33話 夜の飛翼
ダンジョンの外は、鈴虫の鳴き声がはっきり聞こえるほどのどかで、ほとんどの生き物が寝静まっていた。
ノトムが用意したマジックアイテムの焚き火を取り囲んでいると、冷えた夜風で「くしゅん」とクレアが体を震わせた。
確かにこの寒さは人間の体には堪える。竜人だったらこのくらい大したことないのだが。
俺のローブも子供っぽいが、羽織れば少しはマシになるだろうか。
「女をドレス一枚で連れ回す連中はどういう神経してるんだ。……寒いよな?」
「ありがとう、スミレさん。でもこのくらいへっちゃらよ。だからそれ脱ごうとしないで?」
俺がローブから腕を抜いたあたりでクレアに諭されるようにして止められた。
それに同調したノトムが腰を上げて、焚き火の上に組み立てた器を拾い上げる。湯気が立っていた。
「そうだよスミレ。女子なんだからそういうのは軽々しくしないほうがいいよ」なんて偉そうな事を言って、クレアに布を巻いた器を差し出した。「水を魔術で加熱しただけだけど、あったまるよ」
「ありがとう」クレアがそっと受け取ると、湯に息を吹きかけてそっと口をつけた。白い息を漏らしながら笑顔になる。「あったかい」
なんだかいいところを持っていかれた気分になって、俺は同じように差し出された器を拒否した。
「俺よりクラリス達に分けてやってくれ」
「ちゃんと人数分作ったよ?」
「さっきもらったポーションで十分さ」
ちょっと意地は張ったが嘘ではない。
ローゼンクレイスの騎士アントンも、ノトム自前の薬で動ける程度には回復している。ジェイトリックが狙っていた店なだけあり、取り扱っている品は一級品だったということだ。
クラリスの治癒魔術で応急処置をしたこともあり、鎧ごと食い破られていた腹部も傷は塞がっていた。内臓までやられていなかったのは不幸中の幸いだろう。
『そんな意地張らないでください。クレア様と一緒にあったまればいいじゃないですか』
『お前を燃やして暖を取ってもよさそうだな』
楽しそうにしているリネリットに冗談で返すと、真に受けたのか『ひえっ』と喉を鳴らした。
揺れる炎を眺めていると、奥で暗い顔をしていたブラッカと目が合った。そのまま申し訳なさそうに口を開く。
「アネキ」
「薬が効いてきたみたいだな。もう体は平気か?」
「……すまねえッ!」
いつぞやのイヴァの時のように、ブラッカの張り上げるような謝罪は南の山岳で盛大に反響した。
誰にも合わせる顔がないと言わんばかりに勢いよく額を地面に押し付けている。
「情けねえッ。俺は全く笑えねえ、正真正銘役立たずのクソ野郎だ!」
「反省するのはいいが、自虐も過ぎれば鬱陶しいだけだぞ」俺は目をまわしてため息をついた。「頑張ってたよ。期待以上だ」
「んな事ねえよッ! 俺はジェイさんに……ジェイの野郎が怖くて仕方なかった」
震える手を見つめながら言うそれは、ほとんど怒りに近い発露だった。
「でも自信がなくなるのがもっと怖くて、舐められねえように今日まで頑張ってきたってのに……俺はいざあいつと戦うとなると……」
ブラッカの言いたいことは分かる。自分を責めたくて仕方ないだろう。
あいつなりに今まで頑張ってきたのだろうと思うし、相応の力はあると思う。
ただ、力を使う勇気がなかった。
ジェイトリックの使う悪魔族の精神汚染は並大抵じゃない。まだ成長途中の少年が長い時をかけて調教されたと考えれば当然の結果だった。
それを伝えたところで、ブラッカはきっと納得しない。
俺は色々な言葉をのみこんで、千切れていく炎に視線を戻した。
「危険なダンジョンで十分役に立っただろ」
「どこがッ――」
感情に任せて立ち上がったブラッカのすぐ横から別の声がかかった。
「ポチを助けてくれたじゃんか」
イヴァ・ヴァルキュリエだった。
「命の恩人だよ。アンタ」
目の前の炎と同じ真っ赤な三つ編みを弄りつつも、目はまっすぐブラッカへ向いていた。
イヴァは良くも悪くも自分の気持をまっすぐ話す子だ。
アマゾネスの一族だからなのか、イヴァがそういう人間だからなのかは分からない。多分どっちもなのだろう。
いつのまにか、数日前の険悪な空気は二人の間から失せていた。ブラッカは何か言おうとして口をもごつかせると、一度ため息をついて勢いよく座り直した。
「悪かったな。なんつーか、誤解してたよ」
手に顎を乗せてそっぽを向いて言うブラッカはやはり正直なタイプではない。でも言う事は言うし――言わないと気がすまないタチなのかもしれない――言ったところで態度は言葉ほど正直ではない。
