所詮、彼は裏側だ
夢の世界で意識を奪われるという稀有な体験をしたミロンだが、彼は現在起床していた。
夢の中で意識を失うと、目が醒めるようだ。
しかし、ミロンの精神は未だに回復しない。
それもその筈である。
痛みを感じ易い状態のミロンが、眼球に指を入れられた。その上、脳味噌まで弄られたのだ。
その痛みと不快感は、経験したことがない程の精神的苦痛をミロンに与えた。
ミロンの手足は、まだ痛みを思い出して痙攣を繰り返す。目の焦点も合わずに、ミロンには世界が震えているように見えた。
「兄様、起きたの?」
今にも『壊れ』てしまいそうなミロンの頭上から、甘く優しい声が降り注いだ。
それはネリーの声である。
「……凄い汗ね」
言われて、ミロンは気が付いた。異常な程の汗が流れていた。
ベッドのシーツが一部変色している。汗により濡れて、色が変わっているのだろう。
「嫌な夢を見たの? もう大丈夫よ。兄様は起きているわ」
ネリーは愛おしげな手付きで、左手でミロンの胸を摩り、右手でミロンの頭を撫でていた。
「あ」
ミロンの瞼の奥で、赤い炎が灯った、ような気がした。ミロンはその炎に手を伸ばし、そして、やっとという感覚でそれを手にした。
炎は手に掴むと消えてしまったが、その代わりにミロンの意識がようやく安定を迎えた。
その時、ミロンはまた膝枕をされているということに気がついた。
「ネ、ネリー! どうしたの? 何、この状況」
「兄様が寝ていたから」
「や、やめてよ! 恥ずかしいって!」
慌てて身体を起こそうとしたミロン。
しかし、身体を起こそうとした勢いで、そのまま頭の近くに存在したネリーの胸へと顔を突っ込んでしまった。
柔らかい、ふんわりとした、ふかふかの感触に顔が襲われる。ミロンの眼鏡が弾かれて、ベッドの上に落下する。
「ごめん!」
起きるのを諦め、ミロンは転がって膝枕から脱出した。
転がっていた眼鏡を拾い、装着する。
ネリーの顔を伺うと、彼女は顔を真っ赤に染めて、視線を泳がせていた。
怒っているようではない、とミロンは安堵した。
「そういえば、ネリー。修行は?」
「今やっているわ」
ネリーがドアの方へと視線を向ける。
そこには、ネリーの髪がゲーム機に噛り付いている光景が見えた。炎の灯っていない髪が、ゲーム機のボタンを恐る恐るという感じで押し込んでいる。
「何をやってるの?」
「ゲームよ」
端的な返答であったが、それが全てであった。ネリーのいう通り、彼女はゲームをしているだけであった。
本当にそのようなことで強くなれるのか、とミロンは疑問に思うが、口には出さない。
「エレノアもやっているの?」
「ええ」
「で、ツェツィーリヤは?」
「彼は今、道具を揃えているわ」
なるほど。
ツェツィーリヤはサポーターがメインである。道具の数こそが、彼の力となるのだろう。
「アリアは?」
「彼女は武器を作っているわ。祭子のゲームを人質にして、武器を作って貰ったそうよ。今は、何処かの機人に使い方を教わっているのでしょう」
みな、確実に強くなろうとしている。
ゲームはよくわからないが、それでも強くきっと強くなっている。
ミロンだけが停滞する訳にはいかない。
「ありがとう、ネリー。きみのお陰で、ぼくは諦めれなくなった」
「それは良かったわ。で、兄様は何をやっているの?」
「ぼくは寝る!」
「頑張るんじゃなかったの? 兄様、祭子は寝ているから強い訳じゃないのよ?」
「とにかく、おやすみ!」
ミロンは枕を抱き締め、そのまま瞳を閉じる。ネリーの視線を感じて中々寝付けなかったが、暫くすると夢の中へと落ちた。
「ズルい!」
もう一人のミロンの第一声は、そのような言葉であった。
「ミロンくんだけズルいやい! 僕だって、ネリーちゃんに膝枕されて、うっかりおっぱい揉みしだきたかった!」
「うわぁ」
「ドン引くなよ! きみの行動だぞ」
ミロンの白い視線を受けて、もう一人のミロンが怯んだ。初めて、ミロンは一矢報いた形となる。
「……あは。さて。嫉妬の思いも込めて、今度は飛び切りの意地悪をするよ?」
ミロンは改めて、床を転がっているハルバードを手にした。
「あれ? 重い!」
さっきは軽々と扱えていた筈のハルバードが、今はとても重く感じられた。
「ミロンくん。きみは力を無意識のうちにセーブしているんだ。その無意識を意識的に解除できなきゃ、きみにはその武器は扱えないぜ」
槍を手に向かってくるもう一人のミロンに対して、ミロンはハルバードを薙ぎ払う動作を繰り出した。
幾ら非力とはいえ、武器を振ることくらいはできる。
「遅い」
もう一人のミロンが、ミロンの背後に回り込む。あまりにも早い動作で、ミロンは目で追うのがやっとであった。
だが、問題はない。
冷静に、ミロンは石突きを背後へと放った。
石突きとは、言うなれば穂先の反対側。つまりは、刃のない方の、柄側の先端部分である。
「悪くない動きだね、あは」
ミロンの放った石突きは、掴まれていた。引き抜こうにも、地力が違い過ぎる。諦めて、ミロンはハルバードを手放した。
そして、距離を取る。
「中々良い動きをするようになったね。『操作』があれば、今のは当てられたかも」
「よく言うよ。手加減してる癖に」
「当然」
ミロンともう一人のミロンは膠着状態に陥った。いや、正確には待たれているのだ。
ミロンが新たな武器を手に取るまで。
その暇を埋めるように、もう一人のミロンが口を開く。
「この世には、何事も表があれば裏がある。何かを得る為には、何かを捨てなくちゃならない」
「……」
「僕は裏の存在さ。捨てられた側さ。それは何故だか、わかるかい?」
ミロンは答えない。
代わりに、もう一人のミロンが答える。
「それは、僕が弱かったからさ」
あまりにも強大な存在は、自嘲するように、自身を弱いと定義した。




