7話 覚醒の予兆
「すごい音がしたな」
マジックショップ〈蜘蛛の巣〉の店長ムドーは、スミレが「俺に任せろ」と言わんばかりの啖呵を切って出ていった裏手の方を見て心配そうな顔をした。
今のは間違いなく何かが爆ぜた音だ。それも魔素起因の爆発。
あのスミレとかいう魔女が何かしたに違いない。
「おい魔女! うちは魔術の修練場じゃないんだぞ!」
かなり声を張ったつもりだが返事がない。
思えば図々しい奴だったから、わざと無視した可能性もある。もしそうならあのガキに礼儀を叩き込まなければならない。
そう思って裏口に向かおうとした時、閉店の札を掲げた扉が開いた。
入ってきたのは息子のノトムだった。出かける時は綺麗にしていた栗色の髪が乱れている。魔術学園のローブも明らかにボロボロで、どうにも普通では無い。まして下校時刻じゃないはずだ。
「ただいま」
「ノトム。学校はどうした?」
自分でもわかる程に低い声がでた。聞くまでもないが、聞かずにいられなかった。
きっと学園でなにかあったのだ。
まさかうちの店のことでノトムが酷い目にあったのではないかと不安が過ぎる。そもそも裏口のポーション井戸を塞ぐなんて度が過ぎたイタズラがあったのだ。学園の生徒の仕業だとしたら余計に嫌な想像をしてしまう。
「ちょっと具合が悪くて、早退させてもらった」
「お前そんなこと――」
そんなことあるわけないだろうと言ってやりたかったが、言葉が喉を通ってくれなかった。
ノトムの顔に羞恥心と怒りが混ざったような複雑な感情が浮かんでいたからだ。
「……わかった。少し休んでこい。話は後できくから。コーヒーでいいか?」
今聞いても逆効果だろう。ノトムは自分と違って賢い子だと思っている。
それに優しい子だから、今は父親に心配かけたくないと思っているのかもしれないし、自分の想像通りのことが起きていたのなら、恥ずかしくて知られたくない気持ちもあるかもしれない。
ただ、想像通り――イジメでも受けていたのだとしたら、到底我慢できる自信が無い。
「ありがとう。……あれ。ねえ父さん、この精霊」
「精霊? そうだった。今お客さんが来てるから、裏口の空き地は使えないぞ」
そういえばノトムと同じ生徒らしき魔女を迎え入れてしまったことをすっかり忘れていた。
ノトムはふとピクシーケージの中で窮屈そうに浮遊している精霊に気づき目を見開いた。
「ちょっと待って。これスミレの精霊じゃないか! なんで檻に閉じ込めてるの?」
魔女の精霊なんて見分けがつくものではないのだが、よく誰のものか断定できるものだ。ムドーは魔導具店として申し分ない息子の才能に目を丸くした。
「あいつお前の友達だったのか。礼儀はなってないが、筋の通ったやつだったぞ。裏手のスライムをなんとかしてやるってできもしないことを息巻いてたな」
「スライム……!? まさかブラッカのやつ本当に」
ノトムの言葉に父親のムドーがすかさず鋭い視線を向けた。
「ブラッカって奴はまさか金髪を刈り上げた野郎の事か?」
「えっ。いや、よく分からないけど」
「取り繕うのはやめろ。そいつにはうちの店でもちょっかいかけられたんだ。今回はイタズラで済まないレベルの被害を受けてる。何か知ってるんだろ?」
「えっと……」
「ノトム。お前は賢くて優しい男だ。だがな、優しいだけじゃだめだ。根っからの悪党は優しさにつけこんでくる。……後で聞こうと思ったが、お前アイツに何かされたんだな? なにをされた?」
確信を持ったムドーの言葉には明確な怒りが滲んでいた。
「……ただ立ち会い訓練をしただけだよ。魔術の対決さ」
言いにくそうに言葉を選びながらノトムは答えた。訓練と言うには、ノトムの服の乱れ具合や頬の傷に対して不適切な言葉だと思った。
とても対決で出来るような傷ではない。ここまでになる前に決着はついていたはずだ。
「学園ってのはそこまでボロボロになるまで撃ち合いをさせるのか? 度が過ぎてるだろ」
「もういいからほっといてくれよ!」
「ノトム!」
ノトムは感情任せに声を張り上げると逃げるように二階へ上がって行った。
「……くそ。学園がそんなところなら息子を行かせることも無かったのに」
ムドーは乱暴に髪を掻くと、テーブルに両手を置いて項垂れた。
店だけじゃなく息子にまで被害が及んでいた事実は、ムドーから冷静さを奪った。
「絶対に許さんぞ悪ガキどもめ」
その時、二度目の轟音が裏口から鳴り響いた。
「クッソこの魔女め! いいかげんにしろ!」
ムドーはたまらず裏口の戸を開いて飛び出した。
◆
まさかこの俺がスライムに食われることになるとは想像もしていなかった。
「竜人の王子が下等な魔性生命体に丸呑みにされた」なんて口が裂けても言えない。というかそんなのバレたくない。
(このスライム。まさか能動的に活動しやがるとは)
