30話 反撃の兆し
人間が高位生命体に挑むという蛮勇を、俺はいつから軽視していたのだろう。
俺が竜人の王子だったから? ここまで何とかなってきたから?
どれも正解で間違っている。
理由は他でもない、俺が傲慢だったからだ。
傲慢だったから、態度を改めない。それこそ悪化したとさえ思える。
その結果がこのザマだ。
魔力を使い果たした俺は無様に地を舐め、飛び火を受ける形でクラリスは吐血して立ち上がれず、ブラッカは意識を失っている。
誰かを守ることがこんなに難しいと思ったことはない。
否、誰かを守ろうと意識して力を込めたこと自体初めてだったかもしれない。
前世の俺はそこまで必死になるまでもなく強かった。
「あなた達の狙いは私なんでしょ?」
もし聖女という呪いを授かっていたのなら、クレアはそんな無茶な行動を取らなかったのだろうか。
俺の目の前に立ち、細い両腕を目一杯広げて立つ姿は、いつかの魔界大戦を思い出させた。
ちょうど今の俺くらいの子供が大きな魔物に狙われていた時、武器ひとつ持たないクレアは自分の身一つを盾に立ち塞がったのだ。
「連れていくなり殺すなりしていいから。あの人たちに手を出さないで」
「んー……。そうですね」
魔人のジェイトリックは珍しく聞き分けの良さそうな素振りで少し思案している。
「聖女というから退魔の力でも扱えるのかと思いましたが――こうして見るとただの人間ですね」
そして、悪魔族らしく口の端を歪めた。
「やはりそこの魔女を殺すことにします。聖女たるあなたが目を覚ました時、転がっている死体をみてどんな顔をするのか気になってきました」
気付けば、ジェイトリックはその手でクレアを引き寄せ、細い首を掴み上げていた。
俺の中で何かが切れた気がした。
「……ックレ、ッッァアアッ!」
叫ぼうとする喉を血が邪魔した。
立ち上がろうと力を入れた足があらぬ方向に崩れる。出来の悪い人形を演じている気分になった。
――リネリット。
念話を使う魔力もない。ただ、強く念じる。それは祈りに近かった。
――俺はどうなってもいいから。
クレアを守らせてくれ。
「……あなた。イカれたのですか」
今の俺は焦点を合わせることも出来ないが、魔人が小馬鹿にするような、呆れたような目をしていることだけはわかった。
魔人だけじゃない。他ならぬ俺自身がわかったことだ。
もうこの身には無いはずの、別の生き物の魔力を感じる。
『ひどいです。グリム様』
彼女から流れ込む魔力は、その感情は、歯を食いしばるほど熱い。
『やっと……グリム様のことがわかって来たと思ったのに』
魔力の主は一方的に、主人である俺に向けて切なげな声を投げた。
感情を流し込むように荒々しい。熱湯の入った管を刺し込まれたと錯覚するほどの、焼けるような苦痛だ。
流れてきたのは、リネリットの魔力。
竜人族の魔力だった。
『こんなのって……ないじゃないですかぁッ!』
人間の体が、竜族の妖精から流れる魔力を拒絶している。
リネリットが躊躇したのも頷ける。
この魔力はもはや劇薬だ。我ながら思いつきでよくこんな事をさせようとしたものだ。
きっとリネリットが俺の言う通りにしたとしても、俺は魔装を完成させるまで耐えられなかっただろう。
異物とも言える魔力を受け入れる痛み。これを自覚する時間があって、改めてようやっと決心した。
この痛みを受け止めてでも、俺はクレアを――みんなを守りたい。
命を軽視して、玩具にするような心ない悪魔共の思うようにさせたくない。
『グリム様』
内臓が破れるような、気絶したくなるほどの痛みを抱えながら、今世で感じたことのない力が体内から湧き上がった。
懐かしい竜人の力が、確かにこの胸の中で熱く燃えている。
全ての邪悪な生き物が俺に意識を向けた。
明確な脅威として俺を認識したのかもしれない。
「痛いなんてものじゃないはずです」
魔人は呆れ顔でクレアの首から手を離した。
俺を真正面から対処すると決めたのか、そうすべきだと判断したのかはわからない。
少なくとも俺はこの好機を逃してはいけなかった。
「生憎、俺はこっちのほうが性に合ってるんでな」
「そうですか」
体内に溶かした月の石とリネリットの魔力を使い、雷電竜ヴォルグラードの体をいま一度再現する。
自分の手に視線を落とすと、竜人の鱗がまばらに生え始めていた。
人間でも竜人でも無い半端な生き物に変質していくような感覚がある。それでも最後の魔装を止める必要性は感じない。
双角に雷の魔力をチャージする。精度も申し分ない。
完全再現したこの魔装なら、魔人の頭部一点を貫ける確信があった。
溜めていた力の解放を始めた時だった。
下へ引っ張られる感覚。どころか、俺の足場がいきなり急角度に傾斜していた。
