第三章 新設計
それは夢だった。
時々見る夢。
子供の頃の記憶。
いじめられた記憶。
仲間はずれにされた記憶。
そこは自分には場違いな場所。
小学校という誰もが通う場所で、彼女には居場所がなかった。
真っ赤な眼は、異分子の証拠。
真っ白な髪は、爪弾きの目印。
真っ白な肌は、嫉妬と嫌悪の対象。
太陽の光は、遺伝子を焼く。外で行う授業は、全て不参加にするしかない。
友達はできなかった。
友達になってくれる学友はいなかった。
友達だと思った相手は、ただ彼女をからかうために嘘をついていた。
ずっと一人だった。
だから。
だからもう友達は要らない。
友達は不要だ。
一人でできることをする。
だから集団でいる学校も不要だった。
自分で選んだ道を無我夢中で貫いた。
ある時振り返る。
日向の皆が遠くで笑っていた。
日陰のこっちを見て哂っていた。
彼らにはもう何も感じない。
自分は違う世界を選んだのだから。
夢はいつもそこで終わる。
もう普通の世界に戻れない実感だけを残して。
六月。
学生が慌しくなってくる月。七月から始まる前期の試験に備える月。
ピピピピピピ
八時にセットした目覚ましの音。
ピッ
紗奈はいつも通り手馴れた手つきで止める。
「ん……」
ベッドの上で伸びをする。オーガニックコットンのパジャマが身体のラインを顕にする。しかし見る相手は居らず、そもそも部屋が暗いので宝の持ち腐れだった。
遮光カーテンの端から初夏の日差しが漏れている。それを唯一の光源として部屋は薄暗かった。アルビノである彼女にとって、紫外線は皮膚癌を誘発する有害なものであるため、なるべく避けているのだ。
部屋を出る。UVカットのレースのカーテンのみの窓から、外の明るさが漏れこんできていて家中、彼女の部屋以外、を光で満たしていた。
一階に降りると、食パンをトースターに入れ、冷蔵庫から牛乳と、昨夜作っておいたサラダを取り出す。焼けるまでの間にトイレに行き、洗面所で顔を洗う。
ここまでほぼ寝ている。無意識に近いいつもの流れ作業。まるでOS起動時の初期化動作のようだった。
焼けた食パンに蜂蜜を塗る。
(いただきます)
合掌。
冷たいサラダと牛乳がこの時期、身体に染みてくる。食パンをかじっていると徐々に頭がはっきりしてくる。
新聞は母親が通勤に持っていくので無い。テレビも見ないので、彼女の朝は情報を受け取ることは無い。ただ黙々と体中を起こすだけだった。
(ごちそうさまでした)
お皿を流しに置く。朝はそのままだ。
居間で簡単に体操をする。凝り固まった身体が解れていくのが気持ちいい。
洗面所に行き、歯を磨く。
時計を確認。八時十五分。いつもどおり。
部屋に戻り、パジャマを脱いだ。
昨日届いた服を取り出す。紗奈は服はほとんどネットの通販で買う。わざわざ外へ出て買いに行くことは無い。太陽光を避けているのもあるが、そもそも引きこもりに近い生活をしていたから、そのほうが慣れていることが大きい。
姿見で自分の身体に服を合わせる。身体つきは細身で、身長は普通の範疇。悪くないプロポーションだと思う。太らなかったのはなぜだろう。太るべきところも太っていないから、プラスマイナスゼロかもしれないが。
(あ、今日は実習だっけ)
ロボット工学科の実習は、機械を組み立てることがある。そうそう汚れないが、油汚れとかが付きかねない。
いつものジーパンを取り出す。
(でも今日は、プログラミングだったはず……大丈夫よね)
新しい服を着たい欲求が勝った。ジーパンを置く。
ちょっとフリルのついたワンピース。紫外線カット素材の長袖に膝下までのスカート。しかしセットの紺のベストが白さを強調するので暑苦しさは無い。
姿見で確認するが、悪くないと思う。見せる相手はいないけど。
化粧台に座ると、手早く髪にブラシをとおして整える。紫外線カット用のファンデを顔と首、手につける。それ以外は服に隠れるので問題ない。
薄く口紅をひく。化粧はこれだけ。肌の色が折り紙つきに白いので、余計なものは蛇足にしかならないからだ。そもそも日本で買える化粧品は、肌が黄色いことを前提に作られているので彼女に合わない。マスカラも見た目がおかしくなるので付けられないのが悩みどころ。