きっと俺のような外敵を認識すると捕食をするよう、魔術構築で行動パターンを仕組んでいたんだろう。魔人にそんないやらしい奴がいたが、どこの種族でも似たような奴は居るもんだな。
スライムから反撃の捕食を受ける前に、反射的に防御魔法を使って良かった。
竜人の一族ではポピュラーな〝全方位遮断結界の魔法〟。これのおかげでゲル体での溺死は免れている。
魔女のスミレではこの魔法の構築方法すら理解できないだろうが、一応再現には成功した。
それでも問題はある。
精霊から離れて、まともに魔法が使えるようになってまだ数時間も経っていない。
つまりは、「この体に適した魔法理論」を確立させる前に竜人の真似事をしてしまったわけだ。
(うわ。結界が)
見た目は完璧な球体だが、やはりスミレの体で再現させるには時期尚早だったらしい。俺の結界の至る所から聞いた事のないような不安を煽る音が止まない。
結界が割れる前に脱出しなければならない。
「この規模のスライムを吹き飛ばすならブレスで一息なんだが……人間の体で竜の魔法を使うには無理があるな」
俺ならば、やろうと思えば〈炎竜砲撃〉くらいは使える。
問題は威力だ。
そもそもこんなガキの体に竜の魔力量は貯蔵できない。故に魔法出力も子供騙し。
せいぜいスライムの腹に小さな空間を拓くのが関の山だ。
色々悩んでいると、結界が更に悲鳴を上げ始めた。そろそろ覚悟を決めないといけないらしい。
「む。あれは魔石か!?」
真下。
源泉から強い白光を放つ箇所を見つける。
高純度の魔素が沈殿し、結晶化した魔鉱石だ。
竜の神聖な魔力性質と似ている。それを豆粒ほどに超圧縮した代物。
(さては高純度の〈月夜の石〉か? こんなところで自生するなんて、マジックアイテム屋だけで使うのは勿体なさすぎるぞ)
人間の貨幣価値なら、あの魔鉱石一つで豪邸一つ余裕で買い取れるだろう。
「くくく。ダンジョンに潜る手間が省けたぞ。あれなら全盛期の千分の一まで近づける」
魔鉱石から魔力を抽出して、この体の魔力と上手く溶け合わせることができれば――。
(できるのか? 人間の体で?)
竜人だった頃なら造作もないが、なにせ人間の子供だ。確証がない。
そもそもゲル体の中を突き破りながら井戸の底に到達する必要がある。
ただでさえ高密度の魔性ゼリーを遠ざけようとしているのに、一度結界を解いたうえで今度こそまともな魔術を撃たなければならないのだ。
この体で大技を撃つことになるが――魔力の欠乏に耐えられるのか?
その後は? 魔鉱石に手が届いたらどうする?
魔鉱石を何らかの方法で取り込むなら、腕を数センチ切り裂いて埋め込むくらいはしないといけない。噛み砕ければ手っ取り早いが、人の咬合力では歯が折れる。
それがクリア出来ても、人の体であの魔力を適量だけ獲得できるかも分からない。
取り込む量をしくじれば、過剰な魔素で紙風船のように内臓が破裂するだろう。
「クソッ。頭が痛くなってきた! なんで俺がこんな目にあわんといかんのだ!」
腹が立ってきて頭に爪を立てて、ふとクレアの顔が浮かんだ。
本当ならあの竜の谷で婚姻を結ぶはずだったんだ。そのために危険なダンジョンで世界一高価な魔鉱石を採ってきたのに。
「はあ。……クレアに会いたい」
ちょっと待て。今とても情けないことを言った気がするぞ。
思わず口をついて出た言葉で我に返る。
「あ。まずい」
目の前の結界が割れる。
オレンジ色に染められた半固形の流体が、無数の舌を伸ばすように想像以上の速さで迫ってきた。
「――」
口をついてでたのは、まともな詠唱も省略した〝灯火の魔術〟。
――を、爆ぜさせる魔法。
竜魔法〈炎竜球〉の下位互換。
一撃だけだが、この狭域なら攻撃範囲としても都合がいい。眼前で炸裂させる分、まだ危険なくらいだ。
暖色系の魔素が糸を編むように織り交ぜられる。
ちょうど俺の顔と同じくらいの大きさまで編み込まれると、内包する炎熱系魔法が炸裂。紫の焔となって半径五メートルを焼き千切った。
竜人なら自動発動するはずの封魔障壁も、自分でせっせと用意して自衛しなければいけなかった。
自分の魔法をモロに受け止めるなんて間抜けな生き物は俺が初めてなんじゃないか?
(よし。あとはあの魔鉱石を――!?)
ゲル状の魔性生物にしては破損箇所の修復速度が常軌を逸していた。
目の前の焼け焦げた空洞を埋めるように、濁流が流れ込む様相でオレンジの液体が視界を埋めつくした。
「冗談だろこのうぷ――」
悪態をつく余裕も与えてくれず、苦いゼリー状の何かが口や鼻構わず侵入してくる。
息ができない。
◆
スミレ――竜王子グリムの意識が無くなったわずか数秒後。
奥底に沈んでいた魔鉱石が先の爆発により宙へ放り出されていた。
やがて。
空洞に集まる流体の流れに従い、スミレの口に魔鉱石がそっと触れると。
液体ごと吸い込むように、体内へ侵入した。
どくん、と。
スミレの体内で許容値を超える魔力反応が光へ変化し、井戸の外まで迸った。