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REVENANT: SHONAN ZERO  作者: 狐目の仮面
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第三章:要塞の揺りかご [第三十一話] 慈愛の代償

 ロビーの喧騒から離れた一角にある、臨時の簡易救護所。

 元は会議室だったその場所は、今や包帯の山と消毒液の臭い、

 そして絶え間ない呻き声が充満する「最前線」となっていた。


 奈々は、加納医師の指示のもと、次々と運び込まれる負傷者の手当てに追われていた。

 物資は枯渇しかけており、ガーゼ一枚、消毒液一滴すらも無駄にできない極限状態。

 それでも、彼女の穏やかな声と丁寧な処置は、

 不安に駆られる避難民たちにとって数少ない救いとなっていた。


「……はい、これで大丈夫ですよ。少しだけ、我慢してくださいね」


 奈々が老人の腕に包帯を巻き終えた、その時だった。

 加納医師が別の重症者の処置のために奥の部屋へ入った隙を見計らうように、

 一人の男が背後から音もなく忍び寄ってきた。


「……おい、工藤さんよ。ちょっといいか」


 声をかけてきたのは、昨夜ロビーで桜を威嚇していた竹本一派の一人、木村だった。

 彼は周囲を気にしながら、奈々の手元にある、鍵のかかった小さな医療用保冷庫を顎でしゃくった。


「あんた、この中の『痛み止め』……何錠か、こっそり分けてくれないか?」


 奈々の動きが止まる。

「……それはできません。これは加納先生の管理下にある貴重な医薬品です。

 重傷者や手術が必要な方のために……」


「硬いこと言うなよ」

 木村は奈々の肩に手を置き、低く、這うような声で囁いた」

「俺たちのリーダー、竹本さんはね、この市役所内の平穏を守るために尽力してるんだ。

 その竹本さんが、最近ちょっと腰を痛めててね。

 ……分けてくれるなら、あんたらのグループへの『風当たり』

 俺が少しは和らげてやってもいいんだぜ?」


 それは明白な強請ゆすりだった。

 昨日のロビーでの一件。

 自分たちの立場が危ういことを逆手に取った、卑劣な取引。

 奈々の指先が微かに震える。

 ここで薬を渡せば、グループの生活は楽になるかもしれない。

 けれど、その一錠が、明日運ばれてくる「誰か」の命を救うためのものだとしたら。


「……お断りします」


 奈々は、木村の手を静かに、しかし拒絶の意志を込めて振り払った。

「薬は、必要としている患者さんのためのものです。

 竹本さんが本当にお辛いなら、順番に並んで診察を受けてください」


 木村の顔から、卑屈な笑みが消えた。

「……あぁん? ガキのくせに、自分が何様のつもりだ。

 ここで俺たちを敵に回して、無事でいられると思ってんのか?」


 木村が奈々の腕を強引に掴み上げ、壁に押し付けようとした、その瞬間。


「……そこまでにしてもらおうか」


 カーテンの奥から、血の付いたゴム手袋を脱ぎながら加納医師が現れた。

 その瞳には、死線を見続けてきた者特有の冷徹な怒りが宿っていた。

「私の救護所で、私の助手に手出しをするなら、次にお前がここに運ばれてきても……

『麻酔』を使う予定はなくなるが。それでもいいか?」


 加納の凄みに、木村はたじろぎ、掴んでいた奈々の腕を離した。

「……ちっ。覚えてろよ、偽善者どもが」

 捨て台詞を吐き、木村は逃げるように救護所を去っていった。


 嵐が去った後の静寂の中で、奈々は思わずその場にへたり込んだ。

「……加納先生。すみません、騒ぎにしてしまって」


 加納は無言で奈々の傍らに立ち、彼女の震える肩をポンと一度だけ叩いた。

「……間違ったことはしていない。だが、あいつらはしつこいぞ。

 工藤……お前が守ろうとしたその一錠で、助かる命がある。それを忘れるな」


 厳しい言葉の中に含まれた、不器用な肯定。

 奈々は深く息を吐き出し、立ち上がった。

 

 救護所の窓の外では、夕闇が迫っている。

 要塞の中にあるのは、外の怪物たちよりもタチの悪い「欲望」という名の病。

 奈々は、自分の無力さを痛感しながらも、それでも「護る」と決めた意志を、

 さらに強く握りしめていた。

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