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第九章 芽吹き

 大平祭はかなりの大騒ぎとなった。誘拐事件という大きなハプニングがあったため、警察が現場検証に立ち入り、ステージが閉鎖されたことでスケジュールが大幅に狂った。韋駄天が通ったモノレールも一時止められたため、資材の運搬に支障がでてしまい、出店などへの食材の供給が遅れるなどの弊害が発生。事件が祭りの初日だったこともあり、三日ある大平祭全体が半ばマヒ状態となってしまったのだ。

 運営委員会はもちろん、事務処理を行っている事務棟の動きもてんやわんやとなってしまい、大平祭はまともに開催できない状態のまま期日が終了してしまった。

 ただ、大学全体から見れば、単純に失敗だったとはいえなかった。

 事の顛末全てではないが、スマホなどで撮られた動画や写真がネットに上がり、またテレビやネットのニュース、新聞に載ったりしたため、韋駄天は日本中、世界中に知れ渡ることとなった。当然、大学の名前も同時に知れ渡った。

 問い合わせが殺到し、大平祭終了後も事務棟は半ばマヒ状態が続いたが、大学の知名度の点では半端なく上昇したのだった。


「ひどいな……」

 一志が誰にも聞こえないぐらいの声でつぶやいた。頭や腕に包帯を巻き、体のあちこちに打撲があった。車に体当たりされた上に貯水池に叩き込まれたのだ。皮つなぎのおかげで擦り傷などはなかったが衝撃によるダメージは結構あった。いつの間にか頭も打っていたらしく、出血もしていた。まる二日、検査もかねて入院していたぐらいの怪我を負っていたのだ。

 昨日退院し、今、貯水池の韋駄天の引き上げに立ち会っていた。車は事件当日に早々に警察に引き上げられたが、二メートル半の人型ロボットをどのように引き上げていいかわからず、放置されていたのだった。

 一志は引き上げに際し、どのようにロープをかければ良いかを警察に話すために呼ばれた。

 ウィンウィン

 大型のクレーンがワイヤーを巻き上げはじめる。しばらくしてそれが姿を現した。

 韋駄天は、一志の言葉通りの姿だった。

 白かった外装は緑や茶色の汚れが付着し、黒かったエアーマッスルも汚さがわかるほど何かが付いていた。ボタボタと藻が混じった緑色の水を滴らせ、頭部のおはよウサギはその水を吸って無残にくたびれている。内部の機構は見えないが、二日以上も水に使っていたのだ。電気系、駆動系は確実に壊れているだろうし、エアーマッスルや給排気系も浸水して使いもにならないだろう。あの立ち回りに加え、車と衝突したことから、骨格も無事か疑わしい。

 韋駄天五号は、完成してからわずか半日でその寿命を終えてしまった。

 引き上げた機体から壊れ方などのデータは取れるだろうが、それだけだ。ここ一ヶ月の不眠不休の苦労は、全て壊れてしまったのだ。

(ロボットショーで一位だったのが、せめてもの救いか……)

 ショー後、観客の投票で決まる順位は、集計自体が騒ぎのためずれこんだものの後日発表され、韋駄天がダントツのトップとなった。見舞いがてら、ショーに参加した他の研究室の人たちが賛辞を述べてくれたが、一志の心は曇ったままだった。

 作ってすぐ壊れるのは二号も三号も四号もそうだったが、無残な五号の姿は心にのしかかった。それだけ皆で懸命に作ったからかもしれない。

「センパイ」

「……新条?」

 振り返ると紗奈が立っていた。ベージュ系の丈の長いワンピースを着て、今日は日傘も差していた。

 彼女は幸い怪我一つ負わなかった。

 誘拐事件という大事件の直後のためか、彼女は夕を含む三人の護衛と思しき黒服の男女に囲まれている。

「韋駄天、五号……どうなるんですか?」

「とりあえず証拠物件として警察が持っていくそうだ。そのうち返してもらえるだろうけど、もう修理もできないだろうな」

 二号も三号も四号も、部品のいくらか流用するために残したりしていたが、壊れたり使い物にならないものは捨ててきた。五号はこのままだと全て捨てることになる。

「あ、ぬいぐるみ、ごめんな。あんなふうになって……」

「それは、いいんです。もともと、ボロボロ、でしたし。それより、センパイ、大丈夫ですか?」

「え?」

「ごはん、食べてないんじゃない、ですか? 顔色、悪いですよ」

 一志は自分の顔を顔を触る。

「ああ、ちょっと食欲が無くてな」

 入院中もロクに食べられなかった。それどころか、食べたものを何度も吐き戻した。医者によると騒動による緊張とストレスの反動だそうだ。命がけの危機に、内臓がびっくりしたらしい。退院するころには嘔吐は無くなったが、その後も韋駄天のことがあり、結局何も食べていなかった。点滴を一度してもらったが、栄養不足が顔にでているのだろう。

