第五章 陰影
「お待たせいたしました」
夕は書類一式を持って応接室に入った。会社の来客用の応接室だ。護衛を派遣する警備会社という性質上、こういう部屋はきっちり防音の効いた個室になっている。その分、よさ気な調度品で誤魔化しているが、どうしても多少手狭だった。
「こちらこそ、お時間を割いていただき、ありがとうございます」
キッチリとビジネススーツを着こなした四十ぐらいの女性が、立ち上がり深々と頭を下げる。
(新条桜。紗奈の母親か)
「こちらこそお越しいただき、ありがとうございます。どうぞお掛けください」
初対面ではない。護衛の契約をした三月に会っている。しかしあれから五ヶ月が経っていた。最初の印象あまり覚えていないので、再度彼女を観察する。
紗奈に良く似た顔立ち。背格好もほぼ同じ。髪は後ろでまとめており飾り気は無い。髪は黒々としているが光の反射が黒すぎる。年齢的におそらく多少白髪染めを使っているのだろう。化粧も服も、あくまでビジネススタイルを貫いていた。
(片親ということだし、彼女もまたビジネスマンとして働いているなら当然か)
夕は彼女自身に不審な点はないと結論付けた。万が一だが保護者を偽った他人という場合や、親自身が加害者ということも考えられるので、こういう場でも相手を警戒することにしている。
また護衛の依頼者自身は大学なのだが、対象が未成年の場合、保護者を通すのが通例だった。保護者の理解がなければ、護衛は一転してストーカー行為ととられかねないからだ。
「こちらが最終報告書となります」
護衛という仕事は単に守って終り、ではない。契約があり金銭の流れがあるビジネスだ。それ故に、書類といものが発生する。報告書の類は毎月出しており、これもその一つだ。
「ありがとうございます。拝見させていただきます」
桜は書類を受け取ると、順にページをめくっていった。
こういう書類は大概郵送になる。実際毎月の報告書は郵送だった。そのほうがお互い面倒がないからだが、このように直接護衛者と話がしたいという依頼人は多い。特に最初が多い。どのような人が護衛として付くのか不安だからだろう。しかし最後に会うのもまたあることだった。だいたいはお礼、もしくは苦情を直接言いたくて、という場合だ。夕は前者はともかく後者は苦手だった。言い訳せず頭を下げるしか方法がないからだ。
しかし桜はどちらでもないようだ。真剣に報告書を呼んでいる。経験上お礼にしろ苦情にしろ、たいがい書類を読む前に一言ある。
(と、すると……何だろう?)
夕はいぶかしんだ。護衛の仕事が終了して、一月程度がすでに経っている。書類はとっくにできていたが、桜が最後に話をしたいということで、双方のスケジュールを合わせてようやくこの日時になったのだった。しかし夕にはそこまで話したいという事が思いつかない。そうなると相手の言葉を待つしかなかった。
少々時間を掛けて、五ページ程度の報告書だが、桜は隅々まで読んだ。
「ありがとうございます。いくつか質問させていただいても、よろしいでしょうか」
「もちろんです。何かご不明な点がありましたか」
桜は二ページ目に書かれていた「Eランク」の欄を指差す。
「ここは確かFだったと記憶しているのですが、違いましたか?」
「ああ、それはですね、実際に誘拐未遂事件が発生したためランクが上がったんです。以前ご説明しましたが、ランクは危険度の目安になります。危険なほど人数を増やす等対応が必要になります。金銭にかかわる部分ですので、便宜上規定しているものです。大して危険度が無い一般人はGで、大統領クラスならAという感じですね」
「以前がFだったということは、三月の誘拐未遂の件はあまり重要視されてなかったということでしょうか?」
「どのような事件でも偶発的、突発的なものがあります。相手が紗奈さんを狙う明確な理由がわからなかった以上、二回目があるかどうか不明、という扱いになります」
桜が難しい顔をした。娘を危険にさらしかねない判断に納得いっていないのだろう。
「金銭的な問題はもちろんですが、闇雲に上げても不安を煽るだけになりますから」
「でも、二回目はありました」
夕は頷いた。あの時は彼女の機転によって事なきを得たが、正直危ないところだった。
「あれで誘拐犯が同一であることも確認できました。つまり相手には明確に紗奈さんを狙う動機があるということになります。また明らかに行動を監視して、もっとも無防備なタイミングを襲ってきました。この事から突発的や愉快犯ではなく、計画的な犯行を行える犯人だと確信しています。そのためランクが上がりました」
「そのように報告書にも書いてありましたね」
桜は溜息をついた。
