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ゆく年 くる犬

仕事帰り。

ぼくは大量のビニール袋を抱えて、玄関を開いた。

もう年の暮れも、カウントダウンに入るのだ。

なんの備えもなくては、冬は越せないだろう?

「ただいま〜」

「あ、ヌシサマだあ、おかえ……うげぇっ」


満面の笑みでほくほくと帰ってきたぼくを見て、サチは一瞬凍りついたかと思いきや、心の底から失望したような表情で震え出した。


「ヌ……ヌシサマ……? そ、それなに?」


ぷるぷると震える手で恐る恐る指差したぼくの抱える荷物は、半透明の向こうに赤とか緑のとかが絶妙に見え隠れしていて、そのうえ角ばってごつごつしている。


……もうサチにだって分かってしまうくらいに。


「ん? おお、よくぞ気いてくれた!! もう大晦日になるから、年越しそばを買ってきt」


「プルルルルル……プルルルルル……ガチャン!! あ、こだまお姉ちゃん!!? ヌシサマがやっぱり赤と緑のキツネとタヌキ買い漁ってきたよ!! 年明けるとか栄養とかそういうのなんも考えずにただ麺食べたいから買ってきたよ!!」


……無視ですか。


……そうですか。


……そしてひどい言われようですね……。


……そして……えっ!!?



「ちょーいサチこら! 全く電話で遊んじゃダメだって言ったのにイタズラするんじゃねーよ!!」

バチコーン!!


「にゃふん!!」


バチコンバチコンとサチがしゃべる暇がないように片手でデコピン牽制をしつつ、口調はあくまで大人ぶりながら、イマイチ苦手な後輩に詫びをいれる。


「いや、すまんなこだま。なんかあった時にはぼくの方に連絡入れられるように電話の仕方教えたら、お前にイタズラ電話してるとは思わなかった……。悪い、今度ちゃんと謝るから、んじゃな……」


ハハハ、と乾いた笑いを浮かべつつ、速やかに受話器を置こうと耳から遠ざける。


「ま、またな。よいお年をな!」

「はい、ごきげんよう先輩」


ヒュオオオオオオ、と開けっ放していた玄関の扉から吹き込んできた、冷たすぎる風に、ぼくは背筋が凍りつきそうになった。

……風と共に入ってきた、その聞き慣れた声にも。


「ご、ごきげんよう、こだまさん……」


ガチャリ、とぼくは持っているだけ無駄になった受話器を置いて、どんよりと背中を丸めた。

ぼくの結界の意味……。


“送り犬”のこだまはその妖怪の特質から、迷える者の元へ冥道を通って瞬時に移動することができるのだ。

もちろん、それにたいしてまではぼくの結界も意味がない。悪意のある外敵じゃなかったからだ。


……まぁ、迷ってることは否定しない。

主に金銭的な意味で。


カチカチ。カチャリぺたり。


玄関の扉になにか触っているような音が急に鳴り出して、ひっそりと縮こまった肩越しに恐る恐る振り返ると、よし、と小さく胸を貼ったこだまの姿が目に入った。


「な、なにしてんの……?」


「なにって、先輩正月飾りも買ってないんだもん。福なんかやってこないですよ!?」

「は、はあ。あ、ありがとう……?」


「それと、鏡餅はここに置きますね。あれ? 破魔矢とかお守りはまとめてないんですか? ちゃんとお納めしないと!!」

「う、うん……?」


「お姉ちゃん、サチ黒豆たべたいの」

「え、でもサチちゃん、いくら先輩でも、作る暇はなくても御節の注文くらいしてあるはずだよ? ねえ、先輩?」


すくっ。


「せん……ぱい……?」


「旅に出ます。探さないでください」

シュバッ!!

「さ、せ、ま、せ、ん、よぉぉぉぉ!!!」

がばちょっ!

