26話 信用していい人間
「なんでここに――」
言いかけて口をつぐんだ。
クレアがこのダンジョンに来るなんて知らなかった。俺が彼女を知ったのは、魔軍の侵攻が始まって数年後だったのだから。
今の姿で色々詮索するのは逆効果だ。
本当は聞きたい。前世の俺を覚えているのか。
本当は話したい。これから起こることを。クレアを助ける竜の話を。
ただただもどかしかった。
「見ない格好だな……うっ」
俺に剣を向けていた中年の騎士は、俺が人間だと知ると安心したように片膝をついた。
クレアが支えようとして屈みこむ。
「アントンさん、無理しないで!」
食い破られたような穴の空いた鎧。包帯を巻いた腹部から血が滲んでいる。
どうやら魔物と死闘を演じたようだった。
「ローゼンクレイスの人間か」
確認するまでもないことだが、礼儀として国の名を問う。
前世で発生した魔界対戦により、最初に攻め落とされた国の一つ。クレアのいる国だ。
ある魔人が率いた魔物の軍隊に、轢き潰されるようにして壊滅した騎士団の一人が目の前にいる。あっけなく統率を失い、騎士道すらも手放してクレアを捧げ物にした国の人間。ろくな奴じゃない。
アントンと呼ばれた男は血の気の失せた目で俺を見上げた。
「知ってるなら話が早い。……彼女を地上に連れていきたいんだが、地形が入れ替わったせいでどこに向かうべきか決めあぐねていたんだ。方位のマジックアイテムは持ってないか?」
「生憎持ってない。その怪我はどうしたんだ」
自分でもわかるくらいに、この男に対する声は冷めたものになってしまう。
これには騎士の容態から話していい状態じゃないと思ったのか、クレアが代わりに答えた。
「魔物の奇襲を受けたの。……私を庇ったからこんなことに」
「俺の仕事です。聖女にケガはさせられない」
妙な呼び方をするアントンに、俺は思わず聞き返した。
「聖女?」
「魔物を呼び寄せる人のことよ。私がそうなの」
(――そうだったのか)
前世でクレアは、凶悪な魔物から民を逃がすための囮にされていた。
魔軍によってローゼンクレイス国が攻め落とされた時だ。
処刑でもするように組み上げられた丸太の柱。そこに磔にされていたクレアを、俺は群がる魔物共を蹴散らして助けた。
なぜクレアが囮にされたのかについて、その時彼女は決して言わなかった。国民の人間を悪く言いたくなかったのかも知れない。
クレアはそういう女だった。
『聖女というのは初耳ですね』
リネリットが俺の近くに寄ってくる。
『退魔の力を宿した、聖なる呪いを授かったんだろう。魔物は意味もなくソレに惹かれると聞いたことがある』
握る拳が強くなっていた。爪が掌に食い込んで初めて、怒りを感じていたことに気づく。
クレアの未来を知っているから、彼女が聖女だったという事実が余計に腹立たしかった。
俺はアントンを睨んで尋ねる。
「まさか二人っきりでこんな危険なダンジョンに来たのか?」
またクレアが代わりに答えた。
「本当はもっと多かったのよ? このダンジョンが急に動いて、騎士の人たちとはぐれたの」
どこも似たような状況のようだった。
ため息をつく。
「そいつらは上か? 俺が捜してきてやるぞ」
「……無駄だ。もう撤退し始めている頃だろう」
「クレアがいるのに帰るっていうのか!?」
思わず感情任せに怒鳴ってしまった。
いくらなんでも酷すぎる。あの国の連中は情が無いのか?
