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かつてゲームの大魔王  作者: 一崎
第一章 ミロン・アケディが恐れること
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母子

「兄様、待って!」

「う、うう、うううう」

「『壊れ者』に説得はーー」


 妊婦が腕の翼を広げ、ミロンへと一直線に向かってくる。その突進とも言える加速に対して、ミロンは無防備に立っているだけであった。


 ネリーが慌てて髪の壁を展開しようとする。


 しかし、その動きをミロンが片手で制した。意外な行動に、ネリーの動きが遅れてしまう。


「赤ちゃんのことを認めてあげないと、お別れもごめんなさいもできないよ……」


 妊婦の突進に震えながらも、ミロンは一歩も引かずに説得を試みる。

 けれども、ミロンの言葉が届いている様子はない。妊婦は一切の減速をせずに、一息でミロンの眼前に現れた。


 手には、腕の棍棒が握り締められている。

 妊婦はそれを振り上げて、顔に裂けるような笑みを貼り付けている。血の涙も、止めどなく垂れ流され続けていた。


 ミロンの頬を風が撫でる。

 妊婦の移動によって生まれた強風が、ミロンにまで届いているのだ。


 それ程の速度。

 圧倒的加速力と妊婦の並外れた膂力が合わさった腕の棍棒を受ければ、ミロンなど一瞬で木っ端微塵となるだろう。


 塵一つ残ることなく、消滅してしまうかもしれなかった。


「っ!」


 それでもミロンは目を閉じなかった。


 妊婦の全霊の踏み込みにより、地面が容易く崩壊する。大量の土煙が舞い、周囲が一切見えなくなる。


 ネリーの位置からだと、ミロンの姿はまったく見えないだろう。


「兄様!」


 土煙の中には、人影が二つ見える。

 それはつまり、両者ともに立っているということを示している。


 そのようなことはあり得ない。ミロンでは、妊婦の攻撃に耐えられない筈だ。

 だから、立っているなんてことはあり得ない。


 だというのに、事実は覆らない。


 妊婦は立っている。

 ミロンも立っている。


 徐々に土煙が晴れて、状況が見えてくる。


 そこにあったのは、驚愕するべき事実であった。


 ミロンの頬に、腕の棍棒が触れている。

 ……それだけだった。


 腕の棍棒はそこで止まっていた。


「……嘘。『壊れ者』には言葉が通じない。説得できる訳がないわ」


 可能性としては、二つ。

 一つは、先程のネリーとの激闘により、肉体が動かなくなった可能性。

 二つ目は、本当にミロンの声が彼女に届いた可能性。


 どちらも通常ではあり得ない。


 だが、現実が否だと告げてくる。


 ミロンは両目から涙を溢れさせながら、優しい手つきで妊婦の髪を撫でた。ミロンの倍はある巨体である。彼は背伸びをするようにして、妊婦の髪を撫でていた。


 その光景はさながら、幼児と母親の微笑ましい日常のようであった。


「苦しいね。辛いよね。ごめんね、ぼくにはなにもできないんだ」

「ぴぁあああああぁぁぁあ!」


 突如、奇声が上がる。そして、妊婦の腹にある亀裂が更に広がった。

 中で胎児が動いたのである。

 母の腹を裂いて、胎児が現れる。


「気を付けて。その胎児は『残り者』よ」

「くっ」


 胎児は母体から飛び出すと、そのままミロンの首に抱きついた。そして、その形のはっきりしない指で、ミロンの首を絞め上げる。


 ミロンの顔色が青く変わる。それでも、彼は敢えて笑った。


 涙目になりながら、声を震わせながら、胎児へと微笑みかける。


「ぼく、じゃあない、でしょ?」


 力尽くで胎児を引き剥がして、ミロンは胎児を妊婦へと押し付ける。

 すると、妊婦はその胎児を優しく抱いた。

 胎児の鳴き声も、止まった。


「助けてあげたいけど、ぼくにはどうすれば良いかわからないんだ」


 ネリーの方を振り返り、ミロンはそう言った。


「『壊れ者』は一度壊れてしまえば、もう元には戻らない。本当は言葉も伝わらない、筈よ」

「……わかった」


 ミロンは今一度振り向き、妊婦と胎児へと向き直る。彼は頭を下げて、言葉を紡ぐ。


「壊れてしまったあなたたちが、これ以上壊れてしまわないように。あなたたちはここで破壊します」


 ミロンの声に応じて、ネリーの髪が伸ばされる。その髪はあっさりと無抵抗の母子を包み込み、刹那のうちに火葬してしまった。

 母子の灰が地面に降り積もる。


 それを見届けてから、ミロンが地面に尻餅をついた。


「こ、怖かった」

「今更?」

「うん。とても、怖かったよ。死ぬかと思ったし、最後の赤ちゃんに至っては、夢に出てきそうだ」


 ぶるり、と震えながら、ミロンはの己の肉体を抱くようにしてみせる。


「兄様は変わってるわ」

「そう? ぼくとしては、きみの方が変だと思うけど」

「普通、あの状態で説得を始めたりしないわよ」

「そうかなあ。でも、本当に悲しかったんだ」


 悲しかった。

 ただそれだけの為に、恐怖に立ち向かえるミロンの精神は、一般的に言えば異常である。本人にその自覚はないが。


「でも、結局。ぼくは何もできなかったよ」

「そうかしら?」

「うん」

「話が通じない筈の『壊れ者』の動きを止めて?」

「偶然だよ、多分」


 母子の灰は風に流されて、飛んで行った。


「そういえば、ネリー。ぼくたちは死なないって言ってたけど。二人は死んじゃったんだよね?」

「死ぬ、という言葉をあっさり使えるのね」

「毒されてきちゃったかな」

「正確には、まだ二人は生きているわ」


 どういうこと、とミロンは首を傾げた。小動物的仕草が、ミロンにはよく似合う。


「私たちは肉体が滅びても不滅よ。心と肉体は、僅かな肉片に宿り続けるわ」

「それはつまり。命はあるのに、身体がないってこと?」

「そうね」

「じゃあ、ずっと意識はあるのに、動けなくなるの? そんなの地獄じゃないか」

「そうよ。だから、私たちは肉体を失うのを怖がるの」


 だとすれば、あの親子は救われなかったのだな、とミロンは冷静に判断した。


「兄様。『壊れ者』は、肉体を壊してあげることが救いなのよ」

「どうしてそう言えるの?」

「私たち『創り者』は、皆そう言うの」

「へえ。そんなもんか」

「ええ。そんなもんよ」

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