3話 カエデ・レーニーン
あることに気づいた。
どうやら、意識すればスミレの記憶の断片を感じることができるらしい。
きっかけはブラッカ達のバカにする呼び方だ。
〝ホウキ売り〟――飛行実習で持たされたホウキがひとりでに暴走し、スミレを乗せることなく逃げていったことを揶揄した蔑称。
記憶ではそういうことらしい。
(ひょっとすると魔竜因子のきっかけがわかるかもしれないな)
試しにこの先で起こるであろう俺の暗殺について思い出せるか試したが、そもそも時代が過去ならこの体が未来の出来事を知っているはずがないと気づいて落胆した。
故に趣向を変えて、過去について思いを馳せた。
(なるほど……こいつ魔術センスはないが、魔術の知識に関しては相当なものだな。竜人でもここまで魔の理に明るい奴はいないだろう)
若くしてここまでなら、きっと死ぬような努力を続けて偉大な魔女に成長するのだろう。
俺に本気を出させるほどの魔女に。
――たった二十年で。
「……魔竜因子か」
時間逆行する前のことを思い返していた。
そもそも俺を狙っていたのは、妹のカエデという魔女が、魔竜因子によって死の病に罹ったことが発端らしい。
心当たりはないが、それができるのは俺くらいのものだろう。
とにかく今は情報が欲しい。
ラッキーを目立たない木々の奥におすわりさせて、記憶を頼りにスミレの家へ戻った。
「おかえり。お姉ちゃん」
案の定、妹――カエデ・レーニーンが俺の帰りを待っていた。
紅葉のように渋い赤色の長髪と瞳。このスミレの妹とは思えないほど似つかわしくない見た目だった。
スミレは藤の花のような紫の髪だったが、魔女は血筋で似るものではないのか? カエデは活発そうな子で、目からして人当たりがいいのが分かる。他所から姉妹逆と思われても俺は何も言い返せないくらいだ。
カエデは早めに淹れた紅茶を差し出した。気の利くやつだ。ちょっとぬるいけどな。
何の気なしに、元気か? と聞くと、カエデはよく通る声で、
「元気だよ? なんでそんなおばあちゃんみたいなこと聞くの?」
ただの世間話なのにそこまで引っかかるか? どれだけスミレは引っ込み思案だったんだ。
実際、カエデからすれば、中身はおばあちゃんどころかはるか昔の御先祖様くらいの年齢差である。ちょっとババくさかったかもしれないな。
俺は頭をかいて適当に返した。
「あー。うん、元気ならいいんだ。ほら。俺、修行で里を出ていただろ? 久々に会う妹を心配しない姉がどこにいるんだ?」
「お姉ちゃんなんか変」
「なにが変なんだ?」
「喋り方。前なんてオドオドしてたし、『俺』なんて使わなかったよ。ブラッカ達みたい」
「あんな腰抜けどもと一緒にするな」
「ほら、やっぱり変。男の子みたい」
なんだこいつ。やけに突っかかってくるな。お姉様が妹を心配してやってるんだぞ?
その時、俺を叱るようにこの体の記憶がフラッシュバックした。カエデの言う通り、スミレはオドオドした情けないやつみたいだ。
カエデは俺を気味悪がるようにして身を引いていた。別にこいつからどう思われようが気にすることではないのだが、どうやら〝魔竜因子〟の毒牙にかかっていないのは確かだ。こいつが病に伏すきっかけを知ることも大切な気がする。
プライドと損得感情がぶつかったが、結局プライドを捨てることにした。
「あの……ごめん、その……修行で新しい魔法覚えて、調子乗ってました……」
「よかった。いつもの大好きなお姉ちゃんだ」
この野郎! 俺は竜人の王子なんだぞ!