携帯電話を充電器から外す。時間は八時三十五分。良い時間だ。いつもの携帯用のポーチに入れて腰につけようとしたところ、ベルトやそれに類するものが無いので付けられないことに気づいた。仕方ないので鞄に入れる。
鍔広の帽子、今日は白、と色眼鏡をつけると、用意しておいた鞄をつかんで部屋をでる。
階段を下りて玄関に行く途中、和室に寄る。
仏壇の前に座ると、帽子と眼鏡を外す。
「いってきます。お父さん」
はっきりとした声で飾られた写真に話しかける。仏壇に手を合わせ、少し黙祷。
ピンポーン
時間通りにインターホンが鳴った。
紗奈は立ち上がると、帽子と眼鏡を掛けて玄関から出る。
「ぉはよう、ございます」
「おはよう」
玄関を出たところで夕が立っている。八時四十分。ここ2ヶ月、本当に時間通りに来る。ある意味驚くべき事実だった。
いつもの車が門を出たところに止まっている。この車は夕の警備会社の送迎サービスで、学校が雇ったものではなく、紗奈が自分で雇った。強くなっていく太陽光の下を歩きたくは無かったし、お金はあるので五月から雇っていた。夕もこれに乗ってくるようになり、護衛がだいぶ楽、と言っていた。
照りつける日差しから逃げるように車に乗り込む。後部座席はUVカットのスモークシールドがされていて薄暗い。
「ぉはよう、ございます。今日も、よろしく、お願いします」
運転手は頷くと、夕が乗ったのを確認して発車した。
それは夢だっだ。
子供の頃、祖父の仕事場に入り浸っていた記憶だ。
時計職人だった祖父は、手先が器用だった。
カチカチ動くクランク、動く小さな歯車の数々、それらの動力となる発条。
多くの要因がかみ合って、しかし最後には正確に時を刻む時計となる。
ほんの二、三センチのケースの中が祖父の仕事の全てだった。
仕事中は真剣で、騒いだりすれば即座に拳骨が飛んできた。
しかし、おとなしくしているなら側に居る事は許してくれた。
また、仕事以外では優しい祖父だった。
その代わりに近所付き合いは苦手だった。
偏屈というのだろう。時計と同じように人を観る人だった。
気に入らなければ、頑として首を縦に振らなかった。
ある時など、親類のお葬式に行って、大喧嘩して帰ってきた。
それでも怖いとは思わなかった。
職人として、一本筋が通っていたからだろう。
口より手を動かす人だったから、言葉数は少なかった。
だからこそ祖父の言葉は、姿は、在り方は、一志の心に残り続けている。
ピリリリーピリリリー
八時四十五分にセットした携帯電話のアラームが鳴る。
「む……」
一瞬無視を決め込んだが、いつまでも鳴り止まないので、やむなく起きた。
一志は寝袋から這い出ると、机の上に置いていた携帯電話を取り、アラームを止める。
「ふあ……時間か」
彼が居るのはガレージの奥の二階、本来クレーンなど大型機械を操作する部屋だ。閉じられるのと二階なので、夜の冷え込みが無い。六月とはいえ山からの冷えた空気で夜は結構寒い。アウトドア用品を持ち込んでいて、帰るのが面倒だったりすると、よくここで寝る。
窓からガレージ内を見る。ガレージには窓と天窓があるが、遮光用のカーテンは無い。曇りガラスのみなので太陽の光は容赦なく降り注ぎ、建物内を明るく照らしていた。
寝袋を適当に畳む。寝巻き代わりのジャージのまま、トイレと洗面所など水周りが集まっているガレージの一階奥へ向かう。
十分後、髭も剃り、さっぱりした一志が出てくる。ただ髪の毛は床屋に行ってから二ヶ月ほど経つので、ずいぶん伸びていた。季節的にそろそろばっさり切ったほうがいいかもしれない。
冷蔵庫から缶コーヒーと、買っておいたパンを取り出して食べる。
寝起きはいい方なので、すでに頭は起きている。テレビを付けて適当に朝の番組を流す。BGM代わりだ。
今日は昨日遅くまで作業していたのと、一限目から講義があるので泊まったのだ。食べながら棚の戸を開いて教科書と取り出し、鞄に放り込み、不要なものを棚に入れる。このガレージは学校の研究室という扱いなのだが、一志しか使っていないので、この一角は完全に私物化している。
