2話 王子と浄化師たち
◇◇◇◇
「うっとうしい挨拶はあとだ。さっさと顔をあげろ」
低く、それなのに耳に心地よい声音ではあったが、いかんせん、言い方が最悪だ。
(やっぱり、傲慢王子ね)
アメリは内心で吐息をつき、片膝突いたまま、顔を上げる。
階の上。椅子に座っているその青年を見て、アメリは目を瞠った。同時に、噂とはなんとあてにならないことか、と呆れかえる。
そこにいるのは、野生児でも無頼漢でもない。無法者にも見えなかった。
完璧な、貴公子だ。
金色の髪は伸びすぎのきらいがあるが、それでも緩やかに波打ち、室内の光を内包し、豪奢な光を放っている。青い瞳は、サファイアをはめ込んだようだ。見れば吸い込まれそうな透明度。肌は白磁よりも艶やかで、すっと通った鼻筋が、彼を人間というよりも造形物に見せた。
義弟と同い年だという。だが、随分とマクシミリアンの方が大人びて見えた。19歳であるアメリと並んでも年下には見えないだろう。
(やっぱり、エルンストは箱入り息子すぎたかな)
宮廷で出会う同じ年頃の男を見ても、時折感じることだ。
「マクシミリアンであ……、る。……うん?」
堂々と名乗りをあげたものの、後半は訝し気に濁る。なんだろう、とアメリが目をまたたかせると、マクシミリアンは顎を撫でて、形の良い眉をぎゅっと中央に寄せる。
「お前、男か女か。どっちだ」
はっきりと問われ、アメリ自身も面食らった。
「お、女、でございますが……」
女だよね、と思わず自分でも再確認をするために己の姿を見て、気づく。
そうだ、男装をしているのだ。
髪もまとめて後ろでお団子にしている。
「ローゼンハイム卿より異動を命じられ、教会支援部屍鬼対策課に配属されてからは、この格好をするように、と言われておりまして……」
なにしろ、今までいた図書部とは業務内容が全く違う。
三歩以上は走れ、と怒鳴られ、遅れると「ぐず」と叱責される。のんびりと本を並べ、補修箇所を同僚と共にゆっくりと手直ししていた頃が懐かしい、というか、すでに思い出せない。
異動したのは半年前だというのに、腰にペンケースをぶら下げ、背中に書類鞄を背負っての毎日が板についてきた。
「役に立つのか」
ぞんざいに問われ、さすがにむっとした。
「そのつもりで王子の御前に」
そんなつもりはなかったが、つい睨むような視線になる。
「は。なるほどな」
マクシミリアンは顎を上げて鼻を鳴らすと、ひらひらと手を振った。
「時間が惜しい。概要を説明せよ」
肘掛けに頬杖をつき、ぶっきらぼうに言葉を放った。
(……こいつ、腹立つなぁ。見かけは慈悲深い王妃そっくりなのに)
一度だけだが、バルコニーに出て民衆に手を振る生前の王妃ルイーサを見たことがあった。彼の実母だ。
トラウトマンの星と形容されるのもわかるほど、美しく、そして若々しい王妃に、この王子は非常によく似ている。華奢な体躯も、ある意味、他者を寄せ付けぬ雰囲気も。
「かしこまりました」
アメリは背負った鞄を肩から下し、書類束を取り出す。ぺらり、と用紙をめくってから、はた、と気づいた。
「……その、王子に、ということ……、でしょうか」
おそるおそる尋ねると、マクシミリアンは不機嫌そうに目を細めた。
「おれでは不満か」
アメリは慌てて首を横に振った。
「と、とんでもございません! ただ、その……。浄化師の方々は、いずこに……」
きょときょとと周囲を見回す。
王都から派遣されたアメリと、ヘーベル領の役人たちが用意した屋敷の一室には、マクシミリアンとその近習らしきふたり、それと大型犬が一匹しかいない。
教会から派遣され、マクシミリアン王子を伴って屍鬼消滅のためにやってきた浄化師たちはどこにいるのだろう。
不安げに瞳を彷徨わせていたアメリの耳が、咳払いを拾った。
「申し遅れました、お嬢さん」
椅子の斜め後ろに立っていた長身の青年が一歩踏み出す。
「は?」
アメリは青年を見た。
武官だと思っていた。
二十代半ばだろうか。軍服がぴたりと肌に吸い付いているようだ。それほど筋肉が張っているのだろう。ほれぼれとするような体躯だ。腰には無駄な装飾など一切ない剣を佩いており、そのベルト位置が高い。つまり足が長いのだ。
赤い髪は短く切りそろえられ、くっきりとした眉毛の下のルビーのような瞳は、非常に穏やかな光を湛えている。
その彼の胸には、黒真珠を使った徽章がつけられていて、アメリは呆気にとられた。
それこそが、浄化師の証であるからだ。
「……浄化師さま、でしたか」
「浄化師、でもあるんだ」
武官の男は苦笑いし、マクシミリアンは意地悪気に笑った。
「よほど嫌なのだな」
「そもそも、わたしは騎士ですからね。そして、あなたは王子です。浄化師などというお戯れはそろそろお辞めになってはいかがですか?」
武官は諫めるように言うが、マクシミリアンは手をひらひらさせてそれ以上の会話を打ち切った。
「この男は、ロイだ」
マクシミリアンの声がアメリまで届く。ロイ、と呼ばれた赤髪の剣士から、追加情報開示はなかった。相変わらず穏やかに微笑んでいるだけだ。
(赤髪、ね)
アメリは、会釈だかなんだかわからない動きで、もう一度だけ頭を上下させる。
「そして、もうひとり。リアム」
マクシミリアンは上半身を伸ばし、頬杖を解く。ぱちん、と指を鳴らした。
涼やかな視線の先には、ひとりの少年がいた。
14歳ほどだろうか。
マクシミリアンの椅子に寄り添うように立っている。
(この子もそうなのか)
アメリは驚いた。
浄化師、と聞いて、なんとなく高齢でじじぃなのだろうとアメリは勝手に予想していた。実際、王都ではそうだったのだ。
訳の分からない呪文を詠唱し、やけに鼻につく香炉を振って、聖水をぶっかける。そして、屍鬼の頭を鈍器で砕く。それがアメリの知る浄化師だ。
だが。
今、目の前でにっこり笑っているのは、その真逆の少年だ。
明るい茶色の髪はまっすぐに伸び、痩せすぎのきらいはあるが、人懐っこい表情と、まだ幼さを残す大きな鳶色の瞳が印象的な男子だ。将来、婦女子を虜にしそうな容姿。
そんな彼のベストにも、黒真珠の徽章があった。
「リアムだよー。ハンドラーをしてる」
「ハンドラー?」
小首をかしげると、リアムは大きな瞳を足元に向ける。
そこにいるのは、随分と大きな犬だった。
狼だ、と言われてもアメリは信じただろう。
黒と茶の体毛をした大型犬だ。脚が長く、尾も太い犬で、いかめしい顔をしていたが、黒目勝ちの瞳は常にリアムの方に向いており、わずかに数度尾を振ったまま、リアムの左側にお座りの姿勢で待機した。
「調教師、ですか……」
呟くと、リアムはにっこりと笑って犬の頭を撫でた。「ネモだよ」。なんだろうと目をまたたかせたが、犬の名前なのだと気づいた。
「お姉さん、なんでこんな仕事してるの? ぼくらを知らないってことは、最近この部署に来た、ってことだよね」
リアムが愛らしく目をまたたかせながらアメリに尋ねる。




