13話 マジかこいつ
偽スミレ――グリムは、目の前で竜の咆哮魔法が炸裂するその瞬間まで、思考を加速させていた。
――まず、スミレの奴は竜の体のポテンシャルを充分に引き出せると見ていい。
現に、中身は詠唱を前提とした〈魔術〉を使う魔女のくせに、イメージのみで発動する〈魔法〉を当たり前のように使って見せた。
魔獣や竜ではなく、ただの元人間が型にハマらない〈魔法〉を無学で使ったのだ。テンプレートの〈魔術〉を無詠唱で使うこととはわけが違う。
今も二度目の咆哮魔法を撃とうとしている。
その威力は里の端から端まで射出されたとしても、少しの減衰も期待できないだろう。
まず間違いなく、竜の目の前で仁王立ちする魔女グリムが直撃すれば骨も残らない。
(避けられるか? 人の体で?)
竜人化による真っ向勝負は選択肢にない。あれはクレイバスタ家の魔術理論を、グリムが見様見真似で成功しただの付け焼き刃に過ぎない。
グリムだからこそ、本物の竜に勝てるという甘い算段は一切捨てていた。
一撃だ。
一撃、避ければいい。
いくら自分の体とはいえ、つい数日入れ替わっただけの人間がそう何発も咆哮魔法を使えるはずがない。出力で生じる負荷の逃がし方も知らないはずだ。
次の瞬間、
「――――は?」
灼熱の塊が真横を素通りし、大地が揺れる。攻撃されていたことに遅れて気づき、どっと冷や汗が吹き出た。
動体視力が低すぎる。
そもそも戦闘経験が希薄な幼い魔女である。この肉体のバッドステータスを度外視していた。
相手も異種族の体に適応していないならこちらも同じことで、咆哮魔法の放出に合わせて横へ飛ぶ見込みは失敗に終わる。
ただし運が良いのか悪いのか、避けようと決めた場所を潰すように灼熱が通過し、後方の集団に衝突した。
関係の無い魔女たちが今の一撃にパニックを起こしている。
振り返ると、遅れて出動したらしき鉄の巨体――〈守護巨兵〉の集団が見るも無惨に液状化していた。
(俺よりコイツらが怖いか)
スミレはこの里に付与された緊急防御機能を理解していたのだろう。
邪魔者を一切排除し、グリムを確実に仕留めるつもりだ。
――舐められたものだ。
「俺が俺の魔法で、そう簡単にやられると思うのか?」
今までの傲岸不遜さが染み付いていたせいで、一丁前なハッタリは簡単に出てくる。
それでもグリムが少し語気を強くしたのには理由があった。
二撃目のブレスが弱まっている。
予想通り、元人間がやたらめったら連発していい代物ではないのだ。
「どうする? そのイカした尻尾で俺を潰してみるか?」
そうしてくれないと困る。
もし奇跡的にブレスを避けられたとしても、着弾地点から広がる熱波だけで喉が焼けるレベルだ。あんなの人間に避けようがない。
せいぜい上級魔術士が防御魔法で軌道を逸らすのが精一杯だ。
スミレの方も、ここまで雑なブレスの撃ち方をしているから、竜の内臓が悲鳴を上げているはず。
そうでなくとも、竜が人間を殺す方法など数え切れないほどある。ただ鉤爪を振り下ろすだけでも十分脅威だ。
「マジかこいつ」
血走った竜の目は、既に理性を捨てたことを雄弁に語っている。
三度目の咆哮魔法が発動しようとしていた。
「バウッ」
グリムの前に蜥蜴竜が飛び出す。
何を思ったのかラッキーは身を震わせながら体格差が数倍あろう竜に吠えていた。
「このバカなにしてる! どけ!」
背中を蹴っても貧弱な魔女の体ではびくともしない。
そもそも魔女のひと睨みで怯えていたはずのラッキーが、グリムを差し置いて一番前に出る意味がわからなかった。
更にピクシーケージに閉じ込めていた精霊が、ありがた迷惑にも御主人様のもとへ駆けつける。
(さっきのブレスで檻が壊れたのか!?)
