表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
REVENANT: SHONAN ZERO  作者: 狐目の仮面
9/20

第一章:生存への選択 [第一話] 血塗られた教室

第一章:生存への選択 [第一話] 血塗られた教室


 夜通し鳴り響いていたサイレンの音は、朝になっても断続的に続いていた。テレビは依然として緊急放送を繰り返しているが、情報は錯綜し、何が真実なのか判然としない。携帯電話の通信も著しく不安定で、不安だけが人々の間に広がっていた。藤沢市内の交通機関はほぼ麻痺状態。そんな中、市の一部の教育委員会からは「状況が確認できるまで、生徒は自宅待機、あるいは安全が確認できる指定避難場所へ」という曖昧な指示が出されていたが、各学校の判断は分かれていた。そして、村田沙耶たちが通う市立中学校は、昨夜の混乱を受け、教職員が状況確認と生徒の安否確認のために出勤し、登校してきた生徒については校内で待機させるという、苦肉の決定を下していた。


児童養護施設の食堂は、いつもよりずっと静かだった。テレビの緊急放送が小さく流れる中、院長の佐藤恵子は、憔悴しきった顔で数少ない職員と対応を協議していた。沙耶は、窓の外の異様な気配を感じながら、黙って朝食のパンを口に運んでいる。

「沙耶さん」恵子が、意を決したように声をかけた。「市からは、まだはっきりとした指示がないのだけれど…学校の先生方は出勤して、生徒の状況を確認すると連絡があったわ。もし、あなたが学校へ行った方が安全だと感じるなら…」

恵子の言葉は、沙耶の安全を案じる気持ちと、この施設自体が安全とは言い切れなくなってきた現状への苦悩が滲んでいた。施設には幼い子供たちも多く、職員だけでは手が足りない。万が一、暴徒化した人々が押し寄せてきたら…。

「学校は、一応、市の指定避難場所の一つにもなっているし、先生方もいる。ここよりは…情報も入るかもしれないわ」

それは、沙耶に「行きなさい」と明確に命じるものではなかったが、恵子の切羽詰まった表情と、施設の他の子供たちを守らなければならないという無言の圧力が、沙耶には痛いほど伝わってきた。

沙耶は黙って頷くと、自分の部屋に戻り、昨夜確認した最低限の装備をリュックに詰めた。恵子の「気をつけて…本当に気をつけてね」という震える声に見送られ、彼女は施設を後にした。学校へ行くことが、今の彼女にとって最も情報を得やすく、かつ「戦場」となる可能性のある場所への移動を意味していた。


工藤家では、父・雄介が昨夜から病院に泊まり込みで対応に追われ、まだ帰宅していなかった。母の恵美は、テレビのニュースと市の防災無線に必死に耳を傾けながら、不安で青ざめていた。

「奈々…学校、どうしましょう。先生方は来てるみたいだけど…」

「パパは?連絡あった?」奈々が尋ねる。

「それが…病院も大変みたいで、ほとんど繋がらないの。ただ、市の放送では、まだ大きな暴動は一部地域で、って…」恵美は言葉を濁す。

その時、市の広報車が「…本日、登校可能な生徒については、各学校で状況確認を行います。教職員の指示に従い、安全を確保してください…」と、途切れ途切れの音声を流しながら通り過ぎた。

「学校で状況確認…」恵美は、その言葉に僅かな望みを託すように呟いた。「そうね…家に二人でいても、もし何かあったら…。学校なら先生もいるし、情報も集まるかもしれないわ。パパとも、病院より学校の方が連絡がつきやすいかもしれないし」

「でも、外は危ないんじゃ…」

「大丈夫よ、ママが途中まで一緒に行くから。それに、学校は避難場所にもなるって言ってたし…ね?」

恵美は、奈々を安心させるように無理に笑顔を作った。彼女自身も、公民館のボランティア仲間と連絡を取り、何か手伝えることはないか、安否確認をどうするか協議する予定だった。家に閉じこもっているよりも、行動しなくてはという焦りが彼女を駆り立てていた。

奈々は、母の不安と決意を感じ取り、黙って頷いた。

 

新井家では、父・義一が既に市役所からの緊急招集で家を出た後だった。母・智子は恭二の中学校とは別の中学の教職に着いており、自分の勤務校の状況を確認するため、出勤の準備をしていた。

「恭二、あなたも学校へ行きなさい」智子が、緊張した面持ちで言った。

「お父さんからも連絡があって、市内の学校は当面、生徒の一時受け入れ場所として機能させる方針らしいわ。あなた、学級委員でしょう?クラスの子たちを少しでも安心させてあげられるように、先生のお手伝いをしなさい」

