5話 ホウキ売りの実力
リザードのラッキーをなだめて後ろに下がらせる。
未だ白目を剥いて気絶しているビリアンを、付き添いの生徒数名が運んで行った。俺を不思議そうに見る目が不愉快だが見逃してやった。
見逃したのは、単に俺が寛大な心を持っているからだけではない。『ここで前世のように暴れようものなら、人間というコミュニティで手痛い制裁を受ける』と、この体が本能的に教えてくれたのだ。
フラッシュバック。
スミレにとっての学園のキーパーソンが、目の前の優男だと言っている。
どうやらあいつは、この体の専属教師らしい。
「学園に戻りたいって?」
担任のマド先生は聞き間違いでもしたように俺の目を見た。
男性教諭の魔術士だ。
黒い長髪を一つに結った、長身の優男。
藍色の瞳に映る俺は竜人の王子の威厳などとうに失い、一生徒のガキに成り下がっていることを教えられている気分になった。
「修行から戻って間もないだろうに。もう少し休んでからでもいいんじゃないかい?」
「マド先生。俺は早く強くならないといけないんです。どうすれば学園に戻れますか?」
魔術学園への復帰。
これが今の俺に必要な要素の一つだ。
スミレの記憶を頼りにすれば、どうやら学園で中等部以上の資格があれば、〈ダンジョン〉への入場許可が得られるらしい。
竜人の子供達に試練として与えようとした〈遺物〉。はるか昔、俺があるダンジョンに隠したのだ。
それさえあれば、竜人の魔法を使うことが出来る。ただの魔法ならまだしも、竜人の魔法まで扱えるかどうか。人間の体で可能かは定かでは無いが、俺なら上手くできるだろう。
「……? 心意気は買うけど、なんだか雰囲気も変わったね? あそこのリザードもスミレに懐いていたように見えたし」
「そういうのもういいんで。何をすればいいか教えてください」
そのくだりは妹のカエデに散々された。
またあの臆病者のフリをさせられるのは御免こうむる。要は魂が竜人だとバレなければいいのだ。
マド先生は深くは追求せず(多少不思議がっていたが)答えた。
「まあ、試験のために修行に出したのだから、手っ取り早いのは試験突破だね」
「内容は?」
「まさか忘れたのかい? 〈灯火の魔術〉を十分間起動させるんだ。ダンジョンは暗いから、最低限活動可能な証明をしてもらわないと」
「あー……はいはいなるほどね。思い出してきた」
だからブラッカ達は〈灯火の魔術〉にこだわっていたのか。
まさか初等部試験がそれとは。
そんなもの実践的でもなんでもない。ただ指先か杖の先端に火をつけるだけのこと。
以前の俺なら鼻で笑うくらい簡単な試験だが、これが嫌になるほど難しい。
原因はわかっている。俺の頭上で付きまとう紫の精霊だ。コイツを引き剥がせば、俺独自のプロセスで魔術を起動できることは実証済である。
多少学園の教えと違うことをしても結果が伴えばいいはずだ。そもそも魔術に正解は無いわけだし。
「修行に出した生徒は、私とシモーネ学園長の承認が降りて初めて復学できる。これはさすがに覚えてるよね?」
「追試みたいな扱いか。――だから俺は学園長を探そうと思ったんだな」
「何か言ったかい?」
「なんでもないです。魔力の感覚は掴めてきたから、今からでも始めたいんですが」
「今は無理だね。シモーネ様がアマゾネズ族入学の最終手続き中だからさ」
アマゾネス族……さっきイヴァの奴が喚いていたのと関係ありそうだな。
ペットの銀狼がどうとか言っていたが、なにか正式な手続きがないと簡単に入らせてはくれないんだろう。
そういえば前世で相対した時、俺の魔法を本能的に避けていた立派な狼が居た気がする。イヴァの怪力にばかり目を向けていたからそこまで関心はなかったのだが、なるほどあれはイヴァのペットだったか。
「じゃあ俺はいつ戻れますか?」
「そうだね。いろいろと抱えてそうだったから、四時間くらい見てくれればいいかな。それまで待合室か広場で休むといい。長旅で疲れただろう?」
「そうします。さっきもあの女に蹴られて酷い目にあったから横になりたい」
「蹴られたって……まさかアマゾネス族の蹴撃を受けたのかい!?」
「ん? まあ。そうですが」
何故そこまで青ざめた顔してるんだろう。
マド先生は急に手に魔力を纏わせて、空気を混ぜるように俺の周りで手を滑らせた。
――さっきも気絶したビリアンに同じことをしていたな。
どうやら触診に使う魔力運用の一種らしい。俺の体に流れる魔力で異常がないか確認しているようだ。
「大変だ……! 感覚はある? どこ蹴られたんだい? 骨も折れてるだろうに……いやそもそも内臓が」
「いやいやいやいや。大丈夫ですって大袈裟だなあ。それなら壊れた壁の方心配してください。俺被害者なんで、弁償しなくていいんですよね?」
いつまでも触り続けられるのも不快だから、無理やり先生の手を押し返した。
