9話 手本を見せてやる
金髪を短く刈り込んだ上背の高い男子生徒が店の中へ押し入り、裏口まで一直線に突き進んできた。
俺の胸ぐらを掴みあげやがったブラッカとかいういじめっ子だ。
そいつは俺たちを見つけると決めつけたように吠えた。
「誰だこの焼けたスライム投げつけたやつは!」
「お前……やっぱりあのスライムはお前の仕業か!」
店長のムドーが確信に近い何かを感じ取ったのか、ブラッカを責めるように指さした。
「ああ? 知るかよそんなの」
ブラッカは挑発うするようにとぼけた。あの様子だとスライムの召喚者を知ってるな。
さて、無理やり吐かせてもいいんだが……そもそもムドーの目につく所で本気を出していいのか分からない。
俺は魔女スミレの中に憑依した竜人グリムだ。冷静になれば分かる事だったが、誰もが俺を見て別人のように疑いの目を向ける。
それがどういうことかはいい加減理解するべきだ。
(俺が竜人だとバレたら、こいつらは俺を殺そうとするだろうか……。魔竜因子を警戒して)
「また会ったなホウキ売り」
気づけばブラッカは俺を見下ろすように目の前まで寄ってきていた。頭から全身を彩るようにスライムの欠片がべっとりくっついている。少し面白い見た目になっていた。
「変な魔術で俺のペットを取りやがって。まさかお前がここのスライムを吹き飛ばしたのか?」
「だったらなんだ?」
俺の態度と答えどちらに驚いたのか分からないが、ブラッカはそれを聞いて確信めいた顔で目を見開いた。
「――どうやらちょっとは魔術が使えるようになったみたいだな」
「ああ。なにせ修行に出ていたからな」
「はん、何が修行だ。知ってるんだぜ。ただ〈あいつ〉から逃げる為に修行を口実にしただけだって。で? ただ時間を無駄にして遊んでたわけじゃなさそうだな?」
「ああ。誰かさんのように、人にちょっかいかけるだけで短い余生を費やすよりは有意義な過ごし方だったな」
このブラッカとかいうクソ野郎を見る度に嫌な気分になったが、やっと理由がわかった。
この体から修行に出る前の記憶を突然見せられたのだ。意識しなくても嫌味がするする出てくる。
――学園で泥をかける魔術を撃たれて授業に遅れたり、頭から滝のような水流を落とす魔術で陰湿なイジメを受けた光景。それらを主観で見せられるものだから、俺が理不尽な目にあっている気分がしてイライラしてきた。
で、お相手様もスミレが言っているように受け取るものだから、瞳孔が開くほどキレていた。
「おい。そいつァ俺の事いってるんじゃねえだろうな」
やる気だな。
俺の肩を強く掴んでくる力加減からしてブチギレているのが丸わかりだ。
「やめろブラッカ!」
店の中から生徒らしき男がまた出てきた。
栗色の髪に傷の入ったメガネで、更にはぼろぼろのローブ姿。あの様子だとブラッカとは友達じゃなさそうだ。
「手を離せ! スミレは今精霊をつけてないんだぞ!」
「精霊だと? はっ。こいつに精霊がついてようがいまいが違いがあんのか? たいした魔術も使えないのに喧嘩を売ってきたコイツが悪いに決まってんだろうが」
「いいから離せ――」
俺から引き剥がそうとしたメガネの男が、ブラッカの肩を掴むやいなや大きく吹き飛んだ。
腕を振り払う動作をしただけに見えるが、軽い動作に対して現象が吊りあっていない。
なにかしら肉体強化の魔術を使ったんだろう。人間にしては大した力だった。
「ノトム! この野郎――!」
「おじさんちょっと待った」
すぐにでも手を出しそうな様子だが、俺から手を出すと騒ぎの発端を押し付けられかねない。まして店主から殴ろうもんならブラッカにわざわざ大義名分を与えてしまう。
一度店主を睨んだ。
――あんたが証人だ。俺からは手を出してない。いいな?