腹の底で不満が煮えたぎるが、顔に出してはいけない。俺は今竜人グリム・ノクシアスではなく、魔女スミレ・レーニーンなんだ。
なにより、このカエデの姉だ。こいつの情報収集は優先度が高い。
俺が殺されるきっかけなんだからな。そう考えると、見てるだけで腹が立ってくる。
「どうしたの? お姉ちゃん」
「かわいい」
……じゃない! なんだ今のは。この体に染みついた感情が勝手に主張してきやがった。
平静を乱されてガラにもなく悶えていると、カエデは人懐っこい笑みで思いついたように言った。
「ね、修行でどんな魔法覚えたの? みせて」
「あー……っと」
適当についた嘘が災いしてまた都合が悪くなった。ついさっき感知魔法すら使えなかったのに。あ、俺は使えるぞ。この体が使えないんだ。
「悪い、ちょっと調子が――」
調子が悪くて、とでも言えば誤魔化せるだろう。妹だからな。
逆だった。
俺の楽観的な考えは、カエデの期待に満ちた紅葉色の瞳で容易く打ち砕かれた。だってこいつ、お姉ちゃんを慕っている目をしてるんだ。そんな目をされたら気分が良くてしょうがない。
「――良いので、すっっっごく簡単なやつを見せてやる」
「よっ! お姉ちゃん!」
なんだか古風な掛け声で俺をかついでくる。スミレのやつはいつもこんな接待じみたことをさせているのか? 俺がスミレだったら自信に満ちて傲慢になってるところだぞ。あ、今スミレの皮を被っているんだった。
さて、啖呵を切ったものの何を使おうか。
カエデの部屋は手作りらしい人形が二体あるだけで、あまり飾りという飾りは無い。だからといって二人いるだけで少し窮屈に感じる狭さだから、やはり至極単純な魔術がいいだろう。
「いいか? 本当に簡単なやつだけだぞ? こんな狭い部屋で大技使ったら危ないからな」
「はーい。はやくはやく」
腰掛けたベッドから身を乗り出して、お尻を跳ねさせて催促してくる。
まあ、感知魔法は人間にとっては少し要求レベルが高かったかもしれないしな。〝灯火の魔術〟なら当たり障りなく起動できるだろう。これで誇るのは恥ずかしいことだが。
あとクリアしないといけないのは……。
「……おりゃっ」と言って腕を突き出す。
「おお」
カエデの気遣うような声が耳に残る。それはそうだろう。大袈裟に構えた俺の手から何も出ないのだから。
今までのスミレを知っているこいつなら、きっといつも見る光景なのかもしれない。カエデの声から驚きや失望といった感情がみえないから、なんとなくそう思った。
さすが魔術の使えない魔女だから、〝ホウキ売り〟と揶揄されていただけある。
ただし、そうやっていつまでもバカにされていたのは、この原因を突き止められなかったからに過ぎないのだ。
「この……虫野郎ッ」
歯軋り。
俺から付かず離れず、人目につかないようストーカーのごとく付きまとう光る虫――もとい精霊の存在だ。
俺の頭上で光る粉を振り撒く精霊。
菫色の魔力を纏い、球体として視認できるほど強い光を放っている。
「お姉ちゃんの精霊さん、機嫌悪そうだね。ケンカしたの?」
「ああ?」
いけない。つい力んで語気が荒くなってしまった。
そう思ったのも束の間、胸のつかえが取れたような感覚が訪れ、直後俺の手のひらで紫色の火花が情けない音を立てて爆ぜた。
ジッ。間抜けな音がする。
リザードの赤ちゃんが、産声の代わりに出す火吹き。その切れ端みたいな火力だった。
これなら火打石を打ったほうがもっとマシな光量だろう。
失敗だ。期待はしていなかったが、いざ現実を突き付けられると心が折れそうになる。
だがこれではっきりした。俺の推測通り、この精霊が魔術起動を妨害している。魔の真理に近い竜族だから、このくらいは直ぐに分かった。
俺の失敗をよそに、カエデは思いのほか目を輝かせていた。
「……出た」
ぽつりと漏らすと、汗だくの俺に構わず手を掴みあげて飛び跳ねた。
「お姉ちゃんスゴい! 今のって火の魔術だよね! ほんとに使えるようになったんだ!」
「お、おう。灯の魔術の、千分の一スケールだな」
言わせるな。というか喜びすぎだろ。自虐ネタを披露する為に啖呵切った訳じゃないんだぞ。
「それでも魔術だよ! 何も無いところから火花を出したんだよ!? しかも赤じゃなくて紫じゃなかった? もっと集中したらお姉ちゃんのオリジナル魔術になるんじゃないかな」
「そうか? ……そういうもんなのか?」
それにしてもカエデのやつ、凄い元気だな。
飛び跳ねるたび、紅葉色の長い髪が踊るように波打っている。不本意な結果だが、喜んでくれたならいいか。
いまいちカエデの喜びように乗れないでいると、カエデははしゃぐのをやめて、まじまじと顔を覗き込んできた。
「なんだよ?」
「泣いてるの?」
「え」
そう言われて目元に手を当てると、たしかに涙が出ていた。
別に魔術が上手くいかなかったからじゃない。悲しいわけじゃないのに、意識すると目の奥が熱くなって、喉のあたりが苦しくなった。
もう顔をあげられない。膝をついて俯いた。こんな顔、数千年も年の離れた子供に見せられるか。
……ああ認めるよ。俺は年甲斐もなく泣いたんだ。
「お姉ちゃん……わ」
心配してくれたんだろう。俺に合わせて膝をついた妹を強く抱き締めた。そうすれば顔を見られなくて済むから。
カエデは何も分かっていないのだろうが、応えるように俺の背中に手を回してさすった。
――ああ、そういうことか。
なんで急に泣けてきたのかわかった。
この体が泣いてるんだ。
修行をして、やっと里に戻ってきた時期だ。里に足を踏み入れてからずっと理由のない不安感があったが、こうして妹を抱きしめていると嫌でも分かってしまう。
この体は――スミレは、よほどカエデが大切だったらしい。
俺の置かれている状況は最悪に近い。
まともに魔術の使えない体。武術に長けているわけでもなく、これといった取り柄がない。
あげく、妹を前にすると勝手に大泣きしてしまう体たらくだ。
涙で顔も思考もぐちゃぐちゃだ。
俺は落ち着くまで、カエデを抱きしめるのをやめられなかった。
魔術の問題はまたあとで考えよう。
クレアの笑える未来を勝ち取るまで、やるべき事はたくさんある。