「でも、母さん危なくないの?学校だって安全とは…」

「家にいても同じよ。むしろ、情報が錯綜している今は、学校のような公的な場所にいた方が、正確な情報も入るし、組織的な避難もできるかもしれない。それに…」智子は一瞬言葉を詰まらせたが、意を決したように続けた。「もしもの時は、あなたがクラスの子たちを導くのよ。お父さんも、そう期待しているはずだから」

母の言葉は、恭二に重い責任感を植え付けた。彼は、不安を感じながらも、「わかったよ。桜たちのことも見てくる」と力強く答えた。

 

昨夜から両親と連絡が取れず、一人で恐怖の一夜を過ごした桜。朝になり、ようやく父・裕太と母・麻衣がやつれた顔で帰宅した。二人は、会社が都市機能麻痺で大混乱に陥り、帰宅困難者となっていたのだ。

「桜!無事だったのね!」麻衣は娘を抱きしめ涙ぐんだ。

テレビもネットも情報が錯綜し、何が安全なのか分からない。そんな中、裕太のスマートフォンに、学校の保護者連絡網から「登校可能な生徒は、教職員が校内で保護・状況確認します」という一斉メールが届いた。

「学校か…」裕太は呟いた。「家にいても、この先どうなるか分からん。食料の備蓄も心許ないしな…学校なら、少なくとも先生たちがいるし、他の生徒も集まっているなら、少しは…」

「でも、あなた…外は危ないんじゃありませんこと?」麻衣が不安そうに言う。

「ああ、だが、いつまでもここに閉じこもっていても埒が明かない。学校が一時的な避難場所として機能するなら、そこに合流した方がいいかもしれない。桜、辛いだろうが、準備して学校へ行こう。父さんと母さんも一緒に行くから」

桜は恐怖で体が震えたが、両親と一緒であれば、という僅かな安心感と、他にどうすれば良いか分からない絶望感から、黙って頷くしかなかった。


加藤家では、溶接工の父・剛が「仕事になんねえな、こりゃ」とテレビの砂嵐を見ながら腕を組んでいた。母・陽子は、近所の奥さんたちと電話で情報交換し、不安を募らせていた。

「正人、学校はどうするんだい?連絡はあったのか?」剛が尋ねる。

「うん…来れる生徒は状況確認するって…恭二も行くって言ってた」

「そうか…」剛は少し考え込んだ後、言った。「家にいても、俺たちじゃお前を守ってやれるか分からん。学校なら、先生も大勢いるし、若いお前らの方が、いざという時動けるかもしれん。母さんと相談したが、お前は学校へ行け。何かあったら、恭二と助け合えよ」

陽子も「そうよ、正人。家にこもってても不安なだけだからね。先生の言うことをよく聞いて、気をつけるんだよ」と、心配そうに息子の肩を叩いた。

正人は、両親の言葉を黙って聞き、力強く頷いた。彼にとって、恭二と共に行動することは、当たり前のことだった。

 

宮増家では、SFCの教授である父・健吾が、大学の研究室と連絡を取ろうと必死だったが、回線が繋がらないようだった。イラストレーターの母・裕子は、不安げに部屋を歩き回っている。

「康二、お前は学校へ行った方がいいかもしれんな」健吾が、諦めたように言った。「この状況では、個々の家庭よりも、学校のような集団の方が情報も集約されやすいし、何らかの公的な指示もそこに優先的に伝達されるはずだ。それに、君の分析能力なら、学校に集まった情報から何かを見つけ出せるかもしれん」

「でも、お父さん、外は…」裕子が心配そうに口を挟む。

「危険なのは承知の上だ。だが、家にいても安全とは限らない。むしろ、閉鎖された空間で情報から遮断される方が危険かもしれん。康二、君の目で現状を確かめてこい。そして、可能な限り情報を集め、生き延びるための最善手を見つけるんだ。それが、君のやり方だろう?」

健吾の言葉は、息子への信頼と、科学者としての冷静な判断に基づいていた。康二は、父の言葉に静かに頷き、自室でノートPCと最低限のサバイバル用品(彼なりに準備していたもの)をリュックに詰めた。彼の頭脳は既に、この異常事態のパターン分析と、生存確率の計算を始めていた。

それぞれの理由と想いを胸に、彼らは混乱の続く街へと踏み出し、やがて惨劇の舞台となる中学校へと向かう。


 村田沙耶たちが通う市立中学校は、市からの明確な指示が届かないまま、通常通りの授業開始を迎えようとしていた。しかし、登校してくる生徒の数は普段の半分にも満たず、教員たちも動揺を隠せないでいた。