クレアが俺を見て不思議そうにしていた。
「どうして名前知ってるの? ……名乗ったかしら?」
これは失敗した。ここではスミレとクレアは初対面のはずだ。
「あ……と、さっきそいつが名前を呼んでたのが聞こえたんだ。魔女は耳がいいから」
視線をそらしながら、それらしい嘘を並べる。
とにかく、今はこうしている場合ではない。
今世も史実通りならクレアはここで死ぬことはないはずだが、必ず無事であるとは言い切れない。
魔女の里に俺の偽物が襲撃してきたことといい、俺の精霊がリネリットに代わっていることといい、少しずつ前世の状況から変わってきている。
浅い息をしながら、アントンが口を開いた。
「内輪の事情だが、聖女をここに連れて来る時点で任務は終わってるんだ。連中にとっちゃ、クレアさんが無事かどうかは勘定にないらしいからな」
同じ騎士団のアントンが、まるで他人事のように話す。
俺は首を傾げた。
「アンタは違うのか?」
大きく咳き込みつつ、疲労が滲む笑みを浮かべたアントンが顎髭を撫でた。
「俺は時代遅れの人間だからな。古臭い騎士道ってやつさ。レディを危険なところにおいていけないだろ」
「それは同感だ」
アントンという騎士、若いくせに良い根性している。
いや、人間基準であれば中年なのか。
『ご主人様――』
『分かってる』
リネリットが何か言いたげにしている。
俺も感じていた。
――きっとこの近くに遺物がある。俺が竜の力を得るための遺物が。
あるにはあるのだが。
「一緒に出よう」
『ご主人さま!?』
俺の提案にリネリットが驚き、眼前に飛んできた。
遺物を放棄して出口に行くとは思わなかったのだろう。
アントンは安心したように頷いた。
「そうしてもらえると助かる。……本当、情けない話だが」
騎士にとってはかなり屈辱的な状況だろう。
三〇も歳の離れた子供の魔女に、ここまで身を挺して守った護衛対象を任せないといけないのだから。
アントンはとうとう剣を寝かせて壁に身を預けた。
「俺は置いていってくれ。このケガじゃ足手まといだ」
そんな事を言う。これにはクレアが反対した。
「ダメよ! 置いていけないわ」
そう言うと思っていた。彼女はそういう人だ。
もしここに大きな人食いミミズが来て、誰か一人が犠牲にならないといけないとしたらクレアは真っ先に手を挙げる。
人間だからじゃなく、誰であろうと、だ。
「心配なさんな。ダンジョンが動いたら、いつか地上近くまで移動できるさ。騎士団もまだ撤退途中でしょうし、追いかけるなら今しかない」
「無理よ。ここまでどれほど魔物が居たか見たでしょ?」
「……男を立ててくれないか? 入団した時から国に命は捧げてる。国民を守って死ぬなら本望さ」
「絶対だめ。それなら私が騎士を捜してくるわ」
こうなるとクレアは絶対に折れない。
背負ってでも連れて行こうとするか、魑魅魍魎の回廊の中を一人で進むだろう。いるはずのない騎士を捜して。
前世のことを思い返していると、アントンと目があった。
「子供相手にこんな事任せたくはなかったんだが……頼めるか?」
「子供じゃない。スミレだ。死んでもクレアは守るから心配するな」
クレアが俺の言葉に抗議しようとするのを抑え、アントンは懐から青い薬品の入ったガラス管を差し出した。
「ポーションだ。持って行ってくれ。支給品だが安物じゃないはずだ」
つい先程従者のジェイトリックから差し出されたものとは当然違う。
それでもシチュエーションが似ていたから受け取るのも憚られた。
「俺は魔術なんて使えないからわからないが、傷だけじゃなくて魔力も少しは回復するんだろ?」
(――何を疑ってるんだ、俺は)
クレアを命がけで守った男を疑う理由はない。コイツは信用していい人間だ。
笑って首を振る。
「まさか。全力を出してもお釣りが来る」
「はは。ごほっ……若いのに頼もしいな」
俺の軽口に、アントンの険しかった顔が綻んだ。
「じゃあスミレ。騎士を見つけたら、アントンからの頼みだと言ってくれ。それで伝わる」
「何言ってる。お前も連れてくぞ」
「……は?」
クレアの顔が意外そうに明るくなった。