「三回目、はあると思いますか?」
夕は少し黙る。憶測でものを考えるのは危険だからだ。少なくとも楽観視はできない。
「……あるか無いかなら、ある、と思います」
「……」
分かっていた答えに、今度は桜が黙った。
「犯人は捕まっていませんし、明確な動機があるなら、あきらめたと考えるのは危険です」
危険が続いているという状況は、親ならやりきれない想いだろう。
「……いつぐらいまで、危険、でしょうか?」
「それはなんとも……」
夕は言葉を濁す。いつまでも、とは言い辛い。しかしその可能性があるのだ。
「今は、家から駅や施設まで、タクシーをご利用されてますよね?」
「ええ。あの誘拐未遂の後、そちらのアドバイス通りにしております」
「……これは、あくまで私の憶測で、仕事柄憶測は危険ではあるのですが、あくまで私の考えとしてお聞きください。実際のところ、それを守っている限り、三ヶ月程度は大丈夫だろうと考えられます」
「なぜです?」
夕の物言いに桜が怪訝そうに聞く。
「四月から私が護衛についてから七月まで、犯人は手を出してきませんでした。逆に言えば相手は辛抱強く待つことができるということでもあります。監視はしている可能性が高いですから、隙を見せるわけにはいきませんが。また二度失敗している以上、三回目があったとしてもさらに用意周到にタイミングを計ると考えるのが妥当です。そのため、大学が始まる九月末までは大丈夫でしょうし、その後も通学など一人になる状況をタクシーなどで回避し続ける限り、相手は手をだしてはこないでしょう。ただ、これは憶測に基づいた楽観視した無責任な発言となってしまいますので、報告書には書いてありません」
「三ヶ月の根拠は?」
「まず九月末までですが、この間電話で聞いたところスポーツジムに通っておられるとか。また、行くタイミングは気分で朝からだったり夕方だったりするそうですし、使っているタクシー会社もサイコロで決めているとか。決まったパターンを避けることで、犯人からは襲うタイミングがわからなくなります。毎日不規則に出かけている以上、家の周辺での待ち伏せなどもできなくなります。なので九月末までは大丈夫で、十月からは大学が始まりますから、また生活リズムが変わります。犯人は再度タイミングを見計らう必要が出てきます。それに大学は比較的に出入りが自由とはいえ、人の目は多いですし、出入り口に守衛もいますしね。それで一ヵ月程度は大丈夫でしょう。あくまで憶測なのですが」
「なるほど。となると、十一月の学園祭あたりが危険そうですね。その学園祭の期間だけでも、護衛のご依頼はできますでしょうか?」
「もちろん可能です」
「できればあなたに護衛を引き受けていただきたいのですが」
「ありがとうございます。ちょっと失礼します」
夕はスマホを取り出してスケジュールを確認する。まだ三ヶ月先ということもあり、十一月は空いていた。
「スケジュールは大丈夫ですね。では護衛のご依頼ということで今契約いたしますか?」
「是非、お願いします」
「では申し込み書を取ってきます。少々お待ちください」
夕が立ち上がり部屋を出ようとする。
「あの……」
「? なんでしょう?」
「いえ、その……娘のことで気が付いたことってありますか? 四月からの変化、でもいいのですが」
(?)
夕は一瞬だが怪訝な表情を浮かべた。護衛の件とは無関係だから聞きづらかったのだるうとは理解できるが、質問した理由がわからない。
(判らない、ってわけでもないしな)
三ヶ月以上一緒だったので自然と思いつくことはある。それ言葉にした。
「六月、七月ぐらいにはよく笑うようになりましたよ」
(笑うようになった、か……)
考えながら駅から家に向かって歩く。
昔、いじめに遭い、不登校になった娘は、ついぞ人前で笑ったところなど見たことがなかった。一時期、アニメやゲームに逃げたときは笑っていたが、それは中身のない虚ろな笑いだった。しかし母親である桜にも、どうしたらいいか判らなかった。
(仕事を、逃げの口実にしてたわけだけど……)
夫が亡くなっため、生活のために働いて稼がねばならなかった。もともと専業主婦になるつもりはなく職場に復帰するつもりだったから、稼ぎ自体はどうにかなった。しかしその分、娘との距離は開いたままだった。
(私には、あの子の心は癒せなかった……)
幾度も話したことはある。色々なことを話したつもりだが、結局あの子は笑わなかった。父親のことも、コンピュータに興味を持つ入り口になっただけだった。
(荒むことがなかっただけ、マシなんでしょうけど……)
