボードを操作すると、スクリーンロックが外れ、三つのディスプレイに情報が表示される。

 左は3Dツールの類だろう。四つに分かれた画面に、正面、横、頭上の三面図と何かのパラメータのグラフが表示されている。右はコンソールやメニューなど、雑多な情報が表示され、刻一刻と変化している。そして中央は三次元CGで表示された韋駄天の簡易モデルが表示されていた。

「バランサーの、最適解を得るために、七百三十万回、シミュレーションを、行いました」

(七百三十……万回!?)

 思わず脳内で反芻する。

 紗奈がマウスを操作すると右のディスプレイに新しいウィンドウが開き、数値が何行も並んだ。ぱっと見ただけでは理解できないが、見えない分も合わせると七百三十万行かその数倍あるだろう。

「基となるデータは、そのミニチュアから、得ましたので、韋駄天に載せるときは、別途、補正が必要、だと思いますが」

 そのミニチュアと言うのは、夏休みに入る前に一志が渡したバランサーだった。板に二つの自由度二の関節と、そこから上に伸びたウェイト代わりの木の棒に鉛の板を巻いたものを付け、板の中央にモーションセンサーとジャイロセンサーを固定し、各ハードをGKB-828ボードを接続した、工作レベルの代物だった。バランサーのプログラムを組むのに必要だろうと用意したものだった。

 紗奈はそれから得たデータを基にプログラムを組んだ。コンピュータ上とはいえ七百三十万回ものシミュレーションを行うために。

「よくまあ、そんなにできるもんだ」

 素直に驚く。八月の間に行っていたとしたら、一日平均二十万回以上。コンピューターにとっても莫大な量だ。

 紗奈がキーボードではなくゲーム用のコントローラーを掴む。レバーを倒すと中央の画面の韋駄天が歩き出した。

「物理シミュレーターに、韋駄天の骨格と、ウェイトバランスのデータを入れて、動かしています。モーションデータは、フリーのデータを、八十種類落としてきて、骨の数に合わせて、コンバートしました。そのモーションを、行うのに必要な、バランサーの出力を、逆算して解を求めるようにし、適切な解を得るために、ジェネティック・アルゴリズムを用いています。ただ、物理シミュレーターの処理が重く、以前の環境だと一月以上時間がかかるのが判りましたので、三台のパソコンに、物理演算可能なGPUを載せた、グラフィックカードを各四枚、軽十二枚追加しました。また契約しているサーバにも、分散処理させました。それが終わったのが、一昨日です」

 紗奈がいつもの口調より滑らかに、専門用語交じりの説明をする。普通の会話よりこのような専門的な会話のほうが慣れているのだろう。

 一志は説明をなんとか理解できた。そして、それぞれが非常に難しいことであるこも理解できた。それなのに彼女からは苦労した雰囲気も難しいことを成し遂げた達成感を感じ取れない。陸上選手が毎日十キロ走ってましたと言うぐらいに普通だった。

(白銀のウィザード……本人だったんだよな……)

 改めて彼女の技術力を実感する。

「動かし、ます?」

 コントローラーを受け取り動かす。操作すると、韋駄天の動きに合わせて、両肩のバランサーが動きバランスをとる。動きを途中停止させてもバランサーが適度な位置に動くので、グラつきもしない。さすがに無茶な姿勢で停止しようとするとバランスを崩すが、普通に動いている分には問題ないようだ。

 レバーとボタンの組み合わせを色々すると、韋駄天も色々動いた。走り、ジャンプし、パンチをし、バク転し、とび蹴りをする。

「……格闘ゲーム?」

「……すみません。落としてきた、フリーのデータが、こんなのだったので。頭突きで飛んでいくとか、ありえないのは、外したんですが、普通に人ができるものなら、有効かと思ったので」

「ま、まあな。韋駄天がここまで動けると、すごいよな」

「そうです……けど、動けません?」

 うーん、と一志は考え込む。どう説明したらいいか。

「この物理シミュレータ、強度計算ってできる?」

「え? はい。確か可能、だったかと」

「骨の強度を全てスチールに設定して。重さは算出値そのままでいいから」

 韋駄天の骨は全てスチールパイプだ。内部は空洞だが、人の力では曲げようが無いほど強い。

 紗奈が左のディスプレイで作業を開始する。コントローラーの制御を外し、韋駄天のフレームを選択し、右クリックでウィンドウを開いて強度を「スチール」に設定。次に全体設定ウィンドウを開いて「強度計算」をONにする。

 中央の画面の韋駄天の動きが、途端に遅くなった。リアルタイムに強度を計算しているので、時間がかかっているのだ。それでもそれなりに見れる速度で動くのは、彼女の分散処理設定が効いているからだろう。本来なら設定後一晩程度放置しているほど重い処理なのだ。

 韋駄天が歩く。するとフレームの各所、特に足回りの色が変わる。白から青、緑、黄色、オレンジと。

「走れる?」

 紗奈がモーションを変更する。歩いていた韋駄天が走りだす。

「あ……」

 紗奈が驚く。足が地面に着いた瞬間、その足から腰辺りまでがオレンジに、膝辺りが真っ赤になったからだ。赤色は強度の限界を超えた色。つまり走り出したら膝辺りから壊れることがシミュレーションされたわけだ。

「人は走ると膝とかに一瞬体重の五、六倍程度の加重がかかるそうだ。人型の韋駄天もほぼ同じでね。韋駄天四号だと最大で一トンぐらいかな。さすがに耐えられない」

「……」

 紗奈は黙った。強度に関して完全に意識してなかったのが悔しい。あれほどのシミュレーションの大半が無駄だったと考えてしまう。

「でも、さすがにこれだけのデータで制御されるなら、普通に動く分には完璧なバランサーになるだろうな」

「……大丈夫、ですか?」

「大丈夫も何も、完璧と言っていいと思うけど?」

 一志の言葉に救われた気がした。ほっとする。

「次は、そのあたりも考慮に入れるつもりだけど」

「次?」

「五号だよ。骨格の強化設計はすでに計算済みなんだが……加工が間に合わないからな」

「え? もう、設計、されている、ですか?」

 初耳だった。

「あ、言ってなかったか? 正確には四号の設計だったんだが。全身にエアーマッスルを追加するから確実に重量増加する。それに合わせて全体の強度を上げる必要があったんだ。それで一度設計してみた」

「どうして、それを、使わない、ですか?」

「骨格の加工が難しいんだ。今までは既存の素材、鉄パイプとかを溶接して作ってきたけど、新しい骨格だとそもそも素材が特殊でね。大学の機材を借りれればなんとか作れるけど、加工精度もかなりのものを求められる。とても俺一人がんばってなんとかなる代物じゃなかったんだ」

「……単純に、今の骨格のまま、別の素材にできませんか?カーボンファイバーとか、使えば軽量化も、できますけど?」

「それも考えたんだが、韋駄天ほど複雑なフレームを作るには、加工の難しい素材は使いづらいんだ。結局コストと時間で金属フレームを選ばざるおえないってわけ」

「大平祭、十一月頭、ですものね」

 あと二ヶ月。骨格フレームは組みあがり、各パーツの検品も終わっている。それでも組み立て、調整、実働テストを考えると、あまり余裕は無い。今から変更を入れるのは非現実的だった。

「そういうこと。九月中になんとか組み立てて、十月中には調整を済ませたいところだな」

「あの……バランサーは、いつごろ、組みこみます?」

「そうだな……電子系はなるべく早めのほうがいいかもな。バランサーのウェイト自体は最後のほうになると思うけど」

 ウェイトは名前の通り重しだ。しかも両肩から上に向かって伸びる棒状であるから、取り付けるのは最後で問題ない。むしろそんな重しを最初につけると、作業の邪魔になりかねない。

「ま、今は夏休みなんだし、来たいときに来ればいいよ」

 紗奈が作業を開始したくてうずうずしているのは、一目見て良くわかった。

「えと……先輩は、いつから、行かれます?」

「明日かな……寮にエアコンが無くて、研究室のほうが涼しいから」

「そうですか」

 紗奈は何か思案してるようだったが、一志はあまり気にしなかった。

「ところで関係ないこと聞いていい?」

「はい?」

「あれは何?」

 一志が指差したのは、縫いぐるみ置き場と化したガラス戸の上だった。多種の縫いぐるみ、キャラクターや犬、猫など、女の子らしいものが並んでいる。

 その中で一際異彩を放っている縫いぐるみがあった。それは白いウサギの縫いぐるみだったが、他の縫いぐるみに身体が隠れているのか、大きな丸い頭だけが出ていた。直径五十センチはありそうな丸い頭。知っているキャラクターに似ているが、細部が異なる。

「おはよウサギ、ご存知、ありません?」

 だいぶ昔に流行ったキャラクターの名前。一志も知っているが、それはもうちょっと愛想のいい顔をしていたはずだ。少なくとも眼帯をして無かったし、口が「w」の形でも無かったと思う。

「……ちょっと違うようなんだけど?」

「実は、拾ったもの、なんです……ボロボロだったのを、なんとか、直そうとして……そうなりました」

 なんか見慣れて違和感ないんでそのままです、と気恥ずかしそうに言われた。

 一志は手にとって見てみる。眼帯は完全に黒い布が貼り付けられていて取れそうに無い。片目がビーズなので無かったか、酷く布が破けていたりしたのだろう。口のところも良く見ると、周囲の布が寄せ集められており、引きつりを隠すように「w」型に刺繍されているのが判った。頭の割に小さい身体は、似たような色の布で継ぎが当てられており、よほど酷い状態だったのが想像できる。

「大事なもの?」

「……そうでもない、ですけど……捨てられているの、を見つけたとき、どうしても、ほっておけなくて」

 なるほど、と一志は頷いた。

 彼自身は男兄弟なので、縫いぐるみは基本的に無かったが、一体だけ子供の頃に買ってもらったのがあった。幼稚園の時に買ってもらったものだが、捨てるに捨てれず、未だに実家に置かれている。ほって置けないという紗奈の言葉は良くわかった。直し方は理解しがたかったが。