「……」

 紗奈は一瞬何か言おうとしてたが、そのまま黙った。

「荒川さん、そろそろ行きます。いいですか?」

 警官の一人が声を掛けてきた。見ると韋駄天はトラックに積まれ、すでに固定されている。

「え?」

「ああ、ちょっと検証に立ち会うことになっているんだ。なにせこんな機械、どう調べたらいいかわからないらしくてな」

 一志はそれだけ言って、警官の方に歩いていった。

「センパイ!」

「ん?」

 紗奈の声に振り返ると、風呂敷に包んだ何かを押し付けてきた。

「お弁当です。少しは、食べてください」

 いつもの重箱のような大きなものではなく、小さい普通のお弁当箱のようだ。女性物よりは大きいが、男性用としては小さい。そのぐらいの大きさ。

「あ、ああ……」

 食欲の無さ故に、素直にありがとうと言えない。

「消化の良さそうなもの、で作りました。一口だけも、食べてください」

「?……新条?」

 なぜ食欲が無いことがわかったのだろう? 見舞いには来てくれていたが、怪我以外の体調については言っていないはずだ。

「……今の私にできる、精一杯です」

 彼女は両の眼に涙を貯めていた。化粧でされている顔色に、一志はようやく気づいた。


 韋駄天を乗せたトラックが走る。一志はその助手席に座り、窓の外を見ていた。

(新条も……だったんだな)

 韋駄天は皆で作ったものだ。壊れたら、感じることは程度の差こそあれ、やはり皆一緒だったのだ。特に紗奈は修や菜々美よりも思い入れが強かったのだろう。おそらく自分と同じくらいに。そして彼女も命が危険に晒された。一志と同様に、食欲が無かったに違いない。

(それなのに……)

 怪我をしたり、入院したせいもあるだろうが、一志は周囲に気を配ることをしなかった。少し見回すだけで気づけたかもしれないのに。

 自分一人で抱え込んでいる、と勘違いしていた。

 退院してから先ほど紗奈に会うまで、誰にも会っていない。

(一度、ちゃんと会ったほうがいいな)

 協力してくれた修、何かと走り回ってくれた菜々美、事件の時いろいろと助けてくれた夕、そして最も一緒に韋駄天を作った紗奈。

 抱え込んでいた重い重石が、少しだけ分散した気がした。

 気分が軽くなった気がした。

 グゥ……

 緊張が緩んだとたん、胃が空腹を主張してきた。

 膝の上に置いていた紗奈の弁当を見る。それだけで唾液が出てくる。食欲が出てくる。

(パブロフの犬か、俺は)

 内心で苦笑。

 無言で風呂敷を開く。プラスチックの入れ物を開ける。

 ふんわりと、おいしそうな香りが鼻腔をくすぐった。

 手掴みで食べられるようにか、基本はサンドイッチで、おかずにはプラスチックのピンが刺さっている。お弁当定番の揚げ物は無く、野菜を巻いて袋状にしたものと、肉団子っぽいものが入っていた。

「いただきます」

 サンドイッチを取り出して一口食べる。シャクシャクとレタスの歯ごたえが心地いい。ペースト状にした野菜だろうか、が挟み込んであり、いろんな野菜の味が口内に広がる。

(旨い)

 数日振りのまともな食事。力が体に入ってくる気がした。


 この事件によって、大平大学、そして荒川一志の名前は世界中の人々や企業が知ることになる。それほど韋駄天五号の立ち回りのインパクトは強かった。協力者である「白銀のウィザード」新条紗奈のネームバリューも、それを後押ししていた。