三年B組の教室も、空席が目立っていた。窓の外からは、遠くで響く怒号や何かが破壊されるような音が微かに聞こえ、生徒たちの間に言いようのない不安が広がっている。担任教師は、強張った笑顔で「落ち着いて。大丈夫だから」と繰り返すが、その声も震えていた。

工藤奈々は、隣の席の遠藤桜の手を固く握りしめていた。桜は真っ青な顔で俯いている。新井恭二と加藤正人は、教室の後方で固い表情のまま、状況を把握しようと努めていた。宮増康二は、手元のタブレットで必死に外部情報を得ようとしていたが、通信状況は最悪だった。

そして、村田沙耶は――いつものように窓際の席で、外の景色を、いや、その向こうにあるかもしれない「本質」を、静かに見つめていた。彼女の整った横顔は感情を一切映さず、まるで嵐の前の静けさを体現しているかのようだった。

その時だった。

国語の授業が始まって十分ほど経った頃、廊下からけたたましい悲鳴と、獣のような唸り声が聞こえてきた。生徒たちが一斉に息を飲む。担任教師が「静かに!ここで待っていなさい!」と叫び、恐る恐る教室のドアを開けて廊下を覗こうとした、その瞬間――。

ドアが勢いよく内側に蹴破られ、血に塗れた何かが転がり込んできた。それは、つい先ほどまで隣のクラスで授業をしていたはずの、初老の男性教師だった。彼の喉は無残に引き裂かれ、焦点の合わない濁った目で虚空を見つめている。そして、その背後から、おぞましい姿の「それ」が教室に侵入してきた。

「あ……ああ……」

誰かの引き攣った悲鳴が上がる。

それは、先ほどまで同じ学校の生徒だったはずの少年だった。しかし、その目は充血し、白目は濁り、口からは涎と共に低いうなり声が漏れている。顔や制服は夥しい量の血で汚れ、明らかに正気ではない。彼は、ふらふらとした足取りで、最も近くにいた女子生徒に襲いかかろうと両手を伸ばした。

教室は一瞬でパニックに陥った。生徒たちは悲鳴を上げながら机や椅子を盾に後ずさり、ある者は窓から飛び降りようとし、ある者はただ腰を抜かして動けずにいた。

「化け物だ!」「助けて!」

怒号と泣き声が入り混じる。

その狂乱の中で、ただ一人、村田沙耶だけが冷静だった。いや、冷静というよりは、感情というものが欠落しているかのように、彼女は静かに立ち上がった。襲いかかろうとする「それ」と、恐怖に叫ぶクラスメイトたちを、まるでスローモーション映像でも見るかのように観察している。

「(…ネットの噂は、やはり真実だったのか)」

沙耶の脳裏に、康二が見ていた海外の掲示板の情報がよぎる。

次の瞬間、沙耶は動いた。近くに立てかけてあったモップを音もなく手に取ると、その柄を短く持ち、床を滑るようなステップで「それ」へと接近する。

「沙耶ちゃん、危ない!」奈々の悲痛な叫び声が響いた。

しかし、沙耶は止まらない。

襲いかかってきた「それ」の腕を紙一重でかわし、懐に潜り込む。そして、一切の躊躇なく、モップの柄の先端を、「それ」の眼窩深くに突き立てた。

ゴリッ、という鈍い音が教室に響く。

「それ」は、甲高い、人間のものではないような叫び声を上げ、激しく痙攣した後、動きを止めた。沙耶は、突き刺したモップの柄をさらに捻り、確実に脳を破壊する。返り血を僅かに浴びた彼女の顔は、相変わらず無表情だった。

教室は、水を打ったように静まり返った。

生徒たちは、目の前で起きたあまりにも凄惨な光景と、平然と「それ」の頭部を破壊した沙耶の姿に、言葉を失い立ち尽くしている。恐怖と、それ以上の何か――畏怖に近い感情が、彼らの心を支配した。

奈々は口元を押さえ、わなわなと震えている。恭二と正人は、呆然と沙耶を見つめる。康二は眼鏡の奥の目を大きく見開き、沙耶の戦闘行動を分析するかのように凝視していた。桜は、とうとう気を失いかけていた。

沙耶は、倒れた「それ」を一瞥し、次に教室の入口へと視線を移す。廊下からは、さらなる複数のうめき声と、バタバタという足音が近づいてきていた。

「…まだ来る」

彼女の小さな呟きが、死のような静寂を破った。

それは、この学園が地獄へと変わる、ほんの始まりに過ぎなかった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