 ピンと閃いた。

「これ、韋駄天の頭にしてもいい?」

 韋駄天には頭が無い。将来はカメラを載せたりで必要になるかもしれないが、現在は不要でその部分は空いている。何も無いよりあったほうが見栄えがするだろう。縫いぐるみなら重さはほぼ無視できる。

「ぇ? え? え? えぇ!」

 紗奈の驚いた声が、家中に響いた。


 翌日、一志は大学のいつものガレージに居た。

 九月二日。天気は良く、日差しが強い。屋根裏の無いガレージは、屋根焼けを起こしていて非常に暑かった。シャッターと全部の窓を全開にして風を入れてもしばらくは熱気が抜けなかった。一志自身が海帰りでなければ根を上げていただろう。

 それでもエアコンの無い寮の部屋よりはマシだった。あそこはそのまま寝てたら蒸し焼きになりかねない。

 体調は昨日紗奈が作ってくれた夕飯のおかげか、一晩ぐっすり寝たらだいぶ疲れがとれていた。

(ご飯、うまかったな)

 ふと昨日の夕飯を思い出す。八月は粉物ばっかりだったせいで野菜不足だった。それを聞いて紗奈は野菜をこれでもかと使った料理を用意してくれたのだ。しかもほとんどの味付けはせず、ほんとうに素材の味がでる料理だったので、野菜不足だった一志にとってはこれ以上なく旨かった。おかげでビタミンや食物繊維を得られたので、疲労回復にもなったのだろう。

 思い出すだけで涎がでそうになる。しかし今日からはまた出来合いのものか、外食になってしまう。あれを食べたら、今まで食べたものは旨く感じないのではないかと思ってしまった。

 ウサギ頭の件は、ちょっと考えさせて欲しいと言われた。一志も単なる思い付きで、それほど強くプッシュするつもりもなかったので、気が向いたらよろしくと答えておいた。

「実験的に、左腕だけ付けるか」

 食欲を振り切るように、片付けていたエアーマッスルを調べる。今日は左腕用のを並べて、順次つけていくつもりだ。補強も必要だが、組み立てながら実験をしないと時間が足りない。

 上腕のエアーマッスルを三つ取り付けたとき、不意に来客があった。

「こんにちは。あなたが、荒川一志さん?」

 年配の女性に名前を聞かれ、一瞬戸惑いながらも素直に頷く。歳は四十歳そこそこだろうか。化粧はあまり濃くなく、スーツにタイトスカート。持っているのもビジネス用の鞄。名前を言われなければ、営業の人が迷い込んできたと思っただろう。

「突然の訪問、失礼いたします。私、新条紗奈の母、新条桜と申します。いつも娘がお世話になっております」

「え! いえ、こちらこそ、なにかとお世話になっております」

 あたふたと挨拶を返す。桜の落ち着きと一志の慌てぶりに、対人経験の差が如実に出ていた。

「少しお話させていただきたいのですが。今、お時間は大丈夫でしょうか?」

「あ、はい。大丈夫です。どうぞ。散らかってますけど」

 ガレージ内は組み立て途中の韋駄天が鎮座しており、それに関わる道具、部品が置かれているので、素人目にはほんとうに散らかっているように見える。一志なりにはそれなりに使いやすいようにしているつもりなのだが。

 涼み用に入り口に置いていた椅子を勧めて、あたふたとアイスコーヒーを用意する。

「ありがとうございます」

 椅子の横に小さいテーブルを置いていたので、そこにコーヒーを置く。一志自身は適当に丸椅子を持ってきて、テーブルの向かいに座った。

「すみません。お客さんが来られるような場所じゃないんで、こんなのしか用意できませんが……」

「おかまいなく」

 にこやかに返される。笑顔が確かに紗奈に似ていた。

「あの……それでどのようなご用件でしょうか?」

 やましいことは無いが、なんとなく身構えてしまう。

「いえね。仕事の都合でこちらのほうに用事があったものですから、一度、娘の大学を見ておこうかと思いまして」

 アイスコーヒーを一口飲む。動きに洗練された優雅さがあった。社会人として身に着けたものだろうか。

「そしたら夏休みなんですってね。九月だから休みは終わったと勘違いしておりました」

「はあ、なるほど」

 小中高と大学を同じ学校として混ぜて考えると、確かに勘違いしてしまうことだろう。

「そのまま帰るのもどうかと思案しておりましたところ、娘からここのことを聞いておりましたので、ひょっとしたらいらっしゃるかと思い、あつかましくも来させていただいた次第です」

 桜は顔を上げると、吊るされた韋駄天を見る。

「それが、イダテン、というものですか?」

「あ、はい。組み立て途中なんで、骨格フレームだけですが」

「これは前々から思っていた疑問なのですが。これはどのような目的で研究されているのでしょうか? 私はなにぶん素人ですので、皆目検討がつきませんで」

 目的と聞かれて一志は途方に暮れる。作りたいから作っているので、研究目標は書類上に書いてある程度のことしかない。とりあえず、思いつくことを口にする。

「パワーアシストの可能性について、です……とはいっても、ここまで大きいものだと工場とか建築現場とか一部でしか使えないでしょうけど」

「つまり、汎用性は低い、と?」

「ええ。汎用性の高いパワーアシストスーツはすでに実用化、商品化されてます。そこからあぶれたニッチな需要はあると思いますが。実質、これ単体の話ではなくフィードバックされる技術のほうに価値がでるでしょう」

「フィードバックされる技術とは、どんなものがありますか?」

「えと……それを研究しているんですが……」

 そうでしたね、と桜は頷く。

 つかの間の無言。

「紗奈は、あの子はどうですか?」

「どう、とは?」

 質問の意味が掴みかねた。

「役に立ってますか? それともお邪魔しています? かわいい、とかでもいいですが」

「?」

 一志は考え込んだ。桜の意図が単なる訪問ではない気がしたのだ。とはいえ聞かれたことに答えない理由も無い。

「私はソフトウェアが苦手でしてね。そういう意味ではとても心強いです。あれほどの技術を持つ学生は、否、技術者はそう居ないですから。いいアイデアも出してもらってますしね」

 容姿云々については触れないでおく。

「あの子がアルビノであることについては、どう思われます?」

 向こうから触れてきた。

「えと……紫外線対策がなにかと大変だな、とは思いますね。私は見ての通り、海にバイトに行って日焼けしましたが、彼女はそれができないですしね」

「バイト、だったんですね。てっきりわざと黒く焼かれているか、頻繁に海へ遊びに行かれたのかと思ってました」

「まあ、そうも見えますよね」

 笑う。自分でもそう思っている。

「あの子は随分特殊な子だと思いますが、どうお考えです?」

「特殊? アルビノだからですか?」

「それもありますが、それなりに有名人ですし経済力もあります。親が言うのもなんですが美人だと思いますし。同時につらい過去も持っています。アルビノというハンデもあります。違いますか?」

「え……と……どの辺が特殊ですか?」

「え?」

 思わず桜のほうが聞き返した。

「特殊といえば特殊なのかもしれませんが、普通の女性でしょう? 年齢的に女の子というべきかな?」

「どういうことです?」

「そりゃ有名人ですし経済力もあるでしょうし、確かに美人だと思います。知りませんがつらい過去があるらしいとは聞いています。仰るとおりアルビノというハンデもあるでしょう」

「……」

「でも、普通に話して考えて行動してる女の子ですよ?」

 一志が首を傾げる。特殊な理由を挙げればいくつも並べられるだろう。しかし有名だから特別、お金持ちだから特別という感覚は彼には無い。なぜならそれらは人の本質ではないと思うからだ。紗奈とは普通に意思疎通できるし、価値観も大きく違うように思えない。男女の差と年齢差によるところはあるだろうが、それを特殊かと聞かれても、普通だと答えるしかない。

「……あなたの眼は節穴か晴眼か、どちらかですね」

「節穴、とはよく言われます」

 桜が溜息をついてコーヒーを飲む。

「失礼なことを並べさせていただきました。怒ってらっしゃると思いますが……」

「え? なにか失礼なことありました?」

 一志の答えに、桜は虚を突かれたように唖然とする。そしてクスクスと笑い出した。

「……失礼しました」

「はあ」

 一志はいまいち訳がわからず混乱していた。

 桜は一志に良く似た人を知っている。今は居ないから知っていたと言うべきか。

「あの子が、あなたに惹かれた理由が判りました」

「え?」

 桜にとって紗奈は特別な存在だった。娘なのだから当然だが、彼女がアルビノだったことで周囲も特別扱いした。生まれながらの容姿のせいで小学校ではいじめにあい、技術力を身につけたら今度は世界的に有名になってしまった。どこまでいっても彼女は特別扱いされる世の中なのだ。

 しかし一志にはそれがない。アルビノであることも有名人であることも気にしない。過去の事に興味を持ってもいない。ただ今の、目の前の紗奈を見ている。

 まるで亡き夫のようだった。

「あの子は、父親を追いかけ続けてきたんです」

「……追いかける?」

「いじめを受け、学校に行かなくなり、友達もいなくなってしまったあの子にとって、仕事で家に居ない母親より、亡くなった父親だけが唯一側にいてくれる存在だったのです」

「……」

「父親がどんな人かと聞かれ、勉強ができた人だと答えたら、あの子はずっと勉強していました。国公立のそれなりの大学出身だったんですけどね。そこに行くんだ、と言って。それこそ普通に小学生が友達と遊んだり、話題のテレビを見ている時間も全て勉強していました」

 コーヒーを一口飲む。まだ氷が残っていて冷たかった。

「あの子は小学校にも中学校にもほとんど行ってません。それなのに卒業できました。なぜかわかりますか?」

 それは一志が漠然と感じていた疑問の一つだった。学校に行っていないのになぜ大学に入れたのだろうかと。しかし調べるのも、そもそもその疑問を持つことが紗奈に失礼な気がした。それに大して気にしてなかったとも言える。

「……いえ」

「優秀、だったからです。いえ、テストの点が良かった、というべきですね。いじめを認めない、登校拒否の子を抱えておきたくない学校側が、補修と言う名目で受けさせたテストの点が良かったので、嬉々として卒業させたのですよ。自分達の教育を受けなかった子が、受けた子より点数が良かったというのが、どんな意味を持つかも理解せずに」