食べ終わって時間を見ると九時をまわったところだった。講義は二十分から。山キャンパス側なので歩いて行ってもちょっと早いくらいだ。
着替も少し置いあるが、洗濯が面倒なので昨日のままのを着なおす。一応昨夜、ガレージのシャワーを浴びて、下着だけは替えてあるから、まあいいだろう。
脱いだジャージを衣装ケースに放り込むと、鞄をつかんでドアを開ける。正面のシャッターは閉めたままだ。人の出入りだけなら横のドアのほうが都合がいい。
「ん、今日もいい天気だ」
快晴の空を見ながら、講義のある校舎に向かって歩いていった。
「おっはよう」
「ぉはよう」
いつもの菜々美の挨拶。いつも通り。
修からちょくちょくメールが来ていて、一志からはまったく連絡が無いのもいつも通りだった。
少し前まで菜々美は、紗奈と一志の一悶着に興味を持ち、進展具合を聞いてきていたが、まったく何もないので、最近はすっかり諦めたようだった。
今から考えたら、お互い意地になっていただけで、悶着を起こすようなものではなかった。おそらくお互いの無知が原因だ。そう考えられるようになったのは、二ヵ月という時間の経過と、その間にロボット工学を勉強したからだった。あの時はまったく理解できなかった一志の主張が、今ではおぼろげながら理解できるようになっている。
一志のほうはどうだろうか。まだ意固地になっているのだろうか。気になるが、こちらから連絡をとる気はない。怒ったものの、怒る原因を言ったのは向こうだからだ。
(一言、メールでもあれば……)
きっかけが欲しい。自分の意固地な部分がむず痒い。
(先輩のことはどうでもいいけど!)
このままだと韋駄天が、心の中から消えていくような感じがする。それが嫌だった。
鞄の表面を撫でる。ずっとしまっている紙のことを考える。
(どうしよう……)
葛藤。
しかし講義が始まったので気持ちを切り替える。最近はロボットを知れば知るほど自分が成長している実感があるため、集中できるようになっていた。
夕方。朝はあれほど晴れていた天気も、午後から雲が出始め、すっかり太陽も見えなくなってしまった。
夕曰く、夜は大雨だそうだ。最近は送迎を頼んでいることもあり、すっかり天気予報をチェックしなくなっていた。
実習が終わり、山キャンパスの校舎から同じ学科の生徒が次々に出てくる。皆、雨が来る前に駅まで行こうと思っているのか、早足気味だった。
紗奈は立ち止まり、学食のほうを振り返っていた。正確にはその先の、建物に隠れているガレージを見ている。
(太陽は隠れてる)
いつもなら紫外線を嫌ってすぐに帰るのだが、この天気なら気にしなくてもいいだろう。
(行こう、かな?)
迷う。
「よう、新条さん、どうかした?」
一人の男性が、立ち止まっている紗奈に声を掛け来た。同じ学科の、名前を思い出せないが、このごろ何かと話しかけてくる相手だった。
紗奈はある種特異な人物であるが、一月もあると慣れるのか、五月半ばくらいから時々普通に声を掛けられるようになっていた。少し壁を作ってしまうが、男という生き物は懲りないのか、何度も話しかけてくる。友達になるにはいい機会なのだろうが、なんとなく軽薄な感じを受けてしまって相手側に歩み寄れていない。
「ぃえ。何でも、ありません」
「そう? それより、飯でも一緒にどう?」
「結構、です」
食事の誘いは速攻断る。半分反射になってしまっている。紗奈は、昼食はともかく夕食は家で食べる。働いている母親の帰りが遅いので料理もする。なので断っているのだが、そういう理由の察しがつかないのか、何度も誘われており、すっかり断るのが習慣になっていた。
「あ、そう。そんじゃまた」
軽く言って去っていく。修みたいにもう少し粘ったらどうかとも思う。思うだけで、されたらそれはそれで強く断るだけだろうけど。
(少し粘る、かな)
迷いは消えた。
「……篠山さん。すみません。……ちょっと、寄り道、いいですか?」
夕は無言で頷く。相変わらずの無表情だが、なぜか安堵したようにも見えた。
ガレージのシャッターは閉まっていた。窓は曇りガラスで中は見えないが、明かりは付いていないようだ。音もしない。
(誰もいない?)
折角来たのに、と思う。
(ひょっとして、もう止めてしまった?)