それはまるで蟻地獄の様相だった。
「んな――」
ジェイトリックが厭らしい笑みを浮かべている。
ダンジョンの形が変わったのだ。今まで人為的とも思えたダンジョンの〝寝返り〟だ。
こいつは何らかの力でダンジョンを操っていたらしい。
「真正面から立ち向かうと思ったのですか? 私がリスクを負ってまで戦う必要がどこにあるんです?」
滑落する。まともに掴める場所がない。とっさに爪を立てた場所は砂を掬うように無抵抗に削れるだけだった。
もう落とし穴が目の前に迫っている。底の見えない闇が広がっていた。
「ここは地上近く。最下層までは十数層ほどあります。その体なら落下で死にはしなくとも――半殺しくらいでしょうか」
ふざけている。俺は俺自身に対する怒りでいっぱいになった。
俺は知っていたはずだ。
学長になった初代魔王もそうだったじゃないか。
魔人に強者である矜持なんて微塵もない。勝てる見込みが無ければ平気で逃げるし、絶対に土俵に上がってこない。
それは俺の決死の魔装が、この魔人を殺し得る可能性がある証明だった。
そして、人間である俺は正真正銘決死の一撃に賭けた。ここを逃せばもう二度と同じことが出来ない。
「迎えに行きますよ。心が折れた時にね」
奴の言葉を最後に、自由落下に身を任せるしかなかった。
◆
壮絶な風切り音の果て、薄暗く冷たい大地に叩き付けられた衝撃は、体のあちこちを容赦なく壊した。
歯を食いしばっても逃げ場のない激痛。腕が上がらない。きっと内臓も破れているだろう。
それでも死なずに意識があるのは、最後の竜人の魔装が守ってくれたからだった。
竜の姿を形成した魔力のほとんどは衝撃で砕け散り、淡い菫色の粒になって空間を漂っていた。
(リネリット)
起き上がれないため、闇を探るようにただ視線を巡らせる。
さっきから冷たい雫が一定間隔で俺の額に落ちてくる。ダンジョンのかなり下に落とされたようだった。
「グリム様!」
リネリットが追いかけて来るように空から急降下し、俺の横に降り立った。
精霊の擬態を解き、赤髪の妖精の姿に戻っている。
「ああ……! どうしよう、血が」
リネリットが俺の周囲を飛び困惑している。
――背中が温かいのは俺の血か。
寒い。失血がひどいらしい。
「俺はいい……クレアを……」
込み上げる血に邪魔されて、声がまともに出せない。
今この瞬間にも魔人が何をしているのか分からないというのに。
時間が経てば経つほど焦燥感に駆られてしまう。
「…………?」
時間を気にし始めた時、違和感に気づいた。
さっきまで落ちてきていた雫が止んでいる。
おそらく鍾乳洞のような空間のはずだ。
リネリットも俺と同じように気づいたらしい。
「なんだか……静かになって……? 冷たっ」
飛び回っていたリネリットがなにかにぶつかって顔を拭った。
「水が浮いてる? グリム様、ここって!?」
妖精のリネリットから見れば、上から垂れてくるほんの小さな雫もある意味では水だ。
彼女はその雫にぶつかって、弾けても落下しない雫を見て浮いていると首をかしげている。
(まさか――ここは)
俺は指に微量な魔力を流し、懸命に動かして小さな印を描いた。
俺達にしか分からない、竜人族の紋章を。
(雫が浮いているんじゃない)
落下が停止している。
――時間が止まっているんだ。
直後、滞留していた魔装の粒子が描いた印に吸収され、半球状の空間が弾けるように広がった。
「うひゃあッ」
吹き飛ばされないように俺のローブにしがみつくリネリット。
懐かしい魔力の空間が突風を起こしながらダンジョンを駆け抜ける。
――痛くない。
気づけば体中の傷が全て塞がっていた。折れた腕や足も何もなかったように治っている。
竜人の王族に伝わる血統能力、自己回復だ。
ここは俺が前世で隠した、竜人の力を覚醒させる遺物を置いた場所だった。
竜人の宝玉〝紫〟。
竜人の印を描いた主と、その者が持つ竜人族の魔力に反応するようにできている。
恐らく魔装で竜人の力を完全再現したこの瞬間に条件が揃ったのだろう。
(……成功した)
全身に鳥肌が立つ。
数ある遺物の中でここを選んだ一番の理由は、竜人の力を得るために時間が必要だったからだ。
リミットは、クレアの国へ魔王軍による侵略が始まるまで。
この空間は外界と隔離され、結界の中にいる者は凝縮された時間を存分に使い倒すことができる。
例えば、このダンジョンで落ち続ける雫もそうだ。
ここでは滴下を終えるまでに十年かかる。
竜人の力を取り戻すのに余りある充分な時間だ。
「リネリット――俺は今度こそ竜人になる」
俺は妖精に向かって歯を見せた。
「今世はここであの魔人を討つぞ」