「……」

 一志は直感で「酷い」と思ったが、声には出さなかった。

「あの子は世の中から、それこそ誰からも必要とされずに、居場所も無かった。ただただ愚直に打ち込むしかできなかったのです。あの子が高卒資格を受けたのも、それがあれば大学に行けると、父親の行っていた大学を受けられるから、その一念だけで勉強していました」

 それはそれですごいと思うが、それ以外の一切を排除したと考えると賞賛しづらい。多感な時期を、彼女はただ勉強しかしてこなかったと言うことだ。

「小学校を卒業する前でしょうか。父親の部屋に入り情報処理系の仕事をしていたことを知ると、それにも没頭し始めました。親のやっていることをまねる。ある意味おままごとの一種なのでしょうけど」

「……」

 一志は相槌一つ打つことができない。ただ無言で聞いていた。

「結果としてあの子は天才と呼ばれる存在になりました。私の稼ぎなど取るに足らない程の収入も得るほどに。しかし親から見れば、普通の子なのですよ。ただ、普通なら得るべきものを全て捨てた、捨てざるおえなかった、か弱い子です」

 それは同意できる。彼女の脆さは、なんとなく感じていた。

「だから、あの子に近づく虫には敏感になるのです」

 睨まれた。ひいていた汗が、滂沱のごとく溢れてくる。

「いえ、あの、虫、と言われましても……」

 何一つ疚しいこと、問題のあることはしていない。していないはずだ。後ろめたさは無いにもかかわらず、蛇に睨まれた蛙の状態になってしまった。思わず腰が引けてしまう。

「何もしていない、のでしょう? でしたら落ち着いてください。うろたえたら、むしろ疑ってしまいます」

「あ、はい……」

 何とか落ち着こうとコーヒーを飲む。桜の微妙な言い回しに気づかない。

「なぜか七月の一泊旅行以来、唇を触る癖ができたようなのですが」

 タイミングを見計らったかのような桜の一言。

 一志は少しむせた。

 しばらく無言で時間が過ぎる。一志は何も言えず、ただ待つしかできない。

「あの子は……あの子は、技術で父親を超えてしまったが故に目標を失っていきました」

 韋駄天を見上げる。

「これはその時に見つけたのでしょう。もう少し女の子らしいものに興味をもってくれれば良かったのですが」

 韋駄天に関わるものが女の子らしくないのは理解しているので、一志は無言のまま。

「ただただ愚直に進んでいく。それがあの子です。天才なんてとんでもない。ただ寂しいという感覚を麻痺させるために無我夢中に進んだ、ただそれだけなのです」

「……でも、あなたは側に居た」

 ぼそりと一志が呟く。桜の片眉がピクリと上がった。

「私が? 居なかったのですよ。仕事にかまけて、育児を放棄したのです」

 声に怒気が混じる。心の琴線、否、地雷を踏んだようだ。

 しかし一志は先ほどように引きはしなかった。

「これは、おじい……私の祖父の言葉ですが、子は親の鏡である、だそうです。どんなに表面を取り繕っても、育てた子供を見れば内面が透けてしまうのだそうです。私自身、祖父の言葉を実感できるほど経験をつんだわけでも洞察力があるわけでもありませんが」

 息継ぎをする一瞬だけ間が空く。

「新条さん……新条紗奈さんは、根がまっすくで心が綺麗な、良い女性だと思います。ほめ言葉とか異性だからとかではなく。そのように育てた親は、素晴らしい人ではないですか?」

「それは、父親を目指して……」

「これも祖父の言葉ですが、人が人のことを話す時は、その人が相手をどう思っているかが伝わる。それを汲み取ってその人自身を見極めろ、だそうです。父親の事を伝えたのは、母親のあなたではないですか? 伝える時に、彼女はあなたの心を感じていたのではないでしょうか?」

「そ、そんなこと……」

 今度は桜のほうが言葉に詰まる。

「私は、私は、あの子に酷いことをしてきました。仕事、仕事と、仕事に逃げて、あの子がいじめられて泣いている時に、抱きしめてやることもしなかった……」

 声から怒気が消え、少しだけ悲しみが混じる。話しながら俯いてしまう。

「母親失格、なのですよ……」

 再び無言の時間。

「一つお聞きしてもいいですか?」

 今度は一志から言葉を出す。

「どうして彼女は、父親の大学に進まなかったのでしょう?」

「……それは、イダテンがあったから」

「韋駄天を見たのはオープンキャンパスの時が最初だと言ってました。つまりこの大学に見学に来たから見たわけです。なぜこの大学に来たのでしょう?」

 桜は答えられない。ずっと韋駄天が紗奈の興味を惹いたからだと思っていたからだ。それ以外にこの大学に来る理由が思いつかない。私立だし、それほどレベルが高い大学でもない。父親の大学は国公立でそこそこ有名なレベルだ。比べたとき、この大学の利点と言えば家に近いことぐらい……

「家に近い……?」

 はっとする。いくつもの大学から誘いが来ていたのは知っている。そういえば父親の大学以外、遠くの大学には見学にも行かなかった。

「……本当に親が嫌いなら、母親失格だと思っているなら、独立できるほどの経済力を持っていて世界で通じる技術を持つ彼女が、家に近いことを理由としますか?」

 桜が顔を上げた。

「ち、違うわ」

 桜がなんとか否定を搾り出す。

「あの家は、あの子にとって安全地帯なのよ。アルビノ故に外に出れば奇異な目を向けられる。家にいれば安心できるのよ。だからあの子は家から出て行かないのです」

「家が安全なのは、親がいるからではないですか?」

 うっ、と唸る。

 またしばらくの無言。

「……ほんとうに私は母親失格ではないのでしょうか? 大丈夫なのでしょうか?」

「それは、本人に聞いてみたらいかがですか?」

 一呼吸、一志は息を大きく吸い込んだ。

「なあ、そこの新条紗奈さん!」

 ガタタタ

 ガレージの反対側の壁から音がした。慌てて動いて鞄か何かが壁のトタンにぶつかったようだ。

 桜もびっくりして音のしたほうを見る。

 ばつが悪そうに紗奈が姿を現した。手に風呂敷に包んだ何かを持ている。先ほどの音はこれが当たった音だろう。

「紗奈……」

「お母さん……」

 しばしの間。

「いつから気づいてらっしゃったの?」

 桜が一志を問い詰めるように聞く。眼が笑っていない。

「この大学を選んだ理由を聞く前ぐらいですかね。あの白い帽子の鍔が見えました」

 一志は桜の雰囲気に気づかない振りをして、紗奈に席を譲る。手早くアイスコーヒーを用意して彼女に渡すと、飲み物買ってきます、と出かけていった。

 二人になった紗奈と桜はしばし無言でいた。

「お母さん、どうして、ここに?」

 耐えかねたように紗奈が聞く。

「あなたが好きになった人を見たくてね」

「!……好きだなんて……」

「家で彼の話をする時、顔に書いてあったもの」

「……」

「好きなんでしょう?」

 桜は娘が持っている風呂敷を指した。中身は想像できる。

「……わからない……」

 紗奈自身、感情を持て余しているようだ。登校拒否をしていた彼女にとって、ある意味初恋のはずなので、心の整理がつかなくても仕方ないだろう。

 しかし、はっきりと言われたためか、しばらく言い訳っぽいものを口にいしていたが、やがて「そうかも」と頷いた。

 桜がコーヒーを飲む。氷はすっかり溶けていた。

「その気持ち、大切になさい」

「うん」

 素直な返事と笑み。パソコンに向かっていた陰鬱さも、いじめにあった時の悲壮さも、登校拒否になった時の意固地も、アニメを見てるときの現実逃避したような笑みも無い。

 子供は成長する。当たり前のことだが、その分大人よりも変化が早いのだろう。ほんの半年足らずで随分変わるものだ、と桜は思った。

(娘の笑顔を取り戻すのに、私だけでは足りなかった。けれど、足りない分は他から補えばよかったのね。そして紗奈は、補える、補ってくれる相手を見つけた……)

 桜の顔に自然と笑みが浮かんだ。

「荒川さんは、お父さんに似てるわ」

「え? ほんとに?」

 紗奈が父親の事を聞くときは、確かにいつも真剣な眼をしていた。そして私はいつも笑っていたのではないだろうか。

(私は母親として十分ではなかったかもしれないけど、失格ではなかったのね)

 心の中のしこりが消えていく。それを感じ、桜は心から一志に感謝した。

「どことなく、ですけどね。自分の事だけにのめりこんでいそうな所とか、それ以外が結構無頓着なところとかね。それでいて意外と鋭いところとか」

「……なるほど」

 納得してしまった。

「あなたもその血を引いていますよ」

「……否定したい……」

 紗奈が天井を仰ぐ。のめり込むところはまったく否定できないし、世間一般の話題には無頓着なのも自覚してるから、否定したくてもできない。

「だから、一つ忠告しておくわ」

「なに?」

「あの人も、荒川さんもそうですけど、例えるとまっすぐ空に向かって伸びた木です。大木かどうかは置いておいて」

「うん」

「草食男子を通り越して、植物です」

「う、うん」

「私もそうでしたけど、自分で捉まっておかないといけまんせよ。掴まえてはくれませんから」

 真剣に忠告された。経験が伴っているだけに言葉が重い。

「そりゃ、お母さんは、猛禽類だったかも、しれないけど」

「……ちょっと、猛禽類ってなによ」

 母親の抗議は無視する。

「でも、私も……たぶん木よ。まっすぐ伸びていく」

 桜が額に指を当てて溜息をついた。夫の血を引いているのは明らかなので、否定できない。

「だから。だから私は、私は彼の横に……根付けばいいと思う」

 紗奈が遠くの空を見る。見ているのは未来か、亡き父親か、それとも。

 そして彼女は母親を見て微笑む。

「伸びる方向は、違うかもしれない。けど、成長しつづけるなら、いつかきっと二本の木は、一つになるから」


「あれ? お母さんは? もう帰られた?」

「はい。仕事の途中、でしたから、あまりゆっくりは、できなかった、みたいです」

 そうか、と言って一志は持っていた缶ジュース三本をテーブルの上に置いた。

「好きなのどうぞ」

「ありがとう、ございます」

 紗奈がリンゴジュースの缶を取ると、一志は炭酸のを取った。

「結局、何をしにいらっしゃったんだ?」

 一志が首をひねる。いまいち母の来訪の意図が掴みかねているらしい。

「……見に来ただけ、みたいですよ」

「そうか。どうせなら韋駄天が完成してからのが、良かったけどな」

 フレームだけの韋駄天では見栄えがしないと考えたのだろう。実際、母が見に来たのは一志なのだが、そこは黙っていた。同時に母に言われた自分の気持ちについて意識してしまう。