嫌な予感がした。修のメールにも四号を作っているような記述は無かった。ひょっとしてと思ってしまう。何とか中を見れないかとグルリと周囲をめぐる。
ブロロロロロロ……
聞きなれない機械音。
音のほうを見ると、バイクが一台こっちに向かってきている。フルフェイスのヘルメットをかぶっていて誰かはわからない。が、紗奈にはなんとなく判った。
バイクはシャッターの前に止まる。ヘルメットを取ると、案の定、一志だった。
「よう。久しぶり」
前の悶着などなかったような普通の挨拶。紗奈の心は身構えていた分、蹈鞴踏んだ。
「ぇ、ぁ、こ、こんにちは」
反射的に挨拶を返す
(どうして普通にしてられるの!)
心のどこかにずっと悶着の蟠りがあった。それなのに相手にそれが無いと思うと、なんだか一方的に損をしたような気分になる。
「どうかしたか? そんな可愛い格好して」
シャッターの開閉装置を操作しながら、ほんの挨拶のように一志が言う。
途端に紗奈は耳まで紅くなる。今日の格好はそこそこ自信はあったが、正面から可愛いなどと言われると、とんでもなく恥ずかしくなった。
「これは、ガソリンエンジンか?」
夕が、帽子を深く被って顔を隠す紗奈から注意を逸らすように一志に聞く。
「ええ。ジャンクパーツ集めて作ったんです」
「ガソリンは手に入るのか?」
十年前ほど前に桁違いの原油高が発生した。そのため高性能なバッテリーの実用化と充電関係のインフラの整備が急速に進み、電気自動車が普及。現在の自動車の九割が純粋な電気自動車となっている。バイクも例外ではなく、電気駆動が一般的だ。そのためほとんどのガソリンスタンドは充電済みバッテリーの交換場所であり、ガソリンを売らなくなってしまっていた。例外はあるものの、一般に入手は困難になっている。
「まあ、大学経由ならなんとか」
「なるほど」
大学なら研究用などで入手する方法もあるのだろう。
「乗ってみます?」
「興味はあるが、あいにく二輪免許は持って無くてな」
「構内なら問題無しですよ」
「いや、いい」
夕が珍しくそっぽを向いた。そして小さい声でつぶやく。
(……自転車にも乗れないんだ……)
「え? なんです?」
「な、なんでもない」
夕がわざとらしく咳をして誤魔化す。一志は首を傾げたが、追求はしなかった。
「ま、気が向いたらいつでもどうぞ」
そう言って空いたシャッターから、ガレージ内にバイクを入れる。
(まず、前のことをちゃんと話して、それからこれを見せて)
紗奈は顔を隠したまま、するべきことを考えた。よし、これで行こうと帽子をかぶりなおして、一志の後を追う。
「ぁあの」
と言ったまま、言葉が止まった。
紗奈の目に、ガレージの中の韋駄天が映ったからだ。ただしバラバラの。
骨のようなフレームだけが吊り下げられていて、エアーマッスルはその足元に整然と並べられている。その数は、明らかに三号で使われた数の倍はあった。
(まさか、四号?)
良く見ると吊られたフレームには、三号で大破した右腕がきちんと存在している。そしてその腕部には、以前は絶対無かった、エアーマッスルの接続用と思われるコネクターが無数に取り付けられていた。
「散らかってるけど、どうぞ」
一志の言葉で、おずおずと紗奈がガレージに入る。並べられているエアーマッスルと良く見ると札が付いていた。接続箇所の記述と検品の印のようだ。順番に見ていくと「右腕上腕」と札に書かれているを見つけた。やはりこれらは腕部も含めた全身分のエアーマッスルらしい。
(よかった。四号を作ってたんだ)
一瞬の安堵。そして、一切連絡の無かった一志に対して、沸々と怒りが込み上げてきた。
実際のところ、一志が紗奈に何の連絡もしなかったとしても別段問題のあることではない。紗奈はただ見学にきた一回生なのだから。完成したときに、また見学にくるかどうかメールするぐらいでいいはず。
