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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。

たとえばこんな終わり方【完結】

筋肉はSAN値を凌駕する

作者: 有賀羊
掲載日:2026/08/17

エンド5:筋肉

「修也、太った?」


 その一言は、今の俺の柔らかな身体に深く突き刺さった。


「……きゅう?(……太った?)」


「うん。なんか前より、もちもちしてない?」


「きゅう……(もちもち……)」


 触手で自分の身体をつまんでみる。


 むに。


「…………」


 もう一度つまむ。


 むにむに。


(……太った?)


 いや、そもそもこの身体に太るとかあるのか?

 人間だった頃なら、腹が出たとか、顔が丸くなったとかで分かる。

 でも今の俺は、ぐにゃぐにゃの身体に触手がいっぱい生えた、人ならざるナニカだ。


(どこからが太った判定なんだよ)


「ほら、ここ」


「きゅ?」


 梓が俺の横っ腹らしき場所を、むにっと掴んだ。


「前はもうちょっとシュッとしてた気がする」


(シュッとしてたの!?俺!?)


 知らなかった。この身体にも、シュッとしてるとかあるんだ。


「まあ、これはこれで柔らかくて好きだけどね〜」


「きゅう……(そっか……)」


「うん。もちもち〜」


 梓が楽しそうに俺の身体をむにむにしている。


 別にいいじゃん。

 梓が好きって言ってくれてるんだから、太ってようが、もちもちしてようが。


 でも。


(俺……最近、何してる?)


 朝、梓を見送る。

 日向ぼっこして、テレビを見て、プリンを食う。

 梓が帰ってきたら、一緒に飯を食って寝る。


 翌日。

 同上。


「…………」


(俺、ニートじゃん)


 今さら、とんでもない事実に気づいてしまった。


「ぎゅう……(なんてこった……)」


「ん?どうしたの?」


「きゅう……(いや……)」


 働いていない。

 家事は多少するし、チャーハンだって作れる。

 でも金は一円も稼いでいない。

 家賃も、光熱費も、食費も、全部梓。


 梓におんぶに抱っこで、そのうえ俺は太った。


「ぎゅううう……」


「え、どうしたの修也。急にしぼんでない?」


 このままでいいのか。

 いや、よくない。


 金を稼ぐのは、今の俺には難しい。だったらせめて、身体くらいは引き締めよう。

 梓に「もちもち」じゃなくて、「カッコいい」って言ってもらうんだ。


「ぎゅうっ!(よしっ!)」


「お?」


 俺は勢いよく身体を起こした。


「きゅうっ!きゅうっ!(やるぞ!俺はやるぞ!)」


「なんかやる気出た?がんばれ〜」


◇◇◇


 翌日。


「きゅあっ!きゅあっ!(せいっ!せいっ!)」


 床に触手をつき、身体を上げては下ろす。

 腕立て伏せだ。


◇


 続いて腹筋。

 身体を起こして、倒して、また起こす。


(腹、どこだ?)


 分からない。

 でも、効いてる気はする。


◇


 さらに俺は、部屋の隅へ目を向けた。

 そこには、人間だった頃に買ったものの、いつの間にか物置と化していたルームランナーがある。

 かつては三日坊主の象徴だったこいつも、今の俺には立派な相棒だ。


(梓に、カッコいいと言わせる!)


 ルームランナーへ乗り、スイッチを入れる。


「きゅあっ!きゅあっ!(せいっ!せいっ!)」


 走る。

 触手で。


「きゅあっ!きゅあっ!(せいっ!せいっ!)」


 ひたすら走る。


「ぎゅあああああ!!(燃えろ俺の脂肪おおおお!!)」


 そもそも脂肪なのか分からない。

 でも燃やす。


 目指せ、脱・もちもち。

 目指せ、マッスル修也。


 こうして俺の、孤独な戦いが始まった。


◇◇◇


 それから数日。


 俺は毎日、筋トレに励んだ。

 梓を見送ったら腕立て伏せ。腹筋。休憩を挟んでルームランナー。


「きゅっ!きゅっ!(せいっ!せいっ!)」


 最初こそ少し動いただけで疲れていたが、続けているうちに段々と身体が慣れてきた。

 そうして今日もいつものメニューを終え、俺は自分の身体を眺める。


 触手に力を入れてみる。


 むきっ。


「…………!」


(なんか、引き締まってない!?)