「ひいいいいいいいっ」


どしん、とアメリカンフットボールよろしく叩き潰されたぼくは、床に転ばされてこだまに襟首をひっつかまれ、大変な形相で睨みつけられた。


「全く、先輩は何でこういつもいつも、いつもいつもいつもいつも、自堕落でやる気なくてガサツで適当でなりふり構わないんですかっ!!? 仕事と喧嘩じゃあんなに爛々としてるくせに!!」


“送り犬”の冥府の炎が灯った瞳で、ぐわんぐわんとぼくをカクテルのようにシェイクしながら後輩はまくし立てる。


「ちょ、ちょっ、ま」


「待ちません! 食べろって言わないと食べないし!! 食べろって言うとむしろ食べないし!! お金はないのに気を使うし!! お金がないからっていつもおんなじ服着てて!! 心配してくれる人がいると、すかさず遠ざかってっ……!!」


ゆさ、と最後の揺さぶりの波が終わって、視界のゆらぎがなくなっても、ぼくはぐったりと首をそらせたまま、黙ってこだまの言葉を聞いていた。


反論する理由も、資格も、言葉も、ぼくにはないと思ったから。


「私が何回好きって言っても、何回でも逃げましたし!! 他の子がチョコレート渡しても、結局食べてなんかないし!! そのくせお返しはしっかりするし、皮肉ばっか言って憎めないように締めくくって、会いたい時には仕事優先するし、ていうかバカだし!! ほんとバカですよ、バカ!! バーカ、バーカ……バーカ……!!」


男のような短髪だから、隠すこともできずこぼれ落ちる涙が、頬を伝ってまたぼくの頬へ落ちた。


つもり積もった言葉だったんだろうか。


ぼくはいつだって立ち向かってると思ってる。

いつだって、逃げ傷のない姿でいたいと願ってる。

でも、そんなことを言っても結局は、逃げでしかなかったのだろうか。


今やここにも、もう心の居場所がなくなってしまったように。


「ぜんばいのッ……バガぁ……ひっ……ひく……っ」


「お、おねえ、ちゃん……?」


急に取り乱したこだまに困惑したように、サチがおろおろと台所から雑巾をとってきて、またおろおろとぼくの方を見る。


「うん……」


大粒の涙の波の向こうから、ひたむきに目を合わせようとしているこだまの、その大きな目を見るでもなく、かといって天井をみるでもなく、時折頬に感じる痛々しい雫の熱を、受けるままにぼくは寝そべっていた。


「ばかだなあ……おれぁ」


ひく、とこだまが震えるようにしゃくりあげる。


しゃくりあげて、そのまま、どさりとぼくを押さえつけるように、こだまはぼくのシャツに頭を押し付けた。


「ほんと……情けねえよなあ」


誰にともなく呟く言葉が、犬神の唸りになって部屋の中に残る。

サチがなんだか悲しそうな顔で、泣きじゃくるこだまの髪を、抱きかかえるように撫でている。



いつ以来かは分からないけれど、随分久しぶりに、ぼくはひどく感傷的な気持ちになっているようであった。



おれ、という一人称は、ぼくにとって色々な意味合いを持つ一人称だった。


昔、ぼくはそのまま、「ぼく」と名乗っていた。


でも次第に過酷な環境で強くあるために、自我の強い言葉を使うようになり、「ぼく」は「おれ」になった。


またずっと長い年月が経ち、ある程度安定した時代になり、強さは誇示するものではなく秘めるものだと悟った時、ぼくはまた「ぼく」に戻った。


だから今になって、ぼくはまだ、「おれ」のままだったのかも知れないと思った。

強がらないと、やっていられなかったのかも知れないから。


とかくに生きにくいこの世の中で、一本の芯としての、自分を背負って立つために、ぼくはひたすらに自分を偽っていただけなのかも知れないと、うっすらと分かりきっていたのに、今になってやっと気づかされたんだな。


