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落日の音  作者: もぃもぃ
21/22

二十.

七.に対応しています。

 


 忘れてくれていいんだ。覚えていなくたって。

 だけどもし。どうしてもつらくなったら。

 きっときっと思い出して。

 ぼくはいつも、願っているから。

 大げさかもしれないね。でもぼくはきみを、おもっているから。

 たとえ遠くはなれても。

 だいじょうぶ。心配しないで。すぐに終って、かえってくるから。

 この手紙を持っていて。

 ねえ。つらくなったら、きっとだよ。



 

 ――ラヴェンナ、そのリボン、素敵だね――



*** *** ***


「笛が……」

突如、短い悲鳴が聴こえた。

侍女がなにかを叫び、侍医は蒼白な顔でこちらに駆け寄る。

申し訳ございません、大事ございまぬかとせわしない声が耳に押し寄せる。

侍医がわたしを庇うように寝台の前に立ち、侍女は気づけば床に膝をついていた。

手の力が抜け、割れた笛が寝台から床に転がっていった。

「何事だ!」

室を切り裂くような声がした。


「陛下」

ひどく緩慢に、顔を向けた。

わたしはなぜか、泣きたくなった。

「ラヴェンナ、何事だ」

「なぜ、こちらに……」

あの者・・・の処遇を決めたのだ。それを伝えようと、いやそれよりも」

何があったのだと侍医を押しのけるようにして、鋭い瞳がわたしに向けられた。

「笛がこわれたのです」

「笛?」

――――剣は? 前を見つめたまま懐を探った。

ああそうか、あの牢で落としたきりだった。

知っていたのに、なぜ。

剣はここにはないと、数瞬前までわかっていたのに、なぜ。

「どうしてなの。わたしはどうしてまた、こわしてしまうの」

いや、だ。

知っていた。かえってはこないと。ならばもう、いいではないか。

これ以上、なにがあるというの。

いや。いかないで、おねがい。そばにいて、かえってきて。失われたままでいいから。

 キールド。キールド キールド キールド!!

名を、叫ぶ。耳をふさぐ。悲鳴がわたしを飲み込む。

突如、風が唸る。衣が舞う。髪をさらう、砂が襲う。風が風すらも巻き上げる。渦のようにわたしを引き込む。

ここは、どこ?

城? ならば、音は? ――しない。

塔? ならば、笛は? ――きこえない。

そうだ、だって笛は。

こわれた。


 笛が、こわれた

 もう音はきけない

 きこえない

 とっさに鋭い刃を探す。風が唸る、では、あるはずだ。剣が。だってここは塔だから。

散らばった硝子・・の破片。熱く、かわく胸。

「ラヴェンナ」

ああ、声がする。あなたではない声。わたしを呼ぶ声。ざらついた砂の感触。

ゆるゆると手をのばす。もうすぐ、届く、刃に。ほら、今、掴んだものは――



「撫子だ。ラヴェンナ」

いつの間にか握っていた。ざらついた感触の

「これは、これは」


それは――――リボン。

撫子の、リボン。


 ――ラヴェンナ、そのリボン、素敵だね――



息がとまったかと思った。

おさなき日の、輝きにあふれたあの落ち葉舞う戯れの記憶。

あまりにやさしい、あの瞳。

今は、みえない。

光で、みえない。

輝きは反射する。落ち葉に。舞う落ち葉に。

おさなき二つの声は、落ち葉に木霊する。

思い出は、おわらないはずだった。

いつまでもわたしの心にあるはずだった。


 ねえ、キールド

 なにか、かわっていた?