(先輩は私のことをどう思っているんだろう)

 単純にして一人では解法の無い問い。聞けばいいが、それができるならそもそも解法が無いとは考えない。

「腹が減ってきたな。お昼、どっか食べに行こうか?」

 時間は正午過ぎだ。そもそも紗奈はこの時間に合わせてきたのだから。

「あ、あの……お弁当、作ってきたんですが、いかがです?」

 おずおずと持っていた風呂敷をテーブルに置く。

「え?」

 一志が驚く。単なる驚きだったが、紗奈にはちょっと反応が強かった。まずいことをしたのかと考えてしまう。

「ぁ……ご迷惑、でした?」

「いやいや、そんなことは無いよ。ちょっと驚いただけ。それより、なんかご馳走になってばかりで悪いな」

「そんなこと、無いです。私が、勝手にやってること、ですから」

「実は昨日の料理が旨すぎたから、今日はどこで食べても味気ないだろうな、と思ってたんだ。まさか今日も新条のが食べれられるとは思ってなかった。めちゃめちゃ嬉しいよ」

 母が去り際に、男心は胃袋と直結している、と言っていた。一志の反応を見るとその通りだと思える。本当に嬉しそうに言われ、紗奈は反応に困ってしまった。喜ばれること、褒められることに慣れていないと実感する。自分が耳まで赤くなっているのが判る。

 でも嫌な気分ではない。嬉しいと思う。

 風呂敷を広げると、二段の重箱が出てきた。かなりの力作のようだった。


「久しぶりー」

 修がガレージに尋ねてきた。九月の半ばだが、夏休みはまだ終わっていない。

「よう久しぶり……どうした?」

 思わずそう尋ねたくなるほど、修はかなりボロボロの格好だった。

 髪はもともとロングだが、あまり手入れが行き届いておらず、伸び放題の状態。髭は伸び放題ではないが数日は剃ってないのが判る不精なまま。着ているティーシャツはヨレヨレ。穿いてるジーパンはダメージ加工に本物のダメージと汚れが追加されている。さらに先ほどの夕立に降られたのか、ビショ濡れだった。持っている荷物には寝袋やテントと思しきものがあるから、山で修行でもしてきたのかと言いたくなる。大学が麓にある山は、修行場ではなかったはずだが。

「いやー。人生を謳歌してきたよ」

「……そうなのか?」

 格好が格好だけに、そうは見えない。

「どこ行ってたんだ?」

 タオルを渡す。

「サンキュ。日本一周を目指したけど、さすがに無理だった」

「……」

「あ、これお土産」

 修が鞄から小さなケースを取り出して、一枚差し出した。防水ケースらしく中はぬれていない。受け取るとそれは切符だった。一志は鉄道に詳しくなく紙の切符はほぼ見たことが無い。今はICカードか磁気カード、もしくは携帯電話で事足りるからだ。どんなローカル線に乗ってきたのだろうか。

「切符?」

「幸運のお守りだぜ」

 良く見ると切符の駅名のところに「幸福」と書かれていた。

「……こんな駅あるのか?」

「北海道にな。今は廃線だけど、駅だけ観光名所になって残ってるんだよ」

「ふーん。ま、ありがと」

 手に持てるだけの荷物に収めなければならなかったから、あまり嵩張るものはお土産にできなかったのだろう。悪いものではないから素直に貰っておく。

「ところで、ガレージの奥のシャワーって使えたよな? ちょっと貸してくれ」

「あ……」

 修の言葉に、一志は困ったように頭をかいた。

「ん? どした?」

「あーいやーあのさー」

「なんだよ? 気持ち悪いな。壊れてるのか?」

 一志らしくない言い方に、修が首をひねる。

「あ、いや、壊れてないんだが……今、使用中なんだよ」

「?」

 修が意味を理解するより先に、奥の扉が開いて人が出てきた。

 ダボダボのジャージのズボンに、オーバーサイズのティーシャツを着ている。明らかに彼女のものではない。シャワーで髪も洗ったのだろう、バスタオルで持ち前の真っ白い髪の毛を拭きながら歩いてくる。

「……おい」

「なんだ?」

「いつのまに犯罪に走った?」

 おもむろに胸倉を掴まれた。

「俺がヒッチハイクで北海道回っている間に、夏なのに寒さで凍えてる間に、真っ暗な道端でテント張って一人寂しく寝てる間に、気づいたらすぐそこに熊が居て死ぬかと思ってる間に、危うくオカマをナンパしかけていた間に、おまえは、おまえは……いいことをしていたというわけか!」

「わけの判らんことをまくし立てるな!」

「じゃ、この状況を説明してみろ!」

「彼女が来る時に夕立に降られたから、シャワーを貸して服も貸した」

 修の勢いとは間逆に、一志は落ち着いて答えた。

「……ほんと?」

「ぇ? はい」

 紗奈の言葉を聞いて、ようやく落ち着いたのか、手を離した。

「わりぃ。つい」

「まあいいけど」

 一志が掴まれた部分を引っ張って直す。作業用ツナギなので皺になろうが構わない。

「……八幡、先輩?……お久しぶりです」

「新条さんもお久しぶり」

 紗奈が少し挨拶する前に戸惑った。随分と見た目が変わっていて、修だとすぐには判らなかったようだ。

「わりぃけど、シャワー借りていいか? 落ち着いたら寒くなってきた」

「ああ……あ、服干してたっけ?」

「はい。ぁ、どけますね」

 紗奈がパタパタと走っていく。裸足にサンダル、それも一志の物なので足に合っていない。ほぼ全て男物、一志の服を身に着けて嫌悪感も何もなさそうなことに、また彼女の話し方が変わっていることに、修は気付いた。


「ほんとうに参ったよ。北海道って夏でも夜になると息が白くなるほど冷えるんだよ」

 シャワーからあがって来た修は、荷物の中にあったジャージを身に着けている。洗っていなかったらしく、お世辞にも綺麗とは言いがたいが、濡れた服をもう一度着るわけにはいかないので仕方が無かった。髭を剃り、髪は頭にタオルを巻いてまとめているので、先ほどのだらしなさは随分ましになっているのが救いだ。

 夕立は雨脚を落としたものの、普通の雨と同程度でまだ降っていた。帰るに帰れないので、紗奈が持ってきた夕飯用のお弁当を三人で食べてながら、修が旅談義をしていたのだ。

 あれ以来、紗奈は頻繁にお弁当を作ってくる。ほぼ毎日となってしまい、一志は嬉しいのだが反面申し訳ないと思い、二,三日毎に改めさようとしたぐらいである。回数が多いので一志が材料費を払おうとしたが、彼女は頑として受け取らず、一度は喧嘩になってしまったほどだ。

 まだほんの二週間であるが、紆余曲折を経て、お弁当を作ってくれる曜日を決め、材料費も一部を一志が払うことが決まった。また一志が昼から来ることがある、つまり寝ている、のと、夏の日差しの中を来るのは紗奈には厳しいので、お弁当は夕食用となっていた。いつもは夕方ぐらいに紗奈が持ってきて、二人で食べて、作業後に一志が駅まで送るのが、なんとなくパターンとなっている。

「しかし、美味しいな。これ。荒川に殺意を覚えるね」

「ありがとう、ございます。でも、北海道も美味しいものいっぱい、あるんじゃないですか?」

 修がお吸い物、これも紗奈が魔法瓶に入れて持ってきてくれる、で口の中のものを飲み込む。

「まあね。でもカニやらイクラやら、一回二回食べる分にはいいんだけど、食べ続けると舌にも財布にも厳しいよ」

「そうなのか?」

 あまりそういう高級食材に縁がない一志には、ピンと来ない。

「観光地とかに多いからな。味付けが濃いんだよ。旨いんだけど、旨すぎるというか、食べ続ける旨さではないというか」

「……そうですよね。味付けは薄めに、食材の味を活かしたほうが、ずっと美味しく、食べれますから」

「で、ずっと食べ続けてるわけだな?」

 修の言葉に一志と紗奈の箸が一瞬止まる。

「はいはい。お邪魔虫は消えますよ……雨がやんだらね」

「あ、いや……」「そんな、ことは……」

 自然とこういう形に落ちついていたため、改めて第三者から言われるととたんに意識してしまう。

「はいはい。ごちそうさま」

 一瞬見つめ合って、互いに赤くなる様を見せ付けられ、修は投げやりに口にする。

「しかし、随分とはかどったみたいだな」

 修が視線を外したついでに、韋駄天を見上げながら言う。

 吊り下げられた韋駄天は、すでに骨格フレームが見えなくなっている。全身をエアーマッスルが覆い、そこから伸びる耐圧チューブも綺麗にまとめられていた。コンプレッサーやバッテリーはまだだが、すでに動き出しそうな雰囲気がでている。

「もう動くのか?」

「ああ。外部のコンプレッサーをつないでの四肢の動作チェックは済んでる。少しなら歩ける……はずだ」

「はずって」

「まだハンガーを外しての動作確認はしてないんだよ。ウェイトバランスも、まだおかしなままだしな」

 二足歩行の韋駄天にとって、重量はもちろんだがウェイトバランスも無視できない要因だった。特に背部に圧力タンクやコンプレッサーを背負うので、どうしても後ろ向きに重くなる。現在は付いていないので軽いのだが、バランスが取れてるわけではない。全てのパーツを付けたらちょうどよくなるように設計されているからだ。

