空腹の壊れ者
ミロンが悲鳴を上げるのも納得してしまうほどの悍ましい行為が、前方の部屋では行われていた。
血塗れの少女の頭に齧り付く、『壊れ者』の姿。
『壊れ者』がその鋭い、鋭利な指で少女の眼球を突き刺した。ずるり、と眼球が抜き出された。
『壊れ者』は狂気に満ちた声で喝采を上げ、その指で貫いた眼球を口に入れた。
『壊れ者』は口を閉じることなく、眼球を咀嚼する。眼球が歯にすり潰され、破裂して、液体を垂れ流す光景が鮮明に見せつけられる。
「ぐ」
嘔吐感を覚えるが、『創り者』の肉体がそれを良しとしない。
何よりも悍ましいのは、その『壊れ者』ではなかった。
その隣。
『壊れ者』に現在進行形で喰われている少女であった。
少女の瞳は虚ろ。
しかし、生きていた。何故それがわかるかといえば、笑っているからであった。引き攣るような笑み顏。
壊れた人形のように「いひいひ」と静かに狂気に身を染めていた。
痛みはあるのだろう。
髪を抜かれる度、頬の皮を引き千切られる度、肉を生きながらにして喰われる度、少女の肉体が打ち上げられた魚のように激しく痙攣した。
『創り者』には痛みに対する耐性があるが、それでも無視できないほどの痛みがあるのだろう。
だというのに。それでも。
ーー少女は嗤う。
「エレノア!」
狂笑に気圧されているミロンを捨て置いて、ツェツィーリヤが少女の名を呼んだ。そのままの勢いで口から巨大なスナイパーライフルを取り出し構える。
その銃は、およそ立ちながらの使用を想定していない。ミロンの身の丈よりも巨大なその銃を、しかしツェツィーリヤは片手で持った。
耳を突き刺すような発砲音。
「ぐぐぐ」
ツェツィーリヤが放った弾丸は、見事『壊れ者』の眼球を穿った。
「エレノア、生きてたか。すぐに助けてやるかんな!」
続いての発砲。それは『壊れ者』の四肢に命中したが、微かに傷を付けるだけに止まっていた。
眼球ほど柔らかくないのだろう。
「ネリー、アリア!」
ネリーが髪を紅蓮に染めて、走り出していた。髪の鞭が高速でしなる。
『壊れ者』の肉体が飛び散る。相変わらずの火力である。
「ぐーぐー!」
奇声をかき鳴らしながら、『壊れ者』が飛び跳ねた。それは目にも留まらぬ速さで、ネリーの頭上に現れていた。
丸い、ボールのような容姿である。乱雑に肉片を固めたような、ぶよぶよの『壊れ者』であった。
「飯、飯、飯飯飯飯飯飯飯飯」
『壊れ者』の顔半分を占める唇が開く。その口の中には、人間を遥かに超えた本数の歯が並ぶ。そして、喉の奥に見えるのは、もう一つの口。
合わせ鏡の世界のように、口の中にも無数の口があった。
その口がネリーを狙う。
「させっかよ」
『壊れ者』の横腹に、巨大な砲弾が打ち込まれていた。幾ら強靭な『壊れ者』といえど、空中では耐えようがない。
一気に吹き飛ばされる。
「三人はあの『壊れ者』に引導を渡してこい。俺は背後から襲われねえように、ここをキープする」
ツェツィーリヤが背後の警戒と逃走経路の確保に動き出す。
「あ、アリアは動かないの?」
「自分は御主人様のご意向なしに、御主人様から離れることは致しません」
アリアは敵の殲滅よりも、ミロンを守ることを優先していた。このようなときでも、アリアは自身の矜持を曲げないようである。
「行って。ネリーだけじゃ、危険だ」
言いながら、ミロンは震える手で魔道書を開く。手の震えが激しく、教鞭を取りこぼしてしまう。
それを拾いながら、ミロンは精一杯の強がりを言う。
「さあ、行って。援護はぼくに……任せて」
魔道書から顕現するは、無色の風。それはただ静かに、戦場を渦巻いている。
そこに『操作』を加え、加速力を付与する。
嵐が発生した。
その風はネリーへと吹き付けられていた。ネリーの髪の炎が更に燃え上がり、渦を巻いて『壊れ者』の肉体を焼いた。
「参ります」
アリアが駆け出す。一息で『壊れ者』の元まで辿り着くと、その拳を叩きつけた。
『壊れ者』がボールのように、床を地面をバウンドする。
「想像以上に硬いですね」
肩口までを返り血で真っ赤にしつつ、アリアが呟く。
「そうね。耐久力に優れているようね」
戦闘中に、ネリーは分析を欠かしていない。
「見た所、攻撃にも秀でていないようだわ」
「そ、そう? あれ、ぼくが食らったらひとたまりもないんだけど」
「兄様は私が守るわ」
「嬉しいけど、複雑だ」
ミロンはエヴァたちを助けるために、ここに来ていたのだ。今のままでは、ただ足を引っ張っているだけである。
「この『壊れ者』の名前は、腹ペコにしましょう」
緊張するミロンの脱力を狙ったのか、天然なのか。ミロンには判断できなかったが、ネリーが謎のタイミングで敵に名前を付けた。
改めて、ミロンは腹ペコを見やる。
彼は無数の口から滝のように涎を垂らして、ミロンたちの血肉を狙っている。
だが、それだけだ。
敵は強くない。
ミロンは己の役割を再確認する。
彼の担当は、後方での火力係りである。必要以上に動いては、前衛の邪魔になる。
必要なときに、最大限の火力を叩き込むこと。それがミロンの役割である。
故に、ミロンは戦場を見つめる。
腹ペコを睨み付ける。
だからであろうか。ミロンは最後までそれに気がつくことができなかった。
激しく乱舞していた『命ノ灯』の動きが、ピタリと停止した。
ミロンの思考が真っ白になった。
(どうしてこの場面で攻撃を止めるのさ)
疑問に対する返答は、存外早かった。ネリーの首に赤い亀裂が生じる。
そこから絶えず、血液が流れ始める。
それから、ボトリ、と硬質な音が室内に響いた。
ネリーの首が切断されていた。
ボトリ、というのは首が落ちた音。床に頭が転がった。
腹ペコがやった訳ではない。その遥か後方。
「いひ、いひひひひ」
両手に白い光を灯した少女が哄笑していた。
エレノアと呼ばれた救出対象が、ネリーの首を切断していたのである。
エレノアの狂笑が、室内に煩いくらいに響き渡った。