 気のせいかもしれない。


 いや。


(これは絶対、引き締まってる!)


 なんとなく触手にもハリがある。

 身体だって、前ほどもちもちしていない……ような気がする。


「きゅう〜!(いいぞ俺!)」


 この調子なら、梓に「カッコいい」と言われる日も近い。

 となれば。


 俺はルームランナーを見る。


(今日は、もうちょっといけるんじゃね?)


 いつもより少し速度を上げてみる。


「きゅっ!きゅっ!(せいっ!せいっ!)」


(いける。これはいけるぞ!)


 さらに上げる。


「きゅあっ!きゅあっ!(せいっ!せいっ!)」


 まだいける。


(俺、めちゃくちゃ成長してる!)


 さらに。


 ぽち。


 さらに。


 ぽち。


「きゅあああああ!!(うおおおおお!!)」


 触手をものすごい勢いで動かす。


(速い!)


 でも、いける!


(俺は今、風になってる!!)


「きゅああああ──」


 そのとき。

 触手の一本が、別の触手に絡まった。


「きゅ?」


 次の瞬間。


「ぎゅあっ!?」


 ぐるん、と身体がひっくり返った。


 まずい。

 そう思ったときには、もう遅い。

 高速で回り続けるベルトが、俺の身体を容赦なく後ろへ運んでいく。


「ぎゅあああああああ!?」


 バシュッ!!


 射出。


 ドンッ!!!


「ぎゅっ!!」


 壁に叩きつけられ、そのままずるずると床へ落ちた。


「…………」


 静かになった部屋で、ルームランナーだけが元気よく回り続けている。


「…………きゅう(……痛い)」


 もうだめだ。

 身体も痛い。

 心も痛い。


 俺は床に、べちゃりと広がった。


「……きゅう(……つら)」


 何やってんだろ、俺。

 そもそも身体を鍛えたところで、なんだっていうんだ。

 見せる相手なんて梓しかいない。

 梓だって、もちもちしてる俺を好きだって言ってたじゃん。


(……太ってるくらい、別にいいじゃん)


 うん、もちもち上等。

 むしろ柔らかい方がいい。

 梓は俺にもたれて本を読むのが好きだし。


(いいクッションになるじゃん……)


 そうだよ。太ったんじゃない。

 クッション性が向上しただけだ。


「きゅきゅう……(もう、やめよ……。俺は梓の高品質クッション)」

 

 そうして、筋トレ道具を片付けようとした、その時。


「そこで、諦めるの?」


 聞き慣れた声がした。


「きゅ?(梓?)」


 顔を上げる。


「…………」


 サングラスをかけ、片手にはメガホン。

 いつ帰ってきたのか、梓が仁王立ちしていた。


「……きゅう?(……何してんの?)」


 梓は俺の問いには答えず、サングラスをくいっと上げる。


「よく考えてみて、修也」


「きゅう……(何かはじまったな……)」


「将来、私たちに子供ができたとき」


(こ、……子供ぉ?)


「そんなみっともない姿でいいと思ってるの?」


(そもそも俺たちには無理だろ)


「イメージして」


 メガホンが俺へ向けられた。


「可愛い女の子」


(女の子)


「中学生」


(中学生)


「そして、思春期」


「…………!」


 俺の脳内に。

 まだ見ぬ娘の姿が、ゆっくりと浮かび上がった。


 浮かんだのは、梓に似た可愛い女の子だった。

 長い髪に制服姿。学校から帰ってくる。


(……可愛い)


 俺と梓の娘なんだから、そりゃ可愛いに決まってる。


 いや、待て。


(人の形……してるか?)


 俺を見る。人ならざるナニカ。

 梓を見る。人間。


(どっちだ?)