「そうだ。食い終わったらちょっと手伝ってくれ」

「ん? 何すんの?」

「前に持って来てくれた前面ウェイトを付ける」

 あれか、と修が頷いた。彼が夏休み前に持ってきた鉄板の事だ。機械科かどこかの実習で作ってもらったと言っていた重さ二十五キロの溶接された鉄板。韋駄天四号は、構造的に中心に人が乗り、後ろにモーターやコンプレッサーなどの重い部品がつけられる。前には基盤やディスプレイが付けられるが重さがまったく違うためバランスが取れない。そのため足りない分を一志は鉄塊の重しで補おうとしていた。しかしこれには重しが外れたとき、一つ数キロから十キロの落下物となりかなり危険である。それを聞いた修がそれならとツテを使って、どういうツテだったのかは不明だが、実習の鉄板の溶接の成果物として、韋駄天の前面プレートを作ってもらったのだ。複数枚の鉄板を韋駄天のフレームに合う形に溶接してあるので、固定も容易だしバラバラに落下したりしない。難点は長さ八十センチ、幅四十センチ、厚さ一センチの曲がった鉄板であるため、重さと持ちにくさで一人だと付けられないことだった。

「新条に手伝ってもらうわけにはいかない部分なんでな」

「まあ、そうだよな」

 紗奈が二十五キロの鉄板を持ち上げる様は想像できない。あくまで比喩だが、下手すると鉄板のほうが重いんじゃないかと思えるぐらい彼女は細い。実際は持ち上げるのは手動のウインチで行うので、それほど強い力は要らない。しかしいざという時があるので、やはり一瞬でも支えられる腕力があったほうがいい。

「すみません……」

「いやいや。単なる力仕事なんで。こんなのは男に任せておけばいいよ」

 紗奈が恐縮するのを見て、修が調子のいい事を言う。

「ん?」

 修がちょっと首を捻った。

「あれ? 新条さん。運動か何か始めた?」

「え? はい。水泳を、少し」

 今では週に三回ほど行っている。最初は浮かぶだけだったが、最近は二十五メートルなら泳げるようになっていた。室内の温水プールなので、当分続けるつもりだ。

 その会話をしていると、なぜか一志が手近な雑誌を一冊丸めだした。

「よく、判りましたね」

「ああ、まあね。サイズオーバーの服着てるからいまいち判らなかったんだけど、前の華奢な感じじゃなくて多少筋肉が付いたバランスのいいラインが見えたからね」

「はあ……バランスのいい、ラインですか?」

 紗奈が自分の身体を見る。服のサイズが合わなくなり始めたので、なんとなくプロポーションが変わってきているのだろうとは思っていたが、毎日見ているので自分では良くわからない。

「うん。いいライン。特にこう腰のくびれとか胸の押し上げ……」

 スパーン

「はい。そこまで」

 修を良く理解している一志が、丸めた雑誌の一撃で彼の頭を引っぱたいた。


 九月が終わると夏休みも終わる。

 静かだった大平駅周辺と大学には、一気にもとの喧騒が戻ってくる。

「おっはよう~ございま~す」

 菜々美がガレージに現れたのは、そんな新学期の登校初日だった。

「おはよう」

「おはようございます」

 一志と紗奈があいさつする。一志はチューブに圧を送りながらエアーマッスルを調べており、紗奈は韋駄天から伸びたケーブルを繋いだノートパソコンで何かしら操作をしている。

「おお。随分完成しましたね」

 韋駄天を見て菜々美が感嘆の声を上げる。

「一通りの部品は付けたからな。あとは各部のチェックが終われば、実働テストができるよ」

 初見の菜々美でも、一志の言葉通りだと理解できるぐらいの外見だ。

 全身のエアーマッスルが取り付けられ、まるで生物のようなシルエットを持つ韋駄天。前面の鉄板は鈍く光り、背部にはコンプレッサーとモータ、さらに二つのボンベが装備され、今にも音を立てて動き出しそうだ。両肩から上に伸びた棒状の物がすでに動いてるのが、卵から生まれる前の胎動を思わせる。まだ電源は外部から取り入れているらしく、太いケーブルが接続されているが、ガレージの横では筒型のバッテリーが数本まとめて充電されていた。

 全高二メートル半、自重二百キロ。無機物の塊は、もうじき息を吹き込まれる。

「テストはいつです?」

「今日の午後。問題がなければ、だけど」

「動かす前にメールくださいね」

 はいよ、と一志は軽く請け負った。

「……センサー系の、調整終わりました。実働テストの後、微調整はいると思いますが、これで、問題ないかと」

「了解。じゃ、大丈夫そうだな」

 一志はエアーマッスルの検品を続けているが残りは少ない。予定通りに始められそうだ。

「ん? センサー系は紗奈はんがしてるん?」

「えと……電子系、かな。センサーも含んでます、けど」

「あれ? 機械式が売りや無かった?」

「あ、それは……」

「基本は機械式から変わってないよ。別系統で電子制御を取り入れてるけど」

 一志が説明で割り込む。

「そうなんですか? へー、じゃ韋駄天は随分変わった、成長したんですね」

「成長か。そうだな。そういうのが近いな」

 基本を変えることなく、別の機構を取り入れる。人が生物であることを変えずに、生きるために社会性を獲得する様に似ているかもしれない。確かにそれは成長だった。

「いつか乗れたりします?」

 単なる好奇心から、菜々美は完成したら一度動かしてみたいと思った。しかし一志がすまさなそうに首を横に振る。

「ごめん。体格を俺に固定して設計してあるから、他の人は乗れないんだ」

「ありゃ。そうなんですか」

 車でもドライバーの体格に合わせて椅子の位置を調整しなければならない。全身の動きを伝える直結型のマスタースレーブ式の韋駄天は、それ以上に細かい調整が必要になる。しかし四号は体格差を吸収する機構を持たない。一志が乗れればとりあえず動作テストはできるので、そういう部分は完全に後回しだった。

「五号か六号あたりには、その辺も盛り込みたいけどね」

 そん時はよろしく、と軽く菜々美がお願いする。彼女にとっては単なる好奇心なので拘っていない。

「それより紗奈はん。講義出えへんの?」

「はい。今週は、後期の見学期間、ですから。情報は、先輩達から、もらってるし」

 四月初めにあった前期の講義見学。今週は後期のそれにあたる。四月のは前期だけでなく後期にも続く講義の分もあるので、時間割はびっしり埋まっており見学する人も多かったが、今週は後期の分だけなので結構スカスカだ。だから菜々美は初日の午前中に、何の連絡もなしに興味本位でガレージに来る事ができた。もちろん一志や修が居れば、講義の情報をもらえるという打算もあった。

「いいなぁ。その情報頂戴」

「いいですよ。もう終わるので。お昼ご飯の時、でいいですか?」

 にこやかに応える紗奈を見て、あれ? と菜々美は心の中で首を傾げた。二ヶ月前と比べて違和感があったからだ。

 まずしゃべり方が違う。夏休み前のあのたどたどしいしゃべり方ではなく、それなりに流暢だ。時々声が小さくなる癖のような聞き取りづらさも無い。

 それに、そもそも紗奈がソフトウェアを担当している、これ自体は彼女の技術力を考えれば当然と言える。とはいえ、朝から一回生の彼女が韋駄天の作業をしているのはおかしくないだろうか。また二人とも作業用つなぎを着ているが、いつ着替えたのだろう? ほぼ住んでいる一志はともかく紗奈まで。

(成長したんは、韋駄天だけやなく、紗奈はんもかな?)

「なあなあ紗奈はん」

 小声で話しかける。なんですか? と笑顔で紗奈が応える。

「荒川先輩と寝たん?」

 笑顔のまま紗奈の思考がハングアップした。

 たっぷり十秒、笑顔のままフリーズした後リブートする。ブート直後に菜々美の言葉を理解して、十一秒目で耳まで真っ赤になった。

「な、な、な」

 何を、と言いたいがろれつが回らない。

「な、何を言うんで、す……菜々美さん」

 大声が出そうになって、慌てて声を潜める。幸い一志は韋駄天の向こうでエアーを操作しているから、二人の小声会話の内容までは聞こえていないらしい。

「何って。付き合ってるんちゃうん?」

「つ、付き合って、ませんし、付き合ってるから、そういう関係になるもの、でもないでしょう!」

「そうなん?」

 菜々美の疑問は、紗奈の言葉の前半に対するものだ。

「……正式には、まだ……」

 草食男子を通り越して植物と称した母親の言葉が思い出される。意識はしてくれているみたいだが、それ以上は何もない。言葉も言ってくれない。今は韋駄天に心が向いているのだろうと考えることにしていた。実際この頃の一志は不眠不休の勢いで作業しており、ほぼ毎日ガレージに泊り込んでいるほどだ。

 なので、とりあえず一段落するまでは保留にしておくつもりだった。

「そら、あかんで。関係はきちんとしとかな」

「……そうは、言いますけど……」

「ええか。なし崩しってのが一番やっかいなんやで。なあなあで始まってなあなあで終わる。けじめできとらんから何するにも中途半端になってしまうしな」

「何が中途半端なんだ?」

 びくりと紗奈と菜々美が強張る。一志が作業を終えて韋駄天の向こうからでてきたのだ。

「な、なんでもあらへんで。なあ?」

「え、ぇ、ええ。ちょっと二人で、話しを、していただけ、ですから」

「?」

「あ、それより終わったんですか?」

「ああ。新条は?」

「す、すみません。すぐ、終わらせます」

 菜々美と話していて中断していた作業を再開する。ノートパソコンの上を彼女の十本の指が踊る。そう形容したくなるほど滑らかな動作。ウィンドウの一つにずらっと情報が何行にもわたって表示される。一瞬動きが止まり、すぐにまた指が動き出す。パソコンにコマンドを送る。ネットワークで遠隔操作されている韋駄天に搭載された汎用基盤が、制御信号を各部へ送る。返り値を受け取り、チェックプログラムが結果を送り返してきた。結果を確認し、保存する。

 五分ほどして紗奈の指が完全に止まる。

「終わりました。全センサー、大丈夫です。安全弁も、動作を確認しました。起動時の、チェックプログラムにセンサーの数値を、入力しましたから、次からは自動的に行います」