 そのため忙殺される日々が続き、すぐに五ヶ月が過ぎた。


「これ、こっちかな?」

「はい。そのまま接続してください」

 紗奈の指示通りに、菜々美が肩のコネクタにケーブルを接続する。

「はい、ヘルメット。しかし、けったいな格好やな」

 菜々美が自転車用のヘルメットを渡しながらまじまじと見る。紗奈の着替えた格好がなかなか不可思議に思えたからだ。

 彼女は今、自転車レース用の黒いツナギを着ている。アクセントのように白いラインが入ったもので、ヘルメットも自転車用なので、これだけならデザイン的にまとまってる。

 問題は、体のあちこちから飛び出た端子だった。手首、肘、肩、わき腹、膝、足首と、金属の棒がひょっこりでているのだ。なまじベースとなるツナギが落ち着いたデザインなため、それらが明らかな違和感を発している。

「固定プラグですから。強度的にこの大きさがいるんですよ」

 紗奈が困ったように首を傾げた。

 またグローブに指先の動きや、胴体のバイタルサインを得るセンサーが組み込まれているため、それらを外部と接続するケーブルも首からぶら下っていた。

 彼女自身、理屈はわかっているが、恥ずかしい格好なのも理解している。

 特にこの服は体のラインがはっきりわかるため、意識すると羞恥で顔が火照ってしまう。できれば誰かに代わってほしかったが、あいにく今回の主役は自分なのだ。

 ドンドン

 更衣室のドアが叩かれた。

「はいー?」

「おーい。もうじき時間だけど、用意はまだか?」

 菜々美の返事にドアの向こうから修が聞いてきた。

「あ、もう終わったで……って開けなや!」

 手近にあった着替えを入れていた袋をつかむと、ぶん投げる。

「おっと」

 修が反射的に引っ込み、器用に飛んできた袋を掴みながらドアを閉めた。

「まったく。スケベが直らんな」

 憤慨してる菜々美の横で、紗奈が笑いを堪えていた。二人の関係はすでに周知の事実となっている。喧嘩するほど仲がいいというやつだろう。

 一志曰く、修の誤算は彼女の強さだそうだ。性格的に軽く、周囲に気配りができる修は、複数の女生徒関係を持つことがある。本来なら修羅場になりそうなものだが、菜々美はことごとく相手に勝っているのだという。そして当然のように修を引っつかんでいるわけだ。年末には、携帯から女性の名前がことごとく消されていったのを修が嘆いていた、と一志経由で聞いた。

 それでも上手くいっているのだから不思議なものだ。きっと修も菜々美も根底部分で、互いが一番と思っているのだろう。

「じゃ、行きましょうか」

 少し笑いながら、紗奈は菜々美を押して更衣室を出て行った。


 更衣室を出て通路を移動する。張られた暗幕の裏を通って体育館の裏手に出る。

「よう」

 一志が気づいて挨拶すると、途端に多くのフラッシュが紗奈に向かって光った。眩しさで反射的に顔の前に手を置いてしまう。特に彼女の場合、アルビノのため強い光になお更弱い。今日は眼鏡ではなく色付きのコンタクトなので、なのカメラのフラッシュは苦手だった。

 韋駄天の周りには幾人もの記者やカメラマン、協力企業の技術者など、多くの人がいた。

「すみません。手をどけてもらえます?」

 カメラマンの一人が声を掛けてきた。今の彼らの目的の一つは紗奈なのだ。

 女性がフラッシュを遮るように紗奈の前に立った。カメラマンが何か言うより先に怒鳴る。

「彼女に対してのフラッシュは禁止されています。失明の危険があるからと、取材規約に書かれていたでしょう? 規約違反で強制排除しましょうか?」

 警備責任者の言葉に、カメラマンは言葉を飲み込んだ。しぶしぶな感じで、カメラからフラッシュを外す。いくらデジタルで修正ができるとはいえ、フラッシュは撮影の基本だ。良い写真が取れないのは、プロとして妥協しがたいことなのだろう。

 しかし警備責任者、篠山夕にとって、そんなことは知ったことではない。

「ありごうございます」

 小声で夕に礼を言う。夕も振り向いて、紗奈にだけ見えるように笑みを返した。

 カシャカシャとフラッシュの無い撮影音だけとなった場所で、紗奈は一志の前まで移動する。

「お待たせしました」

「こっちも今来たところだ」

 一志も紗奈と同じような格好をしている。とはいえ元となったツナギが異なるため、紗奈よりも見栄えがしない。多少汚れがあり、どこか作業着の印象がある。それでも同じ突起がついていて、同じような違和感があった。

