遠い道のり
髪の砦に守られながら、数キロ歩き続けていた。
『創り者』の肉体は強固であり、ある程度の疲労は無視できる。というよりも、そもそもそこまでの疲労を『創り者』たちは感じない。
しかし、何事にも例外は存在するもので、ミロンはそろそろ肩で息をするようになっていた。
ミロンが軟弱なのも原因の一つではある。けれども、一概に彼が悪いとは言い切れない。
ミロンをガラスから守る為に展開された『命ノ灯』の砦。
これの熱が、ミロンから体力を奪っているのだ。
「はぁはぁはぁ」
文句は言えない。
ミロンは、ネリーが善意でこの砦を作ってくれていることを知っている。その上、この髪の砦がなくなれば、ミロンはより困るだろう。
だからこそ、口を閉じているしかない。
額から汗が垂れてくる。それを手で拭いながら、ミロンは虚ろな目で前を目指して足を振り上げる。
かつん、という甲高い透き通った音が、靴の下から響いた。
ここガラス平原は、地面までがガラス製である。
後、どれくらいで着くのか。
と、ミロンは不安を覚える。もしかすると、永遠に辿り着かないのではなかろうか、という恐怖すらも覚える。
その恐怖を解消する為には、後どれくらいで着くのかをネリーに尋ねれば良い。
けれども、ミロンにはそのようなことはできない。一度訊いてしまえば、ミロンは己を抑えられなくなるだろう。
数歩の度に、同じ質問を繰り返す機械になってしまう。
そうなれば、ネリーは不機嫌になるに違いない。ミロンはまだネリーのことをよく知らないが、それでも自分がやられて嫌なことはしない。
少し歩く度に、「まだー?」と訊かれるのは嫌なものだ。
しかし、ミロンは質問の答えを得ることを諦めた訳ではない。
質問するのが駄目ならば、質問しなければ良いのだ。無言の訴え、というものがある。
ミロンは汗だくの顔を敢えて拭わず、疲労困憊という様子を隠さず、隣のネリーへと視線を向けた。
……ここまで酷い状態のぼくを見れば、きっと後どれくらいか答えてくれる筈!
そういう期待の元、ミロンはネリーを見た。のだが、彼は逆に慌てることとなる。
「ど、どうしたの?」
ネリーの顔色は、ミロンのものよりも酷かったのだ。
無表情で淡々と歩いてはいるが、顔が青褪めている。額から溢れる汗の量も、ミロンの比ではない。
「少し、疲れたわ」
「少し!? 何があって、どうなってるの?」
「神々の死体を使い過ぎた……」
涙声でネリーが事情を語ってくれる。
「や、や休もう! ね」
「それはナンパ師の常套句」
「今そういう状況じゃないからね!」
「兄様になら……構わない」
「落ち着いて! 錯乱しているよ」
一番ミロンが慌てていた。錯乱しつつも、ネリーの身体を支える。
「解除していいから。ごめんね、こんなに負担になるなんて知らなくて」
「解除は、しない。兄様が耐えられない、ので」
「耐えるよ。ほら、ネリー言ったでしょ? ぼくは強い眼鏡だから」
ふふ、とネリーが力なく笑う。
そして、そのまま彼女は意識を失った。
『創り者』も意識を失うのか、とミロンは変な部分に感心していた。
そのような感心をしている場合で無いと、ミロンは理解していた。
「ぼくの目が痛んだということは……」
この近くに『壊れ者』か残り者がいるということだ。それは非常に拙かった。
ミロンにはもちろん戦う力などない。であるから、今敵に見つかれば、その先の結末は確定している。
必ず、肉体を失う。
それも、ミロン一人ではない。ネリーも道ずれに、である。
「それは駄目だ」
気絶したネリーの肩に腕を回し、力尽くで持ち上げる。意識を失った肉体はあまりにも重く、ミロンは立っているのもやっとという状態になる。
それでも、無理矢理一歩を踏み出した。
ネリーの『命ノ灯』は、彼女の気絶と同時に解除されていた。
ガラスに反射した太陽光が、ミロンの瞳を容赦なく焼き付けていく。
ネリーの肉体を引き摺るようにして、ミロンはガラス平原を歩いていく。
「置いてはいけない、からね」
ネリーを置いていけば、ミロンの生存率は少しだけ上昇する。だが、彼はその選択をしなかった。
彼はネリーに恩を感じている。恩人を見捨てて生き延びることは、ミロンにはとっては考えられないことであった。
ここで見捨てれば、必ず後悔する。
その後悔を恐れて、ミロンは敢えてネリーと共に歩き出す。
きぃきぃ、とネリーの足がガラスの表面を削る異音が耳に入る。不快であった。
ネリーを半ば担いでいる状態なので、耳を塞ぐこともできはしない。歯を食いしばり、只管不快感に耐える。
だが、五分もしないうちに、ミロンの肉体には一時的な限界が訪れていた。
ネリーを落とし、自身の肉体の制御も失う。その場に、音を立てて崩れ落ちる。
「誰か。何か……助けて」
救いを求めて、ミロンは微かに首を動かした。そして、発見する。
ガラスの雨の向こうにある、ガラスではない何かを。
そこは丁度、ガラス平原の果てであった。
「土、だ」
ガラス以外のものを久しぶりに見る。
喜びで口元が緩む。
「それに、家まで」
ガラス平原の果て。
そこには土があり、また家すらもあった。たった一軒の木造住宅。けれども、今のミロンにとって、そのオンボロの家はまるで天使の住む宮殿のように見える。
「やった」
心の底からミロンはそう呟いた。