しかし二カ月前、紗奈は一志と韋駄天について口論になった。続けていたなら、一言連絡があっても良かったと思ってしまう。それが自分のエゴだと理性が気づいても、感情は抑えられない。
そして、やはり電子部品はどこにも見当たらない。あの時の主張をそのまま通しているようだった。
「……どうして」
「え?」
「どうして、電子制御に、しないんですか? そこまで……コンピューターは、信用、なりませんか?」
二カ月前、一志はコンピューターが信用できないと言った。それはコンピューターありきの世界で生きてきた紗奈にとって、自分を否定されたような言葉だった。
紗奈にとってコンピューターは、精神の拠り所であり、世界に繋がる道であり、生きる糧を得るところであり、半生を捧げた相手だ。一志の過去は同情するが、だからこそ一言で否定されるのが我慢できない。
「ああ、それは……」
「し、調べました。クレーン事故のこと。弟さんのこと。確かに、コンピューターを悪者にした、あの業者は、私も腹が立ちます。でも、コンピューター自身は、ただの道具なんです。善悪はないんです」
あの時語った一志のコンピューター不信の理由。それは五年前、完全コンピューター制御のクレーン車が起こした事故。プログラム想定外の突風に対処できずに起こった事故。誰でも扱えるのが売りのクレーン車を、こともあろうに無免許のアルバイトに操作させ、暴風警報が発令されても工事を続行し、結果、クレーン自身が横転、たまたま近くを歩いていた一志の弟が片足を潰されたという事故。それなのにコンピューターが対応できなかっただの、プログラムの想定外の突風が吹いただの、散々機械のせいにして、責任逃れした会社役員。
当時一部のネットの掲示板で話題になったらしく、アーカイブを見つけてみるとかなり詳細な事までわかった。
雀の涙ほどの慰謝料だけで大好きな野球をできなくされた中学二年生。
謝罪に来た会社役員達を殴り飛ばした少年A、おそらく一志だろう、の話。
事故を起こした原因より、完全コンピューター制御に風当たりを強くした世論。
「コンピューターは、ちゃんとしたプログラムを組めば、ちゃんと応えてくれるんです。ネットワークなら、ノイズもありますし、機械制御には別途、物理的な対応のノウハウも、必要です。それらは難しいことです。でも、もし事故が起こっても、コンピューターには、何の責任はないんです。良くも悪くも、全部人の、責任、なんです」
「……」
「だ、だから……嫌いに、ならないでください……お願いです」
怒りから悲しみに感情が変わっていくのを止められない。眼に涙が溜まっていくのがわかる。
言葉とともにそれらを止める。もう少し続けたら、溢れそうだった。
一志は困ったように頭をかいた。途方にくれているのだろう。
不意にくるりと背を向けて奥へ歩いていく。
(……だめ、かな……)
喋るのは不得意だ。それでも言いたいことは、たぶん、それなりに口にしたと思う。しかし受け入れられるかどうかは別問題だ。
仕方ないと理性で理解しても、悲しさは消えそうに無かった。
「これ、わかるか?」
顔を上げると、一志が十センチ四方の基盤を手にしていた。
(あれは、GKB-828?)
ちょうど今日の実習で使った汎用制御基盤だ。CPUとGPUとメモリーを一つにまとめた統合チップを用い、LANポートやディスプレイの出力など、複数の入出力ポートを持つ基盤。直接制御で十六、USB接続で複数の専用変換基盤を通すことで実に二百五十六ものモーターやサーボ、センサーを制御できる、高性能にして安価な汎用基盤。主な用途はロボットの電子制御である。
「まだ習ってないか? GKBシリーズの基盤なんだが」
「し、知ってます。ち、ちょうど今日使いました」
それは好都合だ、と一志は頷いている。
「これの使い方、教えてくれない?」
「し、知りません!」
紗奈が怒鳴って横を向いた。
(あれ? 今日習ったんじゃ?)