 手製の機械につけられたセンサーは、最初に適正な閾値を設定する必要がある。単純にドライバが判断してエラーを返すようにはできない。紗奈はその設定を行っていたのだ。他にバランサーの設定やモード時のコンプレッサーの制御ルーチンの調整など色々行った。しかしソフトウェアは、これでほぼ終わった。あとは実働テスト後の微調整がある程度だった。

「よし。じゃ飯食いに行くか」


 今日は学食で昼食を済ませた。紗奈自身が朝早くから来たため、お弁当の用意はしてなかったからだ。

 食べている間に笹原教授に連絡を取り実働テストの許可をもらう。修にも連絡し手伝いをお願いした。

 時間は十五時から。ちょうど講義を一つ挟む時間があるので、紗奈と菜々美は講義の見学に行った。

 一志は一人ガレージにいて、最後のチェックとしてバッテリーのチェックを行っている。

(ようやくここまで来たな)

 韋駄天を見上げる。全身にパワードをまとった姿は雄雄しくあり、三号までのがハリボテに思えるほど存在感があった。まだ未完成の部分は多いが、一旦の完成と思うと感慨深かった。

「よう。お待たせ」

 修が大きな袋を抱えてやってきた。

「おう。それが例のやつか?」

「そそ。付けられるようになってるだろうな」

「ちゃんと用意してあるよ」

 最後のバッテリーを太もものポケットに入れながら応える。本来ならこれで完成だった。飾りの外装は残っているが、実働テストには不要なので今回は外したままだからだ。

 修が袋を床に置き、ガサガサと中身を取り出す。それは韋駄天の前腕から手の甲にかけて覆う外装パーツだった。それとペットボトル。

 一志は時計を見た。時間はあと一時間半ある。十分取り付けることができる。


「間に合ったか」

 夕が早足で急坂を登りきってきた。

 ガレージ前に、半年前と同じように五メートルと十メートルの地点にテープで線を引き、その前に笹原教授、紗奈、菜々美が居た。そこに夕がやってきたので、半年前とまったく同じ状況だった。

「篠山さん!」

 紗奈が驚きと嬉しさを露にする。夕はもう彼女の護衛をやっていない。契約が終ったからだ。メールは何度かやり取りしたものの、社会人である彼女は大学生とは時間が合わず、会うことができないでいた。まる二ヶ月ぶりの再会だった。

「お久しぶり~。なんやどうしたん?」

「久しぶり。八幡から連絡を受けてな。急げば間に合いそうだったんで来てみた。新条も手伝ったらしいな」

「はい!」

 声が弾む。夕も嬉しくされて気持ちよかった。

 ガラガラガラ

 シャッターの開く音がし始めた。なぜか半分閉じられていて、韋駄天の上半身が見えなかったのだ。覗こうとした紗奈は日傘を渡されて、外で待っているようにお願いされた。首を傾げながらも言うとおりにしていたので、中がどうなっているかは知らない。菜々美はなんか演出でもしはるんかな、と言っていた。

 開いていくと韋駄天の全身が見え始める。両腕のエアーマッスルも見え始めた。遠眼に文字通り黒い筋肉に見えるため、むき出しの筋肉に覆われた四肢が異様な雰囲気を醸し出している。

(あれ?)

 紗奈は両手に付けられた白いパーツに気づいた。お昼には無かった部品だ。前腕から手の甲を覆う篭手のようなパーツ。妙に膨らんでいるのと、そこだけ白いためアンバランスだった。とはいえ、動作に支障があるようには思えないので、時間の合間に外装をつけただけだろうと思った。

 そして、その程度はすっぱり頭から抜け落ちることが、この後待っていた。

 シャッターが開いていくと胸が見え、肩が見えた。

 そして頭が見えた。

(…………!)

 紗奈の顔が引きつった。一瞬見えた時にはまさかとは思った。許可もした。近いうちに持ってくるつもりだった。でもまた家に置いてあるはずだった。

 おはよウサギ、紗奈修復バージョン、が韋駄天の頭部として収まっていた。頭の大きいウサギの縫いぐるみのため体部分が見えず、うまいこと韋駄天と縮尺のバランスが取れている。

「あはははは。なんやあれ!」

 菜々美が大うけした。笹原教授も手を叩いて「いいねぇ。インパクトは大事だね」と笑っていて、夕ですら口に手を当て必死で笑いを堪えている。

 ただ一人、紗奈だけはひくついたまま笑えずにいた。

 そして、韋駄天の影から人が一人歩み出てきた。スタスタと歩いてくる彼女を紗奈は見間違えるはずが無い。

「お母さん……」

「忘れ物を持ってきたのよ」

 笑顔のまま、娘の質問より先に答える。紗奈は全て理解した。


「よし。掴みはもらった!」

 修がなぜかガッツポーズを決める。

「縫いぐるみを持ってきたのは新条のお母さんだろう?」

「いやいや。こういうのは最初が肝心だから。俺の手形でもなんでもないけど」

「……それより、起動する。準備よろしく」

 あいよ、と修はクレーンの操作リモコンを持ち上げる。

 一志はすでに韋駄天に乗っているが、両腕はまだ固定されていない。正面下に設置されたディスプレイ。その横のスイッチをオンにする。

 フィィィィィ……・

 小さなファンが回る音がする。汎用基盤の統合プロセッサの冷却ファンの音。極めて小さい音で、耳を澄まさなければ聞こえないほどだ。

 ピポ

 ビープ音がし、ディスプレイにOSの起動画面が出る。OS自体は簡素なもので、ドライバも必要最小限しか入れていないので、初期化は数秒で終了する。起動画面から一変、様々なインジケーターなどがグラフィカルに表示された画面に変わった。中央に韋駄天を模したラインで書かれた絵があり、そこから線が伸び数値などが表示されていた。各センサーの状態が一目でわかるように配置されている。左側にはボンベのデジタル化された気圧計、モーターの回転やコンプレッサーの温度、右側にはバッテリー残量と予想稼働時間、バランサーや安全弁の状態などが表示されていた。起動直後の電圧変化のためすこし数値がふらついたが、すぐに納まりシステムは良好である緑色を表示する。

 一週間前までは単なる文字列と数値が並ぶだけの簡素なものだったが、今は随分にぎやかになっている。まるでゲームかアニメに出てくるロボットそのものだった。

「システムオールグリーン。バッテリー良し」

 一志は起動を確認すると、両手で韋駄天の腕から伸びたレバーを掴む。自分の手首と肘を、これも韋駄天から伸びたそれぞれの金具に付ける。彼の着ている古びたバイク用の皮ツナギには、丁度金具が当たる位置に金属部品が取り付けられている。

 カチっという音とともに各部が固定された。電子ロックを用いた固定方法。腕を起動前に固定してしまうと固定スイッチを押すことができないため、起動後一人で固定できるように、またバッテリー切れやコンピューターに問題が発生した場合、自動で外れるようにこの方式を採用した。

「韋駄天。モータースタート」

 インカムを通した音声をコンピューターが解析する。反応のためのキーは「韋駄天」。続く言葉をコマンドとして処理する。

 フォンフォンフォンフォン……・

 コマンド通りモーターが動き出す。コンプレッサーが空気を取り込み始め、ボンベの圧力が上がっていく。三号と違い、空気の吸排気口にはマフラーが取り付けられているので、音は随分静かになった。

「五十パーセント……七十五パーセント……もうちょい……よし!」

 一志が自分の両足に力を込める。

 シュシュシュ……

 両足の動きに合わせてワイヤーが引っ張られ、エアーマッスルの弁が開き、圧縮ボンベからの空気が流れ込む。韋駄天の脚部に力が入る。

 むき出しのエアーマッスルの膨らみは、見た目にも判る。本当に生物が力を込めた時のように膨らみ、韋駄天の足が伸びる。

 カシャン

 足の伸びに合わせて韋駄天の全身が持ち上がり、吊るしていた鎖が緩んだ。

「ハンガーを頼む」

「了解」

 一志の声に合わせて、修が操作する。三号と違って、騒音がそれほど無いので普通に会話できた。

 ガレージの天井のクレーンが、吊り下げに使っていたハンガーを後ろに動かしていく。

 ミシ……

 後ろから異音がした。わずかに一志の耳に届いたその音は、勘違いか空耳程度と思わせる小さな音だった。

 バランサーが前後に動き、韋駄天は自分でバランスを取る。以前のようにふらつきはしなかった。一志は先ほどの異音はこれの動きだした音だったのかもしれない。また音がすれば別だったが、あれ一度きりだ。問題無いと判断する。

(今度こそ……)

 気を取り直す。今回は失敗できない。研究室の都合もあるが、これ以上無様を見せたくは無かった。

「韋駄天四号、歩行開始します!」

 一呼吸置いて右足を前に出す。シュシュと小さな音だけで、韋駄天の右足がそれに合わせて前に出る。

 一歩。

 浮いた足が大地を再び踏む。問題なし。

 今度は左足を前に出す。先ほどより移動距離が長い。しかし韋駄天は左足を一志の動きどおりに前に出す。

 二歩。問題なし。

 ふらつきもしない。

(よし。バランサーも良好だ。これなら転ぶ心配もない)

 両肩につけたバランサーが巧みに補正するので、一志が細かい動きを気にせずにいられる。韋駄天が自分で立っているかのような錯覚を覚える。

 ちなみに韋駄天にとって最重要部品は、乗っている人である。視覚、聴覚、判断、動作指示、全て人が行う。そのためバランサーも、実は人が最重要となる。両肩のはあくまで補正だ。

 そして人は自身の感覚として、腹部辺りを重心としたバランス感覚を持っている。大きな荷物を持つとふらつくのは、重心が変り感覚と誤差が生じるためである。つまり脚部にのみパワードを搭載していた二号、三号は重心が下がりすぎていたため、一志の感覚と大きくずれていたのだ。補正機構もなかったため、彼は自力でその感覚との誤差を埋めていた。

 しかし四号は全身にパワードを付け、重い部品を上半身に乗せているため、自重自体は増えたが重心はちょうど腹部の位置にある。人の感覚に近くなった分、楽にバランスをとれるのだ。また紗奈発案の両肩のバランサーはそれでもずれてる分の誤差を吸収するため、なおさら普通のバランス感覚で操作できるのだった。