 紗奈は彼の傍の韋駄天を見上げる。

 白に統一された外装。エアーマッスルもライトグレーの防水シートで覆われ、全体的に白く見える。頭部には縫いぐるみではなく、きちんとしたカメラやセンサーを搭載した実用的な頭が付けられているが、二本の棒状のものが上方に向かって伸びているため、やはりウサギの頭のような印象がある。この棒は飾りではなく、センサーとアンテナ、および集音マイクの機能を持っている。

 そして左肩には「六」の一文字。

 韋駄天六号が、五号と同じ待機状態で座っていた。

「紗奈、いけるか?」

 少し心配そうに一志が見る。しかし紗奈は幾度か深呼吸すると、微笑み返した。

「大丈夫です」

 そう言うと、韋駄天の横に移動し、乗り込む。

 待機状態の韋駄天は足を折り曲げている分、搭乗席が低くなっている。ステップを使えば小柄な紗奈でも容易に座ることができた。

 シートベルトを付け、体を固定し、首からぶら下っていたケーブルを正面のディスプレイ下のコネクタに接続する。

「起動します」

 手足は固定しないまま、目の前のディスプレイ横のメインスイッチを入れた。

 フィィィィィ……・

 制御系のコンピューターに電気が流れファンが回り始める。今回搭載されているのは汎用のGKBボードではなく、回路から専用設計された組み込み型のものだ。メモリーチェックなど、一通りのチェックを数秒で終えると、即座に起動する。

 一瞬だけディスプレイに、眼帯をつけたウサギを象った白いロゴマーク、及び「SANA SYSYTEM」と表示された。組み込み型とはいえ、内部のプログラムは紗奈のお手製だった。それが消えた後、韋駄天の状態を示すいくつもの線や記号、数値の組み合わせが表示され、それらが順次オレンジから緑色に変わっていく。

 全てが緑色になる。問題は無い。

「システムオールグリーン。固定フェイズへ移行します。」

 ディスプレイをタップして、登録ユーザーの一覧を表示する。グローブの指先には導電糸が仕込んであるので、操作に問題は無い。

「搭乗者、新条紗奈を選択」

 リストの中から自らの名前を選ぶ。他に「荒川一志」「八幡修」「大林菜々美」の名前がある。ケーブルで本人と繋がるのだから、そこから情報を得ればよさそうなものだが、スーツ自体が試作品のため、そこまでの機能は無い。

 ウィンウィンウィン

 韋駄天が動き出した。四肢が動いているのではなく、その内側、搭乗者との接続用アームが動いている。ある地点までくると、それらはピタリと止まった。

「固定します」

 ツナギから出ていた突起をアームの接続部分にはめていく。はめる度にカチという音とともに電磁ロックされる。各部の位置は先ほどの設定で調整されている。接続はスムーズだ。

 全てをはめると、ディスプレイに「Connect OK」と表示された。

「韋駄天、モータースタート」

 音声認識方式は五号から変わらない。

 ……フォンフォンフォンフォン……

 密閉ケース内に収められたモーターが、静かにコンプレッサーを回し始めた。タンク内の与圧を上がっていく。先ほどまで一志が乗っていたからか、短時間で十分な圧まで上がった。

「韋駄天六号。動作開始します」

 紗奈の動きに合わせて、白い巨人が、韋駄天六号が立ち上がり始める。全高二メートル五十センチ。乾燥重量百六十キロの巨人。その動きは力強く、かつ滑らかだ。

 協力企業から重量出力比の優れたエアーマッスルを提供してもらい、さらにそれに合わせた骨格の設計により、搭乗者の体格への対応機能を搭載しつつ、スリム化と軽量化を達成していた。それでいて、最大出力、稼働時間は五号を上回る。さらには手の指が三本だった五号と異なり、六号は五本ありグローブに仕込まれたセンサーと連動して指ごとに動かすこともできる。

 五号よりもさらに静かな動作音で、韋駄天六号は立ち上がった。両肩のバランサーウェイトが動き、重心のズレを吸収したので、ふらつきもしない。

 カシャカシャカシャ

 カメラマンが幾度もシャッターを切る。その音を時々シューという排出音が遮る。

「じゃ、いってきます」

 そう言って紗奈は、韋駄天は体育館の入り口に向かった。

 今、体育館には多くの人が居る。

 入学式。

 そこで新入生達に韋駄天のお披露目をするために向かう。

「あ」

 考えたら急に緊張してきた。しゃべる内容などは覚えているが、またあの時のように脳裏が白紙になる気がしたのだ。しかも今回、傍に一志は居ない。

 紗奈の動きに合わせて、入り口をくぐりかけた韋駄天が停止した。

「どうした?」

 一志が慌てて駆け寄る。十分なテストを行ったつもりだったが、何かトラブルが起こったと思ったのだ。

(センパイ……すみません、ちょっと緊張してきました)