一志は頭を掻いた。何を怒っているのか理解できない。二ヵ月前の口論のあと、自分なりに電子制御に関して調べた。コンピューターに関してはまだ不信のままだが、白銀のウィザードこと紗奈にプログラミングを頼めれば、十分信頼できそうだと結論づけた。もっとも、いきなりゼロから聞いても困るだろうから、独学で勉強していたのだ。
プログラミングの基礎は、その関係の講義を一応でも「優」で単位をとっているぐらいなので判っているが、いざ実戦となると経験が不足している。プログラムがいろんなところで行き詰まり、遅々として進まない。また並行して四号の設計、使う分のエアーマッスルの製作と検品を行っているので、なお更だった。
「何を怒ってるんだ?」
「……」
聞いたらものすごく睨まれた。
混乱する。何なんだ、一体。
「あの時、二カ月前、の、あの時、ひどいこと、言いましたよね」
「え……と……」
DDoS攻撃を受けてるサーバーの気分だった。混乱のあまり頭がうまく動かない。
「言・い・ま・し・た・よ・ね!」
「……え、ああ……コンピューターが信じられないってやつか?」
紗奈が頷く。
一志は益々混乱した。あの時の口論がきっかけで、今ではコンピューターを信頼しようとしている。彼女の意図から逸脱しているとは思えない。何をそんなに怒っているのだろうか。
しばらくの睨みあい。蛇と蛙。睨まれた蛙のように一志は脂汗が吹き出てきた。
「あー、ちょっといいか?」
夕がやれやれと溜息をつきながら、紗奈の後ろから声を掛ける。
「犬も食わない喧嘩の仲裁はできればしたくないが、あまり時間をかけられても困るんでな」
『?』
「思いっきり簡単な、男女の思考方法の違いによるすれ違い。男は経過をすっとばして結論を出して行動する。女は経過をきっちり行ってから結論に達する。二人とも、その典型だ」
一志は頭をかき、紗奈も呆然と夕を見ている。二人とも理解ができないと顔に書いてあった。
「要するに、荒川さんはコンピューター不信だったが、新条との口論がきっかけで使うことを考えるようになった。で、口論の過程をすっとばして使おうとすること自体で意思表示している、つもりなんだろう」
一志は大体合っているその意見に頷いた。
「で、新条はまだ口論を引きずっている。なぜなら口論の過程を行っていないからだ。例え相手が自分の意思を酌んでくれていたとしても、結論だけを見せられては共感できない」
今度は紗奈が頷く。
『ええと』
夕の意見で現状の認識ができた。とはいえ、二人ともそこからの解決方法が思いつかない。互いに眼を合わせながら、困惑の色を浮かべている。
「まあ早い話。一度ちゃんと謝れ、ってことだ」
「え? 何にです?」
反射的に聞き返した。本当にわからない。紗奈がまた睨んでくる。
夕がこめかみに指を当てて、盛大に溜息をついた。本当に男って馬鹿だ、と呟く。
「コンピューターが信じられないと言っただろう? この」
ポンと紗奈の肩に手を置く。
「コンピューターによる成功者、稀代のウィザード、コンピューターを自分の半身とも考えている彼女に」
一志がなるほどと首を縦に振った。ようやく理解したようだ。
「ちょ、半身って……」
「違うか? だからこれほど腹を立てたのだろう?」
「……ち、違わない、です」
夕の言葉に紗奈は反論できなかった。自分の半身と考えていたことを今この瞬間に自覚する。漠然と感じていたこと、言葉にしつつも実感の無かったいろんなことが、今のやり取りで氷解した。
「あ、えと、申し訳ない。言い過ぎた」
一志が腰を折り、深々と頭を下げる。
この一言が聞きたかったんだ、と紗奈は思った。怒りは無くなり、心のモヤモヤもすっきりする。先ほどのと合わせて心が澄んだ気すらした。
「ぁの……判りま、したから……頭を、上げてください」
怒りが去ったが、今度は目上の人に頭を下げさせている事実に困惑する。
「ほんとうに、申し訳なかった」
一志は頭を上げ、もう一度紗奈を見ながら謝った。言い過ぎたことも含め、気づかなかったことを本当に申し訳ないと。
「こ、こ、こっちこそ……すみません」
今度は紗奈が謝る。
「ちゃ、ちゃんと、話せばいいのに、意固地に、なって、しまって」
一志が慌てる。お互い喧嘩に、仲直りに慣れていないのだろう。だんだん謝り合戦になってくる。
「はいはい、その辺で」
見かねて、また夕が割ってはいった。それでようやく止まる。二人は、なんとなく苦笑いをしてしまった。
「ぁ……それで、電子制御にする、ことに、したんですが?」
一志が手に持ったままの制御基盤を指す。