「……こだま」


「好ぎ(ずぎ)……」


「お前、身体冷え切ってるんじゃんかよ」


「……冥道、通っでぎまじだもん……」


「わざわざそんなことすんなよ……仕事でもないんだから……」


「ぜんばいが……好ぎだがら……だもん……」


「そんなに寒々しいのに、どうしてまあ……」


はあ、とぼくはシャツにじんわりと滲んでいく生ぬるい涙の熱をそのままに、天井へ向けてため息をついた。


この髪を撫でてやれたならどんなにいいだろう。

この小さな肩を包んでやれたなら、それはどんなにいいことだったのだろう。


でも、ぼくは自分からは絶対に、異性には触れていきはしない。


それの理由がなんであるのかは分からない。

こんなに愛おしいのに、拒絶する全細胞。

別に同性愛者じゃない。


ただ、怖がっているぼくがいるだけ。


切ない肩をある意味こうして重ねても、それはこうしてすれ違うだけ。

いたたまれない気持ちが、こだまにも自分にも、苦く広がるだけ。


「ごめんな……」


「グズ……ぜ、ぜんぱいがあっためてくれても……いいんでずよ……?」


「……うん」


うん。

その言葉の意味は、文面的にはYESで。

でも、イントネーションはNOになった。


「……こたつ、出そうか」

とん、とん、と、こだまの華奢な肩をそっと叩いて、「降りて」と無言で頼んだ。


思えばこの永い永い年月の中で、初めてぼくから触れたのかも知れない。


やろうと思えば、別に手を繋ぐのもキスもできるけれど。


そこに全く気持ちがこもっていないことは、多分こだまが一番分かって、一番傷ついてしまうだろうから。


だから、ぼくが精一杯応えてあげられる、これは限界なんだよ。


ずる、とぼくの胸から頭を持ち上げたこだまは、ちょっと赤くなったまぶたと、鼻水の垂れた小汚い顔をしていた。


今まで見た中で一番、ぼくを揺らす汚さ。


ギリギリ吐息がかかるだけの距離。

こみ上げたあとの、すっぱいような唾液のにおい。


……こだまの華奢な肩は、見た目よりも柔らかかった気がした。


「ほら、こたつ出すから、どいて。寒いだろ。今日はもうしょうがねえから、どん兵衛食って寝なさい。ね」


とんとん。

もう二回だけ、こだまの肩を叩く。

もう、これっきり。これっきりだから。


これ以上は、近づかないでくれ。


むすっとした表情で、しかしゆっくりと、こだまは、ぼくの上から降りた。

やんわりとした拒絶は、でも、今回はなぜだか、拒絶しきれなかったような後味をぼくの中に残したままだっだが。


ぼくらは起き上がって、ぼくはコタツを引っ張り出してコンセントをさし、こだまは黙ったままお湯を沸かして、どん兵衛に注いでいた。



温まってきたコタツでどん兵衛をすすりはじめると、何食わぬ顔になったサチが、向かい合いつつも、しかし反対側に座り合うぼくらの間を取り持つように座って、「おいしい、おいしいねヌシサマ、おねーちゃんおいしいね」 とにこにこしてくれていたのが、いじらしくてならなかった。


コタツを出してしまったから、布団を敷く場所がなくなってしまい、仕方なくぼくはごろりとコタツのままで横になった。


もう夜も日付が変わる頃で、サチも本当は眠かったのか、ぼくの懐にゴソゴソと潜り込んできた。

ちゃぶ台なのに狭っ苦しい、と思わないでもなかったけれど、ぼくは何も言わず、たむたむとサチをあやすようにしていた。


こち。

こち。

こち。


部屋の明かりは消したから、サチの寝息だけが響くように寄せてはまた返してゆく。


いつの間にかぼくの背中にかじりつくようにこだまが寝ているが、泣きつかれたのだろうか。


優しく悲しげなひうひうという寝息が、ときおり混じっている。


ぼくはいつまで、こんなことをしているんだろう。

終わることのない生の中で、叶うことのない想いを叶わないままにしたままで……。


「うう……んふふふ」


あ、寝息で笑った。

腕の中のサチが、くぐもったように寝言をたまに言う。


ぼおん。


と、それに合わせるように、低く小さな音で、除夜の鐘が鳴った。


「年、明けたな……」


誰にともなく、犬神は囁いた。

「ごめんな、サチ。こだま、すまねえなあ……ほんと」


ぼおおん。

鐘つきの小僧は、そういやあもう住職だ。

今年の鐘はまた、へったくそだな。

……また、楽しみができちまったかな。


とん、と暗闇の中で、こだまの頭がぼくの背中に当たった。


コタツだから上半身は実は寒い。

一応サチはだから、ぼくが抱えてやっている。


「……まあ、なんだ……。あけましておめでとう……こだま」


すう、という寝息にすらかき消えてしまう程度の声で、ぼくは懺悔のように、眠ろうと目をつむりながら、言った。


言い終わった時には、もう、眠りについてしまっていた。


「今年も……よろしく……たのまぁ……」


ぼおおおん。



みたびめの鐘の音は、もう犬神の聴力をもってしても、聞こえてはいなかった。


だから。そんなことだから。

背中からきゅっと回された腕が、起こさないように気を使いながら、埋められない距離を思い知るかのように、震えたのなんか知らなかった。


「はい……先輩、あけましておめでとうございます……」


嬉しそうにも、泣きたそうにも見える角度に、ほんのりと赤い唇の端が持ち上がって犬神に寄せられたことも、混濁した夢の中で、犬神は夢だと思った。


夢だと、思うことに、した。



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