アルビノである娘は家の外に出たがらなかった。太陽は容赦なく彼女の皮膚を遺伝子を焼く。これは不登校になった理由の一つでもあるのだが改善のしようがない。逆にそのために不適切な遊び場に行くことも無く、怪しい知人ができることもなかったわけだが。
(まだ世間に認められている分、すでに十分な稼ぎを得ている分、技術者として一人前な分、良いのでしょうけど……)
十代の娘の収入は、すでに一般的な社会人の収入を大幅に超えている。経済的に困ることがないというのは、十分将来を安心できる要因だが、お金では心は潤わなかったのだ。
(あの子は、何で笑うようになったんだろう……)
大学に行って何かを得たのだろうことは、想像に難くない。しかしそれは、母親である自分からは得られなかったものだという結論に結びつく。
(母親……失格……ですね)
溜息がでた。
「お母さん?」
唐突な呼びかけ。びっくりして思わず辺りを見渡した。
「紗奈……」
真横にタクシーが止まっており、その窓から娘が顔を覗かせている。
「お帰り、なさい。今日は、早いね」
自然な笑顔。
「え、ええ。仕事の切れ目、でね」
今日は仕事ではない。夕の警備会社に行くために有給を取っていたのだ。しかし、つい仕事帰りのような返答した。そのほうが問題がないだろうという、勝手な理由によるのだが。
「……ジムの帰り?」
「うん。あ、乗って。一緒に帰ろう」
タクシーのドアが開いた。紗奈は大きなトートバックを抱えて奥へ移動する。ほんの一瞬躊躇したが、桜は素直に乗り込んだ。
タクシーが走り出す。ほんの三分足らずで家に着いた。しかしその間の沈黙の時間が、桜にはとても長く感じた。
「あ、今日は、グリーンカレーにするから。一緒に、食べよう」
紗奈が抱える麻製のトートバックの中には、カレー用の食材らしき缶詰や野菜が入っていた。
「買い物も行ってきたの?」
「あそこの、スポーツジムは、一階が、スーパー、だから」
二人で家に入る。
(そういえば、一緒に家に帰ってくるのって、いつぶりかしら?)
「ただいま」
二人して、入ってすぐの和室に向かって手を合わせる。亡き夫への挨拶も、娘と一緒にするのは、命日を除けば数年ぶりな気がした。
(……数年前は中学生だし、さすがにそこまでではないわよね)
冷静に考えれば、そんなことは無い。しかし娘との記憶の時間感覚がずれているのは間違いなかった。ここ数年は、心が離れてしまっていたのかもしれない。
「じゃ、ご飯の、用意するね」
紗奈はそう言うと、バッグを持ってキッチンに続くリビングへ入っていった。
「私は着替えてくるわね」
「はーい」
キッチンとリビングの間のカウンターに、買ってきた食材を並べながら佐奈が返事をした。その口調は明らかに楽しそうだった。
「……そういえば、イダテン? だったかしら。その研究室へは行かないの?」
「うん。先輩、が、八月は、居ないから」
そう言うと、紗奈は唇を指で撫でた。無意識の癖のようだ。
(? あんな癖、あったからしら?)
研究室の話はいくらか聞いている。そういえば急にいろんな料理に挑戦するようになったことに気付いた。昔から料理はよくしていたが、レパートリーを増やそうとしているようだった。
少しだけ、母親として、女性としての勘が働いた。
「……そう。おいしいカレーができるといいわね」
「うん」
鼻歌でも歌いそうなほど上機嫌だ。
(……私はあの子を、笑顔にできなかった……)
二階の自室に向かいながら、娘の気分とは逆に桜の気持ちは沈んでいった。
父親を亡くし、いじめに遭い、登校拒否になった娘を、とうとう助けることができなかった。どうすれば良かったのかは判らない。生活のために仕事をがんばらなければならなかった、というのが言い訳であることは承知している。
どのような理由であれ、娘が笑うようになったのは良いことのはずだ。しかし母親である桜にとって、その笑顔は彼女の心を締め付けた。
深夜の公園。塀に囲まれ、木々で囲まれ、中央に小さい池のある公園だ。ベンチはあるが遊具の類は無い。街灯もあるが周辺は暗く、日が暮れたばかりでも深夜でもない中途半端な時間だからか、また真夏の熱帯夜ということもあってか、人通りはなかった。
「……失敗したよ。知っているんだろ?」
そんな所に、サングラスを掛けたスキンヘッドの男が一人ベンチに座ってた。がっしりとした体躯の持ち主だ。名前を磐田と名乗っている、自他共に認める社会不適合者の一人。
そして二つ並んだベンチのもう一つにも男が座っていた。細身でスーツを着た男は、しかし目つきが鋭かった。平和な日本ではありえないような抜き身の刃物のような鋭さだ。スキンヘッドのほうが体躯的には上なのだが、スーツのほうが危険度は上に感じる。
