壊れ者
『壊れ者』と呼ばれたモノは、ミロンの目には化け物にしか見えなかった。
その姿は正しく異形。
ミロンの倍はあろうかという体躯。
女性の姿をしたそれは服を纏っておらず、灰色の肌が全て晒されている。しかし、ミロンがそれに邪な感情を抱くことはなかった。
腕が生えていたのだ。
無数の、腕が、背中に。
数百はありそうな程の腕が蠢いていた。
その腕は重なり合い、癒着して、一枚の巨大な翼と化していた。腕の一本一本は、まるで骨や関節がないかのように、折り曲がっている。
腕の翼で羽ばたいて、『壊れ者』は空を飛んでいた。
また、その異形の造形で最も目がいく部分がある。腕の翼など、それに比べれば飾りに過ぎない。
「あれは……妊婦?」
その『壊れ者』は妊婦のように、腹が不自然に出ているのであった。
「ワタシの赤ちゃん、はドコ?」
『壊れ者』は呻くような声音で絶叫する。
「どうやら妊婦の『壊れ者』のようね」
ネリーはそれに怯えることなく、敵の観察を開始していた。
「妊婦、と呼びましょうか」
「名前を付けている場合? 逃げた方が良いんじゃない?」
「あれは地獄の果てまで付いてくるわ。ここが既に地獄みたいなものだけど」
「それには同意するよ」
ミロンは手足の震えを抑え込みながら、必死に強がりを言う。しかし、それは妊婦の次の言葉によって崩壊する。
「いた! ワタシの、赤ちゃん!」
妊婦はそう言って、ネリーに視線を向けている。勘違いしているのだ。
「抱き締めさせて!」
不気味な声と同時に、妊婦が空を滑空する。その動きはあまりにも速く、そして鋭かった。
ミロンはトラックを幻視する。
トラックに轢かれそうな時、このような気分になるのだろう。
衝撃の恐怖に怯えて、思わず目を閉じてしまう。
けれども、いつまで待っても、衝撃はやってこなかった。代わりに、体が燃えるように熱くなる。
「あつ!」
「ごめんなさい、兄様」
どうやらネリーの神々の死体に救われたらしい。優しく、ミロンは地面に置かれる。
「丁度良いわ」
言うと、ネリーは髪の毛で大量の鞭を創造した。炎の鞭である。
それを縦横無尽に繰り出して、その場から一歩も動かずに猛攻を開始する。
妊婦はそれを素早く旋回することにより回避していく。
「どおおして。どおおして、ワタシと赤ちゃん。離す、のおお」
妊婦は、自らの赤ん坊であると判断した筈のネリーへと憎悪の視線を送る。妊婦はネリーへと突撃する。
妊婦の手には、もう一本の腕が握り締められていた。
妊婦が、腕を棍棒のように振り被る。
「『壊れ者』は、私たち『創り者』のように心を持ちながらーー」
「返せええええ!」
腕の棍棒がネリーの肉体を潰すべく、全力で叩きつけられる。妊婦は空中からの落下時に発生したエネルギーすらも利用していた。
腕の棍棒での攻撃は筆舌に尽くしがたい程の破壊力を有している。
だというのに、ネリーはそれを真っ向から受け止めた。髪の一部を盾状に展開し、腕の棍棒を真っ向から受け止める。
ネリーの足が地面に埋まる。それ程の力を妊婦は有していた。
ネリーは押されていた。
ネリーは無表情を保ってはいるものの、額に大量の汗を浮かべている。
力に負けて、大きく上半身を後ろへと逸らされている。
だというのに、彼女はそれらを一切物ともせず、鍔迫り合いを続行する。
「ネリー!」
「無問題よ」
ネリーの言葉通り、直後、妊婦と彼女の立場は逆転していた。
人肉の焦げる嫌な臭いが、ミロンの鼻腔に侵入してくる。
腕の棍棒が、ネリーの炎に敗北したのだ。
「話が中断されてしまったわね」
妊婦が空に飛び去る。
ネリーは髪を操り、自らの肉体を空へと置く。
そして、激突が開始された。
髪と腕の棍棒が真っ向から炸裂し合う。強烈な爆音をかき鳴らしながら、彼女たちは上空で激闘を繰り広げる。
腕の翼が羽ばたく度、ネリーは髪を巧みに動かして追い縋る。
「『壊れ者』は私たちと同じく、心を持っていた」
「いた?」
過去形に疑問系で返すと、ネリーはコクリと首肯を返してきた。
「『壊れ者』とは、心を壊した『創り者』のことよ」
「じゃあ、あれはぼくたちと同じなの?」
「違うわ。『創り者』は無数の人間から心や記憶を継ぎ接ぎして創られたのよ」
「それはつまり?」
「主人格の心が壊れれば、その他の記憶や心が押し寄せてくるの」
それ故、精神を保てなくなる。精神崩壊を引き起こす。
「あれは正真正銘の化け物よ」
「赤ちゃん! 赤ちゃん、赤ちゃんは、ドコおおお」
酷く錯乱した様子で、妊婦が腕の棍棒を両手に持つ。そして、それを振り回す。
対抗するように、ネリーは髪の鞭の本数を十へと至らせた。
幾ら妊婦が二刀になろうと、それを圧倒する程の手数を楽々と用意してしまう。
両者同時に、高速の乱打を開始した。
ネリーの第一の鞭が勢い良くしなる。妊婦はそれを高度を上げることにより回避する。
直後、反撃の腕棍棒が振り下ろされる。
ネリーの髪の鞭が数本束となり、その攻撃を防ぐ。
攻撃を防ぎながらも、ネリーの攻撃は止まない。第五の鞭が妊婦へと向かう。
「離さないで! ずっと、一緒」
「喚くな」
妊婦が腕棍棒で鞭を捌く。目の前に集中し過ぎていて、妊婦は気が付かない。
頭上から第六の鞭が迫っていることに。
鞭が妊婦の顔面を捉えた。
「吹き飛びなさい」
妊婦の顔面が燃え、そしてひしゃげる。勢いに負けて、妊婦が隕石の如く、地面へと吹き飛ばされた。
妊婦の肉体が地面に埋まる。
「終わりよ」
ネリーが額の汗を拭った。