 分からない。

 なら。


(両方で考えよう)


 まず、人間バージョン。


 学校から帰ってきた娘に、俺が近づく。

 その肩へ、ぽん、と手を置いて。


『おかえり』


 娘が振り返る。


「ちょっと、みっともないんだから触らないでよ」


「…………」


 ぐさっ。


(いやいやいや)


 今のは人間バージョンだ。

 実際ありえるのは次。

 ナニカバージョン。


「きゅう〜」


 触手を揺らしながら、可愛い娘が帰ってくる。


(……可愛い)


 目は二つ。

 触手いっぱい。

 ぐにゃぐにゃ。


 でも可愛い。

 俺の娘だから。


 そんな娘へ近づき、触手で肩らしき部分をぽんと叩く。


「きゅう(おかえり)」


 娘が振り返った。


「きゅう(うわ、キモ)」


「…………」


 ぐさっ。


 ……嫌だ。


(嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ!!)


「ぎゅぎゅう〜〜〜!!!!(いやだ〜〜〜!!!!娘に嫌われたくないぃぃぃ!!)」


 床の上でのたうち回る。


「そうなりたくないでしょ!」


「ぎゅうっ!!(なりたくない!!)」


 梓がメガホンを高々と掲げる。


「だったら!!」


「ぎゅうっ!!(俺、頑張るよ!!)」


 俺は勢いよく身体を起こした。


「ぎゅうううう〜〜!!(俺は娘にカッコいいって言われる父親になるんだあああ!!)」


「その意気だよ、修也!」


「ぎゅうっ!!(梓!!)」


「修也!!」


 俺たちは見つめ合った。


「…………」


「…………」


 ところで。


(なんで梓、俺が想像してること分かったんだ?)


 時々思ってることが通じすぎて怖い時がある。


「ほら!休んでる暇ないよ!スクワット百回!」


「ぎゅあっ!?(百回!?)」


「いーち!」


「きゅあっ!(せいっ!)」


「にーい!」


「きゅあっ!(せいっ!)」


「声が小さい!」


「ぎゅあああ!!(せえええい!!)」


 こうして。

 俺の筋トレ第二ラウンドが始まった。


◇◇◇


 それからというもの、俺は鍛えに鍛えた。


 腕立て伏せ。

 ──腕はない。


 腹筋。

 ──腹がどこかは、いまだに分からない。


 スクワット。

 ──脚もない。


「きゅあっ!きゅあっ!(せいっ!せいっ!)」


「いいよ修也!あと五十回!」


「ぎゅううう!!(おおおお!!)」


 ルームランナーも走った。


 今度は調子に乗って速度を上げない。

 俺は学習する男だ。


「もっと速く!」


「ぎゅう!?(鬼!!)」


 鬼コーチが許してくれなかった。


 それでも走った。

 来る日も来る日も。

 雨の日も。

 ──いつも家の中だから関係ないが。


 そして、ある朝。


「…………ん?」


 目を覚まし、身体を起こす。


 何かがおかしい。

 視界が高い。


「…………」


 自分の身体を見る。


 腕がある。

 脚もある。

 腹なんて、しっかり割れている。


「…………?」


 慌てて鏡の前へ向かった。

 そこに映っていたのは、鍛え上げられた肉体を持つ一人の男。

 人間だった頃の、俺だった。


 戻った。

 人間に戻った。


「きゅう〜〜〜〜!!!!(よっしゃ〜〜〜〜!!!!)」


 声以外。


「…………きゅう(…………きゅう)」


 鏡の中の俺が、絶望した。


「修也〜?」


「きゅっ!?」


 振り返ると、寝室から出てきた梓が眠そうに目を擦っていた。


「さっきから鏡の前で突っ立って、どうしたの?」


(……どうしたって)


 俺は自分の身体を見る。

 どこからどう見ても人間だ。


「……きゅう?(……何も思わない?)」


「ん?何が?」


 梓はいつも通りだった。


(……まあ、ナニカになっても、梓にはずっと俺は俺に見えてたしな)


 それより問題は。


「きゅう」


 声。

 人間に戻ったのに、これだけは変わっていない。


 いや待てよ。


(声帯って……筋肉だよな?)


「…………!」


 そうか、筋肉だ。

 筋肉を鍛えて、人間に戻った。

 だったら声帯も鍛えれば、声だって戻るんじゃないか?


(いける!)