これで調べられ続けたらボロが出かねない。魂が入れ替わるなんて経験がないから考えたこともなかったが、そもそも魔力は魂と肉体、どちらに帰属するのかで話が変わってくるからだ。
もしほんの少しでも魔力の流れが変わっていたら、この男は簡単に気づくだろう。それだけの洞察力はあるはずだ。
それで俺の正体がバレるようなことになれば、絶対面倒なことに巻き込まれる。
そのまま親指で後ろの壁を指し示すと、マド先生は今更気づいたのか陥没した壁を見て更にぎょっとした。
「スミレのことだから、ただ巻き込まれただけなのはわかってるさ。罰はないだろうけど……本当に体は平気かい?」
「大丈夫ですってば。ちょっと休みたいので木陰にでも行ってていいですか?」
「勿論構わないけど、具合が悪くなったらすぐ先生に言いなよ? 遠慮してるならせめておぶるくらいは――あ、勿論女性教諭を呼んでくるからね」
「場所も記憶にあるんで平気です。それじゃあ行きますね。試験始めていい頃合になったら呼んでください」
全く過保護なのも困りものだ。
担任の先生というのはいつもこうなのか? ここまでのお人好し、竜人ならまず有り得ない。
カエデに魔術すら披露できなかったんだぞ。試験前に休んでなんか居られるか。適当に物陰に隠れて抜け出してやる。
ひとまずこの邪魔な精霊をどうにかしなければならない。こいつがいなければ俺のやり方で魔法を使えるのだから、適当なマジックアイテムの籠にでも閉じ込めてしまおう。
ここから近い魔道具店があるのは知っている。この体も物覚えがいいから楽だな。
ラッキーがいるし、往復三〇分でいける。魔性生物を保管する入れ物くらい、魔道具店で調達して戻れるはずだ。
◆
スミレの担当教師であるマドは、生徒のスミレが申告した「アマゾネス族の蹴撃跡」を確認していた。
紛れもなくアマゾネス族の膂力による一撃だ。
「イヴァの蹴り一つでここまでとは」
スミレを疑っている訳では無い。魔力による強化壁をここまで陥没させられるのは、優れた魔女かアマゾネス族くらいしかいないだろうから。
だからこそ、スミレの話は信じられなかった。
普通アマゾネス族の蹴りを受けたなら、最低でも骨折し、内臓破裂は免れない。
はずなのだが、スミレの体にそのような異変は見当たらなかった。
ならば直接壁を蹴ったのかと思えばそうでもない。そうだとしたら、損害は更に酷いはずで、亀裂が広範囲に広がっていないとおかしいのだ。
「いったいどうやって無傷で――ん?」
損壊部分を観察していると、一つの魔力反応に気づいた。
多面体を連鎖的に形成する時に現れる、規則的な魔力配列の残滓。
「まさか……防御魔術!? 初等部も修了していないスミレが?」
何度確認しても、入学時の魔力測定で見たスミレの魔力と特徴が似ている。
(確かにあの子は魔術書が好きで、遊ぶより本を読み漁っているところしか見たことがなかったが……それを見よう見まねで再現したのか?)
〈自然現象系統〉の魔術は初等部の必修科目だから使えておかしくないとして、この痕跡は明らかに〈生成系統〉の魔術だ。これは中等部からでないと教えることは無い。
オーソドックスな半球のマジックシールド。
この痕跡から分かるのは、スミレが独学でこの防御魔術を起動した事実だけ。
それを必要最低限の生成で留め、適切に自己防衛をしたということだ。
端的に言うと、無駄のない高品質な魔術起動だ。
(だとするとあの竜種のリザードは誰かが貸し与えたのではない?)
てっきり中等部になった同級生の子が、スミレに少しだけ貸したのだとばかり思い込んでいた。
「竜種が初等部の――しかも補修生のスミレに隷属しただと?」
マジックアイテムも万能では無い。あくまで媒体であるだけで、隷属系のアイテムとなれば使用者の力量に左右される。
半年前まで初歩の魔術も起動出来なかった子が、いきなり〈モンスターハント〉をして帰ってくるなど有り得るのか?
マドの知る中でそのような生徒は他に一人しか知らない。ただ、その子は生まれつきの秀才だった。
竜種は中等部でも捕まえるのがやっとだろう。
魔獣の力を使える魔術士ブラッカなら、組み伏せて無理やりマジックアイテムを首に巻き付けるなどすればなんとかモンスターハントできそうなものだが……危険なので、本当にそんなことをしていたら叱る。
仮にそうしたとしても、完全服従とはいかない。反抗的な意思は残り、数日のうちにマジックアイテムが破損するはずだ。
(あそこまで完璧な主従関係を結ぶ生徒は見たことがない)
ただの魔獣ならまだしも、相手は竜種だ。
強制捕縛ならわかるが、心の底から服従するなどありえない。長い年月を共にした愛犬のような振る舞いすら見せていた気がする。
(私の勘違いじゃなければ……今のスミレは初等部修了試験どころか、中等部のダンジョン実務課程に進める実力なんじゃないか?)
何にしても学園長の立ち会いは必要だ。
今日の試験でスミレの実力もわかるだろう。マドはこれ以上の調査をやめて、学園長の元へ向かった。