先ほどまで溢れていた魔力が一瞬にしてゼロになるのを感じた。
「このッ……クソ精霊! どこまでも邪魔しやがって!」
「逃げて! お姉ちゃん!」
「――お前」
妹のカエデが人混みをかき分けて、こちらへ駆け寄ってきている。
なぜここにカエデがいる。
……だが、運が良い。
スミレはこのカエデを助けるために、自分を呪い殺したのだ。むざむざ竜の体でカエデを巻き添えにするはずがない。
さっさと中断しないとコイツの命はないぞと、勝ち誇った顔で竜へ振り返った。
「嘘……だろ?」
竜の瞳から血の気が引いているのがわかった。
考えたくなかったが、スミレは中途半端にブレスが使えたものだから、逆に制御ができないのだ。
既に竜のブレスは、当人の意思と関係なく発動を待ちわびている。口腔から小さな太陽が見えた気がした。
相手も空へ軌道をずらそうと重い首をもたげているが、到底間に合わない。
「――――」
息が詰まる。
今度こそ死ぬ。
思考が加速し、世界がスローモーションになる。
――逃げるか?
どこへ? どうやって? 魔術は期待できない。
精霊の野郎。こいつが居なければ。
ラッキーがスミレを守るように吠えているが、自信を喪失したのか声が弱々しくなっていく。
カエデが死にそうな声で姉の名を呼んでいる。寄ってきたところでなにも出来はしないのに。
ブラッカが遅れてこちらへ走ってくる。
「どいつもこいつも」
人間は死にたがりなのか?
その時。グリムの中で、人間への疑問を否定するような、言いようのない使命感に支配された。
――〝妹を守れ〟。
「失せろ精霊。食い殺すぞ」
精霊を睨んだ。
怯えた精霊が竜に向かって逃げた瞬間。全身の魔力の流れが再開されたのを感じた。
同時に、竜から灼熱の柱が放たれる。
視界は熱と光で埋め尽くされた。
「魔装――ノクシアス」
己の姓を口にすると、右手に竜の鉤爪が顕現する。
脚部には無駄な外装構築を省き、内的な竜の膂力だけを付与。
カエデが瞬きを終えた後には、空間が切り貼りされたように、紫髪の魔女が瞬時に最前線へ躍り出ていた。
ブレスとの衝突に構わず、灼熱の柱に右手が添えられた。
大きく息を吸い、止める。
衝突。
真正面から絶対的強者の一撃を浴びた。
竜の右手を起点に、全身の骨を砕くほどの衝撃が激しく襲う。
竜の魔装を剥がさんと熱の塊が容赦なく焼き払う。その度に、グリムは右手に竜の魔装を構築し続けた。
豪炎が竜の手のひらに弾かれるように裂けていく。
後ろのカエデやラッキーも含め、豪炎の直撃を免れていた。
予想通り。
グリムは即興の賭けに出て、勝った。
(クソッ。岩を持ち上げてるみたいだ……!)
思い返せば、マド先生は光の矢を――『自分の魔術軌道』を自在に操っていた。
つまり自分の魔力を操っていたことになる。
それができるのは、自身の魔力構造を正しく〝理解〟しているからだ。
だが他人の魔力を操れる人間は居ない。生物の持つ魔力はどれも微妙に異なり、繊細だ。簡単に他人の魔力を操れれば防御魔法など存在しない。
ならば、『元の体が使う魔法』はどうなるのか。
前世ではそんな小細工をするまでもなく、放った魔法であらゆる脅威を消してきたから確証はなかった。
いつまでもこのままでいるわけにはいかない。
グリムは手のひらで受ける魔装構造を、面から点に変える。
手が塵にならない程度に外装を残し、中指の先まで鋭く、長い竜の爪を構築していく。
「この未熟がぁ……っ。百年、出直してこいッ!!」
受けた炎を捻じるように握り、中指一本を空へ向けるように返した。
中指に込めた魔力。その指向性に従うように、火柱の軌道がわずかに上へ逸れる。
ビリビリと重い抵抗を中指に受けながら、最後まで受けきった。
ブレスははるか後方、学園を取り囲む外壁の上部に直撃し、紙を破るような気軽さで残骸を撒き散らしながら突き破った。
◆
「……あれ? え?」