 俺はもう知っている。

 筋肉の可能性を。


◇◇◇


 それから、声帯も鍛えることにした。


 朝起きて。


「きゅう」


 駄目。


◇


 腹から声を出して。


「きゅああああ!!」


 駄目。


◇


 風呂場なら声も出やすいんじゃないかと思って。


「きゅう〜〜〜♪」


 駄目。


◇


 発声練習もした。

 腹式呼吸も調べた。

 毎日、今日は出るか、今度こそ出るかと試してみた。


 けれど。


「きゅう」


 何日経っても、きゅう。


「ぎゅううううう!!」


 どれだけ頑張っても、ぎゅう。

 出せるのは、き、ぎ、ゆ、う、あ。

 怪物だった頃から何も増えていない。


「ぎゅああ!!(声帯は無理なんかい!!)」


 がくりと膝をついた。


(まあ、運動してた時から声は出してたし、何となく分かってたけど……)


 筋肉ならって、期待してた。

 でも、筋肉にもできないことがある。

 その事実に筋肉への信仰が揺らいだ。


「…………っ」


「きゅ?」


 顔を上げる。


 梓が口元を押さえ、肩を震わせていた。


「ふっ……ふふ……あはははは!」


「きゅう!?(何!?)」


「あはは!だって……人には戻れたのに、声は『きゅう』のままとか……!」


「…………きゅ?(……ん?)」


 今。なんて?


「…………きゅぎゅう?(……人に、戻れた?)」


「あ」


「…………」


「…………」


「ぎゅうううう!?(は!?え!?気づいてたの!?)」


 梓の両肩を掴む。


「わっ」


「ぎゅう!ぎゅううう!!(いつから!?いつから気づいてた!?)」


 がくがく揺さぶる。


「ちょ、修也、揺らさないで!あはは!」


「ぎゅあああ!!(笑ってんじゃねえ!!)」


「あははは!ごめん、ごめんって!」


「ぎゅううう!!(説明しろおおお!!)」


「あ〜、やば……」


 ようやく解放すると、梓はふらふらしながら頭を押さえた。


「ほ、ほら、あれだよ」


「ぎゅう!?(どれだよ!?)」


「運動すると健康にいいっていうでしょ?」


「…………」


「そういう、アレ」


「ぎゅううううう!!(どういうアレだよ!!)」


「まあまあ。人に戻れたんだから良かったじゃん」


「ぎゅう!(声!!)」


「それは残念だったね〜」


「ぎゅううう……(他人事だと思って……)」


「でもさ」


「きゅう?」


「喋れないだけでしょ?」


「…………」


 梓が俺の手を取った。


「今なら普通に外、歩けるんじゃない?」


「…………!」


 言われて、自分の身体を見る。


(……確かに)


 声は出ない。

 でも。


 外を歩ける。

 店にも入れる。旅行だって行ける。仕事だって探せるかもしれない。

 何より、また梓と並んで外を歩ける。


 声が出なくても、今までだってなんとなく……いや、梓とは怖すぎるほど意思疎通できていた。

 細かいことならスマホを使えばいいし、筆談や手話など他の手段も取れる。


(なんだ、いけるじゃん)


「きゅう!(いける!)」


「お、元気になった」


「きゅきゅう!(外出られるじゃん!)」


「うんうん」


「きゅう!(梓と出かけられる!)」


「そうだね〜」


 梓が笑う。俺も笑う。

 そのちょっとした当たり前が嬉しい。


(筋肉って、すげぇな)


 さっき一瞬でも疑って、ごめんな。


 信仰が戻った。


◇◇◇


 それから、俺たちの生活は“ナニカ”になる前に、少しずつ戻っていった。


 仕事も、声を使わずにできる在宅の仕事を見つけた。

 これで、めでたくニート生活からも脱出だ。


 当たり前のように買い物へ行って、散歩して。

 くだらないことで、梓と笑い合って。


(ああ、楽しいな)


 そんな日々を過ごしていた。


◇◇◇


 ──ちなみに。

 人間に戻ってから数日後。


「修也〜。今日、戻ってるよ」


「きゅう?」


 自分の身体を見る。


 触手。

 ぐにゃぐにゃ。

 いつものナニカ。


「ぎゅあああああ!?(なんでええええええ!?)」


 どうやら、たまに元の姿へ戻るらしい。


「今日のお出かけ、どうする?」


「きゅう……(筋トレする……)」


「そっか〜」


 まだ。

 筋肉が足りない。

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