応用編
「あ」
絶望に満ちた「あ」であった。この世の終わりを感じさせる程の深い絶望に染まった声音。
「あああああ!」
現れたのは、一人の美少女ーーに見える少年。ツェツィーリヤ・ヘラキャットであった。
彼は顔を悲しみに歪めて、その場に膝をついて、両腕で頭を抑えて慟哭した。
ミロンはあはは、と苦笑いを返す。
「どおおおしてえええ! 俺の家の壁が木っ端微塵になってんだよおお!」
ツェツィーリヤが家に帰ってきたのである。彼の背後には両腕の生えたメイド、アリアがいる。
アリアは地面に這いつくばるツェツィーリヤに一言もかけることなく、ミロンの背後についた。
「えっと、ね」
「察しはついてるぞ。魔法の練習、うちでやったな……っ!」
「うん」
「うん、じゃねえ!」
ツェツィーリヤは口から拳銃を取り出すと、それをネリーへと向ける。
ネリーは無言で『命の灯』を発動していた。道場が更に燃えた。
「や、止めろ! てかな、俺はわかるぞ。ミロンは性格上、こんなことはしねえ。お前が唆したな、ネリー」
「ええ」
「言い訳しろよ!」
どうやらツェツィーリヤは被害者体質のようである。叫び声と悲鳴がが非常によく似合っている。
拳銃を何度も発砲するが、その全てが髪の壁によって阻まれる。
「無駄」
「ちっ!」
「貴方の師は、貴方に戦闘の準備には金を惜しめと教えたの?」
「い、言ってねえ。戦闘の準備には、金をかけろって言ってた」
「なら、これは必要経費よね」
「……わ、わかった」
師匠を出されると、ツェツィーリヤは途端に弱くなる癖があった。余程、師匠のことを大切に思っているのであろう。
しかし、同時にツェツィーリヤは師に教えられなかったのだろうか。もっとよく考えろ、と。
「ま、まあ。ミロンが魔法を覚えたなら、問題はねえ、よな? で、どうだ。いけそうか?」
「一応、使えはしたけど」
自信なさげなミロンの隣で、ネリーが右腕を高く上げた。挙手のつもりだろう。
「兄様は魔法の才能がある。体内の魔力量が少しだけ人より多い」
「ほう。そりゃあ凄えな。見せてみろよ、ミロン」
ツェツィーリヤのリクエストに答えて、ミロンが魔道書を開く。
練習はしておいて損にならないだろう。
教鞭(ネリーから正式に譲り受けた)でページを指し、振り上げた。
「『喚起』」
緑色の魔印が刻まれたページから魔法が引き出される。が、そこには何も現れたようには見えない。
ミロンが焦る中、ツェツィーリヤは静かに推理した。
「風、か。魔道書とは良いもん買ったな。高かっただろう。幾らくら……い」
ツェツィーリヤが絶句する。おそらく、気が付いたのだろう。自身の報酬金全てが魔道書に注ぎ込まれたという事実に。
見る見る顔が青ざめていく。
ミロンは彼に同情した。
今のミロンにできることは、せめて買い物が無駄ではなかったということを示すことのみ。
思い切って、教鞭を眼前の虚空へと打つ。
そして、旋風が巻き起こった。
『操作』によって、前進の運動能力を授けられた旋風は、確かな破壊力を伴って前へと進む。
そこにあるのは……壁である。
「よせええええ!」
ツェツィーリヤの断末魔を物ともせず、旋風はツェツィーリヤ家の壁をぶち抜いた。
「ミロン、止めろ! 早く!」
「ど、どうやって?」
「操作だ!」
言われた通り、灰になったページを引き裂き、新たなページを用意する。裏面の白い魔印を教鞭で指し、魔法を発動した。
「自分で使用した魔法には、遠くからでも『操作』を使えるわ」
こんな時だというのに、ネリーは一切動揺もなく、説明を続行していた。
しかし、役に立つ説明である。
ミロンは竜巻の動きを停止させ、そして、力をどんどん内側へと収束させていく。
やがて、風同士がお互いを消し合い、消滅した。
「焦った」
「お見事でございます、御主人様」
「ありがとう、アリア」
アリアの言葉に多少気分を良くして、ミロンは魔道書を閉じた。教鞭をしまい、ツェツィーリヤへと向き直る。
「ごめんね?」
「……許ずぅ」
涙目になりながら、ツェツィーリヤが言う。大変に庇護欲を誘う瞳であった。ミロンは思わず、ツェツィーリヤの頭を撫でてしまう。
童顔眼鏡であるミロンとどう見ても美少女であるツェツィーリヤの組み合わせは、一部界隈にとっては大変なご馳走である。
お粗末。
「あ、後な、ミロン」
涙を袖で拭いながら、ツェツィーリヤが補足する。
「『操作』は自分の肉体にも使えるぞ。例えば……」
と、ツェツィーリヤが口内から魔道具を取り出した。それは首輪であった。それを片手に、ツェツィーリヤが魔法を行使した。
ツェツィーリヤの右足が白く発光し、それから地面を強く踏みしめていた。
閃光が走った。
ツェツィーリヤはネリーの背後にいた。微かに見えた彼の目は、明らかに怒気で満ちていた。
「何でも師匠出せばいけると思うなよ!」
今度はツェツィーリヤの右腕が発光した。
『操作』は、言うなれば運動エネルギーの代替品である。地面を踏む力を増加させることによって、ツェツィーリヤは高速で移動したのである。
「反省しとけ!」
ツェツィーリヤの魔法により強化された拳が、ネリーへと振り落とされる。
目にも見えないその拳が、ネリーを捉える。
けれども、
「ぐあああ!」
ダメージを受けたのは、ツェツィーリヤの方であった。拳は髪の鎧を打ち破れず、故に拳は火に焼かれた。
「魔法では、神々の死体にはそうそう敵わないわ」
「知ってたよ!」
ツェツィーリヤは口から肉を取り出し、それを再度口に入れる。咀嚼しているようだ。
焼き爛れ、ゲル状になったツェツィーリヤの拳が回復する。その生命力はまるでゾンビのようである。
「ほら、ミロン。このチョーカーやるから、練習しとけ」
と、ツェツィーリヤが新たに口から魔道具を取り出して、ミロンへと投げた。
確かに、『操作』だけしようするならば、魔道書よりも効率的だろう。
一々ページを指さなくとも良いし、何よりも一度使って壊れないのは大きい。
「ごくり」
「ああん? 何がごくり、だよ?」
「ツェツィーリヤの口から出たチョーカー」
「……やっぱ返せ、てめえ」
ツェツィーリヤを無視して、ミロンは首にチョーカーをつけようとする。しかし、上手くいかない。
何度かつけようと試みていると、アリアがつけてくれた。
「よくお似合いでございます、御主人様」
アリアの喜色に満ちた声が、壊れ切った道場に響いた。