あいつらはこれでいいのかもしれないなと思った。
「ね、スミレさん」と俺の横で上品に座っていたクラリスが身を乗り出して来て言った。
「あなたって変わったのね」
「そうか? 普通だと思うが」
「ううん。なんていうのかしら。見ていて胸がきゅってなるの」
変なことを言うクラリスに俺は首を傾げた。
「魔人の毒気にでも当てられたんじゃないか?」
「んー……違うと思うのだけど」とクラリスは顎に指を添えると、「スミレさんって異性が好きなの?」と唐突に言った。
「は?」
「男の子が好きなのかなって」
「なんでそんなこと聞くんだ」
「いいから答えて」
なんで俺が答えを渋るとこいつは早口になるんだ? 目が怖いし。
「そんなわけないだろ。俺はおと――」
自分で自分の口を抑えた。
俺は男なんだからと言いかけた。結構な勢いで言ったがバレただろうか。
そう思ってクラリスを伺うように見ると、聞こえたのか聞こえていなかったのかよくわからない顔をしていた。
どういう顔かというと、すごく嬉しそうな顔だったのだ。
「そ、そう? まあ、魔女って同性同士の交際も珍しくないらしいし? いいと思うわ。あ、いいと思うっていうのは、別に私がそうなりたいんじゃなくて、魔女の一族の在り方としていいと思うって言う意味よ? スミレさんが相手を探すなら、おしとやかな相手がいいと思うわ。家柄も良くて、たとえば魔女の学園で一位になれるような人とかが相手だと嬉しいわよね? まあ、別に興味ないのだけどね」
銀髪に指を絡ませて目を泳がせながらずっと何か言っている。
たまに不機嫌になると出る早口ではあったが、声が上ずっていたし、特に機嫌が悪いと言うよりは何か恥ずかしそうな感じもしたのだがどうなんだろうか。
俺も竜人の力を使えるようになったものの、心を見通す魔眼を取り戻したわけじゃないから実際のところはわからない。
あの様子だと充分休息は取れただろう。俺は挙動不審なクラリスを無視して立ち上がった。
「クレアのお供共はあれに向かってるんだよな」
「え、ええ。ローゼンクレイスはそっちの方面よ」
「送って行ってやるよ。さすがに魔女の里には連れていけないだろうしな」
それを聞いて、騎士のアントンが驚いたようにして顔を上げた。
「馬鹿な! 我々の馬は無いんだぞ!」
アントンの言葉は実に人間らしい考え方だった。
動けるほどに回復したとはいえ、彼らがこの地に走らせた馬も消えていた。あの国の連中のことだから、残されたクレアたちは死んだものと割り切って馬だけ回収したのかも知れない。だから二人は浮かない顔をしていたのだ。
これにはクラリスも同じ意見だった。
「まさかこの人たちをホウキに乗せるつもり? 相乗りにしたって、初めての人は危ないわ。それに魔物はもっと無理でしょ。運搬用のマジックケージもないし」
「魔女組はホウキを使ってもらう。ノトム、確か伸び縮する鞍の魔道具があったよな。持ってきてるか?」
ノトムの大きな鞄に視線を向けると、「一応あるにはあるけど」と頷いた。
「ラッキーにでも着けるつもり? 馬ほどは早く走れないんじゃないかな」
「連結式の鞍か、さすがノトムだな。それ貸してくれ。みんなここで待ってろ」
一見縄はしごにも見えるそれを掴み取ると、俺は山岳の影にあった広いスペースへ降り立った。
そのまま長い縄を体に巻き付けていくつかの手印を切る。
リネリットが不安そうに俺を見た。
『もしかしてご主人様……』
『力が戻ったのかどうか、ちょうど試してみたかったところなんだ』
目を閉じる。全身に高熱の魔力が荒々しく循環するのを感じた。
ガチリと宙を噛むと、途端に魔力が溢れ出し、真っ白な蒸気となって俺の周り一帯を包みこんだ。
「な、なに!?」
「敵襲か!?」
全員が俺が消えたほうに注意を向けている。
前世の癖で、これを発動した時に生じる巨大な蒸気を「尻尾」で払うと、木々が身を逸らすほどの突風が生まれた。
「なに――うわッ! うわぁああッ!」
「おい火、火ぃ消せ! なんでこんなとこに――」
「嘘でしょ……あれって――」
全員が頭が取れそうになるほどに、大げさに俺を見上げている。
『ドラゴンッ!?』
全員が驚きと恐怖の目で俺に向かってそう言った。
リネリットが呆れたように目を回している。
『ほら、絶対ややこしくなると思ったんですよ』




