未知の力
「ぐ、あああああ!」
左腕に噛み付かれてしまった。腹ペコの巨体は食いつくだけに留まらず、そのまま突進を敢行してきている。
ミロンの靴が床を滑る。
歯を食いしばり、痛みに耐える。
左腕からは絶えず血液が流れ落ちる。それに構うこともなく、ミロンは必死に歯を食いしばる。
歯が砕ける。
「ぐうあ」
勢いを一切止めること叶わず、ミロンの肉体はどんどん後方へと押しやられる。
やがて、壁にぶつかった。
背中に走る強い衝撃に、意識が混沌とする。肺から空気が全て押し出された。それだけには、留まらない。
壁に亀裂が走る。
『創り者』の頑丈な肉体が、壁の強度を凌駕していたのだ。
壁が砕け散り、なおミロンの身体が背後へと押しやられていく。
「み、ミロン!?」
残り者を足止めしていたツェツィーリヤが、驚愕に目を剥いていた。
彼は咄嗟に室内を確認し、状況を理解する。
ミロンがネリーを庇ったのだと、そう判断した。
「やるじゃねえか」
ツェツィーリヤが拳銃を抜き取り、容赦なく発砲を重ねる。小さな弾丸が腹ペコの背を強襲し、無数の穴を生む。
「い、いだい」
腹ペコが怯む。
その隙に、ミロンは腕を解放させようともがく。しかし、その抵抗は無意味であった。
直後、ミロンは左腕とお別れすることとなった。肉が、骨が、すり潰される感触がミロンの脳を襲った。
「ーー!」
声にならない悲鳴をミロンが上げる。ツェツィーリヤが慌てて援護に入ろうとするが、大量の残り者に阻まれて動けない。
腹ペコの大口が、ミロンを食べる為に開かれる。ミロンに、それをかわす術はない。
瞳を閉じて、肉体を失う恐怖から目を背けようとした。だが、その必要はなかった。
腹ペコの背後からアリアが怒涛の勢いで駆け抜けてきて、腹ペコの頭部を粉砕したのである。
脳髄がゼリーのように弾け飛んだ。
「あ、ありがとう。た、助かったよ」
「自分の至らなさの所為で……」
言いながらも、アリアは鋭い拳を腹ペコの腹部に叩き込んでいた。臓物が撒き散る。
それだけで、腹ペコは動けなくなった。
「アリア! ネリーは!?」
安心する暇はない。
アリアがここにいるということは、ネリーは現在頭部だけの状態でエレノアの前にいるということになる。
さっと、ミロンの顔が青褪めた。
アリアの行動目的は、只管ミロンである。だから、彼女を責めることはできない。
ミロンは懐から教鞭を出そうとして気が付いてしまう。彼は両腕を失っていた。
両腕無き今、ミロンは武器を震えない。
「アリア!」
「承りました」
ミロンの言いたいことを理解して、アリアが飛び出した。
だが、遅い。
エレノアの腕は、既にネリーの頭部に触れていた。あれに腕を切断されたミロンには理解できていた。
あの神々の死体の持つ威力が。
ネリーと言えど、一瞬で切断されてしまうだろう。ミロンは焦る。
エレノアの手に白い光が灯ったときだった。
ミロンの瞳が痛み出した。これまでにない程の痛みであった。初めてのときよりも、倍は痛む。
絶叫を上げながら、ミロンは己の目を抑えた。
「今は、そんな場合じゃ……や、やめてよ」
世界が停滞して見える。
ネリーの頭部に触れて、悲しそうな表情を浮かべるエレノア。
瞳を閉じて、これから起こるであろうことを受け入れているネリー。
ミロンの命を果たそうと走るアリア。
全てが止まって見えた。
「やめろ……」
だというのに、ミロンの肉体はもっと遅かった。今からでは駆けつけることはできない。
せめてもの抵抗が、やめろと呟くだけであった。
「やめろおおおおおおおおお!」
停滞世界に鈍い光が宿る。真っ赤な、光である。
その光はミロンの瞳から放出されていた。普段よりも更に紅い光が放たれている。
エレノアの手の光が強まったかと思うと、急に色を失った。
「……え?」
エレノアの唖然とした声が、虚しく響いた。だが、ミロンの言葉は終わらない。
「今すぐ、そこを退け」
まるでミロンの命令に従うかのように、エレノアが吹き飛んだ。不自然な動きであった。
エレノアの身体に糸がつけられていて、それを乱雑に引っ張られたかのような動きであった。後方へと舞い、そのまま天井に背中を叩きつけられた。
あり得ない状況の中、全員が驚きに身を震わせた。
ミロンを襲う目の痛みも、みるみる引いていく。
理由は不明だが、一難去った。
アリアが駆けつけ、ネリーの前に立つ。ネリーは頭だけで器用に動き、ミロンが落とした肉を頬張った。
ネリーの肉体が構築されていく。
「詰みよ、エレノア」
「い……いひひ。いひひ。別に、いいすよお。あたしは、それでええ!」
手に光の輪をはめて、再度ネリーへと襲いかかるエレノア。
だが、ミロンはそれをくだらなさそうに制止した。
「やめなよ、エレノア」
ミロンの声音は落ち着いていた。先程のことが嘘かのように、彼は落ち着いていた。まるで何かに乗り移られたかのように、その目は虚ろである。
「ぼく、わかっちゃったよ。エレノア。きみ、まだ『壊れ』てないよね」
ミロンの発言に、その場の全員が気圧された。