 あなたが、このリボンを持っていると言ってくれていれば。

 わたしが、このリボンの行方をきいていれば。

 わたしたちは――かわらなかった・・・・・・


「笛をくりいたのか」

誰にともなく、割れた笛に声が落とされた。

ああだから、笛が割れたの。ああだから――笛は、吹けなかったの。

「どうして、こんなに大切なものに」

呆然と声が出る。

キールドあなたは、笛に誓ったはずだったのに。

「それは――髪飾りでございますか」

ふと、違う声がその場に入った。それはいつも穏やかな、侍医のものだった。

「……ええ。わたしが、つくったの。好きだったから。撫子が」

 あなたのような花だと思った。このリボンで髪を飾ったのは、ほんのわずか。失くしたことに気づいたときには、輝きも光もわたしは失っていた。

「大切なものだから、壊されたのではありませんか」

「大切なものだから? 大切ならば、どうして壊すの? それほどまでに、一体なにを守りたかったと――」

 喉が鳴る。

 今度こそ。今度こそ息が継げない。

 目の前の、彼の友人だったひとを見つめる。

 かなしみは、言葉にできない。

 瞳は、言葉にならない。

 心は、みえない。

 光が、あるから。

「キールド様は笛ではなく、その髪飾りをお渡しになりたかったのです。笛をくり貫いてまで。あなた様にきっと、お届けしたかった。きっと見つけていただきたかった。あなたは決して、失われることはないと」

顔をおおう。

 キールド。

 恐れていることは、ここにはなかった。

 望んだものは、城が血に染まったときに失われたから。

 笛の音は、ここではきこえないから。

 笛の音がきこえても、とおき日の音にはかえらないから。

 だからこれ以上、望むことなどない。

 望まなければこれ以上、失うことなどきっとないから。


わたしは本当に愚かだった。一番近くにあってくれたひとの思いに、気づくことができなかった。

だから、だからもう――

「もうあの日のあこがれに、かえることはできないのね」

不意に、声がゆがみそうになった、そのとき。

ふわり、とあたたかい手を、顔をおおう手に感じた。

「キールドにとって、そなたは光だった」

ゆっくりとリボンに重なる手に、ぬくもりを覚える。

厳冬の夜空のような瞳が、静かにこちらを見つめていた。

「ラヴェンナ。思い出は宿る。新しい命とともに」

夕日が淡く、窓にふれる。

「ふたたびの憧れに、かえることはなくとも。新たな季節の、光となる」

――――光。


 ねえ、キールド。なにか、かわっていた?

 わたしがあなたを諦めていれば。わたしたちは、あなたは――。


 いいえ、あなたは変わらない。あなたはなにも、変わらない。

 きらめく秋の、あの輝きのよう。

 やさしく添う、大好きな花のよう。

 やさしい夕日でつつまれているような、あなたは。

 あなたは

 

「あの城で」

リボンに目を落としたひとが、言った。

「あの城で最後にキールドと会したとき、笛を託された。恐らくキールドは知っていた。そなたが懐妊していたことを。だから――」

室に、淡い光がやさしく過ぎる。

「だからこう、言ったのだ」

――ただ一言。


 ――忘れないでくれ――



 あなたは、光。

 風が、やわらかく吹く。頬をやさしくなでる。




 忘れてくれていいんだ。覚えていなくたって。 


 ――ラヴェンナ、そのリボン、素敵だね――


 落ち葉がひとひら。


『ねえ。つらくなったら、きっとだよ』

『ぼくはきみを、おもっているから』

 

 ひとひら舞う。


『この手紙を持っていて』



「春、の」


 春の――――



 春の暁

 夏の木漏れ日

 秋の落陽

 冬の星影

 そのめぐりを その季節を 君はどうか 生きて

 光は 永遠に

 


『ぼくはいつも、願っているから』

 

 君の なかに

 

『きっときっと思い出して』


 ラヴェンナ

 輝きは 永遠に




 失ってしまった。多くのものを。

 本当は多くのことを恐れていた。

 けれど願っていた。

 かえってくると。なくしたものは、必ず。

 ここにあるものは、恐れているものではなかった。

 どこかでずっと、信じていたから。



 ここにあるものは、かえってくるもの。

次回、最終回です。

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