姉の真後ろに居たカエデがきつく閉じていた目を開ける。状況の理解が追いついていないらしい。
一部、事の顛末を見ていた生徒が偽スミレを見て大口を開けていた。
それはそうだろう。真正面から竜の火炎を受けた〝ホウキ売り〟が、生存どころか火傷なく無事でいるのだから。
「何したんだアイツ!?」
「竜の魔法食らったよな? ……え? 気のせい?」
「え、なに? ホウキ売り生きてんの? ――マジじゃん!」
「ホウキ売り? 今って〝リザード使い〟ってやつじゃなかったっけ?」
「めっちゃ焼かれてたように見えたけど」
「ちょ、ヤバいって逃げないと」
「ウチ死にたくない」
生徒達以上に、ブレスを放った竜自信が偽スミレを見て動揺しているように見えた。
(あまり気にしてなかったが、俺のブレスって強烈だな。次撃たれたら死ねるぞ)
グリムは、とうに維持できなくなった竜の右手を大きく振り抜いた。痛みはないが、ちゃんと感覚もあることに安堵した。別に神経が焼かれたという訳でも無さそうだ。
「アネキ! 無事か?」
「その呼び方どうにかならないのか。ムズムズする」
ブラッカはこちらに近づく間もなかったから、近くで見てもグリムが何をしたかは分からないらしかった。
――そろそろ。
グリムは、唐突にフラッシュバックした記憶を頼りに、もう一つの援軍に賭けていた。
――里の防御魔術が起動するはずだ。
「おい未熟者。時間切れだな?」
『――ケタケタケタ』
不気味な笑い声がいくつもし、やがて差し込んでいた陽が閉じた。
黒い雲で空が埋め尽くされる。
途端、竜の足元が液状化し、闇が広がった。
どっと無数の手が濁流のごとき勢いで湧き上がる。闇から飛び出した手は竜の体に巻き付くと、そのまま鱗へ溶けるように侵食した。
『グァアアアア――!』
竜に触れた部分から、焼けた鉄を押し当てたような音が何重にも聞こえる。竜の咆哮から相当の苦痛が伺えた。
たまらず竜が両翼を振り乱して空高く飛翔した。
グリムはその行く末をよく観察する。
――この里は無許可の侵入を拒む結界と、無許可の外出を妨げる結界が施されている。
スミレの記憶から学習したことだ。今の魔女の体では、修行の名目でもない限り自由な出入りはできないだろう。
だから、その限度を推し量る。
無数の手は大蛇の大群のように地上の闇から更に伸び、上空の竜を追従した。
ある程度の高度に達すると――停止。
竜の咆哮魔法が衝突した見えない空まで飛翔すると、竜は奇妙な軌道を描きながら黒い雲を突き破った。
(――! あの動き、やはりなにか法則があるのか?)
偽グリム――スミレは、竜の体で強引に里の結界を突破したらしく、次第に奴の魔力は感じられなくなった。
「なるほど――全然わからん」
あの竜から、里を抜け出すヒントを得ようとしたが、どうも無理そうだった。
なんとなく竜の体のポテンシャルで無理やり突破したように見えてしまう。
『あ、あの……』
紫髪の中から、すぐ耳元で心配そうな女の声が聞こえる。
思わずうなじに手を回して〝何か〟を掴むと、そいつは「ひゃん」と情けない声をあげた。
『も、もしかして、ぐぐ、グリム様ですか?』
精霊と同じ背丈で、雌型の小さな竜の使い魔だった。
「お前……リネリットか?」
目に魔力を込めるとわかりやすいが、精霊と違って人型の姿がはっきりしている。
竜族特有の鱗が胸などの大事な部分を隠しているから、衣服を着ない文化は人間と違って違って野性的だ。
燃えるような赤い装いの小さな使い魔は、紫髪の魔女を見て驚き半分に目を輝かせた。
「本当にグリム様なんですね!? どうしてそんなお姿に?」
その使い魔は魔女のことをグリムだと断定して色々聞こうとしたが、グリムは質問を許さず、胸元に隠すように使い魔をねじ込んだ。「きゅう」と胸の間で苦しそうな声がする。
――こいつと話すのは、周りの目を何とかしてからだ。