 三歩、四歩、五歩、六歩。問題なく進んでいく。


「おお。すごいやん」

 菜々美が半年前と同じように感嘆の声を上げる。

 紗奈は声が出せない。感動しているのではなく、不安に押しつぶされそうだったからだ。バランサーは大丈夫だろうか、センサーの数値は正しく取れているだろうか、いきなりハングしたりしないだろうか。彼女ほどの技術力を持っていても、何度もテストした後でも、やはり実績の無いプログラムの動作には不安が残る。思わず祈るように胸の前で両手を握っていた。

「随分静かだな。前のはすごく喧しかったのに」

 夕の言葉通り、三号に比べると動作音はかなり静かだった。前は十メートル離れていても喧しいと思ったぐらいなのに、今回は無音とまではいかないが、気になるほどの音はしていない。

「エアーマッスルの制御系を、空気圧の流れを修正したんだろうね。三号はエアーマッスルの有効性を見るための試験機の意味合いが強かったから、音や見てくれはほとんど無視していたんじゃないかな」

 笹原教授が簡単に説明する。細かく言えば、以前は適当な長さだった耐圧チューブを最適な長さにし、曲がり過ぎないように配置することでシューという気流が起こす風切音を抑制している。また三号では使用済みの空気はそのまま各部の弁から排出しており、これも音の原因だった。四号では負圧タンクを用意し、エアーマッスル内の空気を回収することで、背中の吸排気口以外は閉じた循環経路にしてある。音の原因を減らし、音源を外部にさらさないことによって、四号は飛躍的な静音化に成功したのだ。

 また負圧タンクの利点として、大気より気圧が低いのでただ排出するより効率よくエアーマッスルの空気を抜くこともできる。負圧タンク内の空気はコンプレッサーで与圧タンクに送られるので、過不足による給排気しか外部への空気の流れができないのも利点だった。

 一歩、一歩、歩いてくる。動作自体は三号と同程度の速度。移動速度も同じようなものだった。しかし以前より早く感じる。バランスをとるという不要な動作が無いからだろう。すぐに五メートルの線を越える。

 六メートル、七メートル、八メートル、九メートル。

 シュ--……

 そして十メートルの白線に到着して停止する。まったく問題を感じさせない。

「おお」

 紗奈と菜々美、そして桜も拍手で迎えた。

 一志が腕を振って応えると、韋駄天の腕も大きく振られる。バランスの変化を両肩のバランサーが吸収しているため、その反動によるふら付きは無い。

「……ウサギが手を振っている……」

 夕がぼそっと呟いた。頭部のウサギの存在感がありすぎて、一志が乗っている感じが薄れていた。しかもこれも午前中は無かった部品だが、彼の正面の空間に透明な板が取り付けられているため、なおさら彼が見えづらくなっているのも原因だろう。

「さ、後は帰るだけだね」

 笹原教授の言葉に一志は頷く。立ち止まっていると与圧タンクの補充がほとんど要らないため、モーターが停止していた。普通に会話ができるぐらい静止時の韋駄天は静かだ。

 四号の脚部の稼動域は三号のそれとほぼ同じだ。百八十度反転するのに同じ六歩で行えた。

 紗奈はまだ不安だった。以前のように純粋に喜べない。それは製作に関わった者だけが感じる不安だった。

 シューシュー……・

 再び韋駄天が歩き出す。一歩一歩問題なく歩き、五メートルの線を越える。

 その時、おもむろに笹原教授がポケットから硬球のボールを取り出た。

 紗奈はぎょっとした。半年前の悪夢がよみがえる。

 教授がトルネード投法のごとく体をひねってボールを投げた。下手なピッチャー顔負けのスピードとコントロールでボールが韋駄天に向かって飛んでいく。

 ゴン

 韋駄天の背中にそれが当たる。直後、韋駄天の両肩のバランサーが衝突に反応して動いた。

 ボールは跳ね返ってコロコロと地面を転がっていく。

 しかし韋駄天は何事も無かったように歩いていく。バランサーが、衝突による外力を完全に吸収したのだ。

「うん。問題ないね」

 笹原教授が満足そうに頷く横で、紗奈は盛大に息を吐き出し、腰が抜けそうなほど安堵した。

 韋駄天はガレージの入り口まで戻っていた。そこでまた百八十度反転する。

 後ろ向きに歩いて最初の位置へ戻るのだろうか? 誰もがそう考えた。

 しかし韋駄天は、一志は両腕を前方斜め前に突き出した。万歳でもない。見物人全員が「?」マークを頭に浮かべていると、韋駄天の両腕の白いパーツが開いた。

 そう開いたのだ。ぱかっと。

 シューーーー

 コンプレッサーの空気を取り込む音が聞こえた。何かに空気を送っている。紗奈が気づくと同時にそれらが飛び出した。

 ブシューーーーーーーーーーー

 何かが水を吐きながら飛ぶ。勢い良く飛ぶ。

「! 水ロケット!」

 桜が真っ先に正体に気づいた。

 そう。五百ミリリットルのペットボトルを使った小型の水ロケットだった。韋駄天四号は飛ばすのに必要なエアーを供給できる。だからこそ思いついた遊びだった。

「ははは。いいね」

 撒き散らされた水の下で笹原教授が無邪気に笑っていた。


「おもしろかったが、できれば別の方向に飛ばして欲しかったな」

 夕がタオルで服を拭きながら文句を言う。

「申し訳ありません」

 一志と修が素直に頭を下げた。

 全員学食に移動した。四号は無事ハンガーに固定され、今回の実働テストは大成功に終った。その祝賀会前祝いを行うからだった。本当の祝賀会は夜にするつもりだ。

「ほんまや。夏ならいいけど、もう秋やで」

 菜々美もタオルを頭に乗せている。笹原教授もタオルを首にかけているが、あまり気にしていないようだ。

 紗奈と桜は無事だった。紗奈は渡された日傘のおかげで、桜は咄嗟に水の落下地点から逃げたからだ。

 ただし桜は仕事の途中だったので、この場には居ない。

「……」

 紗奈は機嫌が悪かった。濡れこそしなかったものの、ウサギやロケットなど、携わっていたにも関わらず知らされていない事が多かったからだ。

「ウサギは、母の悪戯、でしょうけど。ロケットのことぐらい、言ってくれても、良かったじゃないですか」

 拗ねていると言ってもいい。

「ごめん。八幡に頼んでいたのが、このタイミングに間に合うとは思ってなくて。いっそサプライズに使おうかと思ってしまって」

 さっきから一志が謝っているが、彼女の機嫌は直る兆しがない。

「まあまあ。折角の祝賀会前祝なんだ。楽しくやろうぜ」

 八幡がとりなすが、片棒を担いだ人間が口ぞえしても効果は薄かった。

「ところで、あれで完成ですか?」

 笹原教授がコーヒーを啜りながら聞いてきた。

「一応は。あと外装はつけますけど」

「一応というのは?」

 一志は頭をかいた。ちょっと考えてから話す。

「四号としては完成です。大平祭にはあれで行きますから」

「腕部のテストはしないのですか?」

 確認に近い疑問。腕にもエアーマッスルをつけたのだからテストするのが当たりまえだろう。

「しますが、大平祭の後ですね」

「なぜです?」

「骨格フレームに、強度の心配があるからです。歩行程度なら問題ありませんが、走ったり物を持ち上げたりしたらどこか壊れる可能性があります。今壊れたら大平祭に間に合わなくなるので、その後でテストを行います」

「強度の解決はできなかったのですね?」

「新骨格フレームの設計はしました。けれど私の工作能力だと間に合わない計算になったので、今回は没にしました」

 なるほど、と笹原教授は頷いた。

「大平祭?」

 菜々美が首を傾げる。

「この大学の学園祭。十一月頭の連休のときにあるやつ」

 八幡が説明する。大学が外にオープンになるのはもちろん、業者や学生主催の出店が並んだり、イベントが行われたりする祭だ。そのイベントの一つにロボットショーがあり、韋駄天四号はそれに合わせて作成されていた。投票による評価もあり、結果が一応出展ロボットを作った研究室の予算に影響を与えるので、各研究室は結構本気で取り組んでいる。そのためそれなりにレベルが高いショーだ。

「大平祭に出せないと、今度こそ予算がでなくなりますしね。今度のレポートにはその没案も入れておいてください。理由と一緒にね」

 わかりました、と頷く

「大平祭で結果が残せたら、特別予算も申請できるかもしれませんよ? それで新骨格をつくりますか?」

「是非! 天王寺先輩に聞いたら骨格フレームを二千万で作ってくれるそうです。しかも四日で」

「そこまでは無理です」

 笹原教授が笑う。それを聞いて紗奈の眉が益々険しくなる。

「……それも、聞いてません、けど?」

「いやあ、今の四号の設計図を引く前の話だから。六月に来たときにはとっくに没案になってたんだ」

「天王寺先輩は、知っていたのに?」

「山に行ったときに没案見せただけだって」

「……ふんだ……」

 紗奈の機嫌は益々悪くなった。


「かんぱーい」

 祝賀会は駅前の居酒屋で行われた。前祝の後、片付けだけをしてそのまま移動したのでまだ夕方だ。笹原教授は仕事があるからと参加しなかったが夕と菜々美が参加したので、五つのグラスでの乾杯となった。

 ビールのジョッキが四つにソフトドリンクのグラスが一つ。菜々美は未成年なのだが、大学ではよくあることだ。

 全員一気に飲み、ぷはーと息を吐いた。

「篠山さんは今日休みやったん?」

「ああ。買い物に出ててな」

 何買ったのか、と聞いたら買う前だったと言われた。どうりで荷物が小さい鞄だけなわけだ。

「一応メール送ったけど、まさか来てもらえるとは思ってなかったですよ」

 八幡が調子のいいことを言っていた。韋駄天の専門的な話をしても菜々美や夕は付いていけないし、今後の話は前祝で話してしまっていたので、祝賀会での会話は自然と普通の飲み会のソレとなっていった。