「ああ、でも駆動系は三号のままのつもりなんだけど。安全装置に使えないかと思って」
「安全、装置?」
紗奈が首を傾げる。駆動系を以前のままならアナログ制御だ。それに電子的な安全装置をどうやって組み込むのか判らない。
「三号での失敗の一つに、圧力系が一つに集中していることがあって、どこか一箇所でも壊れると全体の空気圧を維持できない。でも例えば、前みたいに右足の圧力チューブが外れても、左足や両手が使えるなら回避できるかもしれない。その制御を行いたいんだ。他にも緊急停止させる場合に、単に圧を止めればいいというわけじゃない。二足歩行でそれをやったら倒れてしまう。その辺りも調整ができればと考えている」
できるかどうかはまだ未知数だけど、と一志は頭をかいた。
「ぁ、あのそれなら」
紗奈は鞄から紙を取り出す。一ヵ月もの間、鞄を変えても入れなおして持ってき続けた紙。そのため四隅が擦れている。広げるとA3の紙だ。一辺にパンチ穴が並んでいるのでスケッチブックだろうか。それに韋駄天とおぼしき人型を中心に、いろんなことが記述されていた。
「これは?」
「で、電子制御を使わない、先輩のコンセプトは、理解できた、つもりです……駆動系はそのままに、別系統、で、バランスをとっては、どうかと……」
「別系統?」
紗奈は韋駄天らしい人型の両肩から伸びた線を指す。
「電子制御の、バランサー、です……水平維持、以外にも、モードの切り替え……走る、とか、物を持ち上げる、とかと、各部のバランスを、データとして、得られれば、適切な設定、が、可能だと、思うんです」
「……」
「講義で、パワーアシストスーツを、習っときに、なぜ、あれがアシスト、に徹してるかを、知りました。機械が、暴走したときに、人の力、で抑え込めるように、なんですよね?……だから軍用以外は補助で……パワードスーツは、韋駄天は、この仕組みを当てはめられません……そこで、二系統用意して、片方で抑えられればと、考えたんです」
「……」
一志は黙っていた。考え込んでいるのか、無表情で紗奈の持っている紙を凝視している。
紗奈はだんだん不安になってきた。ひょっとしたら見当違いのことを言っているのではないかと思えてくる。
「おい、荒川さん」
夕が声を掛ける。
「考えているなら、考え中とでも言った方がいい。黙っていると相手が不安になる」
「え、あ、ああ、そうですね」
一志ははっとして頭を掻いた。そして紗奈の書いた韋駄天を指差さす。
「これはいいかも」
素直に感心した声。紗奈の表情が一気に明るくなる。
「ちょっと、こっちに来て」
紗奈は誘われるままガレージの奥に行く。
そこには広い机、作業台があった。そこに一志は丸めてあった大きな紙を広げる。A1ほどもあるそれは、韋駄天の設計図だった。正面と側面が書かれた二面図。骨格フレームや、各部に付けられるエアーマッスルの配置、コンプレッサーやモーター、バッテリーの搭載位置などなど、事細かにいろいろな情報が書き込まれている。
まだ一回生で設計の実習をしていない紗奈にとっては、初めて見る本物の機械の設計図だった。自分の書いた韋駄天の絵が落書きに思えてしまい、恥ずかしくなって見えないように折りたたむ。
「ちょっと貸してくれる?」
その恥ずかしさを考慮しない言葉に、紗奈は折りたたんだ紙をしぶしぶ渡す。広げて設計図の上に置かれると益々落書きに見えて恥ずかしかった。
しかし一志は気にしてない様子で、見比べながら、設計図に直接線を引き始める。
「バランサーは肩を付け根として、サーボとかはこの辺りかな? ジャイロセンサーは中心で・・と、どうしたの?」
「ぁ、ぃぇ、その……」
紗奈は恥ずかしさのあまり、耳まで真っ赤だった。肌が白いからなお更良くわかる。
「……立派な設計図、の上に、置かれると……恥ずかしくて……」
一志は紙と紗奈を交互に見ながら、ああ、と頷いた。
「清書するまではこんなもんだよ。なんなら俺のメモ書き見る?」
そう言って奥の書類ケースを開く。そこにはルーズリーフや裏紙に書かれた無数の韋駄天、お世辞に言っても下手糞な絵、があった。試行錯誤の結果なのだろう。文字まで汚いから、はっきりいって紗奈には暗号に見えた。
「これに比べれば、これはすごく綺麗だよ。見やすいし」
にこやかに言われた。嬉しさのあまり、顔から熱がなかなか引かない。
「ところで、ここはどういう意味? 基盤の配置が三つほどあるけど?」
「ぇ、ぁ、えと、その、候補です……韋駄天のサイズなら、制御基盤は、だいたいどこにでも、設置できます、けど……けれど、モーターみたいに、ノイズ元の傍だと……それに、メンテナンスのため、に、あまり、アクセスできない、ところにも、置けないですし……」
