残り者
「ここは第一ドームと呼ばれる場所よ」
「ドーム」
「そう。上を見て」
そこにあるのは、青い空……などではなかった。錆色の鉄が、空を覆い隠していた。
鋼鉄の天井であった。
所々、青く塗られている部分があることから、かつては空を模したペイントがされていたということが推し量れる。今はそのほぼ全てが剥がれ落ち、全く意味を成していない。
「天井なんてあったんだ。気が付かなかった。やっぱり、ぼくはおかしいのかな」
「おかしくないわ。私たちはそう『作られている』もの」
パリン、と足元でガラスの砕け散る音が響いた。ミロンたちは現在、ドームの中を駆けている。
追跡者から逃れる為だ。
どういう原理かは不明であるが、このドームの全てはミロンを捕まえようとしている。蠢く蟲共はミロンを見つけると寄ってきて、ここの住人である腐乱死体共も、ミロンの名を呼び擦り寄ってくる。
まるで三流ホラー映画を見せられている気分であった。
ミロンは表情を曇らせている。
それも当然であろう。
今まで、このような世界で過ごしてきていたのだから。
道路は砕けて、家々はただの廃墟である。住人は皆、あの中年男性を想起させる造形をしている。
どろどろに溶けた肉体を必死に繋げ止め、魍魎のように生きる存在。化け物。
ミロンは先程まで、それらと日々を過ごしていたのだ。
騙された、という気持ちもある。
ミロンは込み上げる吐き気を抑えつつ、ネリーと共に走る。
「このドームは最悪よ。人の心を壊すわ」
「うん。そうだね。ぼくもあのままだと壊れていたかもしれない」
「そう。このドームの目的は一つ。私たち『創り者』の心を壊すことのみよ」
ネリーは苦々しい表情を作り、地面に転がる死体を睨んでいる。
この第一ドームは死に満ちていた。
所々に破損した死体が転がっており、血液やその他の体液を垂れ流している。そこには蝿が集っており、蛆虫がぐじゃぐじゃと大量発生している。
積み重なる蛆虫は、まるで大盛りのご飯のようであった。
その蛆虫の下には大量の血液。その血液はイチゴジャムのように見える。
「うぅ」
できるだけ見ないように心掛けて、ミロンはネリーについて行く。
この第一ドームから一刻も早く脱出せねばならない。一秒でも、早く。
「ね、ねえ。後どれ位で出られるの?」
「私が迷わなければ、あと少し」
不穏なことを言うネリーに、ミロンは顔色を青くする。化け物に襲われたとしても、ネリーならば問題ないのだろうけれども、ミロンには致命的である。
対抗の術がないし、有ったとしても、そもそも使えないくらいには精神的に参っているのだ。
「あ、止まって」
「え? 出口?」
「違うわ。『残り者』よ」
先程からネリーが述べている言葉の意味が、ミロンには理解できていなかった。けれども、問い質すことはしない。
今、ネリーの機嫌を損ねると、置いてけぼりにされる危険があるからだ。
ミロンはそういう打算的感情を、無意識のうちに発揮していた。
曖昧な笑みをネリーへと送る。
しかし、彼女はミロンの曖昧な表情に思うところがあるらしかった。
「もしも、わからないことがあったら訊いて」
「え、えっとー、ないよ?」
「嘘。生まれたての『創り者』は何も知らないと、本に書いてあったわ」
こちらが何も知らないということをネリーは知っていたということである。その事実に、ミロンは愕然とした。
知っているなら早く言えよ、という言葉を喉元で押し留める。
「うん。本当はわかってないよ。でも、今はそんなことよりも生き延びることが先決だよ」
「生き延びる、ね」
何処か陰鬱な表情でネリーが呟く。
それに気が付かず、ミロンは警戒心を強める。ネリーの警告通り、『残り者』と呼ばれる化け物がやって来たのである。
曲がり角からうじゃうじゃと、人型の化け物が出現する。
ミロンは身構える。
また、ネリーの炎の髪が炸裂するかもしれない。もしも、そうなれば、衝撃に備えなくてはならないのだ。
だが、彼のそのような用心は無駄となった。
ネリーがミロンの腕を掴み、反対方向へと走り出したからである。
「戦わないの?」
「私の神々の死体は目立ち過ぎるわ」
「『残り者』に見つかる訳か」
「ええ」
『残り者』の意味も知らずに、ミロンは告げる。しかし、彼の答えはネリーにとって満足のいくものであったらしい。
こくり、と首肯が行われた。
地面を蹴る力が強められる。微かに、息が切れてくる。
ミロンは文句を言わなかった。ただ我武者羅に駆け抜けた。一刻も早く、悪い夢から醒める為に。
そうして、
「あ、あったわ」
「やっと!」
気が緩む。
この地獄とも言える第一ドームからようやく脱出できるのだから仕方がない。
けれども、その気の緩みこそが致命傷。
目の前の、いや、頭上の『残り者』に気が付けなかったのだから。
「兄様、後ろへ跳んで」
「何を?」
疑問の声を上げたその時だ。
「ミロン。みーつけたあぁぁぁぁああ!」
「うわああああ!」
漆黒の肉塊が天井から、雨粒のように落ちてきた。ぐちゅり、という肉を叩きつけるような音の後に、赤黒い血液が溢れ出す。
その肉片は、潰れているというのに、意志を持って動き出す。
潰れてはいるものの、それが何かミロンにはよくわかった。わかってしまう。
わからされてしまう。
その肉の正体は。
「私だよ。アリス。ミロンを迎えに来たよ」
中年の男性が、声を弾ませてミロンの名を呼ぶ。ゴトリ、と中年男性の眼球が転がり落ちた。その眼球はミロンを見つめる。
眼球が転がる勢いは止まらずに、ずっと転がり続ける。それでも目線は外されない。
眼球の通った後に、ナメクジが這ったような粘液が残る。
その中年男性の目は、粘液は、ミロンを通さまいと立ちはだかっているようであった。