 それでもなんとなく紗奈は雰囲気に乗れないでいた。拗ねたままというわけではない。機嫌は直ってきてるが、一度なってしまうと、意固地さが邪魔をして戻り切らないのだ。

 机を挟んで男と女で向かい合って座っている。紗奈の正面には一志がいる。二人きりならきっかけはいくらでもあっただろうが、彼が他の人と話すので話しかけるタイミングすらも掴めずにいた。

(折角四号が完成したのに……)

 自分がサプライズを素直に受け流せなかったせいだが、紗奈はそのようには考えていない。単純に言ってくれなかったことで、のけ者にされた気がしたのだ。そのようなつもりは一志にはないだろうが、彼女のトラウマが思考をそのように持って行ってしまう。

(もう……)

 一志は何度も謝ってくれた。そこで許していれば良かったとは思う。

「ところで、一つ確認したいんやけど」

 菜々美の顔が赤い。いい塩梅にアルコールば回っているようだ。

「?」

「紗奈はんと荒川先輩、付き合ってるん?」

 ぶっ、と二人が同時に吹いた。

 いくら菜々美といえど素面なら今の二人の雰囲気では聞かなかっただろう。しかも昼に紗奈に聞いている。だがアルコールが、もともと表に出しやすい彼女の気性を後押ししていた。

「……」

 全員が沈黙する。八幡ですら呆気に取られていた。

「あ、いや……」

 一志が言葉に詰まる。それに紗奈が過剰反応した。

「付き合って、ません。ただの、先輩後輩、です」

 言い切った。それを聞いた一志の表情から感情が消えていく。

(あ……)

 紗奈の心が、怒りと不安と後悔にないまぜになる。

「そうなん? そしたらいい男紹介したるわ~」

 その場の空気を無視して菜々美が言った。八幡がなんとか場の雰囲気を回復させようと努力しているが、空回りする。

「……青春だな……」

 一人だけ、夕はビールを飲みながら小さい声で呟く。眩しそうに見ていた。


 祝賀会は最後まで微妙な空気のまま終了した。

 また本当の祝賀会を大平祭の後にするということに、全員賛成した。

『それじゃ』

 全員がバラバラに歩き出す。夕は電車、八幡は方向が同じ菜々美を歩きで送っていく。一志も方向が違うが歩きだった。紗奈はなんとなくタクシーを選んだ。本来なら電車で二駅行ってからタクシーを使うが、ここから直接でも時間はそう変らない。

「……」

 紗奈は一瞬足が止まる。今、一志を追いかければ元に戻れるかもしれないと思う。ちらりと振り返る。しかし一志はこちらを見ることなく、駅向こうへ続く地下道へ降りていく。

「ばか……」

 ひょっとしたら来てくれるかもという淡い期待は消え去った。

(馬鹿は私なんだろうけど……)

 寂しい。そう思ってしまう。跳ね除けたのは自分なのに。

 別れ際に、修が明日取り成すと言ってくれていたので、今日はこのまま帰ろうと思う。明日、ちゃんと謝ろう。

 駅前からタクシーに乗り、家の住所を告げる。窓からぼんやり外を眺める。

 ふと、スマホを正面に持って何かしている学生らしい人が視界に入った。大学最寄の駅なので、そのような光景は珍しくない。

(あ、そうだメールだけでも)

 返信してもらえるかわからないが、とりあえず一言でも謝っておくべきだろう。そう考え、携帯電話を鞄から取り出そうとする。

(あれ?)

 鞄の中、外側、服のポケット、あちこちを探すが見当たらない。

(おかしいな……)

 どこかに置き忘れたのだろうか? と今日の行動を振り返る。居酒屋では出していない。前祝の席でもだ。でもあの時……

「あ!」

 思わず声を出してしまった。運転手が怪訝な雰囲気でルームミラー越しにこちらを見た。

(そうだ。片付けするとき、ポケットに入っていた携帯電話を置いたんだ)

 その後、鞄だけ持ってガレージを出たため、置きっぱなしだった。

(どうしよ……)

 これがいつもなら、明日とりに行けばいいと割り切っただろう。しかし今は携帯が必要だった。メールを送るだけなら家からでもできるが、もし一志がメールをくれた場合わからない。なおさら関係がまずくなりそうな気がする。

 時計を見る。まだ二十一時だ。決心するのにそれほど時間はいらなかった。

「すみません。大平大学に、行って、もらえますか?」


 大平大学の正門はもう閉まっていた。そこを過ぎたところに山キャンパスの入り口まで続く横道がある。キャンパスの入り口のゲートはすでに閉まっているが、徒歩なら入っていける。

 タクシーにゲート前まで送ってもらう。待ってもらおうかと思ったが、ガレージまで往復すると結構時間が掛かるし、必要なら携帯から呼べば良いだけなので止めておいた。

 正門のゲートは塀と繋がっていて乗り越えないと入れないが、山キャンパスのゲートは時間外の車の出入りを禁止しているだけなので、門を迂回すると縁石を超える程度の労力で入っていける。

 紗奈は夜のキャンパスを一人歩く。街灯が最低限あるので真っ暗ではない。道もわかっている。人は見当たらないが、校舎にはいくつか明かりが付いている。研究作業をしている四回生や院生、教授らがいるのだろう。

 山キャンパスはその通り名のとおり、山にあるのでちょっと外れると真っ暗だ。しかし人の気配が、遠くとはいえあるので怖さは無い。

 テクテクとガレージに向かって歩いていく。五分ほど歩いて目的地に着いた。

 鞄からキーホルダーを取り出す。夏休みの間に、一志が来ていないときに来たとき用にと、教授に黙って貸してくれたスペアキーでガレージ横の扉を開いて入った。

 ガレージの中は当然電灯はついていない。街灯の光りが窓から入っているとはいえ真っ暗といっていい。

 手探りで入り口側の電灯のスイッチを探す。大体の位置はわかっていたのですぐに付けれた。

(あった)

 覚えていた通りの場所に自分の携帯電話を見つける。

(メールは無し、か)

 少しだけ期待したので残念だった。

(帰ろう)

 その場でメールを書く気分ではなかったので、とりあえず駅まで行こうと思い、携帯を鞄に入れる。

 振り返ったとき、視界に韋駄天が入った。今日は四号が完成したお祝いだったはずなのに、こんな風になってしまったのが残念だった。ほぼ自分の狭量のせいだとわかっているので、なおさら凹んでしまう。

 しばらく見上げながらうろうろと周りを歩く。二人で作ったもののはずだ。一回生の紗奈は正式に研究室に名前を連ねられないが、修とは違い協力者以上だと思っている。だからもっと胸をはっていたいのだが。

(やっぱり明日、ちゃんと謝ろう)

 見上げる韋駄天は無言で立っている。おはよウサギは外されているので頭部が無く、なおさら無言加減が増している。

 ちなみにおはよウサギは埃まみれになりかねないので、大平祭まで袋に入れてガレージに保管してもらうことになっていた。

(そういえば、大林さんが乗りたいと言ってたっけ)

 いつかは自分も乗りたいと思う。設計図から一志の体格に合わされているのがわかっていたので、思っていても口に出すことは無かった。

 思い出すと無性に乗りたくなってきた。

(跨るだけなら大丈夫かな?)

 動かすわけでもないし、手足を固定するわけでもない。ちょっと乗るだけなら大丈夫だろう。

 スカート姿なら止めていたかもしれないが、今日はジーパンなのでなお更止める理由が少なかった。

「……よっと」

 韋駄天はフレームの都合上、右からしか乗れない。左は前面部分を固定する太いフレームが通っているからだ。

 紗奈は韋駄天の右足のステップを踏み台にして、両手で掴まりながら体を持ち上げると、左足を座るところ、自転車のサドルが取り付けてある、の向こう側に通す。ステップからサドルまでが一志の足の長さにあわせてあるので、彼女では届かない。両手で上下に伸びたフレームを掴みなおすと、懸垂の要領で体を持ち上げサドルに座った。

「ふー」

 水泳をしていたおかげで筋力が多少なりとも付いていたのが幸いだった。半年前ならこんな運動もできなかっただろう。

 足がどこにも着いていないので、手を離すと左右にふら付く。しかたなく座席にある四点支点のシートベルトを付ける。未調整だが、一応背中が押し付けられて固定された。

(こう見えるのかぁ)

 ちょっと感動した。座高も一志に合わせてあるので、紗奈では正面にディスプレイが来る。ちょっと伸びると透明なプレート越しにガレージのシャッターが見えた。

(このプレートも知らなかった……)

 お昼から実働テストの間に両手のパーツ以外にこれも取り付けられていた。修がそのタイミングでもってきたらしい。話では弾丸すら弾く、超硬質透明プラスチックだとか。どこかの研究室で実験素材として作ったものを実験後にもらってきたそうだ。多少傷が付いているのは、その実験のせいだろうか。

(八幡先輩って、本当に顔広いなぁ)

 ある意味荒川先輩とは真逆だな、と思う。

 しばらくブンブンと両手足を動かして、韋駄天を操作しているイメージをしてみる。少しだけ乗りたい気持ちが落ち着いた。

(そろそろ帰ろうかな)

 そう思ったときだった。

 ミシリ

 はっきりと何か音がした。紗奈は音のした方向、左後ろの上のほうを見る。

 バキン

 今度は逆の右後ろからした。金属音。しかも壊れる時の音だ。

(え? 何?)

 直感でまずいと思った。降りたほうが良い。

 そう考えたが遅かった。

 ミシミシミシ……ゴキン

 後ろ全体から音がして、ようやく音源、原因が何かわかった。

 韋駄天を吊り下げているクレーン、それに付けられているハンガーが壊れていっているのだ。

 支えを失い、ぐらりと韋駄天が前に傾きだす。正しく物理法則にしたがって倒れ出した。

 紗奈はとっさに飛び降りようとした。しかしシートベルトをしているため、すぐには無理だった。

 バキン!

 一際大きな音がしたかと思うと、韋駄天が重力に引かれるまま倒れていく。

(ひっ!)

 グワッシャーーーーー

 派手な音を立ててコンクリートの床に韋駄天が叩きつけられる。

 悲鳴を上げる暇も無く、紗奈は韋駄天の下敷きになった。


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