十三.〈蹟.二〉
泣いていたあの子の頬は、あたたかかった。
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『なんと、無茶なことを……』
『確証が欲しかった』
『それにいたしましても。お方様は、身重でいらっしゃるのですよ』
『……その通りだ。ただ』
『そのようなお顔を、なさいますな』
『――……うしなったものは、もどっては参りませぬ。陛下』
『キールド様は、いつも。あなた様の、おそばに』
ぼんやりとした霞のなかで、瞳が痛みに伏せられたように見えた。
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親愛なる――
君の名を書くのは、きっとこれが初めてだろうね。
君とみたあの湖は、いまでもきっと穏やかなのだろう。
親愛なる シュライゼ
君は覚えているだろうか。
初めて会ったときの、ぼくの顔を。いまぼくは、あのときと同じ顔をしているだろうか。
もうどれほど君の国で、ぼくは君と月日を過ごしただろう。
いや、四年という月日は、そんなに長くはないのかも知れない。
なぜこんなに、やさしく感じるのだろう。君と過ごした日々を。
決して、楽しいものではなかったはずなのに。そしてそれは君も、同じだったはずだ。
君の国に初めて来たとき、なんて穏やかで平和な国に来たことだろうかと(いや、そんなことはわかっていたはずなのに)、そう、なんて穏やかな国に来たものかと、ぼくはなかば君を憎んだ。
君の抱える苦しみをなにも知らぬまま。
もう書くまでも、ないだろうけれど。
ぼくは、古くから争いの絶えない国に生まれた。
ぼくのごく幼い頃を最後に戦争は終ったけれど、城の堅牢な石壁は、いつも冷たかった。
それからは静かに、ただ静かに時は流れていった。
だけどあるとき、その静寂を打ち破る光が生まれたんだ。
ぼくにとっては、それは光だった。
その光を初めてみたとき、ぼくは驚いたんだ。
こんなに無垢で、こんなにかわいいものがあるのだと、そんな歓喜にあふれた感情を、まだ幼かったけれど、そのとき初めて知った。
もうなんど君に話しただろう。
ぼくは、その光――いや、ラヴェンナと、ずっと一緒に遊んで育った。
たしなみとして母から与えられた覚えたての笛を、ぼくはくる日も吹いて、あの子に聴かせた。
あの子はお姫さまなのに、口を大きく開けて、よく笑う子だった。
それにぼくの吹く笛を、目を輝かせて聴いてくれていた。
あの子の父君と母君――いまはもう亡くなられた国王陛下と王妃陛下は、あの姫を殊更に大切になされていた。
ぼくの母と王妃陛下はとても親しくて、母はよく王妃陛下を訪ねていた。
あの子が生まれてからも、それは変わることなく。
そうして出会ったあの子は、ぼくにとてもなついてくれた。
春に、暁を。
夏に、木漏れ日を。
秋に、落陽を。
冬に、星影をみつめながら、そのめぐりを、ともに過ごした。
いまでも、瞳をとじると浮かんでくるよ。
あの子の、輝くような笑顔が。
ぼくに笛をせがんだ、あの無垢な瞳が。
あの、光あふれる季節が。
その季節のなかでぼくはいつしか、願っていた。
あの子がずっと笑っていられるような、争いのない穏やかな国になるようにと。
そして望んだ。あの子の永久の笑顔を。
あの子はね、撫子の花がとてもすきだったんだ。
刺繍にして、髪を結う飾りにしていたくらいに。
ぼくがそれを褒めると、とても嬉しそうにしてくれた。
きっと、あれが最後だ。
あの子が笑ったのは、あれが最後だ。
そのすぐあとに、ぼくらが過ごした城は、血に濡れた。
狂気の血に染まった。君も知っているように。一度目の、政変が起こった。
いまはもう、あの子と遊んだ庭園は枯れた。
あの子は、いまもまだ泣いている。あのときと、同じに。
けれど。けれどシュライゼ。
あの子の頬は、あたたかかった。
泣いていたあの子の頬は、あたたかかった。
変わらず。あの子はなにも変わらず。
シュライゼ
どうかぼくの願いをきいてくれないか――