「なるほど。この基盤を使うなら、予定はここだったんだが、どうだろ?」
一志が指し示したのは搭乗者の真正面だった。
「人自体をノイズの遮蔽に使うのと、ディスプレイをここに置きたいから。まあケーブル延ばせばどこでもいいのだけど」
「なるほど……いい、と思います。それ……それでしたら、電子系を、集中できますし」
一志の設計に紗奈の案が乗っていく。互いの意見の出し合いがどんどん設計に改良が加わっていく。
紗奈は自分の意見を受けいれらることが嬉しかった。
一志は紗奈のまだ素人ながら的を得た意見に舌を巻きつつ、意見交換できるのが楽しかった。
「おーい、荒川いるか? って、こんちは」
修はガレージにやっていくると、夕が居たので驚いた。彼女は無言で奥を指し示す。見ると二人が並んで何か机にあるものに対して話しているようだ。
「あ、仲直りしたのか」
全然連絡を取らない一志にやきもきしたが、うまく収まったらしい。
何を話してるか、と近づきかけた修は歩みを止めた。
「ここにバッテリーを置くと、ウェイトバランスが……」
「……でも、モーターがある以上、コンプレッサーは、この位置に……」
「前面にボンベ、だめだ危険すぎる……」
「えと……これなら、どうですか?……」
韋駄天の話をしている。どうやら設計に関してらしい。思わず振り返って夕に、いつからか聞いてみる。
「かれこれ二時間になるかな」
夕が腕時計を見て、やれやれと肩をすくめる。
修は頭を抱えた。
「機械馬鹿……いや、韋駄天馬鹿が増えた……」
さらに一時間、一志と紗奈は話し続けた。お互い貯めた意見を出し合ったため、設計図はすっかり鉛筆で真っ黒だった。
「だいたいこんなもんかな?」
「……ですね……ソフトウェア、は、また別、ですけど」
「だな。とりあえずこれを清書してみる。このままじゃ読みづらい」
「……確かに……」
お互い達成感に満ち溢れていた。疲れていたが、まったく感じない。
「あれ?」
一志が修に気づく。
修と夕は二人してソファに腰掛けていた。最初は修がなにかと夕に話しかけていたが、曖昧に言葉を濁されるので、だんだん話さなくなった。修はやむ終えず雑誌置き場に積んであった車雑誌を広げていた。夕は何度か電話をかけていたが、それ以外はポケットから取り出した本を読みながら静かに待っていた。
「気づくの遅ぇよ」
修が毒づく。
「悪い。全然気づかなかった。いつから居た?」
「たく。まず時計を見てみろ」
「え? あ!」
自分の腕時計を見て、一志は驚いた。すでに十九時をまわっている。ガレージに来たのが十六時前ぐらいだったはずだから、三時間も経っていたのだ。
一志と紗奈はお互いを見て笑った。笑うしかなかった。
「声を掛けてくれたらよかったのに」
「掛けたよ。けど、お前が作業に没頭すると、何言っても無駄だろが」
修は盛大に溜息をついた。
「す、すみません……随分遅く、なってしまって……」
紗奈が頭を下げる。
(あれ?)
グラリと紗奈の視界が歪んだ。
「おっと」
ふらついた紗奈を、隣に居た一志が咄嗟に抱きとめた。
「……ぁれ……?」
紗奈の白い顔から血の気が引き、本当に青白くなっていた。体中に力が入らないらしく、一志に支えられている状態のままぐったりとしていた。
即座に夕が駆け寄ってくる。額を触って熱をみて、手をとって脈を計った。
「単なる疲れだと思うが」
紗奈は頷いた。これほどの時間立ち続けていたことは無い。基礎体力の低い身体だ。高揚感で気づかなかったとしても、体力は限界に達していたのだろう。
「少し座って、水分補給を」
夕の提案どおり、ソファに紗奈を座らせると、一志が冷蔵庫から炭酸飲料を用意する。
ジュースを口に含むと、それだけで水分が染みていく気がした。同時にものすごい疲労感が襲ってきて、一瞬コップを落としそうになる。今横になったら、即座に寝てしまいそうだった。
しばらく座っていると幾らか楽になってくる。
「……あれ?……雨?……」
六月なので十九時でもいつもはまだうっすらと明るいが、それを打ち消すように雨が降っていた。夕立のような強い雨ではなく、シトシトと降る静かな雨だった。時間すら忘れていた二人が気づかなかったのも無理はない。
「車にはここまで来てもらいます。幸いまだゲートは閉まってませんから」
夕の提案に紗奈は頷く。
「あ、ちょっといいか? 三人に用事があって待ってたんだが」
携帯電話を取り出した夕に、修がまったをかけた。




