知らないベッド
ミロンはゆっくりと瞳を開く。そうすれば、光が目に飛び込んでくる。
そして、ミロン・アケディは驚愕した。その光があまりにも優しかったからである。
ガラス平原の日光は、人を殺戮する閃光であった。容赦なく眼球を潰す、悪意ある光であった。
だというのに、だ。
ミロンは現在、平気で目を開くことができた。
「ここは何処?」
「起きたの、兄様」
ミロンの隣から聞こえてくるのは、ネリーの優しい声である。その声はミロンの耳に触れそうな位置で発生していた。
顔を音の方へ向けると、ネリーがいた。
鼻と鼻がぶつかり合う。
「ち、近!」
慌ててミロンは身を起こし、全力で後方へと飛び退いた。ミロンの奇行を目にして、ネリーが眠た気に首を傾げた。
「近いよ、ネリー!」
「そう?」
ミロンとネリーは同じベッドで横になっていたのだ。
女性に対してそこまでの耐性がないミロンは、顔を真っ赤に染め上げて、ネリーへと抗議する。
両手を固く握り、ぶんぶんと上下に振る動きは、小動物を思わせて、非常に愛らしかった。
ミロン自身はそのことにまったく気が付かずにいた。
「兄様、可愛い」
「何がだよう! ……というか、もういいの?」
ふと、ミロンは思い出した。ネリーは疲労で倒れた。このような早さで回復するものなのだろうか、と。
ミロンは『創り者』の人並み外れた身体能力を知っている。だからこそ、そこまでの疑問は覚えない。けれども、心配は拭えない。
「大丈夫よ」
ミロンの心配をよそに、ネリーはケロリと返答した。
顔色は普通。真っ赤なミロンと比べるまでもなく、普通である。
「本当に? 早過ぎない?」
「ええ。携帯していた食料を口にしたわ」
そう言って、ネリーはポケットから缶詰を取り出した。中は空っぽである。
もしや、と思い、ミロンは恐る恐る質問する。
「その缶詰、何が入ってたの?」
「人肉よ」
「うう」
「昔倒した『壊れ者』の肉」
「説明を続けなくても良いよ!」
「兄様も欲しい?」
「要らない!」
「遠慮しなくて良いわ。私と兄様の仲だもの」
「さっき知り合ったばかりだよ!」
ぜえぜえ、とミロンは肩で息をする。『創り者』の肉体は強固であり、この程度の会話では疲労はないのだが、精神的疲労は別問題である。
ネリーはやはりぼうっとした目で、ミロンを見つめる。
その動作は、先程の会話がボケではなく、素で行われていたことを意味する。
そのことにゾッとしながらも、ミロンはネリーに向き直る。
「で、ここが何処だかわかる?」
「わからないわ。気が付いたら、ここで寝ていたもの。兄様が連れ込んだの?」
「言い方悪いな! 多分違うよ」
知らないベッドで、いつの間にか眠っていた。その事実が、ミロンには堪らなく恐ろしい。
この世界では、何が起きてもおかしくない。いや、何が起きてもおかしい、というべきかもしれない。
とにかく、寝ている間に何をされたのかわからないというのは、ミロンの小さな肝を冷やすには十分過ぎた。
「兄様。服を見て」
「ん?」
言われた通りに、ミロンはネリーの服を見る。よく似合っている。
「どうしたの?」
「兄様の服よ」
改めて、ミロンは自身の服を見た。そして、口をポカンと開いた。
真っ赤に染まっている。そして、腹の部分が破れている。
まるで、獣に引っ掻かれたかのようであった。
「凄い怪我だったわ。ので、寝ている間に、兄様には肉を食べさせたの」
「待って。今、何て?」
「肉を食べさせたわ」
ミロンは突然胃に異物を感じる。気持ち悪さが込み上がってくるが、嘔吐には至らない。もしかすると、『創り者』には嘔吐の機能がないのかもしれない。
「それに、凄い怪我?」
「ええ。私も同様の状態だったわ」
ネリーが起き上がり、くるりと華麗にその場で回った。背中がミロンへと向けられる。
背の服が破けて、非常に目のやり場に困る状態になっていた。
ネリーは先程まで、そのようなセクシーな服装をしていなかった。
であるならば、ネリーもミロンと同じ状況だったということも納得できる。
何者かにより、服ごと肉体を抉られていたのだ。
そして、ベッドに寝かされていた。
「何が起きているのか、ネリーはわかる?」
「わからないわ」
「ネリーでもわからないのか」
「兄様、目は痛むの?」
ネリーに指摘されてから、ミロンは初めて自身の目に注目した。
残り者や『壊れ者』がいれば、ミロンには感知できる……可能性がある。
敵がいるかどうかは、危険かどうかに直結する。
「痛く、ない。いや、結構前から同じくらいには痛いけど」
ミロンはガラス平原に入ったと同時に、ずっと目の痛みに悩まされていた。それが敵の襲来を告げてきているのかは不明であるが。
「反応は強まっていないのね?」
「うん。まあ、本当に敵を察知しているのかはわからないから、信頼されても困っちゃうけどね」
目の疼きに耐えながら、ミロンは苦笑する。ネリーが信頼してくれるのは嬉しいのだが、今のミロンを頼られても困る。
「ただ、誰かが意識を失っているぼくたちを此処に運んできたんだよね?」
「そうね」
「だったら、早く此処を出るべき、とぼくは思うよ」
挨拶くらいしていくのが礼儀ではある。だが、今はそうも言っていられない。この世界は決定的に油断ならない。
全てを疑ってかかるべきである。
意識を失っている最中に、家に連れてきてくれて、ベッドまで貸して貰っているといっても、相手は信用ならない。
それにミロンたちには謎の怪我があったのだ。信用できる理由など存在しない。
「で、どうやって出る? 窓?」
「そうだね。それが……」
ミロンたちが脱出について相談し始めた時であった。
木造の、今にも壊れてしまいそうなボロいドアが、音を立てて開かれたのだ。
「お目覚めになられましたか、お客様」
メイド服を着た少女が、壊れたティーセットを片手に現れた。