「知っている」
「なら、なんでここに居る」
毎月決まった日の決まった時間。それ以外に磐田がこの男と連絡をとる術は無い。失敗した以上、もう居ないだろうと思っていたのだが。
「いつもの分だ」
スーツの男は懐から封筒を一通取り出すと、ベンチにすっと置いた。傍から見ても判る程度の厚さがある。
「は。負け犬に施しを続けるとは、よっぽど金が余っているんだな」
スキンヘッドが適当に煽るが、いつものようにスーツの男は無言で流す。
「十一月に大平祭という文化祭がある」
「……そこを狙えってか。まあ今は警戒されてガチガチで隙がないから、時間をおくのはわかるがな」
「……」
「ちっ。なぁ、続けていいってんなら、銃を都合してくれねぇか?」
「……車だけでは不足か?」
「護衛のやつがな。なさけねぇが勝てねぇ。刃物も通じないだろう。離れて撃てるのがいる」
「……いいだろう」
スーツの男はそう言って立とうとした。
「なぁ。あんたらの目的はなんだ? なんであんな小娘一人を欲しがる? しかも俺らみたいな屑に金をばら撒いてまで」
「……詮索は無用のはずだが?」
「最初に言われたな。けどよ、気味が悪いんだよ。二回も失敗したのにまだ続けようとするし。金をくれるつっても、もう断りたいぐらいなんだ」
「毎月の金と、成功報酬だけでは足らないと?」
「……か、金の問題じゃねぇ。気味が悪いっつってるだろ。何で失敗している俺らを使うかぐらい、教えてくれ」
磐田は一瞬だけ恐怖が身体を突き抜けたのを感じた。嫌な汗が出る。
スーツの男は座りなおすと、少し黙った。どこまで話すか考えているようだった。
「一回目はパトロール中の警官に見つかり、二回目は居なかったはずの護衛に襲撃された。しかし両方とも証拠も残さず逃走している。警察は有力な手がかりを得ていない。また、次が無いと考えていても対象の監視は止めていない。その隙の無さを買っての三回目だ」
(……警察も、かよ)
自分達の動向を監視されているのはわかっていた。わかっていてもどうやって監視されているかは判らない。また大して表立っていない誘拐未遂事件の内部情報を得ている。
磐田はさらに冷汗が流れるのを感じだ。やはり、ただの犯罪組織ではないようだ。
(使い捨ての道具、なんだろうな)
磐田は気性と協調性の無さから社会からドロップアウトしたが、頭は回るほうだった。自分達の立場、相手の大きさ、そして取るべき行動は理解している。
「それと君らに渡している金銭は、我々からしたらハシタ金だ。その程度でアレが手に入るなら安い投資だ。彼女が何者かは知っているのだろう? 逆に言えば、安い投資しかしない程度の価値しかないがね」
「白金のウィザード。たいした技術者だって話だが、その程度ならごまんと居るだろう?」
「彼女の偉業は知っているかね?」
「あー。良く解らなかったが、ネットの渋滞を解消したとか何とか……」
どれが偉業なのかは判らなかったが、検索していたときに出てきた判り易い記事の記憶を辿る。正直、技術者でもなく専門知識もろくに無い磐田には、理解できない世界の話だった。
「そうだ。彼女のプログラムを通信機器が採用するだけで、通信効率が数倍から一万倍にまで向上する。複数の機器のプログラムが連携してコンフリクトを回避し、情報の流れを制御しているからだが、大規模になればなるほど効率化されるシステムは、公開されているプログラムからは理解できない。それは彼女の脳内だけにあるブラックボックスだ」
「……えー、あー、良くわらなねぇが、情報の流れが自由に弄れたら、悪いことが出来そうだな」
磐田がどうにか搾り出した言葉に、男は薄気味悪い笑みを浮かべた。
汗が顔を流れていくのが判った。暗めなのでこの距離だとわからないだろうが。
「今日は良くしゃべるねぇ」
精一杯の返しだ。声が裏返りそうなのを、どうにか自制できた。
「聞いたのはそちらだろう」
今度こそスーツの男は立ちあがった。
「……警察にチクるかもしれんぜ?」
「構わんよ。我々には届かない。君らが捕まるだけだ」
安い挑発だが、やはり軽くかわされた。男はそのまま闇に消えて行く。
磐田はしばらく空を見上げていた。曇った夜空はただ真っ暗だった。それから置かれていた封筒を手に取る。
その手はまだ震えていた。
相手がでかすぎる故に感じる無言の圧力。こちらが蝶を食う蟷螂なら、相手はマッコウクジラだ。世界が違いすぎる。磐田はそれを肌で感じ取っていた。
(成功しようが失敗しようが、それっきりで終わってくれればありがたいがな)
封筒をポケットに突っ込むと、震えを誤魔化すようにフラフラと歩き出した。しかし冷汗はまだ引いていなかった。