この手の輩は単細胞だ。猿真似でもしてやれば簡単に顔を真っ赤にするだろう。
誘ってみるか。
肩を竦めて馬鹿にするように笑ってみた。
「で、お前のことを言ったか聞いたな? 知るかよそんなこと」
「てめえ調子乗ってんじゃねえぞオラァッ!」
まんまと釣られてくれたな。
ブラッカのフードから精霊が飛び出す。土色の光る虫がブラッカの頭上を漂うと、魔力運用を支援するような光を放った。
ブラッカが吠えたことを皮切りに、両腕が魔力反応を起こして巨大な土塊に覆われた。
魔獣の力を宿し、人間の力を底上げする魔術。
人間の体で高位生命体に立ち向かうなら理にかなった力だ。
その見た目は歩く要塞と言われたゴーレムの両腕そのものだった。
「ラッキーが居ないお前にここまで使う必要はないが、さっきの借りも含めてここで返してやるよ」
既に勝った気でいるな。
実際、こいつの魔術を見たから俺も竜人の真似事ができたのだ。この力を魔獣化と仮称するとして、両腕に作り上げられたゴーレムの腕を見るにかなり修行を詰んだと見える。
きっと同年代でブラッカと肩を並べる魔獣化使いはいないだろう。
――身に宿す生物の選択はナンセンスだが。
「魔獣化の魔法か?」
「魔装だ。お前に見せるのはこれが初めてじゃねえだろ」
知ってるさ。その記憶は見たから何となく、な。
時間稼ぎはこのくらいでいいか。
さっきまで底をついていた魔力がもう半分まで自己生成出来ているのを感じる。無論、先程取り込んだ魔鉱石のおかげで。
ポーションの源泉と呼ぶだけのことはある。
――これが〈月夜の石〉が持つ力か。竜人に近い高精度の魔力運用ができている。魔力失った傍から直ちに補充してくれる便利な代物だった。
これは人間には効果てきめんだな。
「ブラッカと言ったか? お前の土俵で立ち会ってやろう。どこからでも掛かってこい」
ブラッカの眉間に深々と縦皺が刻まれた。
もう冷静さは皆無だな。
丁度いい――手本を見せてやる。
◆
スミレが自信満々に決闘を申し込む姿を目の当たりにしたブラッカは理解が追いついていなかった。
修行という名目で遠くに逃げただけの落ちこぼれが、その実〈あの人〉の召喚物である巨大スライムを吹き飛ばしたと宣うのだ。
はったりもここまで来るとムカついてくるというもの。
何らかのイカサマでリザードの所有権を奪ったことといい、自分にタイマンを張ろうという虚勢といい、調子に乗っているとしか思えない。
「泣いて謝ってももう遅せぇからな」
身の丈はある巨大ゴーレムの腕を自らの双腕にたたえ、最後通告を出す。
ブラッカ・クレイバスタは魔女のように繊細な魔術構築が不得手だと自覚している。
だから家柄で代々受け継がれる〝魔装〟に心血を注いだ。
魔獣ゴーレムの膂力をその身に降ろすことで、圧倒的パワーを実現する魔術。
確かにスミレはリザードを操ってみせ、どうやったかは知らないが魔力吸収体を破壊した。
それはそれだ。
少し魔術を使えるようになり得意になっているようだが、実戦経験が圧倒的に足りない。
魔術士の弱点を理解しているならこんな至近距離で挑発できないはずだ。
「一発キツいのかますから歯ァ食いしばれ」
魔術士の弱点。それは至極単純で、強力な魔術であるほど起動までにタイムラグが生じることだ。
スライムを吹き飛ばすのは流石に真似する自信はないが、同じことを繰り返そうとするなら魔人か竜種レベルの高効率な魔力運用が求められる。
スミレにそんなことできっこないのだ。
「オラァッ!」
人の頭ほどまで巨大化させたゴーレムの拳は、鋭い軌跡を描いてスミレの右脇腹に吸い込まれた。
ノトムと同じように、それ以上の痛みを与えるつもりで打ち込んだ右腕。さっきの屈辱を後悔させてやるつもりで、思いっきり力を込めた。
ところが。
インパクトと同時に、ゴーレムの右手が乾いた泥のように脆く崩れ去った。
一切の手応えなく。
「二度目で使うとこれが限界か。少し魔力を節約した方がいいな」
「おまっ……なんっ、なんで」
目の前で信じられない光景が繰り広げられていた。
スミレの体が魔力性の鱗に覆われ、コンパクトな竜の体を全身に纏っているのだ。
ブラッカのゴーレム化を砕いたのは竜特有の爪に見える。
本物なら超硬度の魔鉱石など容易く抉り取る危険な代物だ。ブラッカの魔装も鉄剣を殴り折った経験があるからこそ、この結果が信じられない。
――限りなく本物に近い竜? 本物か?
否、それよりも解せないことがある。
「それは俺の魔術だッ」
「は? ケチくさいこと言うんだな。お前の魔術だって誰が決めたんだ? 使えてしまったんだからもうお前だけのものじゃないだろ。違うか?」
そういうことを言いたいわけではないのに、スミレは呆れたようにブラッカを見下している。
そもそもこの〈魔装〉はクレイバスタ家に代々伝わるお家柄の魔術だ。
遠くから火球や氷の矛を撃ち出す魔術だけではゼロ距離の戦いに不安が残る。そういう理由で直系のブラッカも〈魔装〉の修行に明け暮れ、やっと扱えるようになったのだ。
「何かの間違いだ。お前に使えるはずがねえ!」
「確かに一理あるな」
他人事のように言うが絶対間違った解釈をしている。
この紫髪の魔女、悪いことを思いついた顔をしているのだ。
「まだお前の魔装を爪で小突いただけだからな。信じられないのも無理は無い。もっとわかりやすいように体に教えてやらないとな?」
なんだか話が変な方向に進んでいる気がする。
「ちょうどいい。お前を八つ裂きにしてやろうと思っていたところだ。なあ店長」
清々しい気さくな笑顔でスミレが言った。さもいい事をするように、
「この裏庭三十分ほど借して欲しい。あ、後片付けはコイツにやらせるから心配するな」
「ん。そりゃ構わんが……何する気だ? くれぐれもうちの商売道具を傷つけないでくれよ」
「もちろんだとも。こいつ、自慢の魔術を使われて自信がなくなってるみたいだからな。修行をつけてやるんだ」
言っている内容と表情が一致していない。悪意に満ち満ちている。
「ほら、早く〈魔装〉を使え。俺も暇じゃないんだ」
また挑発するような言い方。
今度は明確に格下を相手取るように、ブラッカを指でこまねいた。