 恥ずかしかったので小声で答える。

「ふう、そうか……大丈夫、じゃないよな……おまじないでもしようか?」

 一志が安心したように息を吐いた。そしてからかう様に言う。

 紗奈は「おまじない」の意味を悟り、顔を赤くする。

「い、いえ。大丈夫、です」

 恥ずかしさで、少し呂律がおかしくなった。

 スーハァ、スーハァ

 深呼吸して、気を落ち着かせる。

 三回深呼吸した後、再び歩き出す。韋駄天は二人のやり取りなど知らないかのように、紗奈の動きに合わせて歩く。

 ところで今、体育館は暗幕であちこちが覆われている。中で座っている新入生達に出し物のネタばれをしないためだ。韋駄天は巨大なため、入れる場所が限定されている。今回ステージ近くの入り口を暗幕で広く覆って、見えなくしていた。

 その構造上、入り口、ステージなどから完全に見えなく位置がある。

 一志は、入り口まで来たついでに暗幕が引っかからないように、その位置に先回りして暗幕を引っ張って動かした。

 韋駄天が、紗奈がその位置に移動する。少々暗いが、見えないわけではない。暗幕を動かしてもらったので、十分な広さがあり、引っかかる心配も無い。

 暗幕を動かしていた場所を韋駄天が通過する。何も問題無い。

 一志は暗幕を離すと、通過した韋駄天を追うように移動して、一瞬だけよじ登った。

「!……」

 一瞬加わった加重に反応して、韋駄天のバランサーウェイトが動く。しかしそれだけだ。

 誰からも見えない位置。何があったかは、二人と韋駄天にしか判らない。

「おまじないだ」

 降り際に一志が呟いた。

「……ばか……」

 紗奈は顔を真っ赤にして小声で抗議する。しかしその顔は困りつつも、眼が笑っていた。

 韋駄天は、紗奈はそのまま何事も無かったかのように歩いていく。一志もその後ろを付いていく。

 ステージはすぐそこだ。

 気付いた係りの人が、誘導するように手を振る。

 ステージの横に立つ。司会者が言ってることが判る距離。出番はすぐらしい。

 無意識に右手で唇を触れる。韋駄天も同じように自分の顔を触っていた。今回は正面の透明プラスチックのボードは外してある。だから可能な動きだ。

 ステージに動きがある。

「それじゃ、よろしくお願いします」

 誘導係の人が声を掛けてきた。

 紗奈は歩き出す。韋駄天が歩き出す。

 ステージの脇から中央に向かう。同時に視界が開け、多くの学生が、新入生が見えた。

 韋駄天が姿を現すと、どよめきのような歓声がした。

 今年は韋駄天効果のためか、試験がかなりの倍率だった。定員割れが多い昨今では珍しく、特別枠を用意して定員を増加させたらしい。その知識のせいか自分の時より多く居るように感じる。彼らの多くが韋駄天六号を見て、驚き、喜び、笑い、歓声をあげていた。

(一年前、私はあそこに居たんだ……)

 韋駄天を興味を持っただけの少女。友達は居らず、作る気もなかった。ただ自分の世界に篭っていた。話をすることすら嫌だった。

 それがたった一年で変わった。

 親友の菜々美。

 友達とは言えなくもない、普通に話ができるロボット工学科の同期の学生達。

 少々女性にだらしないが、何かと気が利く上級生の修。

 まるで姉のように親身になってくれて、仕事とはいえ、それこそ命がけで守ってくれる夕。

 勇武をはじめ、韋駄天製作に協力してくれている多くの企業の方々。

 そして、父親、母親と同等に一番大事な人。

(新入生みんなは、どんな一年を過ごすんだろう?)

 そう考えていたからか、紗奈はまったく緊張しなかった。充実していた一年の事、隅々まで知っている韋駄天の事を話せばいい。

 司会が韋駄天を紹介する。

 韋駄天の手でマイクを受け取り、正面に持ってくる。このために正面のボードを外していたのだった。

「皆さん、こんにちは」

 身体の内から、言葉が溢れてきた。


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